黒き食卓の王子6
金の卵のなかから出てきたのは、どうやら古城の鍵のようだった。
ライナを下がらせて、重たい鉄の扉に鍵を差し込んだ三番目の兄が、錠が回ったことを知らせるように振り返って頷いたので、ライナも近寄っていった。
「……開けるぞ」
扉は重たげな音を立てながら、ゆっくりと内側に開いた。
「罠があるならあるでちゃんと伝えておけよ、何も言わずに毛とか羽根とか鱗とか渡すんじゃなくて」
三番目の兄は、さっきの出来事についてまだぶつぶつ言っていた。
彼からすれば、非力な妹一人(と、特に戦力にはならない鳥一匹)を守りながら逃げ回るのは、よほど肝を冷やすことだったのだろう。
ライナは、三番目の兄が文句を言いたい気持ちはもっともだ、と思いながらも、一応、おおらかな魔女達を庇った。
「お義姉様方も、忘れられていたのかもしれません」
「……ありえるな。数百年前のことだし」
ライナよりもよほど鯨の魔女のことについては知っているであろう三番目の兄が、神妙に頷く。とってつけたフォローのような『数百年前のこと』という言葉に、ライナはたった今足を踏み入れたばかりの古城の中を見回した。
古城は、寂れて朽ちていた。
中も外とそこまで変わらない。蔦が壁を這っていて、今にも崩れ落ちそうな石壁を支えている。
それでも、先程ライナ達が対峙した門番のおかげか、中は荒らされた形跡もなく綺麗なものだった。
中に足を踏み入れる時、ライナも三番目の兄も、また門番のような存在が出てくるのではないかと内心ひやひやとしていた。
けれど、幸いにも王子の眠る古城にかけられたまじないの効き目は、そこまでだったらしい。特に何か出てくるでもない。
たとえ何か出てきたとしても、すでに母から預かった短剣も魔女の贈りものもなくなってしまったライナにはどうしようもなかったので、そうなったらまたきっとライナを抱えて逃げ回ることになる三番目の兄は大変だっただろう。
でも、だからといって、問題が解決したわけでもない。
「扉を開けた先にまた扉かよ」
「七つもあります」
扉を開けて足を踏み入れた先には、ぽっかりとした円形の空間があって、その壁際にぐるりと七つの扉があった。
七つの扉、そのどれもに鍵はかかっていなかった。
ライナと三番目の兄が、ちょっとだけそれぞれの扉を開けて中を見てみると、どれも同じような石畳の通路が続いていて、どうやらその先に部屋があるようだったが、どの扉の向こうも一見、違いがまるでない。
扉があれば、扉の先に進むということができる。だが、扉が七つあって、こっちは二人(と、一匹)しかいない場合、たくさんの扉の存在は、特にうれしいことではなかった。
「やっぱりこの城、変だな。外で見たよりも中が広い。これも魔法か?」
三番目の兄の言う通り、城の中には、いかにも不思議な気配が漂っていた。
お城といえど、城の主の他には、数人の召使がいれば十分それで事足りるような大きさのように見えていたのに、どうも真実はそうではないらしい。
これなら迷いようもそんなにないだろうと思っていたのに、さっそく迷うことになっている。
「三番目の兄様」
ライナはちょっと考えて、この場で一番理にかなっているであろう言葉を口にした。
「手分けして扉の向こうを調べるのはどうでしょう?」
それは、一番良いわけではなくとも、少なくとも一番悪いわけでもない提案のはずだったが、三番目の兄の反応は微妙だった。
けれどそれも、二人でいる時にいくつかの扉を開けてみた時と、ライナと三番目の兄、それぞれが扉を開けてみた時に違う光景があることに気がつくと――つまり、扉の先は不思議なことに二人でいる時と一人でいる時でそれぞれ違う場所につながっていた――手分けして探すことを渋々と受け入れた。
「いや、やっぱりよくない。こんな訳のわからない場所で子どもを別行動させるなんて。大体、なんだよあの扉。なんでオレが開けたら全部同じような部屋になるのに、お前が一人で開けた時だけ違う道が現れるんだ」
やっぱりあまり受け入れられていないようだったが、しかし、現実は彼自身の言葉の通りだったのでさしあたってやはり二人は別行動を取るほかないのだった。
七つの扉は、どれを開いても、ライナが開けた時だけ違う場所に繋がった。
一方で、三番目の兄が扉を開いたり、ライナが開けている間に扉の中に入ろうとすると、瞬く間に石畳の道の先は、殺風景で素っ気のない部屋へと変わってしまう。これもきっと城にかけられたまじないの効果なのだろう。
「三番目の兄様、またあとで」
「さっき牝牛が現れた時といい、今といい、なんでそんなに平然としてるんだよ。こんな変な場所、はぐれたらもう二度と会えないかもしれないんだぞ。お前は七歳の子どもか? それともサイボーグなのか?」
「もうすぐ八歳になるはずです」
ライナはぶすくれた口調の三番目の兄に返事をしたあと、ちょっと考えてから尋ねた。
「サイボーグとはなんですか?」
「機械で出来た人間のこと! でもお前はサイボーグじゃなくてもうすぐでたったの八歳ぽっちの子どもなんだから、こんな危険な場所ではいそうですかって一人で行かせるわけにもいかないだろ」
ライナは、どうして三番目の兄がここまできて先に進むことを渋り出したのか、ようやくそれでわかった。
三番目の兄はライナの身を案じているのだ。
そのことに気づいた時、ライナは、自分は三番目の兄に言うべきことがあるのではないかと思った。
だから、すこし考えたあと、やっぱり自分はこの扉の先に行くつもりであることと共に、それについて三番目の兄がまた声を張り上げるより先に、こう伝えた。
「三番目の兄様。ありがとうございました」
なんとなく、言っておかないといけない気がした。
「三番目の兄様が守ってくれたから、こわくなかった」
機械で出来た人間という言葉に、ライナは母である王妃からいつも『人形のよう』と言われていたことを思い出した。
でも、三番目の兄は違うと言った。ライナを七つの子どもとして心配した。きっと彼の妹としても。
三番目の兄はいつも不機嫌そうな顔をして、ぶっきらぼうだった。
けれど、鯨の魔女の城にいる時も、旅の道中も、もうずっと、眠るライナが寒くならないように優しい肌触りの毛布をかけてくれたりした。
一番目の兄が、ライナを一目で妹と受け入れてくれたように。
二番目の兄が、ライナのためのお菓子を焼いてくれたように。
うんとちいさい頃。
母と父も、ライナのためにそんなふうにしてくれたことがあったから、ライナは七つになれたのかもと夢想できた。
「だから、ちょっとの間ひとりでも、大丈夫」
ずいぶん経ってから、三番目の兄は溜息を吐くと、苦虫を嚙み潰したような顔をして言った。
「…………何かあったら大声あげろよ」
そういうわけで、ライナと三番目の兄はいったんそこで別れたのだった。
◇
「ひとりになっちゃった」
もちろんライナがそのほうがいいと考えたのだからそれは当たり前のことだったが、しばらく一緒にいたからか、三番目の兄と離れてからライナは思わず呟いていた。
しかしすぐに、自分の言ったことが正確ではなかったことに気づいて訂正する。
「でも、おまえがいるものね」
ぴぴぴ、ぴぴっ、ぴー……っ。
ライナの指に撫でてもらおうと鳥がすり寄ってくる。
鈴を転がすような鳴き声は、古ぼけた廃墟に実は密かに少し心細くなっていたライナを励まそうとしているかのようだ。あるいは鳥のほうも怖いのかもしれない。
「だいじょうぶ。怖くないよ」
自分より頼りないものは守らなければという気持ちになる。
だから、ライナは気丈にも鳥にそう声をかけてやった。
しかし、そうやって話しながら開いた扉の先に広がっていた薄暗い闇に、つい自分に言い聞かせるように繰り返さずにはいられなかった。
「こわくない。こわくない」
そして、呟いたちょうどその瞬間、いきなりライナの後ろで扉がひとりでにばたんと閉じた。
「嘘です。白状します。やっぱりちょっとこわいです」
ぴぃっ…!ぴぴーっ!
思わずしゃがみこんでしまったライナの頭上をぐるぐると鳥が飛び回る。
ライナはそれを最初、鳥も同じように今の出来事にびっくりしたのだと思ったが、鳥の何かを訴えるような鳴き声に気づくとようやく前方を見やった。
目の前には、やはり薄暗い闇が広がっていた。
ぼんやりとした暗闇の他には特になにもない。
ライナがそう思ったとき、ふと、どこからか声が聞こえてきた。
黒の食卓の王子に魔女が恋をした
愛知らぬ王子に魔女の恋は破れた
魔女は王子に呪いをかけた
王子と王子の三人の姉妹
長女は鯨、次女は鷹、三女は熊
そして、王子は眠りについた
呪いを解くには心が必要
王子が投げた心が必要
子どもが日曜のミサで朗読しているような澄んだ声は、石壁に反響して、それから溶け消えていった。
それきりぴたりと止んだ声は、ここが教会でないことと、どう考えてみてもこの崩れかけの塔に人が住んでいるようには思えないことを除けば、とりたてて怖い出来事ではなかった。
しかし、それでもライナはやっぱりびっくりしていた。
そう、内心飛び上がらんばかりにびっくりしていたのだけれど、人間、びっくりしすぎるとかえってなんの反応もできないもので、結果的にライナはいつものように静かだった。
そうしてしばらく静かにしていたが、やがて、つとめて気を取り直そうとして呟いた。
「気にしない。気にしない」
しかし、ライナはすぐに、その『気にしない』ということが思っていたより大変なことであると知ることになった。
『オデロ!』
ライナが歩き始めてまたすぐに、女の人の金切り声が塔に響いた。
『オデロォ!』
この塔のどこかで眠りについているという王子様。
その名を叫んでいるのは、いつかライナを湖に飛び込ませた幻覚の声と同じだ。
『オオデエエロオオォ』
声は叫ぶ。
声は泣く。
声は呻く。
『オデロ』
終いには、声は急に落ち着きを取り戻した。
『アタシは、オマエに恋をした』
先程まで、塔を揺るがすような大声で叫んでいたのに、呟きはとても静かだった。
『オマエに恋して、呪いをかけた』
ぽつりと雨粒が落ちたような、人を呼んでいるのに誰かに聞こえているとは露とも思っていないような、ひとりぼっちの音をしていた。
『アタシの恋は、オマエにとっての呪いにさえ、ならなかったというの』
ライナは、この声がいつかの幻覚と同じようなものだと気づいていた。
ここにいるライナは声になにも言えないし、言ってみたところでなにも伝わらないだろう。
けれど、聞こえてくるその声には、聞く者に思わず何か言ってあげたいと思わせるような哀しい響きがあった。
『嗚呼、ほんとうの呪いは、この恋そのものだった……』
恋ってこわい。
まだ恋を知らないライナの認識が固まっていく。
呪いのような恋。
恋のような呪い。
果たして、魔女がかけたのは、あるいはかけられたのは、どっちだったのだろう?
そう考えたライナは、ふと不思議に思う。
王子に呪いをかけた魔女は、王子に恋をしていた。
ライナは恋を知らないが、つまり、好きだったということなのだろうと理解する。
けれど、好きならば、なぜ、その相手を呪ってしまったのか。
好きな相手には、優しくしたいものなのではないのだろうか?
ライナは好きも嫌いもまだよく知らない子どもだったので、時として好きと嫌いが同じくらいの激しさを持つことも、そうした感情を誰かに抱いて狂った人が、相手に好きと嫌いのどちらも向けてもらえないことがいっそ嫌われるよりもつらいこともわからなかった。それこそ、好きの気持ちの大きさの分だけ、あるいはそれ以上に、だからこそ嫌いになってしまうことも。
今のライナにわかるのは、相変わらずここに辿り着いた時から変わらない、ライナのすべきことだけだった。
「いましなきゃいけないのは」
いかにも可哀想なすすり泣きに気を取られないように、ライナは一言一言呟いてみせる。
「眠りの王子を起こすこと」
口に出したことによって、ライナは忘れていたわけではなかったその目的を、けれどより確かに思い出したような気になった。
そのためうっかりと気持ちはそれで満足したような気になってしまったが、目的はまだなにも達成されていない。
王子を起こすこと。
それは確かにこの旅の終着点であり、ライナがすべきことに違いなかった。
ただ、問題は、そのためにどうするべきなのか、実はこの期に及んでもライナがさっぱり理解していないことだった。
「……」
ライナの首筋に鳥が羽根をこすりつける。
無意識に撫でてやりながら、ライナは『考えがある』とライナに教えを授けた鯨の魔女のことを思い出していた。
『湖の中での生活も、これはこれで、夢でも見ているかのよう』
共に暮らしたひと月の間に、聞いた言葉だった。
水中の城の中、水に揺蕩う魚たちを見ながらも、彼女は遠い空を仰ぐような眼差しで。
『でも、夢はいつか覚めるものですものね。王子様のキスがなくても、ベッドで目覚めて、お日様の光を浴びて、温かいパンを食べて、花の香りの風をまといながら、ドレスを翻して遊びにいくわ。きっと、呪いが解けたら』
湖の中での時間は、パンを作る小麦粉の中に住んでいるかのようだった。
古い小麦粉の中には、とても小さな虫が湧く。
美味しい白い粉の海で、揺りかごに揺らされるように眠りにつくのはきっととても心地いい。
それでも、鯨の魔女の言う通り、夢はいつか覚めるものだ。
それにきっと、虫入りのパンはあんまり美味しくない。
壁伝いに歩いていたライナに、そのとき、また別の声が聞こえてきた。
それは、今まで聞こえてきた声のどれともちがう、外に雪が降りはじめて窓にそっと触れた音かと思うほど、静かでささやかな声だった。
ライナの鳥の鳴き声と似た、とても素敵な音の旋律。
天から降り積むやわらかな雪の結晶が、そっと触れた髪に口づけるような祝福の歌。
ある国にひとりの王子
言祝ぎへと妖精の祝福
この子はまことに喜びの子
この子はまことに美しい子
この子は誰からも愛され
誰もを愛することでしょう
わけへだてなく 誰であろうと
この子は愛され この子は愛する
世界に二つとないほど深い黒
ここにあるエボニーの黒き台たる食卓を
いつまでも続く祝福の証に贈りましょう
永久に続く愛の証といたしましょう
それは恐らくは本当に、妖精の祝福の歌だった。
王子が生まれた時に、授けられた祝福の贈り物。
今度はいったいなんだろうと身構えていたのに、ライナはいつの間にか歌に耳を傾けていた。
そして、歌が途切れて、ふっとライナが動いたとき。
まるで雲が晴れるようにして、部屋を覆っていた薄闇が消える。
そうして、ぱちぱちと瞬きをするライナは見た。
黒き食卓。黒の台。
数十人もの人が囲んでもまだ余りあるような大きさのそれを、まるで寝台であるかのように、誰かが横たわっている。
黒き食卓の上、浮かび上がるようにして、輝くように白い姿。
胸の上に腕を組まされ、艶のあるテーブルクロスに造花とご馳走を模した作り物の食べ物の中に、埋もれるようにして目を閉じて。
そこには、ひとりの美しい男が眠っていた。




