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鯨の魔女4



まったくもってわけがわからない。


それは、いつの間にかライナが長い時間を過ごしていた夢の日々もだったし、全体的になにを言っているのかよくわからなかったクロダイのこともだし、唐突に戻った現実で鳥に導かれるまま旅を続けているこの状況についてもだった。


「まったくもって、わけがわからないことばかり……」


しかしそれはなにも今に始まったことでもないのかもしれない。

ライナは突然命じられた旅のはじまりを思い返す。


「……結局あの場所はどこにあったんだろう?」


はっと我に返ったライナが最初に目にしたのは、一面の緑広がる森の景色。


そして、ぽつんと佇む骨董品のような古井戸だった。


生い茂る草花にほとんど覆い隠されている井戸は、今はもう使われていないようだった。

それにもかかわらず、覗き込むと底が見えず、遠くのほうでかすかに風の音が聞こえてきた。

まるで、井戸の向こうにも別の場所があるかのように。


「……まさか、井戸の中?」


再び旅のお供が鳥一匹になったライナは、ひとりごとがすこぶるはかどっていた。

今はもっぱら、この間までクロダイといっしょにいた空間がどこにあったのか、ということを考えていた。とにもかくにも、暇だったからだ。


「……あなたがしゃべれたらよかったのにね」


ときどきライナを案内するように前を飛びつつ、大体はライナの肩に止まっている鳥に話しかける。

気まぐれに現れる鳥は、すっかりライナのことを覚えたのか、慣れた様子で首をかしげる。


「ううん。そんなことない。いっしょにいてくれるだけで嬉しいよ……」


ライナの声音がいつになく沈んでいるようだったからか、鳥が慰めるようにすり寄る。

鳥が両方の羽を手のように広げて、ライナの首に抱きつく小さなぬくもり。

その毛並みを撫でながら、ライナはいつの間に自分はこんなことを思うようになってしまったのだろうとぼんやり思う。


ライナはひとりで旅に出た。

お城にいる時も人としゃべるようなことは少なかった。

こうして変におしゃべりをしてしまうのは、近頃ずっとライナの傍について回っては話しかけてきていたクロダイの影響だ。


「クロダイ……」


また会えるのだろうか、とライナは歩きながら考える。


『目が覚めたら、鳥がキミを導くよ』


クロダイの最後の言葉の通り、目が覚めたライナには鳥がいた。

けれどあの夢の場所で共にいたクロダイの姿はどこにもなく、今に至るまで影も形もない。


クロダイはまじないを使うことができる。

彼自身は占いみたいなものと謙遜していたが、ライナはなんとなく、それが魔女の使う呪いと同じようなものだと理解していた。

そのような不可思議な世界の住人なのだから、きっとライナには思いも至らないことわりのなかで生きているのだろう。


そうと理解していても、いつも世間のことなどなにも知らないふうに花を飛ばしているクロダイのことを思うと、ライナはやっぱり不安になるのだった。


「……大丈夫かなぁ。おなかすいたからって、その辺に落ちてるもの食べたりしないよね」


ライナの呟きに、なぜか鳥がショックを受けたように固まって肩から落ちる。

地面に落ちる前にライナがキャッチできたのでよかったが、慌てたライナの目に、気になるものが映った。


「水たまり……あ」


地面のくぼみに溜まった水たまり。

その水面が、風もないのに揺らいでいる。


――夢のなかの湖面で見た、不思議な現象を思い出す。


水たまりの表面には、最初は何も映っていなかった。

それがぐるぐると渦を巻くようになって、次第にぼんやりと何かしらの形を作りはじめる。

徐々にあらわになる光景に、人のような黒い影がゆらゆらと見えた。


ぴぴぴっ、ぴぴっ、ぴぴーっ!


突然、掌のなかの鳥が水面に向かって威嚇のような声を上げる。

羽を飛び散らせながらばたばたと動かして、慌てているようだった。


目を逸らせないライナの前で、水たまりに映った黒い人影がゆっくりと体を起こす。

それはとても小さな、ライナの親指ほどの大きさの影だった。


ライナはなにがなんだかわからなかったが、水たまりから黒い影が次々に出てきたところになって、なんだかわからないなりに『これはよくないものかもしれない』と思って、慌てて駆け出した。


「はぁっ、はぁっ、はぁ……っ!」


ぴぴぴっ、ぴぎーっ、ぴぎぎぎっ!


鳥が急かすように激しく鳴く。鳥は飛べるのだからいざとなればライナを置いて先に行けるのに飛ぶのを忘れているのか肩に張り付いたままだ。ぴぎーっぴぎーっ!と慌てふためいて羽を落としまくる鳥を押さえながら、ライナは後ろを気にしながら走る。


あの黒いのはいったいなんなのだろう?


水たまりから出てきた小さな人影は、ゆっくりふらふらとライナのほうへ迫ってくる。

攻撃してくるわけではないがどことなく不気味だ。なぜかはわからないが、触れてしまえばたちまち爪先から黒く浸食されてずぶずぶと呑み込まれてしまうような。


『オデロ。愛しているわ。オマエを愛しているの。オデロ、だから、オマエを呪うわ』


ふいに、誰かの声が聞こえた。

いつの間にか溶けて泥のようになった影は、地面を這って瞬く間にこちらへと迫ってきた。

その泥は先程よりもずっと大きな――そう、まるで等身大の人間のような――人影の形を作り上げた。


黒い人影から聞こえるのは、低い女性の声だった。


『オマエを呪うわ。オデロ、オデロ、嗚呼、愛しいオデロ』


声は、『オデロ』という人へ、それそのものが呪いであるかのような憎しみさえ伝わってくる低い響きで愛を叫んでいる。


まったく状況がつかめないライナにも、ひとつわかることがあるとすれば、ライナには『オデロ』という名前をもった知り合いがいないことだ。


「オデロさんのことは知りません!」


走りながらのライナの叫びに被せるようにさらに声が追いかけてくる。

けれどそれは、ライナの言葉に反応したものには聞こえなかった。


『嗚呼、嗚呼、アア! オデロ、オマエはアタシに微笑みかけてくれたでしょう? 誰もが目を背けるいたましい存在、災厄をもたらす魔女であることを知りながら、オマエはなんの躊躇いもなく転んだアタシに手を差し伸べた。あまつさえオマエに恋焦がれ、オマエの目に映りたい一心で着飾ったアタシを褒めてもくれた!』


あきらかに、黒い人影はライナに語りかけているのではなかった。

どころか、ライナを追いかけていながらライナのことが見えているわけでも認識しているわけでもないように思える。恐らく、ライナの声も届いてはいないのだろう。


それならどうしてライナを追いかけてくるのだろうと考えながら、ライナは無意識に恐らく女性である人影の言葉に呟いた。


「お母様もよく言ってた。口の上手い男と顔の良い男は引っかかると大変だって」


あわせ技なら尚更だろう。

人影の言う『オデロ』という男がどういう人かはわからないが、きっと数多の女性をこんなふうに発狂させてきたのだろう。罪な男だ。王妃が聞いたら他人事にもかかわらず思い出し発狂しそうだと思って、ライナはつい呟かずにはいられなかった。


『嗚呼、アタシはオマエをこんなにも愛したのに、オマエのためならいくら人を殺そうと国を滅ぼそうとなんだってできたのに! その果てにアタシが知ったのは、オマエが恋知らぬ罪作りな男であるというだけ……魔女よりもよほど魔女らしい』


悲鳴のような切実な声は、徐々に静かな調子になっていったが、それはけっして声の主が落ち着いたからというふうには聞こえなかった。

泣いているのか、笑っているのか、どちらともわからない震え声が、静かに告げる。


『オデロ。それでも、オマエを愛している。だから、呪いをかけるわ』


さらに次の瞬間、異なる声がいくつも聞こえてきた。


『兄を呪うなら、先に私達を呪え』

『そうですわ。兄様はどうしようもなく女性に甘い、勘違い量産期の仕方のない沼男ですが、それでもわたくし達の兄様です!』

『長兄がいなくなれば、王位のお鉢が回ってきてしまうかもしれない。そんな面倒なことはごめんです』


声はそれぞれ違う人物のもののようで、そのうち二つの声にライナは聞き覚えがあった。

走りながら肩ごしに振り返ったライナの目に、こちらを囲うように迫ってくる黒い人影がいくつもあるのが見える。


『王子の妹姫達よ、そこまで望むのならばオマエ達も諸共に呪ってやる! オマエ達の姿を獣に変じる! オマエ達はこれから兄の呪いが解ける日まで永遠に理性を失った獣となり、まじないの効果が途切れるいくつかの時間の法則の中でだけ、人間の姿へと戻ることができる』


三番目の姫君は熊になる。ただし、七日の後に一日だけ人の姿に戻る。

二番目の姫君は鷲になる。ただし、七週の後に一周だけ人の姿に戻る。

一番目の姫君は鯨になる。ただし、七月ななつきの後に一月ひとつきだけ人の姿に戻る。


『獣となっている間、オマエ達は人の姿に戻った時のみ年をとる。人の輪の中から外れて、永遠に近い時間を誰とも分かり合えずに孤独に過ごす』


その一言一言がまじないのように、魔女の声は重々しく聞こえた。

それに応える声が他にあったのかライナにはわからない。

振り落とされないようにと肩からライナのてのひらの中に移動させてから凍りついたように固まっていた鳥が、急に羽をばたつかせて暴れた。


なに、と目を瞬かせたライナの手から抜け出た鳥が、前方に飛んでいく。

それでようやくライナはそこにあった湖に気づいた。


「どうしたの」


水面の上を旋回する鳥に近づけば、鳥がなにかを水の中に落としていた。

駆け寄ると、水面にパンくずが吸い込まれていくのが見えた。


「まあ」


たぶんライナの持っていたパンのひとつだ。

さっきばたばたと暴れている時に掴んだのかもしれない。

こんな時にまるで魚でもおびき寄せるようなことをしている鳥の、その器用さにライナが感心すべきかどうなのか考えた時だった。


『姫君達よ、その呪いは永遠に解けない。オマエ達の兄が、恋を知るまでは』


鳥に気を取られているうちに、すぐ後ろまで黒い人影が迫っていた。

気づいた時には遅く、こちらに向かって呑み込むように影が覆い被さってくる。


「あ……」


目を見開いたライナの目に映るのは、やはり黒い影だけだ。

表情も、姿もわからない。

だが、どうしてか、恨みを乗せたその声は、泣いているようで。


ライナが思わず動きを止めた時、耳の真横で鳥がピギー―――っっっと甲高い鳴き声を上げた。


「わ、ぁっ……!?」


それに驚いたライナが、ぐらりと体勢を崩す。

いつの間にかライナの袖を引っ張っていた鳥ごと、湖のほうへ傾いた。


『それが、アタシを恋に狂わせておきながら恋を知らず、誰ものことを愛しながら誰のことも愛さない、オマエ達の兄への罰にもなる』


上から迫ってくる黒い影。落ちそうになっている下には湖。

どちらへ傾いても危険な状況に、ライナはとっさに鳥を守るように手の中に包みこんだ。


『オデロ、愛しているわ。アタシ、だから呪ったのよ』


吐息さえ伝わってきそうな距離で、ぞっとするほど静かな声。

さっきとは違って喚いているわけでもないのに、なぜかとても重たく、恐ろしく感じられる声。


今まさに水の中に頭を浸しかけながら、ライナはぎゅっと目を瞑る。


『去りなさい、魔女の残滓よ。もはや肉体も消滅しているというのに執念深さはこの湖よりも深いのですね。貴方はすでに失恋した身でしょうに。未練たらしい者は男でも女でも嫌われますよ』


淡々とした声が、ライナの代わりに声に応えた。

ライナの下、つまり、ライナが落ちかけている湖の下から。


「なに――――」


水の中に呑み込まれる。

その直前、ライナは耳元で囁く声を聞いた気がした。


黒い人影でも、湖の中から聞こえた声とも違う声。


『怖がらないで、ライナ。ボクがキミを導くよ』


それを最後に、ライナの体は水しぶきと共に湖に落ちていった。

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