懐かしい思い出
困惑している君にはこんな言葉が必要だと。愛のテーマもラプソディ。君を呼ぶ気にはなれなかった。多分疲れているせいだと思う。いつもは嫌がって嫌悪を抱く僕ではあるが。今日は今日で自分の事がある。その用事が面倒なだけだ。できれば遊んで一生過ごしたい。この連載を目途に僕は小説家になるつもりでいる。絵はへたくそだし写真も下手である。昔ペットに餌をやらなかった始末についつい賭けてしまうんだとかとか言うブログを書いたがまさにその通り。僕はおなかがすいているだけである。この勝負への執念を黄金の時間にしよう。それでいくつか見てきた夢を開くことができると思っている。
桜の木の下ではひとりではなかった。常にライバルは傍にいてそれに気付かなかった僕だが何も分からなかったわけではない。それなりに過ごしてきた時間を分け合うのに言葉はいるか。いや多少言い過ぎでも何かの配慮はいるだろう。例えばすでに自分とは違うところで物語は動いていてそれに乗っかるためにはどこかに行かなければならない。よくできた話だと思う。黙っていることで満たす欲求などないものだ。人生は波乱である。常になにかを察知し良いと思ったものは根こそぎ奪ってきた。しかしそれも他人の中ではごくわずかなもの。少し長くなったが幼馴染たちが何をやっているのか知りたい。でも度胸はない。
100万年戦争とはなんだ。一生横になって過ごすことか。あの日言った言葉が自分のに今帰ろうとしている。添えは涙の欠片となり夜の雫へと変わる。こぼれ落ちた涙を拭うことはなかった。いつも一生懸命でありなにかやるといえばことあるごとにこなしてきた。家族は僕が死んだら泣いてくれるだろうか。家族は僕が突然いなくなったら探してくれるだろうか。そういうことは自ずと分かるものだ。例えベッドの傍から離れる時間があっても。天使と悪魔はささやいている。危険だ。物事を察知しなければこの痛い怪我は治らない。しかし気付いたらまたうとうとしていて。そういう時間に自分の凄みを感じる。「あぁ生きてきたんだなー」と心から思える。