#3<前化学史>
ムスリム商人は公正な取引を旨とした。
内陸の黒人は塩を必要とし、代金は黄金で払った。
正史では金1gは塩1gの交換レートであった。
いわゆるボッタクリである。
それを金1gは塩5000gと交換した。
適正価格というヤツだった。
単純計算で内陸の黒人の5000倍の利益である。
そのために内陸の黒人国家は莫大な利益を得た。
裕福になったアフリカ諸国では町造りが盛んになった。
まずモスク、そして学院、病院、隊商宿、宗教道場……。
農地開発と店舗市場の展開も始まった。
ムスリム商人はホクホク顔だった。
総て計算通りである。
①取引を公正にし、アフリカ諸国を儲けさせる。
②裕福になったので、散財する。
③建設ラッシュが始まる。
④建築資材の輸送、建築作業を一手に引き受ける。
⑤メチャクチャ儲かる。
流通経路もどんどん拡充されていった。
コンゴ、ザンビア、タンザニア……。
タンザニアは海に面している為、港町が発達した。
ザンジバル、キルワなどである。
砂漠ルートは幾重にも広がった。
建築ラッシュと流通経路の配備がまた莫大な消費を促した。
街が出来て道に売店や宿泊所が出来る。
便利になると人馬の往来で商人が群がる。
消費が拡大し、雇用が広がり、給与が上がる。
それを支払う財源が「内陸の黒人」国庫には積み上がっていた。
それはもともとムスリム商人が支払った塩の代金である。
一時の悪辣な不公平でボロ儲けしても後が続かない。
「善行は目立たなくても、必ず報われる」はどの宗教でも同じだ。
日本や中国では陰徳陽報とも言われる。
恒久の公正を選べば、流通と消費が永遠に続く。
結局公正な取引がさらなる流通と消費を招くのだから。
なお善行のウラにはやはり闇の部分もある。
黒人奴隷兵アブドの取引市場だ。
強靱な肉体と高い戦闘力は引く手数多だった。
奴隷制度はやがてエジプトでの反乱を招く。
だがこれはもうちょっと先の話である。
大都市にはイスラム神学を修める大学も出来た。
それに伴い数学、化学、医学を修める学科が追随する。
学業を修めた者が、エジプトの大学「アズハル学院」に進む事もあった。
そこでさらに錬金術師になる者もいた。
8世紀のイスラム錬金術師ジャービル・ブン・ハイヤーン(ゲーベル)。
硫酸、硝酸を発見した。
またクエン酸、酢酸、酒石酸もあいついで発見している。
化学で使う蒸留装置も彼の発明である。
9世紀の錬金術師、イプン・ザカリア・アル・ラーズィー。
四体液説を否定し、医学に用いるためエタノールの精製も行った。
次々と生まれる天才たちとその成果物。
時は錬金術まっさかりの時代である。
不思議な流体金属「水銀」と金色の不思議な鉱物「イオウ」。
この2つをなんとかして化合させようとした努力。
水銀は自然界では赤色の硫化物「辰砂HgS」として産出する。
これを熱すると蒸気水銀が得られ、冷水冷却で水銀が得られる。
この謎の流体金属、水銀と硫黄を化合すれば、金が出来るかも知れない。
地中で条件が揃えば、水銀とイオウは金になるのだろう。
こうして、300年の錬金術史が始まったのだ。
その中でも硫酸の発見は特筆に値した。
鉱酸である硫酸は金属や鉱物をも溶かす。
かつては植物酢が最も強い酸だった。
だが植物酢では金属が泡を吹いて溶ける事はない。
亜鉛と硫酸の反応で生じたガスは爆発を伴って燃焼した。
これは水素ガスと名付けられた。
こういう試行錯誤は硫化物では危険だ。
硫化鉄に硫酸をかけると硫化水素(有毒)が発生する。
卵が腐ったようなニオイがする。
温泉特有のニオイでもある。
引き算の化学実験も行われた。
空気を密閉したガラス瓶の中で燃やす。
次に石灰水を入れてよく混ぜると白濁する。
残った気体は動物実験によれば窒息死を招く気体だ。
これは窒素ガスと名付けられた。
後世に、この引き算実験は不正確であった事が判明する。
窒素にはアルゴンガスが含まれていたからだ。
窒素の質量を正確に量れるようになってからの話である。
やがて無数の実験を学ぶうちに錬金術師は微かな変化に気付いた。
水素と酸素を密閉瓶で燃やすと瓶の内側に水滴が付く。
現在ではそれは化学反応の結果で水が出来たのだと分かる。
水素原子2個と酸素原子1個が結合した結果だ。
錬金術師は、それにも、うすうす気付いていた。
物質を構成する原子が存在するのだ。
原子は元素の分割不可能な最小単位だ。
これは古代ギリシャで既に予見されていた。
アナクサゴラスによる古代ギリシャ原子論だ。
物質を構成する最小単位は原子であると唱えた。
だが錬金術師の目的は卑金属から貴金属の金を合成する事だ。
錬金術師の原子への関心は逸れていった……。
このように無数の試行錯誤による実験工程とその結果。
実験で生じた沈殿物と発生するガスを分類する。
記録された文献はべらぼうな数に及んだ。