#1<イスラム錬金術>
12世紀後半。
エジプトのカイロ、アレクサンドリアを中心としたイスラム圏。
当時の最先端錬金術はイスラム圏にあった。
錬金術の目的は、非金属を貴金属に換えることだった。
それには「賢者の石」が必要と考えられていた。
賢者の石さえ発見すれば、錬金術は思いのままだ。
そう考えて、さかんに鉱物実験が繰り返された。
それは今で言う酸化還元実験に相当するモノだ。
なぜイスラム世界はこのように進歩に恵まれているのか?
錬金術の中心地、エジプトのアレクサンドリア。
なぜアレクサンドリアが中心地たりえたのか。
これは、アフリカ大陸のおかげだ。
鉱物資源に恵まれていたのだ。
■アフリカの地表にむき出しの鉱物資源。
例えばガラスの発見がある。
リビア砂漠のリビアングラスだ。
隕石の激突の高温高圧によって生じた天然ガラスだ。
環境の経時変化がないために衝突当時のまま残っている。
これはツタンカーメンの首飾りに装飾として使われていた。
■砂漠という環境で濃縮された化学物質。
ガラスを作る材料のひとつ、天然ソーダのナトロン。
エジプトには水分が蒸発した塩湖がそこここにあった。
アレクサンドリア南東110kmの塩湖ワーディ・ナトゥルーン。
ナトロンの語源にもなった、有名な天然ソーダの産地だ。
それらは布などの洗濯用洗剤として採掘流通していた。
その流通にはシリア(フェニキア)人商人が関わっていた。
■川の河口に堆積した珪砂(SiO2)。
エジプトの近隣国シリア。
このシリアには石英の砂地があるベルス川河口がある。
ベルス川は現イスラエルのカルメル山麓にある小さな河川だ。
ここの砂は珪砂と呼ばれ、SiO2(シリカ)分を多量に含んでいた。
天然ソーダと珪砂を1000-1150℃に加熱して粗製ガラスを作る。
溶融ガラスは丸二日掛けて溶かしたようだ。
そのカレット(粉砕ガラス片)を材料にしてガラスを吹く。
このように、古代からガラスは作られていた。
そのガラスで実験器具を作るのは簡単だった。
コア法、鋳造法、吹きガラス法と技法も変遷していった。
これら古代ローマのガラスは青緑色に色が付いていた。
ソーダ石灰ガラスの鉄化合物を除去しきれない為だ。
古代ローマでは、これを緩和する方法が知られていた。
大プリニウスは博物誌の中でガラス添加物について述べている。
「職人が黒い粉末を用いればガラスを無色透明にする」
この黒い粉末(消色剤)が二酸化マンガンだ。
軟マンガン鉱(二酸化マンガン)はモロッコの鉱山で採れる。
ガラスのFe2+(青緑)をFe3+(黄緑)に変える酸化剤の役目をする。
見た目でガラスが白色になり、無色に見える。
他にも補色による色味の相殺がある。
青緑色なら補色のピンク、紫色を加える等だ。
ガラス細工を駆使して、実験器具が多数発明された。
この時発明されたビーカーやフラスコは今も使われている。
錬金術の道具の充実は、実験の幅を大きくひろげた。
錬金術の実験は静置、湯浴、蒸留、乾留に分類される。
■静置はその言葉通り、攪拌せず静かに置くことだ。
木酢液を得る場合などに使われる。
■湯浴は湯で温めること。
石けんを湯煎で作る場合に使われる。
■蒸留は蒸気と残留物に成分単離する場合に使われる。
弱い酒を強い酒にする場合にも使われている。
■乾留は空気を遮断して加熱すること。
木片を木炭に変える場合に使われる。
蒸留でも乾留でも重要なのは、圧力と温度であった。
高圧力と高温は反応を速くした。
触媒を使うとさらに反応が速くなった。
また普通は反応を起こさない物質も反応が起こった。
錬金術師「これはすごい!」
「触媒が賢者の石なのだろうか?」
錬金術師の眼が妖しく光る。
「もっと、もっとだ!」
あらゆる物質があらゆる方法で実験された。
だがどうしても金は出来なかった。
錬金術師A「条件が微妙に違うのかもしれない」
錬金術師B「金は水銀に溶けるのに逆ができない」
錬金術師C「どうして!どうして!」
なかには業を煮やして詐欺師になるものもいた。
水銀は金を溶かして金アマルガムという合金になる。
金アマルガム合金を加熱して水銀を蒸発させれば金が残る。
まるで「金が生まれた」ように見えるのである。
こうすれば、まさしくエセ錬金術の完成だ。
賢者の石(ウソ)をでっち上げて適当に煮込めばよい。
まるでそれは、金が出来たように見えたように見えるだろう。
エセ錬金術師「とうとう賢者の石による錬金に成功しました!」
これを何も知らない支援者の貴族や王族に見せればイチコロだった。
エセ錬金術師「今は少量ですが、支援さえいただければ、必ずや!」
だが資金を受け取った翌日、錬金術師の姿はなかった。
こうしてバレない内に夜逃げする不埒者もいたのである。
もっともお抱え錬金術師が複数人いるとすぐバレてしまったが。
お抱え錬金術師「金アマルガム合金だろ、コレ?」
詐欺師はともかく、真面目な師も大勢いたのである。
そういう人たちは、繰り返される実験とその結果を記録していた。
使えない実験は破棄され、使える実験結果は記録され、残された。
当てずっぽうだった化学反応は、収斂し始めた。
錬金術は前化学時代に入ったのだ。
これを支えたのが豊富な実験材料だった。
錬金術の実験には、材料が必要だ。
材料には資源となる鉱物が必要だ。
それがアレクサンドリアの周りにはふんだんにあった。
日本が苦労する硝石でさえ、砂漠の表層に層を成していた。
アフリカ大陸は、その発生起源の古さから、鉱物の宝庫だったのだ。