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プロローグたち。

なんということでしょう。

作者: クムツマナ


 公爵令嬢、エリザベス・ルーティは学園生活二年目を三ヶ月後に控えたその日、唐突に理解した。


 己が、前世にプレイしていた女性向け恋愛シミュレーションゲーム――所謂、乙女ゲームの登場人物であることを。それもヒロインを陥れようとする悪役であることを。


 一枚のフィルムが脳内に流れるようにそのことを学園寮の寝台の上で理解した瞬間、エリザベスは物憂げに溜息を吐きながら呟いた。


「なんということでしょう」


 さらり、と黒に見紛う青い髪が頬に触れる。瞬間、叫び声を上げたのはエリザベスの侍女であるキャサリンだった。


「なんてこと! 大変だわ! すぐに殿下を呼んで参ります!」


 言い置いて、主人を寝台に残し部屋を出て行くキャサリンを寝ぼけ眼で見送ったエリザベスは、投げつけられた言葉を反芻してから首を傾げた。


「フランシス様は、男性ではなかったかしら?」


 淑女のみが足を踏み入れることが許された<月影寮>に、どうやって彼を呼びこもうというのだろう。


 五歳より多くの時間を共に過ごしてきたこの国の王太子の顔を思い浮かべながら、エリザベスはただ寝台で首を傾げていた。




 さて、<月影寮>を出たキャサリンは、すぐ隣の<太陽寮>へと駆けこんだ。紛れもなく女性であるキャサリンが問答無用とばかりに生徒の住まう二階への階段を駆けあがろうとするのを、寮監が間一髪で引き留めた。


 淡い茶色の髪を振り乱しながらものすごい形相でキャサリンに睨まれた寮監は、心の中で悲鳴を上げながらもそれを表には出さずに毅然と「何用でしょう」と尋ねる。「しょう」が裏返ったことには気がつかないふりをした。気がついてしまえば、手を放してしまいそうだった。


 キャサリンはそんな寮監を煩わしく思いながらも、己が公爵令嬢の侍女であることを思い出し、無理矢理表情を澄まし顔に戻した。ごほん、と気を取り直して、


「王太子殿下に、お取次ぎを」


 幾分威圧感の減ったキャサリンに安堵を抱いた寮監は、袖を引いていた手を放し、そうして僅かに眉根を寄せる。


「失礼ですが、貴方は?」


「私は、エリザベス・ルーティ様の侍女にございます。至急、エリザベス様のことで殿下にお話が」


 寮監の眉間の皺が増えた。


 この学園、そしてこの寮で王太子が過ごしているのは周知の事実だ。そのため、社交界に足を踏み入れたばかりの夢見がちな少女たちが憧れの王太子と会話を交わしたいと、塵芥にも等しい用件を無理矢理作って呼び出そうとすることがままあった。欲しいと仰っていた本をお渡ししたい、という贈り物系の願いから、お見かけしたときに肩に糸くずがついていたのをお教えしたいという寮監が思わず「ちょっとなにいってんのかわかんないですね」と返してしまった事柄まで様々な用件を携えてこの寮の玄関に立つ女性を寮監は何度も見ていた。交わした。かわした。


 唯一の幸運は、王太子ご本人から苦笑とともに「すまないね」と声をかけられたことだろうか。そのときは思わず泣いてしまった。


 閑話休題。キャサリンも恐らくその類だろう。エリザベス嬢が王太子の婚約者()()であることは知っているが、あくまで候補だ。もしも本当に重大なことが起こっているのだとしたら、月影寮の寮監に託をすればいい。唯一、太陽寮との連絡が許される窓口はそこだけなのだから。


 己の主人をだしに使うなどけしからん。寮監は不快を隠しもせずに首を横へと振った。


「ご用件でしたらワタシが伺います」


 キャサリンが舌を打った。侍女、否、淑女にあるまじき行為である。


「でしたら、至急、王太子殿下にお伝えください。エリザベス様が、()()()に、『()()()()()()()()()()()』と、()()()()()()ました、と!」


 なんじゃそりゃ。


 寮監は顎の筋肉に仕事をさせるのを忘れた。


 主人が溜息を吐いただけで、王太子を呼び出すなんて有り得ない。いくらなんでも過保護すぎやしないだろうか。


 そうは思うが、あまりにも真剣なキャサリンは、伝えねば一歩も引かぬどころか乗り込みそうな気がしたので、その要求を受け入れた。


 数分後、太陽寮の玄関に風が巻き起こる。王太子が駆け抜けた名残であった。




「エリザベス!」


 大きな音を立ててエリザベスの部屋の扉が開いたと同時に、雪崩れ込むように誰かが入ってきた。目を向けると、金糸を乱したフランシスが険しい顔で近づいてくる。


 未だ寝台の上にあったエリザベスは、その姿を見てきょとりと小首を傾げた。


「フランシス様、女性でしたの?」


 そんなわけないだろう、十人居れば八人はそう返す言葉を今さら口にするほど二人の付き合いは浅くない。フランシスはおざなりに「権力」とだけ告げて、エリザベスの両肩を掴んだ。


「どうしたベティ! 僕は君に何かしただろうか!?」


 華奢なエリザベスを前後に大きく揺らすフランシスの目は真剣だ。後ろで両手を組むキャサリンも止めようとする素振りはない。何故ならそれほどまでに二人にとってエリザベスの、<物憂げ>な、<溜息>付きの、『なんということでしょう』は重大で重要で大事であった。エリザベスがその三つを同時行使したのはこの十六年で三回あるが、その三回とも必ずエリザベスは寝込んだのだ。一回目は一週間。二回目は二週間。三回目は三週間。三回目の折りに至っては、五日間目覚めなかった。ちなみに、発端はすべてフランシスの言動である。


「どうなさったの? 何か心当たりがあって?」


「ないから尋ねているんだ! 心当たりもないのに突然、君が『なんということでしょう』と溜息を吐いたと聞かされた僕の心臓は口から逃げ出すところだった!」


「あら大変。きちんと追いかけてさしあげてね」


「わかったそのときは頑張る! その前に君だよ、ベティ! 何があった!」


 ふむ、とエリザベスは考えた。フランシスがこの場にいるのは、どうやら自分の発言が原因らしい。彼が親切にもきっかけを語ってくれたおかげで、早々に見当がついた。あの知識の件だ。


「フランシス様、今からわたくしが語ることを驚かないで聞いてくださいね」


「君の()()以上に驚くことはそうそうないと思うよ」


 フランシスの背後でキャサリンも頷いている。


 奇行、についてはよくわからないが、問題ないならかまわないか、とエリザベスはキャサリンを部屋の外で待機するように告げると、フランシスに語り始めた。――自分たちが創作物のなかの登場人物であることを。




「どうりで!」


 エリザベスがすべてを語り終えると、フランシスが天を仰いで叫んだ。どうやら何かを納得しているらしい彼に、エリザベスは首を傾げて問う。彼は苦い顔をしながら、


「父にも母にも君のご両親にも、何度も何度も『エリザベスを正式な婚約者にしたい』と頼んだのに承諾してくれなかった。理由を尋ねても『なんとなくダメな気がする』とか酷く曖昧な理由で……なるほどこのためだったのか!」


 いずれヒロインとエリザベスが、王太子の婚約者という立ち位置を争うことになるように。


「信じてくださるの?」


 まさかこんな荒唐無稽な話をあっさりと受け入れられるとは思わなかったエリザベスは、フランシスの青い瞳をじっと見つめる。じぃ、と無遠慮に心の奥底までを見透かそうとするその視線に、フランシスは少しだけ頬を色づかせて頷いた。


「もちろん。君は嘘は言わない」


 む。むむむ。エリザベスの眉が寄る。


「わたくしだって嘘くらいつけるわ!」


「それは……付け合わせの人参が美味しいから食べてみて、と一口も食べてないそれを僕の皿に投げ入れたときのこと?」


「違うわ、転んでドレスを破いたのを猫が引っかいたせいだと誤魔化したときのことよ!」


「あれ嘘だったのか。そういうことにしておいてほしい、という遠まわしなお願いだと思ってたよ。転んだ瞬間に目が合ったから」


 手を伸ばしても届かない距離だったので支えることはできなかったが、確かに転ぶ直前目が合ったとフランシスは記憶している。それなのに平然と「猫に引っかかれてしまいました」などと言うから、ドレスを着替える理由をすり合わせるためかと思っていたのに、ただの嘘だったとは。


「それはともかく、ベティ。君の話だと、僕以外にもその……攻略対象? はいるみたいだけれど、彼らには伝えないのかい?」


「どうして?」


「どうして、って、僕に話してくれた――いや、吐かせたようなものだけど、君は語らないときは語らないし――だから、ほかの攻略対象にも伝えるのかと」


 フランシスの言葉に、エリザベスは肩と耳が平行になるくらい首を曲げた。心底不思議そうに、彼女の緋色の瞳がフランシスを映す。


「だってわたくしがヒロインから守りたいのは貴方だけですもの」


「ベティ……」


「ヒロインのために舞台が用意されているのだから、これくらいのズルは許してほしいわ。それに」


「それに?」


「せっかくの恋の機会をすべて奪うのは申し訳ないもの。先入観を持ってほしくないからキャサリンも同席させなかったのよ」


 あ、でも。と、エリザベスはフランシスの手をとる。


「すべてを知ったうえで、貴方がなおヒロインをお選びになるというのなら、わたくし大人しく身を引くわ」


「は?」


「でもそのときは、領地に軟禁くらいで許していただきたいのだけれど」


 何故身を引くことと領地に軟禁が繋がるのか未だ聞かされていないフランシスは、顔を蒼褪めさせながら取られていた手を握り返した。


「身を引くなんて言わないで、僕には君だけだ。まだ顔も見たことのないヒロインよりも、ずっと一緒にいた君がいいし君以外考えられない」


 傷ひとつないエリザベスの細い指先に唇で触れるも、彼女はぱちりぱちりと瞬くだけで笑みすら見せない。けれどフランシスは痛みを堪えるように表情を崩した。


 そんな彼の頬を、滑らせるように四本の指で撫でる。


「それはエンディングで聞かせてほしいわ」


 プロローグは始まったばかり。


 三ヶ月後に始まる舞台に、フランシスは唇を噛み、キャサリンは扉の外で舌を打ち、エリザベスは――特に何も思わずいつフランシスに空腹を訴えようか考えていた。



 ――余談であるが、空腹を満たしたエリザベスは「ごちそうさま」の直後から四週間寝込んだ。



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