72話 『枝角の魔獣と』
森の中の木々を避けながら進んで行く。
前方から迫る魔獣は2頭。足先から伸びる鋭利な爪で土を捉え、引き締まった脚で地を強く蹴り、軽快な足さばきで草木をかわしながら距離を縮めてくる。
クレアリスは魔獣タランドゥスの動きに合わせ、ある程度接近を許した所で手に持った短い杖を前に振るう。
すると、杖の先端に魔法陣が一つ浮かび上がる。
もう一度、クレアリスが杖を振るうと、1頭のタランドゥスの目の前に大きな氷の塊が出現するのだ。
地面から大きく突き出た氷は冷気を放ち、人一人分の大きさを以ってタランドゥスの前に立ちはだかる。
それに対し、勢いよく地面を駆けていたタランドゥスがかわせるはずも無く、勢いを殺せずに正面からぶつかってしまうのだ。
ガンっと大きなお音がすると、タランドゥスの体は宙に投げ出される。そして、重みのある音と共に地面へと落ちるのだ。
しかも、当たり所が悪かったのか、頭から生えた2本あるうちの角が1本折れてしまう。
クレアリスは続けて同じ魔法を発動する。そして、もう1頭のタランドゥスの前方に再び大きな氷の柱を生み出すのだ。
しかし、1頭が倒れた際に減速をしていたのか、ギリギリの所でかわされてしまう。
それでも、クレアリスは動じない。淡々と獲物を仕留める為に次の手を打つのだ。
杖の先端に新たな魔法陣を描くと、彼女の目の前に白く発光する球体が4つ生み出される。
拳大になる球体は、杖が振るわれると同時に、軽く弧を描きながらタランドゥスに向けて飛んでいく。
その光る球体は、ルミエーラが放つ雷撃に近いスピードでタランドゥスに迫っていく。避ける暇さえ与えぬ速度で放たれた球体は、タランドゥスの首元や体に見事着弾する。
光る球体を体で受けたタランドゥスは、大きく後ろにのけ反ると、地面を転がる様にして倒れるのだった。
「ノエル、後ろの奴を頼む」
「かしこまりました」
クレアリスの指示を出すと、倒れたタランドゥスの側に降り立つのであった。
あまりに華麗な戦い方に、トリシャは食い入るように見入ってしまう。
先日、常緑の従者と戦ったトリシャには、彼女の洗練された無駄のない動きに魅了されるのだ。その動きを自分と比較すると、あまりにも戦い方が不格好だった事を思い知る。
よくあんな拙い空中移動と行き当たりばったりの作戦で勝利することが出来たなぁ、とトリシャは思うのであった。
「フラーグム、動きは封じたから後始末は任せるぞ」
クレアリスは振り返ると大声で呼びかける。
瞬く間に2頭のタランドゥスを仕留め、もう1頭はノエルに一任しているのだ。この場での彼女の仕事は終わったという事なのだろう。
「クレアって凄いんだね。魔女って感じがした」
トリシャは茂みから出ると、興奮気味に感想を伝える。
「何を言っている。魔女なんだからこのくらい当然だろ」
口調こそ素っ気ないが、彼女は照れた表情を浮かべている。
魔女として誰かに認めてもらう事は、彼女にとってこれ以上ない褒め言葉であるのだ。嬉しくないはずは無いのである。
「魔女様、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
フラーグムとフレッサも茂みから出てくると、クレアリスに向けて感謝の言葉を口にする。
「まだ礼を言うのは早いぞ。まだ奥の方に2頭いるんだろ?」
感謝の言葉を聞いたクレアリスは、そっぽを向いてしまう。
しかし、その表情はどこか嬉しそうに見える。
ルミエーラに突き放されて過ごしてきた彼女は、どうも褒められる事に弱いらしい。その為か、態度とは裏腹に、嬉しさとむず痒さを抱えた何とも言えぬ表情を浮かべるのだ。
もしかしたら、村人に感謝される事に喜びを感じているから依頼を引き受けているのかもしれない、と思うトリシャであった。
タランドゥスの方に視線を向けると、2頭とも手足が凍り付いていた。
まるで枷にはめられたように、前足と後ろ足それぞれを氷によって固定されていたのだ。
「この魔獣ってまだ生きてるの?」
「ああ、動きを封じただけだからな。今は気絶しているが、時間が経てば目を覚ますだろう」
魔獣の討伐と聞いて、血生臭い光景を想定していたトリシャは内心ほっとする。
いくら魔獣といっても、目の前で動物の様な生き物が死ぬ光景は当然見たくはない。
「今から血抜きをするので苦手なら見ない方が良いですよ」
「え?」
そう言うと、フラーグムはタランドゥスの側に腰を下ろし、鞄からナイフを取り出す。そして、タランドゥスの頭を下げると、首元に向かってナイフを振り下ろすのだ。
「失礼します」
トリシャが視線を外せないでいると突然、視界が暗転する。と同時に背中に何かが覆いかぶさるのだ。
「え、何?」
「トリシャは苦手かと思い、視界を遮らせていただきました」
耳元で聞こえるのはアイリスの声だ。
急に閉ざされた視界は、彼女が両手を使って目を覆ったからだった。
そう考えると、背中に触れるのは彼女の体という事となる。そして、肩甲骨辺りに触れる柔らかな感触は彼女の胸部である事は容易に想像できた。
「あ、あの、密着し過ぎでは?」
「すみません、咄嗟の事だったので」
胸を押し付けられる形で密着され、耳元で澄んだ声を聞かされると、どうしても性的な気持ちが刺激させられる。
髪を結ってもらう時や洗ってもらう時を除いて、普段彼女が顔に触れる事は無い。手の平から伝わる熱を受けてか、トリシャの顔は赤くなってしまう。
しかし、それも一瞬のうちに消えて無くなる。
何故なら、辺りから血生臭い匂いが漂ってきたからだ。
フラーグムがタランドゥスの血抜きを始めたのだ、周囲にその匂いが満ちてしまうのも仕方が無い事だと言えよう。
「あ、なんか気持ち悪くなってきたかも」
先ほどまでとは打って変わり、トリシャの顔は青ざめる。
吐き気を催すほどでは無いにしろ、獣と血の混ざった匂いに、一気に気分を害されていく。
血生臭さに居たたまれなくなったトリシャは思わず鼻を摘まむ。
「風下にいたら匂うだろうな。アイリス、トリシャをこちらに連れて来てくれ」
「はい」
視界を遮られているから正確な位置は分からないが、左の方からクレアリスの声が聞こえる。
「目を瞑っていてくださいね」
「う、うん」
目を閉じたままでいると、瞼の外側が明るくなるのを感じられる。
手の温もりが無くなったかことから、アイリスが覆っていた手を外したのだろう。
「そのまま、手を引いて移動しますので体を浮かせてください」
アイリスに手を握られると、トリシャは言われた通りに体を宙に浮かせる。
目を瞑ったままアイリスに手を引かれ運ばれていくと、次第に血の匂いが薄れていく。
「そろそろ目を開けていいんじゃないか?」
クレアリスの声を聞いて目を開ける。そこにはフラーグムとフレッサの姿は無い。
先程まで感じていた血生臭さは無くなり、呼吸をすると草木の匂いを強く感じる。そうして意図的に深呼吸をしていると、少しずつ気分が回復していく。
時を同じくして、離れていた1頭のタランドゥスを倒しに行っていたノエルが戻って来る。
「逃げようとしていたので制止してきました」
「御苦労。後でフラーグムに場所を教えておいてくれ」
「はい」
「もっと奥に2頭いるんだよな?」
ノエルの魔力感知によると、合計5頭のタランドゥスが生息していると言っていた。
今しがた仕留めたのは3頭になる。残りの2頭も仕留めなければ、依頼の完遂とは呼べないだろう。
「はい。先程より北に移動していますね」
「よし、私たちは先に行っておくとしよう。
すまないがフラーグムたちに伝えて来てくれ」
「かしこまりました」
そう命じられると、ノエルはフラーグムたちの方へと向かう。
トリシャは地に足を下ろし、その会話を静かに聞いていた。
「トリシャたちはどうするんだ?
ここに残っているか、付いて来るか」
「もちろん付いて行くよ」
ここに残るという事は、フラーグムたちと一緒に行動する事になるだろう。そうすれば、自ずとタランドゥスの解体を間近で見ていなくてはならなくなる。
もちろん直視はしないのだが、血の匂いから逃れる事は出来ないだろう。
これ以上、血生臭い匂いを嗅ぎたくないトリシャは、クレアリスと行動を共にする事を選んだのだ。
伝言を託に行っていたノエルが戻ってくると、トリシャたちは残りの2頭を追い、更に森の奥へと歩を進めていく。
先ほどの様に、ノエルがタランドゥスの居場所を割り出す。そして、クレアリスが魔法を使って華麗に仕留めていく。
それをトリシャは、再び茂みの奥に身をひそめながら見ているのだ。
「クレアリスが使ってたのって何属性の魔法なの?」
事が済んだのを見計らい、トリシャは茂みから出てくる。それと同時に一仕事終えたクレアリスに質問をするのだ。
トリシャが知りえる属性魔法といえば、光、闇、火、風、水、土の6種類に加え、ルミエーラの使う上位魔法という位置づけの雷属性の魔法を含む計7種類だ。
光る球体を打ち出す魔法は、光属性と予想することが出来る。
しかし、氷を扱う魔法が何属性に該当するのか知りえる情報の中に無い。
「氷と光の2つだな」
「やっぱりそうなんだ」
粗方予想していた通りの返答だと言っても差し支えないだろう。
基本の属性が6種類となれば、氷を扱う魔法が上位属性の1つとなるのは容易に想像がつく。
「何でその2つの属性を使ってるの?」
「何でと言われても、適性が高いからに決まっているだろう。
一番適性があるのは光だが、氷属性の方が扱いやすいからな。そっちを使う事の方が多くなるかな」
適性が高い魔法が一番扱いやすいのだと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
「氷属性って上位属性になるの?」
「そうだな、水の上位属性になる。
魔法は基本、独学で習得したんだが、氷魔法の多くはクラリスに教えてもらったんだ」
氷の城に住んでいるから氷魔法が得意になったのかと安易に考えていたが、どうやらそうではないらしい。
クラリスが魔法を使うところを見たことは無いが、クレアに教えるくらいなら彼女も氷魔法を得意とするのだろう。そうトリシャは考えるのであった。
「そういえば、クラリスは呼ばないんだね」
氷の城を出発する際から、クレアリスが呼び出した従者はノエルだけだ。
どうしてクラリーチェを呼ばないか気になったトリシャは、聞いてみる事にした。
「クラリスは留守番をしてもらっている。だから今は呼べないぞ」
「え、そうなんだ」
「ああ、今回は島の外に出ないからな。クラリスが来る必要は無いんだ」
従者は主から片時も離れないものだと思っていたトリシャは驚く。
しかし、よくよく考えてみればアイリスの主はルミエーラであり、彼女も主から離れて行動していると言えるのだ。
だとしたら、クラリスがクレアの側に居なくても何ら不思議ではないのかもしれない、とトリシャは自己解決していく。




