67話 『氷菓と思い出話と』
透き通る青味がかった氷は、煉瓦の様に隙間なく積み上げられ、廊下の壁や天井を形成している。
照明は無く、窓から差し込む僅かな光が差し込んでいるだけだ。その光を壁や天井を形成する氷が反射する事で、日中は灯りを必要としないくらいの明るさを保っていた。
冷気の籠る廊下を進み、目的の部屋の前まで来ると、その部屋の扉を2回ノックする。そして、僅かに間を置いてから扉を開く。
「わざわざノックしなくても入って良いんだぞ」
トリシャが部屋に入ると同時に反応するのは、部屋の主であるクレアリスだ。
彼女は外着であるフリルのあしらわれた魔女装束を着ていた。壁に掛けられた鍔の広い帽子を手に取ると、部屋の入り口に駆けて行く。
「まぁ一応、着替えの途中だったら悪いし」
「それも含めて気にしなくていいと言っているんだけどな」
クレアリスが着替えている途中に入ってしまうと、気まずいの一言に尽きる。例え、彼女が気にしなくとも、トリシャの方が気にしてしまうのだ。
一緒にお風呂に入った事もある間柄ではあるものの、それでもトリシャは遠慮してしまうのである。
クレアリスが魔女装束に着替える時は、外出する時が主である。今日は週に一度の街へ赴く日だ。
なので、トリシャはそれに同行する為に、アイリスと共に彼女の主な住居である氷の城へとやって来たのだ。
「準備も出来ている事だし、中庭へ行くか」
唾が広い帽子は、大きなリボンがあしらわれている。その帽子を被ると、クレアリスは部屋の外へ歩を向ける。
トリシャは返事をすると、アイリスと共に中庭へと移動する。
中庭に付いたトリシャはフライングケープを纏うと、アイリスに手を引かれながら地面から足を離す。体が宙に浮いた後は、高度を上昇させながらスピードに乗っていく。
あっという間に氷の城から遠ざかると、トリシャはアイリスとクレアリスと共に海を渡って目的の街へと向かって進むのだ。
出発して十数分経つ頃には、氷の城のある島を出て海面の上空を移動する事となる。右手には地平線が望み、左手にはこれから向かう街を含む大陸の一部が景色の多くを占めていた。
トリシャの左側にアイリスが寄り添い、右前方にクレアリスが位置している。
「移動に慣れてきたようだな。このペースだと今までの半分の時間で着くんじゃないか?」
クレアリスは振り返ると、空中移動が安定しているトリシャに話しかける。
ここ一週間、フライングケープを使って空中移動の練習を行ってきたのだ。その成果か、飛行姿勢も安定し以前より速度を上げた移動が可能となっていた。
「一人だともっと早いの?」
「これの倍以上のスピードが出せるぞ」
クレアリスは反転しながら威張って見せる。後頭部を進行方向に向けてしまっているが、それでもトリシャよりも安定しているといえよう。
「凄いね」
「まぁ、全力を出すと疲れるから、実際は今よりもちょっと早いくらいだけどね」
褒められて嬉しいのか、クレアリスは笑みを浮かべながら補足を述べる。
魔法道具であるフライングケープは込める魔力の量で飛行速度を調節することが可能だ。トリシャでも全力で魔力を込めれば、クレアリスの速度と同等の速度が出せるかもしれない。
しかし、当然ながら空中でのバランス感覚を必要とし、速度を上げると体勢を持続させる事は難しくなる。
それに加え、魔力を多く供給すれば、その分疲労も大きくなるのだ。今回みたいに長距離を移動する場合は、単純に速度を上げれば良いと言えるものではない。
「僕もその内一人で飛べるようになるかな?」
「トリシャは飲み込みが早いみたいだし、その内飛べる様になるんじゃないか?」
今はアイリスに手を引いてもらい、体勢の維持に集中しているからこそ、以前より速く移動する事が可能になっている。
代理戦のように戦いの場でなければ、宙に浮き、空中を自在に駆け巡る行為は、魅力溢れるものだと言えよう。
そんなトリシャは、いつかアイリスやクレアリスと一緒し空を自由に飛べる事を夢見て口角が上がるのだ。
そんな調子で会話を楽しんでいると、あっという間に時間は過ぎていく。気が付けば、目的地へと辿り着いていた。
街の片隅にある人気の少ない場所へ辿り着くと、高度を下げて地面に足を下ろす。
トリシャは首を一回り回すと、両腕を上げて背伸びをするのだ。その際に一度、繋いでいた手を離してしまうのだが、背伸びを終えて下ろしたトリシャの手をアイリスは再び手に取るのだ。
街中で逸れない様にと、それ自体はもう慣例化してしまっている。再び手を繋ぎなおしたトリシャは、クレアリスに続いて街中を歩いて行く。
今回もクレアリスが取引を行っているという婦人の元へ赴く。
週に一回、街へ赴く目的は作ったお菓子の引き渡しと、売り上げ報酬の受け取りがメインと言っていい。
その相手である婦人は、エラード・パステレラといい、菓子小売業を生業としているという。お菓子にかける情熱は、トリシャはもちろんクレアリスのはるか上をいき、2人が出会ったのもお菓子がきっかけとなるのだ。
ルミエーラと喧嘩別れしてから、今日までクレアリスはお菓子を主食としてきた。そんな彼女が生活費の足しにと、自分が食べる為に作っていたお菓子を売り始めたのがきっかけとなり、それを食したエラードの目に留まったのだ。
エラードが特に惚れたのは氷菓だ。冷凍技術が一般的に普及していないのもあり、通年を通して気温の低い、氷の城で量産された氷菓は味だけでなく商品価値が高いのだと言う。
「貴方の作った氷菓が一番美味しいわ」
エラードは嬉々として、クレアリスとの思い出話をトリシャに聞かせるのであった。その様子は、ただの取引相手では無く、傍から見れば祖母と孫の関係の様に見えるのだ。
少し不愛想なクレアリスを、ここまで気に掛けてくれるエラードが良い人なのは間違いないと、そうトリシャは思うのであった。
今回もエラードに昼食をご馳走になったトリシャたちは、食事を終えると建物を後にする。
メインとなる受け渡し作業はスムーズに終わり、ほとんどの時間はエラードのクレアリスとの思い出話に使われていた。彼女の方も忙しいみたいなので、昼食が一つの節目として解散する事が望ましいのだと言えよう。
クレアリスの用事が住んだ事もあり、次に向かうのは服を取り扱っているお店だ。
夏を過ぎ秋に向かっているのか、日中に暑さを感じる事が少なくなっていた。アイリスは夏の間も袖が長い服を着ていたが、トリシャは半そでから長袖へと衣替えをしている。
今着ている服は夏に入る前に買ったもので、生地は比較的薄い。これから肌寒くなってくるとなると、厚みのある生地の服が必要となって来るのだ。
服屋に入ったトリシャは早速、店内を物色する。以前ならば服選びはアイリスに任せていただろう。
しかし、今の境遇を受け入れる方向にいるトリシャは、ファッションも楽しもうとしているのだ。
「これとこれ、どっちがいいかな?」
右手には、落ち着いた深みのあるピンク色のジャンパースカートと、今着ている服より厚みのある生地のブラウスを持っている。
スカートはフリルを重ねたティアードスカートになっており、肩周りにもフリルが装飾されていた。
ブラウスの襟には白いレースと黒い刺繍があしらわれており、首元には大きな白いリボンブローチが付いているものだ。
左手には、淡い藤色のハイネックワンピースを持っている。
首元には白いファーティペットが付いており、肌触りも良く防寒としても機能しそうだ。ギャザーをたっぷり寄せた袖口は、重ねられたレースによって更に可愛く装飾されていた。
スカートには同色のレーステープによって可愛く仕上げられている。
トリシャはアイリスに見せると、どちらが似合うか意見を求めるのだ。
「私はどちらもお似合いになると思いますよ。クレア様はどう思われますか?」
「私なら右手の方かな。色味は左の方が好みだが、その襟はケープを着けるのに邪魔になるんじゃないか?」
クレアリスが指摘するのは、左手に持ったワンピースのファーティペットの事だ。
フライングケープは首周りに襟が付いている。ワンピースに付いているファーには厚みがあり、首元がかさばるのではないのかという指摘だ。
「あ、確かに邪魔になるかも。でもこのファーとリボンが可愛いんだけどなー」
ファーティペットの前側はワンピースより濃い藤色のリボンが付いている。トリシャはこれを気に入っていたのだが、外出用には向かなさそうだ。
「でも、このファー取れるみたいですよ」
アイリスはファーティペットを触ると、それを外してみせる。襟はハイネックになってはいるものの、これならフライングケープと干渉はしなさそうだ。
「うーん、悩むなー」
「悩まれるようでしたら、どちらも買われては如何でしょうか?」
お財布事情を言えば、最近は買い物も行かなかった事もあり余裕がある。
トリシャが街に出て購入するモノと言えば、服かお菓子しかないわけで。お菓子に至っては、クレアリスからお裾分けを貰ったりもする事もあり、全体としても支出は少ない。
「決められそうにないから両方買う事にするよ」
他に使い道も無いので、トリシャは両方購入する事に決める。
トリシャは鞄からお金を取り出すと、カウンターで会計を済ませるのであった。
「クレアは服、買わなくて良いの?」
「私は寒いのには強いからな。長袖は必要ないと思う」
幼い頃から氷の城で過ごしてきたこともあり、クレアリスは寒さに強く厚着を好まない。だからなのか、部屋にある服は袖の短い服が多いのだ。
「気になった服は無い?」
「これとか?」
クレアリスが手に取ったのは、大きな襟が特徴のワンピースだ。肩と襟元は露出しているものの、袖口の広い袖は手首まで長さがあった。
白を基調としているが、スカートの丈部分は水色を胸にあるリボンは淡い青色をしている。
「なんだ、気になる服あるんじゃん」
「いや、可愛いと思っただけで実際、着るとは限らないし……」
クレアリスは何故か言い訳をするが、その目は手元の服に興味ありありといった様子だ。
「着てみたいと思ったなら買っちゃえば? 僕は似合うと思うけどな」
「トリシャがそこまで言うなら買ってみようかな。まぁ長袖があっても困らないと思うし」
トリシャに促されるままに、クレアリスは試着を済ましたうえで購入する。
今までは服に興味を示さなかったのだが、トリシャと関わってからというもの、ファッションにも興味を示し始めたのだ。
クレアリスは嬉しそうに購入した服を鞄の中へとしまう。
「明日早速、どっちか着て見ようかな。クレアも一緒に着てみる?」
「そうだな。せっかく買ったのだから着てみようか」
まだ厚手の服を着るほど気温は下がっていない。
しかし、新しく買った服を早く身に着けたい気持ちは抑えられないものなので、トリシャはクレアリスを誘い翌日に着て見る事にしたのだ。
もし熱いと感じても脱げばいいだけなのだ。
トリシャたちは服屋での買い物を終えると、店を出て再び街の中を歩き始める。




