65話 『代理戦の決着と』
トリシャは右手を突き出し、ピーチハルトに向かって魔法を発動させようとする。当然のことながら、彼女も黙って見ているはずもなく、回避行動を取るのだ。
左側から近づいたトリシャに対し、ピーチハルトは反対側へ逃れようとする。それを察知した上で、トリシャは彼女が離れる前にと、目を見ながら魔法を発動させるのだ。
この場面で選択した魔法は、風魔法ウィンドショットでも風魔法ウィンドエッジのどちらでも無い。
トリシャの描いた手の平大の魔法陣は、白い輝きを放つ。つまり、トリシャが選択した魔法は光属性の魔法という事になる。
ルミエーラから教わった魔法の中に光属性の魔法は無い。これは、アイリスから教えられた魔法だ。
差し出した右手の前の魔法陣には、中央に光属性を表す模様と、その周りに短い文が書かれている。その文の意味は、前方を表す言葉であり、魔法の効果を魔法陣より前に限定する効果が得られるのだ。
魔法が発動した瞬間、辺りを眩い光が照らし始める。
魔法陣の淡い光量など比べ物にならないくらい強く発光する魔法は、光魔法ライトという。それは、アイリスから初めて教わった魔法であり、効果は周囲を照らすしか出来ないと言われていたものだ。
トリシャは知っている。初めてこの魔法を使った時に、加減を知らずに強く発光させてしまった事を。その時に数分視力を奪われていた事を。
仮に、ここで風魔法ウィンドエッジを選択していたとしよう。
移動しながら魔法を放つのは、今のトリシャでは安定した軌道を描く事は難しい。それを、更に回避しようと移動する相手に命中させるのは至難の技と言えよう。
更に言えば、防御魔法で防がれてしまうのが妥当だと言えるのだ。防がれた後、魔法の打ち合いにでもなってしまったら勝つビジョンが見えないのも無理はない。
そこでトリシャが選択したのは、相手の視界を奪うという方法だった。
もし、相手の視力を数分でも数秒でも奪うことが出来たら、その後の攻撃魔法を命中させる確率が上がると踏んだのだ。
森の一角を2、3秒照らすと、トリシャは光魔法ライトの発動を解く。
この手の猫だまし的奇襲戦法は、一瞬しか効果範囲を生まない。ならば、数秒発動するだけで十分なのだ。
トリシャの狙い通り、強い光を瞳で受けてしまったピーチハルトは、目を瞑り左腕で目の周りを覆っていた。
今が好機だと判断するトリシャは、すかさず次の手に打って出る。
両手を前で組み、人差し指を突き出す。狙いを定めたトリシャは、その指の先に魔法陣を描き、風魔法ウィンドショットを発射する。
視野を奪われたピーチハルトは、これを避ける事が出来無い。
ウィンドショットを受けたピーチハルトは当然、態勢を大きく乱す事となる。それでも、常時展開している防御魔法が魔法の効力自体を打ち消している為、身体的に負傷することは無い。
当然といえば当然なのだが、ピーチハルトも体の表面に防御魔法を施している。
身体のどこかに魔法陣を描いているのだろう。これを破らない限り彼女に勝利する事は無いと言える。
トリシャは彼女に接近しつつ次の魔法を放つ。
先ほど使ったばかりの魔法陣を使う事で、移動しながら魔法陣を描く手間を省略する。そうすれば、魔法を命中させる事だけに集中でき、腕の無いトリシャでも狙いが定まりやすい。
普通ならば、魔法陣は描いては消してと、使い捨ての様に繰り返すのが主流だ。何故なら、状況に応じて魔法を使い分けていく方が戦いの幅が広がるからだ。
しかし、トリシャの覚えている攻撃魔法は2つしかなく、状況に応じて使い分ける程の選択肢が無い。
現状、攻撃を受ける可能性は極めて低く、同じ魔法陣――魔法を繰り返し使う方が合理的だと言えよう。
次弾を命中させたトリシャは勢いづく。初めて攻勢に出たという事もあり、続けざまに魔法を発動させるのである。
視界を奪われたピーチハルトは、正面に手を翳し防御用の魔法陣を構える。
しかし、攻撃が真正面から来るはずもなく、攻撃を受け続けてしまう。それでも彼女がその構えを崩さないのには訳がある。
姿勢を一定に構えることで、攻撃の傾向と間隔を探り、対処しようとしているのだ。
まだ視力は回復して無いが、魔力を感知する事で攻撃が来る方向を探る事は可能である。
戦闘経験の皆無なトリシャの攻撃は単調で、左右のどちらかに回り込んで攻撃する事しかしない。それも仕方は無い、ルミエーラから教わったのは空中を移動しながら相手に魔法を当てる事であり、当て方では無く魔法を正確に打ち出す方法だけなのだから。
これらを気にする事も無く、トリシャは次々と魔法により攻撃していくのである。
トリシャがわざと光量を調節しなかった事もあり、視力の回復は著しく進んで無い。
しかし、ピーチハルトは魔力感知の正確性を上げていく。
右方向から魔法が迫って来るのを察知した彼女は、構えはそのままに向きを変え、防御魔法で正面から受け止める。
防御に成功した彼女が態勢を崩す事は無く、トリシャが続けて魔法を発動するも、これも受け止められてしまう。
立て続けに防御に成功したピーチハルトの視力は、徐々に回復していく。まだ、視界は定まっていないが、朧げにトリシャの影を捕捉し始める。
攻撃の通らなくなったトリシャは、攻撃を継続しながら次の手を考える。
トリシャにしてみれば、ピーチハルトが魔力を感知している事など知る由も無く、単純に視力が回復し始めたとしか思っていない。
もし、彼女の視力が完全に回復してしまうと、形成は悪くなり勝利は難しくなってしまう。そうなれば、またアイリスを不安にさせてしまう。
焦るトリシャは、使うのを躊躇していた風魔法ウィンドカッターの使用に踏み切る。
何故、使用を躊躇するかといえば、この期に及んでトリシャはピーチハルトを傷つけるつもりが無いからだ。
圧縮した空気の刃で対象を切断する魔法。といっても、トリシャにルミエーラ程の練度は無い。
実際は切断とか大それた事にならなくとも、怪我をさせるのも避けたいと思ってしまうのだ。
右手を大きく振りかぶり、魔法陣を描き終えると魔法を発動させる動作へと入る。右から左に大きく空を切る様に振り抜く動作は以前、アリアに見せてもらった動作を参考にしたものだ。
アリアは、爪を立てて引っかく動作をしていた。それをトリシャは、空中を切る様な動作にアレンジしていた。
空気を切り裂きながら進む風の刃は、真っ直ぐピーチハルトに迫っていく。
魔力感知に力を注いでいる彼女は、先程までと魔力の形状が違う事を感じ取る。
しかし、気が付いたところで彼女が取れる行動は、体の正面を向け防御魔法で対処するしか無いのだ。
魔法により生まれた障壁は、風の刃と接触すると同時に亀裂が生じる。それはトリシャの魔法の威力が、ピーチハルトの防御力を上回ったという事を表す。
耐久値が限界を迎えた障壁は、ガラスが砕ける様にはじけるのだ。
魔法の勢いを殺せなかったピーチハルトは、両腕に攻撃を受けてしまう。幸い体を覆う常時展開している魔法陣のお陰で、腕を負傷する事は無いのだが。
トリシャは魔法が命中するのを確認すると、すかさず次の行動に出る。
肩幅に広げた両手を前に突き出すと、白い輝きを持つ魔法陣を描き始めるのだ。それはもちろん、攻撃用の2つの風魔法のどちらでも無い。
かといって、両手に広がる大きさの魔法陣は、光魔法ライトとは別の魔法だ。
特訓中にアイリスから教えてもらった、取って置きの魔法をトリシャは使用するのである。
ピーチハルトの周囲を取り囲むように、光の輪が形成されていく。その光の輪は、トリシャが開いていた指を閉じる動作と共に、直径を狭めていくのだ。
急速に円周を短くする光の輪は、ピーチハルト両腕を絡めながら身体に張り付く。
肘の上、ウエスト辺りを締め付ける様に、光の輪はピーチハルトから自由を奪う。その際に、背中の羽の下部が巻き込まれてしまう。
空中を浮遊する手段を奪われた彼女は、そのまま地面へと落下してしまう。
度重なる攻撃を受け高度が下がっていた事もあり、落下の衝撃はそれほど強いものでは無い。
しかし、体の自由を奪われた彼女は、立ち上がる事も魔法を使用する事も出来なくなってしまう。
トリシャが使用した魔法は、光属性の拘束魔法で名前をホーリーリングと言う。
これは、ルミエーラが私用で出かけている間にアイリスが勝負の切り札として教えてくれた魔法だ。
拘束魔法で捕縛されると、相手は一時的に魔法を使えなくなる。何故なら、魔法に接触している間、他者の魔力により体内のマナの波長を乱されるからだ。
体だけでは無く、魔法を使う自由をも奪う拘束魔法を解くには、マナを乱される妨害に抵抗しながら拘束魔法の耐久値を上回る魔力を注ぐ必要がある。
ピーチハルトとトリシャの魔力量の差を考慮すれば、直ぐに拘束を解けるはずも無く、彼女は完全に無防備となってしまったのだ。
トリシャは地面へと降り立つと、ピーチハルトに歩み寄る。
目の前に浮かんだ魔法陣には、腕をたたんだ状態で軽く手を添えているだけだった。魔法での拘束に成功した今、魔法陣には魔力を注ぎ続ける必要はあるものの、魔法自体を制御する必要が無くなったのだ。腕に無駄な力を入れる必要は無いのである。
拘束魔法の効力は強力なものの、それを相手に命中させるのは、攻撃魔法よりも難易度が上がってしまう。
トリシャが覚えている攻撃用の魔法は、双方とも前方に打ち出すという極めて単純な軌道だ。それに対し、光魔法ホーリーリングは相手を取り囲む様に光の輪を形成し、更に相手の体にはめ込む必要がある。
それを空中で動きながらとなると、トリシャに命中させることは不可能と言えよう。相手の視界を奪い、その場に停滞させていたからこそ拘束に成功したのだ。
「勝負あったな」
ルミエーラは口元を緩めながら呟く。
ピーチハルトが完全に拘束されてしまった以上、一方的に攻撃を受けるだけになるのだ。殺しを目的としない代理戦である以上、戦う必要が無くなったと言えよう。
「……参りました」
ピーチハルトが降伏を口にした事で、トリシャの勝利が確定する。
彼女に施した魔法による拘束を解くと、トリシャは大きく息を吐く。戦い中ずっと張りつめていた気を、やっと緩める事が出来たのだ。
トリシャが振り返ると、安堵の表情を浮かべるアイリスの姿があった。
目が合うと、アイリスはトリシャに駆け寄る。そして勢いそのままに抱き着くのだ。
両手を広げたトリシャは、アイリスを優しく受け止める。諦めずに最後まで戦えたのは、彼女の存在が大きいのだから。
「トリシャ、無事に終わって良かったです」
耳元で囁くアイリスに対して、トリシャは無言で腕を背中に回して彼女を抱きしめる。
アイリスの体温に触れ安心しきったトリシャは、暫く熱い抱擁を交わし続けるのであった。
戦いに敗れてしまったピーチハルトはと言うと、拘束を解かれた後に重たい足取りで主の元へ向かう。
「ごめんなさい……」
常緑の魔女エカテリーナの側まで寄ると、顔を上げずに小さな声で謝罪を口にする。
主の期待に沿えなかったのだ。ピーチハルトが面を上げる事が出来るはずもない。
そんなピーチハルトの言葉はエカテリーナには届いていない。それは勝負の結果に憤りを感じていたからだ。
歯を噛みしめ、眉間にしわを寄せた表情は、誰が見ても機嫌を害している様にしか見えない。
怒りを伴った冷たい視線は、アイリスと抱擁を交わし安らいでいるトリシャに向けられているのである。




