63話 『常緑の従者の妖精と』
遠くの方で、鳥たちの鳴く声が聞こえる。
足元には短い草の生えた平らな地が広がっており、その広いスペースの外は森を形成する木によって取り囲まれていた。
森の中ポツンと生まれた木々の無い開けた場所が、本日のメイン会場となる。
2人の魔女によって執り行われる勝負事の当日、トリシャたちは再び常緑の魔女の住まう森へとやって来ていた。
トリシャの側にはアイリスとアリア、そして金色の魔女の名の通り長い金髪を携えた魔女ルミエーラがいる。
その対面には常緑の魔女エカテリーナと、その従者が3人佇んでいた。
桃色の髪を三つ編みに束ねた少し小柄な少女ロゼッタ。淡い緑色のドレスにあしらわれた暖色系の花の装飾が目を引く。
薄黄緑色の髪を耳の側面と後頭部の三か所で結っている、ふくよかな胸部を持っているオリビア。首元にある黄色いリボンと厚みのあるヘッドドレスが特徴的で大人びた印象を受ける。
そして、本日トリシャと勝負をする事となった、手のひらサイズの妖精ピーチハルトだ。
淡い紫色の髪は毛先につれウェーブがかかっており、頭の両サイドに青いリボンの髪留めを付けている。白を基調とした服には紫色の花飾りによって彩られており、出会った時と同じ儚げで可愛らしい印象を与える。
その小さな体に至るところまで、前に会った時と何一つ変わらない。
前回トリシャたちが常緑の魔女の住まう森へと入ってしまったのは、彼女との出会いがあったからだ。彼女に出会わなければ、この勝負自体も無かったかもしれない。
だが、全ての責任を彼女に押し付けるのは間違いだと言えよう。
何故なら、常緑の魔女がルミエーラとの接触を図ろうとした時点で、遅かれ早かれ衝突したと予想できる。そうなれば、この勝負自体が避けられなかった可能性の方が高いのだ。
それに、彼女を疑わずに付いて行ったトリシャたちにも落ち度があるわけで、全ての責任を誰かに押し付ける事など出来るはずが無いのである。
穏やかに吹く風は、森に束の間の静寂を与える。
魔女2人が対峙する中、静寂を破る様に最初に口を開いたのは常緑の魔女エカテリーナだ。
「貴方がまた私の庭に来てくれて嬉しいわ」
初めて会った時同様、彼女は物腰が柔らかく晴れやかな表情を見せる。
しかし、トリシャにはもう、彼女の笑みが不気味なものにしか見えない。
最初に会った時は笑顔の素敵な淑女だとばかり思っていたが、彼女は魔女と呼ばれるに相応しい危険人物なのだ。
彼女の意に沿わないものは迷いの森で彷徨った挙句、捕らわれてしまうのだ。それを実際に体験してしまったトリシャにとっては、もうそれは恐怖でしかない。
「御託はいい。さっさと勝負を始めよう」
ルミエーラは腕を組み、不機嫌そうな態度を取って見せる。
それは常緑の魔女と対峙しているからなのか、普段の対人関係からその態度なのかは、トリシャには判断がつかないでいた。
「そんなに急かさなくてもいいじゃない」
「……」
エカテリーナの言葉にルミエーラは無言を返す。
「まぁいいわ。ルールの確認をしましょう。
勝負はこの開けた場所で行うわ。気絶を伴う戦闘の継続が出来ないと判断された場合もしくは、他者が勝負に介入した時点で介入した側の従者が負けという事でいいかしら?」
勝負に使われる場は、トリシャたちがいる森の木々で覆われていない場所の事だ。場外に出てしまう事を禁止はされていないが、大きく場を離れすぎてしまうと棄権と言う扱いになる事だろう。
他者の介入とは主に、自身の従者が危険だと判断すれば攻撃から身を守っても良い代わりに勝負には負けてしまう事を指す。
ルミエーラは短く返事をすると、ルールに同意した意思を示す。
「流れ弾は各自で防いで頂戴。それじゃあ早速、準備をしましょうか」
簡単なルールの確認だけ終わると、勝負の為の準備に取り掛かる。
アイリスは腰に下げたポシェットから白い生地の柔らかそうなケープを取り出すと、トリシャに被せる。
トリシャはずっと魔法の空飛ぶマントと思っていたが、正式にはフライングケープという名称の魔道具だった。
ここ数日間、空中を浮遊する魔法を習得しようとしたが、魔法を覚えたてのトリシャには難題だった。
そこで、フライングケープを使い空中移動の問題を解決した次第である。
フライングケープ自体は、クレアリスと一緒に出掛けた買い物の移動手段として使っていた為、それを使って空を飛ぶのは難なく行えた。
実際はアイリスの補助があって初めてまともに移動できていたわけだが、それでも一から魔法を習得するより幾分も効率的なのだ。
安定感には欠けるものの、トリシャは空中を移動する手段を身に着けることが出来たという事になる。
「お前は魔力量だけはあるんだ。防御魔法に力を入れとけば負ける事はないだろう。
後はどう継続的に攻撃魔法を当てるかだ。相手からの攻撃はもちろん、攻撃するのを躊躇うんじゃないぞ」
トリシャにフライングケープを取り付けるアイリスの隣で、ルミエーラは勝負前最後の言葉をかける。
その檄とも受け取れる言葉にトリシャは黙って頷く。
「初めての実戦で緊張するとは思いますが、無理をせずに頑張ってくださいね」
フライングケープを着せ終わると、アイリスはトリシャの手を取り、吐息のかかる近い距離で言葉をかける。
未だに不安は払拭できてはいないが、勝負が決まった日から続いていた緊張感は、何故か引いてしまっていた。
トリシャはアイリスに「心配しないで」と声を掛けると、この日初めての笑顔を見せる。
「アリアは何か言っとかなくていいのか?」
アイリスとのやり取りを終えると、ルミエーラがアリアに声をかける。
勝負の事で頭一杯になっていたトリシャは、ここ暫くアリアと話をしていない事を思い出す。
日中は魔法の特訓を行っていた事もあり、アリアと顔を合わせるのは食事を行う食堂だけとなっていた。
そこで全く会話が無いわけでは無いが、食卓に居る彼女は完全に業務に従事している。外でも内でも魔法を第一にした生活を送っていた所為で、茶会をする事も無くなってしまっていたのだ。
「私が代わってあげられれば良いんですが、お力になれずすみません」
トリシャに近づくと、アリアは申し訳なさそうに顔を伏せながら謝る。
アリアもアイリスもトリシャの為を思ってか、自身が立場を代われたらと言う。その気遣いだけでもトリシャは嬉しく感じる。
「謝らなくても良いよ。僕が臆病なだけだから」
「お力にはなれませんが応援してます。頑張ってくださいね。」
アリアもアイリスと同じようにトリシャの手を取る。アイリスの手の上から添える形になるのだが、2人の応援にトリシャの緊張感は完全に和らいでいく。
「そろそろ準備はいいかしら?」
頃合いを見計らってか、エカテリーナが声をかける。
そのエカテリーナの隣の人物の姿にトリシャは驚きを隠せない。何故なら、手のひらサイズだった妖精のピーチハルトが、小柄だが人と同じサイズまで大きくなっていたからだ。
と言っても、クレアリスと同じくらいか、それよりも小さい女の子の身長に留まっているのだが――
「何で大きくなってるの?」
「魔人として契約し直したんだろう。向こうもこの前会った時より強くなっているという事だな」
ルミエーラは淡々とした口調で答える。トリシャにとっては何の解決にもなっていなかったが、今は掘り下げて聞くつもりはない。
ピーチハルトが大きくなった要因が魔女との契約に基づく事だけ分かれば、今は十分なのである。
彼女は妖精であり、蝶々の様な紫がかった半透明の羽を携えている。それは即ち、空中戦は避けて通れないという事だ。
魔道具を使っているとしても、妖精である彼女の方に分があると言わざるを得ない。
トリシャは自然と勝負について考え始めていた。それは戦う覚悟が出来た事を意味する。
「そろそろ始めようかしら。2人は前に出て頂戴」
エカテリーナに促されるままにトリシャとピーチハルトは中央に向けて歩を進める。
ピーチハルトと対峙すると、彼女は申し訳なさそうに困った笑みを作る。その行為にトリシャは首を傾げると、彼女は口を開く。
「知らなかったとはいえ、巻き込んでしまって申し訳ありません」
危険が無いと言いトリシャたちを常緑の魔女の元に導いたのは彼女だ。実際、危険に巻き込まれてしまった事もあり、彼女は結果嘘を付いたという事になる。
それでも、今のトリシャに彼女を責める気にはなれなかった。何故なら、魔女の従者は主に従わなくてはならないのだ。彼女が事情を知ろうと知らまいと、その行動は変わらなかったと言えるだろう。
だとしたら、彼女もまた魔女同士のいざこざに巻き込まれたと受け取る事も出来るのだ。
「それでは始めて頂戴」
トリシャは返答しようとしたが開始の合図に遮られてしまう。
最初にどう動くか決めていなかったトリシャは、防御魔法を展開しつつ相手の挙動を探る。
「手加減しなくていいわよ」
遠くからエカテリーナの声が聞こえたかと思うと、ピーチハルトは前方に魔法陣を展開し始める。
真っ赤に輝く魔法陣は、彼女の顔を覆う程の大きさがある。先程までとは打って変わり、ピーチハルトの顔は真剣そのものだ。
属性魔法は魔法陣の色で識別する事が可能だ。緑色は風属性、赤色は火属性という風に属性によって魔法陣の色が分かれる。
そして、属性魔法による攻撃に対処するには、同じ属性の防御魔法で防ぐのが最も効率がいいとルミエーラは言っていた。
この場合、防御魔法の魔法陣に火属性を組み込み、耐性を強化するのがオーソドックスな対処法だと教えられた。
トリシャはフライングケープを使い空中に浮く。それと同時に後方へ距離をとり、防御魔法陣の魔法式に火属性を加える動作を取る。
防御魔法は攻撃魔法とは違い相手に魔法式を見られるのは避けなければならない。
何故なら、魔法を扱う者同士の戦いでは相手の防御魔法の種類が分かってしまうと、その弱点を突かれやすくなってしまうからだ。
使い手によって基本となる式には特徴が出る。相手に悟られない様に熟練者ほど複雑な式を扱う傾向がある。
しかし、トリシャに至ってはルミエーラから教えられた魔法式をそのまま流用しているに過ぎない。尚更、相手に見られない様に魔法陣は隠す必要があるのだ。
なので、トリシャは防御魔法陣を下腹部に記す事で対処する事にしていた。
何故、下腹部に記すかと言えば、防御魔法陣は身体に直接記した方が何かと都合がいいのもあるが、今しがた式に火属性を加えた様に、戦闘中にも魔法陣を書き換えなくてはならない場合がある。
その時に、トリシャでは魔法陣に手を翳さなければ書き換えを行う事が出来ない。その為、咄嗟の場合でも直ぐに手の届く腹部――特に描きやすい位置である下腹部に記す事に決めたのだ。
ピーチハルトは空中に上昇するトリシャに狙いを定めると、描き終えた魔法陣を使って魔法を発動する。
緋色に揺らめく炎が魔法陣の前で球体と成すと、熱気を放ちながら前進する。その塊は人の頭くらいの大きさとなり一直線にトリシャへと向かっていく。
回避しようと試みるも、トリシャの飛行能力では対処しきれない。
「うっ!」
左半身に火球を受けたトリシャは短く唸る。
「トリシャ!」
火球が当たった瞬間、アイリスは心配そうな声でトリシャの名前を呼んだ。
トリシャの体の周りには時折虹色に煌く透明度の高いもので包まれていた。それは事前に発動していた防御魔法で、それのおかげで外傷は無い。
しかし、火球が身体に当たる衝撃は無くならず、防御魔法で軽減されたといっても完全に衝撃を吸収するのは難しい。
空中で姿勢を崩したトリシャは、急いで元の姿勢へと戻る。
直ぐにピーチハルトの方へ視線を向けるが、彼女の姿はそこには無かった。急いで周囲を見渡すが、彼女の姿を直ぐに捉えることが出来ない。
焦るトリシャは、上からの熱気を感じる。太陽の日差しよりも強く波の様に肌に感じる熱さに、それが彼女による魔法なのだと理解するまで時間は掛からなかった。
上を見上げると、ピーチハルトが魔法により生み出した火球を打ち出す瞬間だった。気づくのが遅れた所為で、回避行動を取るまでに至れない。
トリシャは咄嗟に両手を突き出し、下腹部に記した魔法陣とは別の魔法陣を描き防御を試みる。
防御魔法には大きく分けて2種類ある。
身体に直接魔法陣を描く事で常時発動する事の出来るものと、攻撃魔法を扱う時と同様に、身体の前方に描く事で衝撃を吸収する事の出来る魔法陣だ。
前者は不意打ち等の瞬時の防御に強い反面、物理的負荷を打ち消すまでには至らない。後者は魔法陣を描く為の時間を要するが、衝撃を含むダメージを完全に防ぐことが可能だ。
最初は魔法陣を描くのに1分近くかかっていたトリシャだったが、今は数秒あれば描けるほどにまで上達していた。
上空から差し迫る火球を、トリシャは防御魔法で受け止める。ここ数日、繰り返し練習した防御魔法だ。
防御魔法は、相手の攻撃を防ぎ続ければ負けることは無いというルミエーラの考えの下、一番に力を入れて練習した魔法になる。
そんなトリシャが構えた防御魔法は、火球を物ともせずかき消していく。防ぐことに成功し喜びたい気持ちが生まれたが、トリシャはその気持ちをグッと堪える。
相手の魔法を一度防いだくらいで、この勝負は終わらない。
トリシャは再びピーチハルトと向き合うと、両手を前に攻めの姿勢へと移っていく。
相手は常緑の従者と言えど、トリシャたちに気を使ってくれる彼女と戦いたくない。それがトリシャの本心だ。
しかし、どちらかが負けない限り勝負は終わらない。
窮地を脱してくれたとはいえ、勝手に勝負を受けたルミエーラに責任を押し付ければ、棄権する事が出来たかもしれない。
それでもトリシャは嫌々ながらではあるが勝負する事を決めた。それはいつも一番に自身の事を気遣ってくれるアイリスが居てくれるからに他ならない。
そのアイリスを悲しませる事だけはしたくはない。例えトリシャが棄権したとしても、それを彼女は咎めないだろう。
だが、そんな彼女の表情を唯一曇らせた存在がいる。それが漆黒の魔女である。
この勝負に負ければ、常緑の魔女と一緒に漆黒の魔女と戦わなくてはならない。
トリシャはアイリスの為に漆黒の魔女との対峙を避けるべく、常緑の従者ピーチハルトと戦う覚悟を決めたのだった。
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