51話 『名前の呼び方と』
入浴を終え夕食を済ませると、いつものように飛行艇の内にある自室へと帰ってくる。
それは、2ヶ月に及ぶ氷の城での生活を終え、それ以前の生活環境に戻った事を意味するのだ。
そして、部屋に戻って来たトリシャはいつものように、ベッドの上に横たわる。
部屋の中を見渡すと、以前より部屋の中が賑やかになっている様に感じるが、それは気のせいでは無い。
カメラにフィルムに写真立て。クレアリスとお揃いで購入した服や服飾品。
彼女から貰ったドーナツ型のクッションも存在する。
新しく購入した本棚には、絵本などの書籍の他にも、写真を整理する為のフォトアルバムが置かれている。
クレアリスやアイリスと一緒に撮影した写真は全て残してあるので、既にフォトアルバムは3冊目に入っていた。
「食べた後、直ぐに転ぶと消化に悪いと聞きますよ」
ベッドの上で仰向けになるトリシャを見て、アイリスは軽く注意を促す。
氷の城での生活でも、飛行艇での生活でも、相変わらずアイリスはトリシャの傍に居るのだ。
彼女がトリシャの近くに居ない時は、入浴中やトイレの時くらいしか無い。
「わかってるけど、食欲が満たされたら眠くなってきちゃって」
瞼を半分ほど閉じかけたトリシャは、虚ろな目でアイリス見つめている。
魔法の練習でマナを消費し、軽い運動も行った。そして入浴を済ませた所で更に食欲も満たされたのだ。
昨夜、魔法と文字の復習で普段より遅く寝た所為もあり、眠気がやってくるのが早いのかもしれない。
「もう寝られるのでしたら、パジャマに着替えては如何でしょうか?」
「うん、そうするよ」
トリシャは徐に体を起こすと身につけている白いブラウスのボタンに手を掛ける。
それを上から順番に外していく。全てのボタンを外し終えると、胸元に付いたリボンを解き、ブラウスの袖から腕を抜いていく。
次にキャミソールを上に捲っていくと、食後の僅かに丸みを帯びたお腹と、青いパステルカラーの下着が顔を覗かすのである。
首元まで捲られたキャミソールから、左右の腕を順番に抜いていく。
アイリスが結ってくれたツインテールが解けないように慎重に頭を抜くと、上半身はブラジャーだけ身に付けた状態になる。
着替えの服を用意し終えたアイリスは、トリシャが脱いだままベッドの上に放置した服を畳んでいく。
靴を脱いだトリシャは、ゆっくり後方に倒れる。再びベッドに寝転ぶと、淡いピンク色のスカートのホックに手を掛けるのだ。
ホックを外し、ファスナーを下ろす。腰を浮かし、スカートを太腿の真ん中まで下げると、再び腰をベッドに付ける。
スカートを下ろしたことで、ブラジャーと揃いの色をしたショーツが露になった。
下着は上下ともに、白い刺繍とピンク色をした小さなリボンによって彩を添えられている。
毎日着替えている所を見られ、時には手伝ってもらっているアイリスの前では、下着姿になる事を気にしなくなってきていた。
入浴時には下着も脱がなくてはならないが、そこは流石に羞恥心を無くす事は未だに出来ないでいる。
トリシャは体を右側に倒すと、足を折りたたむ事で、スカートを体から抜く事が可能なのだ。
そのスカートをアイリスに手渡すと、トリシャは白色のクルーソックスを脱ぎ始める。
そして、衣服を脱ぎ下着だけの姿になると、就寝着を身に付ける為に体を起こすトリシャであった。
するとその時、部屋の扉がいきなり開く。
トリシャは閉じかけていた瞳を見開き、動きを静止する。
急な物音に驚いたトリシャが大きく開かれた扉の方を見やると、そこには銀髪の幼い少女の姿があった。
「トリシャ、見て欲しいものがあるのだが、私の部屋に来てくれないか?」
いきなり押しかけてくるその様は、ルミエーラの行動に何処と無く似ている気がする。
そう思うのも束の間、トリシャは自身の姿を思い出し、赤面してしまう。
「ちょっと、いきなり入ってこないでよ」
背を屈め、手で懸命に肌を隠そうとするも、思うように隠せない。
アイリスはこれからトリシャが着る予定である真っ白な就寝着を手に持ち、2人の様子を眺めていた。
「今は邪魔だったか?」
「いや、そうじゃないけど、着替え中だし恥ずかしいよ」
クレアリスは入口の扉を開いたまま会話を続ける。
「なんだ、お風呂だけじゃなく着替えも恥ずかしいのか」
「当たり前だよ」
ルミエーラといいクレアリスといい、羞恥心が余りにも欠如しているようにもみえる。
そんな彼女は、羞恥の色に染まるトリシャの事はお構い無しに、自分の要件を伝えるのだ。
「じゃあ、部屋で待っているから着替え終わったら来てくれないか?」
「わかった」
トリシャが返事をすると、クレアリスは颯爽と部屋の外に出た。
扉が閉まるのを確認すると、ようやく羞恥の色が無くなるトリシャであった。
「どちらの服を着ますか?」
アイリスが問いかける内容は、今まで来ていた服を着直すのか、それとも就寝着に着替えるかという問題だ。
これから早めの就寝をする予定だったからこその着替えなのだ。
クレアリスの部屋に行くとなると、その予定も変更せずには居られない。
「うーん……こっちを着るよ」
少し悩むも、いつ眠気に襲われるか分からないと判断したトリシャは、アイリスの持っている就寝着を指さす。
今夜、彼女が選んだ就寝着は、白色のフリル付きキャミソールとキュロットだ。
生地全体に黄色いパステルカラーの星柄が散りばめられているのが特徴的な服となる。
トリシャがクレアリスと双子コーデをしていたのを見てからは、アイリスも同じデザインの就寝着を身に付けるようになっていた。
そんな彼女は、トリシャの着替えを手伝い終えると、徐に自身の服を脱ぎ始める。
毎晩、毎晩、目の前で着替えるのを控えてほしいと思うトリシャであったが、それとなく注意しても彼女が控える事はしない。
片時もトリシャの傍を離れる事は無いので当然の事なのだが、彼女が肌を見せる度に緊張するトリシャであった。
わざわざ別室で着替えるのは、場所が限られるし手間もかかる。
だからこそ同じ空間で着替える事を許容するしかないのだ。
「あ、先にクレアリスの部屋に行っているね」
トリシャはクレアリスに呼ばれている事を思い出すと、急に立ち上がった。
そして、アイリスの返事を待つことなく、クレアリスの部屋へと直行するのである。
コンコン。
クレアリスの部屋の前に来たトリシャは、扉の前で合図をする。扉が内側から開かれると、中から新たに飛行艇の住人に加わった少女が顔を見せるのだ。
住人の誰よりも白く透き通る肌は、まるで雪の様に滑らかで柔らかそうな質感を醸し出していた。
水色に染まるワンピースは、白いレースとリボンで可愛らしく装飾されている。
季節は夏だというのに袖の長い服装は、彼女が長らく極寒の地に身を置いていたからなのだろう。
「待っていたぞ」
彼女はトリシャの手を手繰り寄せると、部屋の中へ入るよう促した。
その手はトリシャよりも一回り小さく、触れた箇所に、ひんやりとした体温を感じる。
「見てくれ、1日かけて改装したんだ」
部屋一面の壁は純白に染まり、床は淡い青味をした絨毯に覆われていた。
白い刺繍の施された絨毯は、トリシャの部屋にある物と比べれば、質の良い物だという事がハッキリとわかる。
壁や天井だけでなく、純白に染められた家具があちこちに点在し、特に中でも一際目を引くのは、透き通るレースに囲まれた天蓋付きのベッドである。
氷の城のクレアリスの部屋にあった物より一回り小さなベッドは、新しく新調したのだろう。そこには汚れや傷の一切を受け付けてはいなかった。
「すごい、オシャレな部屋だね」
元々の内装を知らないトリシャにも、部屋の変貌が伺える。
トリシャの部屋の壁は、ここの部屋より少し暗く、床にある絨毯も臙脂色かつ刺繍の施されていない薄い物だ。
何よりも、部屋の中央にぶら下げられている小ぶりなシャンデリアは、元々の部屋にある筈が無い物なのだから。
「そうだろう。私が本気を出して改装したからな」
腰に手を当てて鼻高々に自慢するクレアリスを見れば、トリシャを部屋に読んだ理由は明確だった。
一生懸命時間を掛けて完成させた自室を、誰かに見て欲しかったのだろう。
長らく氷の城に1人で住んでいた彼女が、この度そこを飛び出す事になった訳だが、この部屋を見れば彼女が進んで引越しをしたと言えるのだ。
クレアリスに促され、トリシャはシャンデリアの真下に置かれた、白いマットの上に腰を下ろす。
そこは彼女が設けた土足禁止エリアなので、トリシャはリボンの付いた白いスリッパを脱ぐのであった。
「ノエル」
クレアリスがそう呟くと、紅藤色の頭の上に、うさ耳の様な大きなリボン付きカチューシャを付けた少女が姿を見せる。
ノエルと呼ばれた少女は、縹色のプリーツのワンピースの上に、白いポンチョを羽織っていた。
トリシャの視線に気づいた彼女は、紫色に色付く瞳で見つめ返してくるのだ。
「紅茶と茶受けを用意してきてほしい」
「えっと、勝手がわからないのですが……」
彼女にしてみれば、今まで生活してきた場所とかけ離れた場所にいるのだ。用意しろと命令されても戸惑ってしまうのも頷ける。
「そうか、アイリス聞いたら分かるかなぁ?」
「そうだね。今なら隣にある僕の部屋にいると思うよ」
食事の後片付けを終えたであろうアリアは、今頃ルミエーラの元にいるに違いない。
ここは直ぐ隣の部屋にいるアイリスに聞くのが無難だと言えよう。
「かしこまりました。その方に聞いてみます」
トリシャたちの話を聞いたノエルは早速、部屋を出て着替え中のアイリスの元へ向かった。
「ルミエに魔法を教えて貰っていると聞いたが、魔法は得意ではないのだな」
女の子座りをしているクレアリスは、髪を指で解かしながら話を始める。
「うん。と言うか生前は魔法の無い世界だったみたいだから、得意と言う以前に使えないと言った方が正しい気がする」
自身に関する記憶が大きく欠如はしているものの、どんな世界に住んでいたかの断片的な記憶は存在していた。
その記憶の中には、少なくとも魔法という概念は、空想上のものでしかないのである。
「そうか。ルミエの教え方は大雑把だから大変だろう。アイリスの方が教えるのが上手だぞ」
彼女もルミエーラから魔法を教わった事があるみたいだ。
それよりも、アイリスに教わった事があるという事の方が驚きだ。
だから、ルミエーラと喧嘩をしている時、部屋にアイリスの侵入は許してもアリアの侵入は許さなかったのだと、妙に納得してしまうトリシャであった。
「アイリスに教わるのもいいかもしれないけど、いつも障壁とかいうのを張っていて忙しそうだしなー」
アイリスの適性魔法が光属性だと言っていた事を思い出したトリシャは、彼女に教わりたい気持ちで山々だった。
しかし、森の入口で障壁とやらを張っている彼女に、それを頼める訳が無いのである。
「なら、クラリスを使うといい。そしたらアイリスの手が空くだろう?」
「でも良いのかな?」
「私が許可しているんだ。何も問題は無い」
本人のいない場所で決定していいものなのか躊躇するトリシャと違って、彼女の主であるクレアリスが決めてしまう。
「でも、クラリーチェが居なくなるとクレアリスの迷惑になるんじゃないかな?」
「ノエルがいるから心配する事は無い」
そのノエルと言う子は、今頃アイリスに紅茶の所在を確認しているところだろう。
でなければ、アイリスがいつまで経っても部屋に来ないのは不自然だからである。
「なぁ、トリシャ」
「ん、何?」
急に改まるクレアリスは、少し緊張している様な面持ちだ。
「クラリーチェの事はクラリスと呼んでくれてもいい。それと、私の事もクレアと呼んでくれると嬉しいのだが……」
照れた表情を浮かべながら、彼女は愛称で呼んで欲しいとお願いするのである。
トリシャとクレアリスが友達になってから2ヶ月近く経過するが、前々から言いたかった事なのだろう。
引越しを気に言うきっかけを作ったとでも言うべきか。彼女の照れ混じりの表情からは、中々言い出せなかった事が伺えた。
クレアリスにとってトリシャは、初めての友達に当たる。
その友達に愛称で呼んで欲しいと思うのは、極々当たり前の事なのかもしれない。
「わかった。じゃあ、これからはクレアって呼ぶね」
「うん」
愛称を呼ばれた事により、クレアリスは更に照れるのだ。真っ白な肌が頬を中心として仄かに赤く染まっていく。
その照れ混じりの表情に、トリシャか彼女を可愛いと思わずにはいられないのであった。
pixivにアイリスのイメージイラストを投稿しました。
良ければそちらもよろしくお願いします。
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