13話 『静寂の中の感情と』
幾つもの季節が巡り、クレアリスは13歳の誕生日を迎えようとしていた。
この頃になると、ルミエーラから一通り魔法について教わったクレアリスは、アイリスの元で光属性の魔法の習得に勤しんでいた。
気が付けば、魔法の基礎と属性魔法の修練に2年、光属性の魔法の習得に2年の歳月が流れていたのだった。
それでも尚、齢13歳にして並の魔術士を凌ぐ魔法の使い手へと成長を遂げた。
とはいっても、クレアリスに実践経験は無く、それだけのポテンシャルを秘めているに過ぎないのである。
それでも魔女と、その従者に見守られる中、健やかに成長していたのであった。
この頃になると、ルミエーラがクレアリスと寝る前の一時を共にする事も少なくなっていた。
その原因はもちろんルミエーラにあり、毎日クレアリスが足を運んでも断られる事が多いのである。
当然、絵本を読み聞かせる事も無くなり、クレアリスは次第にルミエーラからの愛情を、日に日に感じなくなってしまう。
そうした中の冬のある日、クレアリスはルミエーラのいる研究施設へと1人で赴いていた。
その目的は当然、ルミエーラと共に寝る前の一時を共有する為に訪れている訳だが、最近はその機会が減りつつある。
それでも、クレアリスが毎日の日課であるこの行為をやめる事は無かった。
「ルミエ……あれ?」
魔法陣を使って研究施設へ転移してきたクレアリスは、普段いる筈のルミエーラの姿が見当たらなくて周囲を見渡す。
しかし、部屋にルミエーラの姿は確認出来なかった。
「どこいったんだろ?」
初めは大人しく待つつもりでいたクレアリスだったが、ルミエーラが居ないうちに部屋の探索を始めることにした。
子供にとって、大人が触れてはいけない、入ってはいけないと禁止される事に、余計に興味を抱いてしまうものだ。
魔法を一通り覚え、魔法書だけでなく魔術書も読めるようになったクレアリスが、ルミエーラの研究に興味を持つ事は自然な流れなのである。
「これって何だろ?」
そんなクレアリスの目にとまったのは、深い青色をしたガラスのボトルだった。そのボトルは、縦に長く、下は太いが上に行くほど細い形状をしていた。
ボトルの口の付近には、ピンク色のリボンが巻かれているのが印象深く感じる。
良く見ると、先端の穴は塞がれておらず、栓だと思われる菱形の様な形をした部品は、机の上に転がったままだった。
「いい匂い。何の匂いだろ?」
クレアリスが栓を締める為に台の上に置かれたガラスのボトルに近づくと、辺りから甘い香りが嗅覚を刺激してくる。
そのフルーツの様に甘味と酸味の混ざった匂いは、クレアリスの好奇心を刺激していく。
気がついた時には、ボトルを持ち上げると同時に、それを斜めに傾けていた。中には何らかの液体が入っており、クレアリスは手の平に一滴垂らしてみせるのだ。
「これって飲めるのかな?」
クレアリスは独り言を呟きながら手の平に付着した液体をひと舐めしてみる。明確に味がある訳では無かったが、苦味が少なく、奥に眠る僅かな甘味が最後に強く残るのだった。
「もしかして誕生日プレゼントなのかな?」
3日後に誕生日を控えたクレアリスは、リボンのついた青色のボトルを、ルミエーラが用意した自身への誕生日プレゼントだと思い込む。
「ちょっと味見するくらい良いよね」
クレアリスは部屋の中にあるティーカップに青いガラスのボトルから液体を注ぐと、それを口に含んでいく。
口当たりは薄めた紅茶を飲んでいる時みたいに少しの苦味を感じる。紅茶を砂糖無しでは飲めない クレアリスにとって、その苦味は好ましくなかった。
しかし、後味に残る僅かな甘味が、液体を喉に通した後も口の中で強く感じられ、それが癖となり液体を飲む手が休まらないのである。
「そこで何をしている」
唐突な声に、クレアリスは驚いてしまう。その時に、手に持っていたティーカップを滑らせ、床に落としてしまうのだ。
ガシャンっと大きな音を立て、ティーカップは無惨にも割れてしまう。
「何やっているんだ。大丈夫か? 怪我は無いか?」
「だ、大丈夫……」
ルミエーラはクレアリスの足元へ駆け付け、彼女の足に破片が刺さってないか確認する。
まるで母親の様に心配する彼女を、クレアリスは心臓の鼓動をバグバクと打ちながら、肩を竦めて見下ろしていた。
「怪我がないからいいものの、気を付けろよ」
クレアリスの肌に傷が付いていない事を確認すると、ルミエーラは割れたティーカップの方に視線を移す。
大小様々な破片に割れたティーカップの周りは、小さな水溜まりが生まれていた。それは、クレアリスが直前まで口にしていた青いガラスのボトルに入った液体だった。
「この匂い、もしかして……」
ルミエーラは素早く立ち上がると、剣幕に染まった顔つきでクレアリスを見下ろす。
「ルミエ?」
初めて見るルミエーラの表情にクレアリスの不安は高まる。
割れたティーカップに、それに注がれていたであろう液体。その液体を青色のボトルに入れ、ピンク色のリボンを巻いていたのはルミエーラだった。
そんな彼女が周囲に広がる証拠を見落とすわけがなく、瞬時に状況を見極めるのである。
「お前、この薬を飲んだのか?」
静かに聞こえる声は、普段の声色より低く、その奥に怒気が潜んでいる事は表情からも明白だった。
普段のルミエーラが怒りを覚えた時は、決まって大声で怒鳴りつけている。しかし、クレアリスの目の前にいる彼女は、普段とは対照的に静かな怒りを見せるのだ。
「いい匂いがしたからつい……」
ルミエーラの表情に気圧されたクレアリスは、語尾までハッキリ言葉を出せない。
蛇に睨まれた蛙の様に、身動きか取れず、かといって視線を外す事も出来ずに、身構える事しか出来ないのである。
鋭い目付きでクレアリスを睨みつける彼女は、ここで近くの台に置かれた青色のボトルに視線を移す。
「何故口にした? この薬が何んなのか分かっているのか?」
ボトルを手にしたルミエーラは、中身の減りざまを確認すると、言葉尻に怒気を強めていく。
ガラスのボトルの8割を占めていた液体は、今や2割ほどしか残ってはいなかった。それは、後味に引く甘味の中毒性に取り憑かれたクレアリスが、無意識の内に繰り返し飲んだ結果だ。
ルミエーラはクレアリスに向き直ると、部屋の中は僅かな時間だけ静寂に包まれる。
「……る、ルミエ、ちょっと飲み過ぎちゃったけどリボン付いてるし、クレアの誕生日に貰える物だったんだよね?」
「……」
「……まだ少し残ってるし、割れたティーカップはクレアが片付けるから心配しないで」
沈黙に耐えきれなかったクレアリスは慌てて破片を拾おうと、その場にしゃがみ込んだ。
「触るな……」
「え?」
小さな声で喋るルミエーラの言葉を拾えなかったクレアリスは、顔を上げて聞き返す。見上げた先の彼女の表情には影が落ち、良く見えない。
しかし、震える様に両の手に力を入れ、それは左手に握られたガラスのボトルを握力だけで割りそうな勢いに見える。
「触るな!」
余りの怒号にクレアリスは気圧され、そのまま後方に尻餅を付いてしまう。
前方にある割れたティーカップで傷つく事は無かったが、手に取った破片で指を切ってしまった。細い線の様に切れた為、血が噴き出す事は無い。
しかし、傷口から血が染み出るように外気に触れるのであった。
「お前にやるプレゼントだと何時言った? 私が触っていいと、飲んでいいと何時言った?」
語尾に向かって口調を荒らげる彼女は、要所、要所で左手に持ったボトルの底を台に叩きつける。
「でも、リボン付いてるし、誕生日近いし……」
クレアリスは俯いたまま言い訳を口にする。ドンドンと、台に打ち付けられたボトルの音が、彼女の恐怖心を強くしていくのだ。
ルミエーラと目を合わせられない彼女は、右手の人差し指に出来た浅めの傷を庇う様に、身を竦めてしまう。
「お前の誕生日の為に用意した物では無い! リボンが付いているだけで勝手に判断して飲む奴があるか!」
「だって……」
「もし体に害のある薬だったらどうする? お前は死んでいたかもしれないんだぞ!」
怒りの収まらないルミエーラは、声量と共に怒りのボルテージを上げていく。
クレアリスが1人で研究施設へ訪れる様になってからは、研究施設にある物に触れるなと、日頃から注意喚起をしてきたいた。
それを破っただけでは無く、氷の城に住み始めて8年に上る研究成果の薬に手を付けられた事による怒りは留まる事を知らない。
「そんな事言われても知らないもん」
言い訳を繰り返すクレアリスの頬には、いつの間にかに涙で濡れていた。その涙は拭いても、拭いても、拭いきれず、頬だけで無く服の袖も濡らしていく。
「うー……ひっく……」
「出ていけ」
声を抑えて泣くクレアリスに、ルミエーラは冷たい口調で言葉を投げかける。
台の上に転がっている菱形に似た形のガラスを手に取ると、彼女は青色のボトルに栓をするのだ。
「ルミ、エ……」
涙が溢れて止まらないクレアリスは、言葉を続ける事が叶わない。何度涙を拭っても、後から無限に湧き出てしまうのだ。
「泣く子は嫌いだ。出ていけ」
「泣いて……な……」
「出ていけ! そして二度とこの場所に入って来るな!」
ルミエーラそう言うと、青色のボトルを手に、部屋の奥へ行ってしまう。涙の止まらないクレアリスは、重たくなった腰を上げ、1人研究施設を後にする。
何故なら、これ以上ルミエーラの前で泣いている姿を見せれば、嫌われ続けると思ったからだ。
彼女に嫌われたくない一心で部屋の入口まで歩いたクレアリスは、転移魔法を起動させ、1人で研究施設を後にする。
静まり返った部屋の中、1人になったルミエーラは、丸い座面の椅子から立ち上がると、割れたティーカップの後始末を始める。
その表情に怒りは既に無く、少しばかりの後悔と寂しさを滲ませるのであった。




