11話 『雪解けの水と』
冬を超え、雪が溶け、花が芽吹く季節になっても、氷の城が溶けて無くなる事はない。何故ならば、城の至る所に魔術式が組み込まれており、さながら魔女の根城と言うに相応しい造りをしていたからだ。
大陸から逸れた氷の地に人が侵入してくる事は無い。
仮に接近して来ようものなら、城を囲む外壁に仕込まれた防衛用の魔術式によって、氷柱の形をした矢に撃ち抜かれてしまうのだ。
それを含む城の防衛機能は人のみに留まらず、魔物の類も寄せ付けないほど強力な防衛力を誇っていた。
そんな城の中で健やかに成長を続けるクレアリスは、7歳になる頃には文字を覚え難しい本も読めるようになっていた。
ルミエーラに日々催促した絵本の読み聞かせによって、本に興味を持った彼女は、アイリスの見守る中、驚異の速さで文字を学習していった。
文字をただ読むだけでなく、書く事も同時に習得してきた彼女は、ルミエーラの部屋の本棚にある魔法書も読めるだけでなく、魔法の仕組みを理解するまでに成長していた。
そんな彼女が魔法に興味を持つのは必然で、ルミエーラに何度も魔法を教えてもらえる様に頼み込むのであった。
「何度も言わせるな。お前にはまだ早い」
毎朝の恒例の様に、ルミエーラはクレアリスの頼みを断る。
「この本も読めるようになったんだよ? もうそろそろ教えてくれても良いじゃん」
「はぁ……いつの間にその本を持ち出したんだ?」
クレアリスが持つ本を見て、ルミエーラは呆れた様子で溜息を付いた。何故ならば、それは魔法に関する記述のされた書物であったからだ。
「で、その本の何処まで理解しているんだ?」
「んー、半分くらいかな。説明が多くて実際にやってみないとわかんないんだもん」
クレアリスの持つ本は魔法の仕組みを中心に記述されたものなので、実践向きの本ではなかった。
幼さも相まって、魔法を1度も使った事も無いクレアリスにとって全てを理解する事は難しいのである。
「教えて差し上げたら如何ですか?」
会話を横で聞いていたアイリスがクレアリスの助け舟になる。
「でもなー、研究に費やす時間が減ってしまうからなー」
「パティはルミエに魔法を教えながらも研究を続けられていましたよ?」
「そうは言うが、私が魔法を教えて貰ったのは12、3歳くらいの時だぞ?」
ルミエーラには魔法を教える手間よりも、クレアリスが魔法を教えるのに適正年齢なのか疑問視しているみたいだ。
その証拠に、ルミエーラは10歳を超えてからクレアリスに魔法を教えようと考えていたのだ。
「良いではないですか。興味のある内に魔法に触れされておくのも必要な事だと思いますよ」
「でもなぁ……」
「ルミエ、お願い」
踏ん切りのつかないルミエーラに、クレアリスは頼み込む。その愛くるしい表情でお願いをするクレアリスに、いつもルミエーラは押し切られてしまうのであった。
「わかったよ。教えてやるよ。ただし、見込みが無ければ教えるのを辞めるからな」
「やったー。朝食が済んだら教えてくれるよね?」
喜びの余り椅子の上で跳ねるクレアリスは早速、教示を受ける為の催促をする。
「まぁ、後回しにすると忘れるからな。この後でも良いだろう」
普段クレアリスに対して距離を置いているルミエーラは、何だかんだ彼女に甘い一面があるみたいだ。
それは、普段の態度からは分かりづらいかもしれないが、悪態を付きながらも最終的に彼女のお願いを聞いてしまう所が、ルミエーラが彼女に対して甘いと言える所以だ。
朝食を終えると、クレアリスに急かされたルミエーラは、彼女を連れて中庭へとやって来る。
季節は春を迎えたものの、年間を通して気温の上がらない氷の城のそびえる地の周辺は、まだ雪に覆われたままだった。
「まだ少し風が冷たいな」
胸元の空いたドレスを着たルミエーラは、お世辞にも暖かそうな服装とは言えない。肩を大きく露出し、鎖骨から胸の谷間まで直に外気が触れている。
四肢の大部分は衣類に覆われているものの、ドレスの裾の先にある太股は露になっていた。
「少しじゃないよ。寒いよ」
ルミエーラとは違い袖の長い服を着ているものの、クレアリスは外気の冷たさに体を小さく丸める。
「アイリス、魔法をかけてやれ」
「かしこまりました」
ルミエーラとクレアリスに付いてきていたアイリスは、手の平に魔法陣を浮かべると、クレアリスの体に魔法を施す。
その魔法の効果のお陰で、クレアリスは寒さを感じなくなるのだった。
「あれ? 寒くない。これも魔法?」
「そうだ。クレアリスも魔法を覚えれば使えるようになるさ」
「これってどういう魔法なの?」
「知らん」
クレアリスの質問に倒しルミエーラは答えを言わない。しかし、これは彼女がクレアリスを冷たくあしらった訳では無かった。
「私は使った事ないんでな。その魔法についてならアイリスに聞いてくれ」
ルミエーラの言葉を聞いたクレアリスは、声を出さずにアイリスを見つめる。その好奇心に満ちた眼差しは、宝石の様に光沢を帯びるのだった。
「えっと、分類上は火属性魔法に該当するようです。体温を一定に保つと同時に、外気に影響されない様に体を保護する魔法になりますか……分かりますでしょうか?」
「うーん……何となく分かった」
アイリスの問いかけに対し、理解した様に答えるクレアリスだが、彼女がこの魔法の仕組みを理解するのは、もう少し先の話になる。
「その本は読めたんだよな?」
ルミエーラはクレアリスが持っている本を指さす。
その質問に対し、クレアリスは首を縦に降って返事をする。
「なら、最初は魔法陣の書き方からかな。私の真似をしてみろ」
そう言うと、ルミエーラは手の平を前に翳して魔方陣を宙に描く。手の平より少しばかり大きな魔方陣は、青味がかった光で淡く発光している。
「わぁー、初めて魔法陣見た。ねぇ、これは何の魔法?」
クレアリスは青色に光り輝く魔法陣を前に感情が高揚する。
「簡単な水魔法だ。まぁ、きちんと魔法陣が描ければ初心者でも問題なく使えるだろう」
「クレアもやってみる」
クレアリスは両手を前に翳すと、ルミエーラが見せた要領で魔法陣を描く事に挑戦する。
マナを手の平に集め、魔法陣を描いていく。頭で理解するのと実際にやってみるのとでは、勝手が違ってくるだろう。
それでも、魔法書を読んで魔法の基本を抑えているクレアリスは、いとも簡単に魔法陣を描いてみせるのだ。
「ちゃんと魔法書は理解しているみたいだな」
魔法書の最初の方に書かれているのはマナの使い方だった。マナを上手く扱うことが出来なければ、魔法はおろか魔方陣を描く事も叶わない。
こうして魔法陣が描けているという事は、クレアリスが魔法書をただ読める様になっただけではなく、内容を理解している証拠であった。
「ねぇ、ねぇ。この魔法使ってみてもいい?」
早く魔法を使えるようになりたいクレアリスは、自分が描いた魔法陣で直ぐにでも魔法を行使したい様子だ。
「構わんが、そのままだと……」
「わぁ!」
ルミエーラの声を聞くなり魔法を行使したクレアリスは、声を上げると共に後方へ倒れ込んだ。腰から背中を地面に打ち付けた彼女は、背面を雪で覆われる事となる。
何故ならば、魔法陣から発動された水魔法の反動を小さな体では受け止めきれなかったからだ。
「大丈夫ですか?」
クレアリスがひっくり返る様子を見て、アイリスは慌てて駆け寄ってくる。
「大丈夫。頭は打ってないよ」
心配するアイリスを他所に、クレアリスは嬉しそうだった。
彼女からして見れば、腰や背中を打った痛みよりも、魔法を使えた喜びの方が大きいのだ。
「人の話は最後まで聞くように。まぁ、初めてにしては上出来なんじゃないか」
ルミエーラの視線の先には、クレアリスが放った水魔法によって生まれた水溜まりが存在していた。
それは、ルミエーラの想定を上回る程の水量だった。その水は雪を溶かし、辺り一面は雪に埋もれていた短い草が顔を出す事となるのだ。
「ねぇ、ねぇ。クレアって魔法の才能ある?」
クレアリスは立ち上がると、目を輝かせながら質問をする。
その後ろでは、アイリスが彼女の服に付いた雪を手で払いのけるのだった。
「才能は有るんじゃないか。だが、自分の魔法に吹き飛ばされない様にしないと、使いこなせたとは言えないからな」
「うん、わかった。じゃあ、魔法が使いこなせるように練習してもいい?」
「するなら外でしろよ。城の中を水浸しにしてアイリスやリーチェの仕事を増やさない様に」
ルミエーラはそう言うと、2人に背を向けてその場を立ち去ろうとする。
「どこ行くの?」
「練習はアイリスとやってくれ。上達したら他の事も教えてやるよ」
クレアリスの声を聞き、城への入り口の前で歩みを止める。その直後に振り返ったルミエーラはそう言い残すと、止めていた歩を進め屋内へ姿を消した。
残されたクレアリスは、アイリスの見守る中、先程教わった水魔法を練習していく。
それは飽きることなく毎日行われ、中庭に水たまりを幾つも作るのであった。




