5話 『初めての街と買い物と』
部屋で寛いでいると、扉をノックする音が聞こえる。自室に戻ってから1時間は経過したのだろうか?
部屋には時計の類は何も無いので、時間を確かめることは出来ない。
「街へ到着いたしました。準備が出来ましたらお出で下さい」
聞き慣れ始めた少女の声は、街への到着の知らせを告げる。準備など必要無いトリシャは、知らせを聞くと直ぐに部屋の外へ出るのだ。
扉を開けると、目の前に猫耳を付けた頭が目に入る。今まで扉を開けても誰もいなかったのに、そこにアリアが存在していたので内心驚く。
「出入り口を知らないと思いまして、案内させていただきます」
そういえば、アイリスが案内してくれた時に玄関の位置を聞いていない事を思い出す。
精神状態が不安定だったこともあって気にしなかったが、今思えば脱走を恐れて教えなかったとみた方が妥当だ。
この住居のセキュリティーがどうなっているか知らないが、自室を監視されているわけでもなく、見張りもいないので逃げ出そうと思えば逃げることも出来たのかもしれない。
過ぎたことを考えても仕方のない事なので、黙ってアリアの後に付いていく。
冷静に考えれば脱走した所で行く当てもなく、生活の保障も無いので、在りえない選択だという事だけがわかった。
アリアの後に付いていくと、エレベーター室の前にルミエーラの姿があった。
頭には鍔の広い三角帽を被っている。服装は鮮やかな紫色のドレスに黒のコルセットを身に着けていて、紫黒に染まる羽織を上から着ていた。
相変わらず胸元が大きく開いている露出の高い服装をしているが、今までの水着のような布面積の服に比べたらマシになったと言えよう。
その服装を見れば、魔女だという事を信じてもいいと思った。これから外出するのに、如何にも魔女だと名乗っている様な帽子を被るのは、コスプレや仮装以外の記憶に該当しないからだ。
そんな余所行きの服装に着替えた彼女とは違い、元より露出が控えめな服装を着ているアリアは、肩掛けの鞄を下げている以外は今まで通りの服装をしていた。
「揃ったな。よし、行くか」
ルミエーラが声をかけるとエレベーター室の向かいにある空間まで移動する。3人並ぶと少し窮屈な気もしなくはないが、ここが玄関なのだろう。
建物の構造を不思議に思っていると、ルミエーラが前方に手をかざす。
「エカリエ」
手で触れた辺りが円形に光ると、彼女の発した単語と共に扉が開く。左右ではなく上下に開く扉は、完全に予想外で呆気に取られてしまう。
トリシャを置いて、ルミエーラとアリアは先に外へと出る。我に返り、入口から外を眺めてみる。
そこには見たこともない街並みが広がっていた。
石材で建てられたであろう白や灰色の建物が多く見受けられる。高さのある建物が多く、通行人の数も多く感じられた。
「足元に気を付けて降りろよ」
声に促されるままに、トリシャは一番後に地上へと降り立つ。
今まで過ごしていた住居を振り返ると、そこには一般的な一戸建てより一回りほど大きな飛行船があった。長い翼やプロペラの様なものはなく、左右にタービンエンジンの様な巨大な部品が取り付けられている。
家とばかり思っていたが、勘違いだったようだ。改めて考えれば、住居の中に窓がなかったのは構造上の問題なのだという事が想像できる。
「アトラス」
ルミエーラが聞き覚えのない単語を発すると、飛行船が金色の光に包まる。すると、その場から飛行艇は姿を消したのだ。
「え? 今の何?」
「しまったんだよ。ここに置いとくと邪魔になるし、無くしたら困るだろ?」
目の前の光景にトリシャが驚いていると、ルミエーラが端的に説明する。
一戸建てサイズの飛行艇を無くすことなんてあるのだろうか? そう疑問に思いながらも内心は、それほど驚いていない。
昨日、魔女だの魔人だの生体人形だの散々聞かされたのだ。今更大げさに驚いていてはリアクション芸人にでも目指しているみたいだ。
彼女が自称ではなく、本当に魔女だった、という事で納得しようではないか。
理屈の分からない事よりもトリシャの興味は街の方へと向いていた。窓もなく閉鎖的な部屋の中とは違い、見るものすべてが新鮮だった。
辺りを見回すと、形や種類は違えど、飛行艇の様な乗り物がたくさん点在していた。その光景を見て、この後の予定にある買い出しが楽しみになってくるトリシャであった。
「よそ見をするのは良いが、ほどほどにしろよ。はぐれても知らないからな」
「わかってますよーだ」
ルミエーラの忠告を話半分に聞き流す。観光気分のトリシャは辺りを見渡しながら2人の後を付いていくのであった。
街の中を歩く。前方を歩く2人は、用事がある店の前で立ち止まり中へ入っていく。
ルミエーラは食料や日用品など必要なものをドンドン購入していくと、複数の店を点在していくのであった。
支払いの時に気が付いたが、お金は紙幣と硬貨双方を使うみたいだ。通貨の相場や価値もわからないので、買い物の様子をただ見ているだけしか出来ない。
購入した商品はアリアが下げている肩掛けの鞄の中へ入れていく。鞄は決して小さくはないが容量を超えて荷物が次々に入っていく様は些か現実離れした光景だ。
「ねぇねぇ。その鞄どうなってるの? 何でそんなに入るの?」
トリシャは、購入した商品が鞄の内容量を軽く超過していることが気になって仕方がない。
なので、お店とお店を移動している最中に、アリアに聞いてみる事にした。
「これはマジックバッグの一種です。魔術を編み込んだ素材で作られた、空間拡張鞄という事も出来ますね」
簡単にいうと魔法を使った便利鞄という事なのだろうか?
先ほどの飛行艇といい、魔法の鞄といい、魔法や不可思議現象が日常化した世界なのだということを改めて実感する。
「何でも入っちゃうの?」
「何でも、という事はありません。鞄の入り口以上の大きさの物は入りませんし、容量を超過して入れることもできませんね」
確かに、そもそも鞄の中に入れることが出来なければ収めようがない。その他にも、キャパシティーを超えて収納することは出来ないみたいだ。
普通の鞄より便利なことに変わりはないが、何でも出来るという事は無いのだろう。魔法がある世界と言えど、何でも魔法で説明を片付ける事は出来ないのだろう。
「トリシャの服を買おうと思う。この店で好きなのを選んで来い」
服屋の前で歩を止めると、ルミエーラは振り返る。
いきなり好きに選べと言われても女性物の服なんてわかるわけもなく、入ったお店には男性物は当然ない。
となれば、必然とこの中から選ぶしかないのだ。
「どんなもの買っていいかわからないから、アリアに頼みたいんだけどいいかな?」
困ったときは猫型の魔人に頼るに限る。きっとこの子なら魔法の道具を使わずとも解決してくれるに違いない。
「いいんですか?」
「もちろん」
アリアは快く引き受けてくれた。お店の中に一緒に入ると少しばかり安心感を覚える。
何故なら、女性物しかないお店に一人で入るのは、いくら見た目が少女になっているとはいえ、些か心細い。
アリアが隣にいれば彼氏気分で店内にいても気が引けたりしないだろう。最も、周りから見れば女の子2人の買い物なので違和感も何もないわけなのだが――
「ではご希望がありましたらお気軽にお申しつけください」
「部屋でくつろげる服装があればいいかな。あとはアリアに任せるよ」
ルミエーラならともかく、アリアならきちんとした服装を選んでくれそうだ。料理も美味しいし気配りもできる。
トリシャはいつの間にかアリアに信頼を寄せていた。
欲を言えばパジャマの様にラフな格好も欲しいところだが、この世界の感性に身を任せてみようと思った事もあり、彼女に全て任せてみる事にした。
「服を選ぶ前に少し失礼します」
アリアは軽く一礼をすると人目をはばからずにいきなり抱き着いてきた。動揺するトリシャにお構いなく数秒その状態が続く。
「アリア? ちょっと、恥ずかしいよ」
幸い店内に他の客はおらず、店員と思われる人物はこちらを見てはいなかった。
「大方のサイズはわかりました。ではお気に召すような服装を選んできますね」
アリアは屈託のない笑顔で、何事もなかったかのように服を選びに行く。
今朝同様、アリアに密着されただけで心臓の鼓動が早まる。この種類の動悸は当分無くなることはないのだろう。
顔が熱くなっているのがわかったので、トリシャは服を選んでいるアリアの様子を傍目から見る事しか出来なかった。顔が赤くなっている様を見られるのを避けるためである。
しばらく待つと、アリアが手招きをする。それに気づいたトリシャは近くまで駆け寄ってく。
「どうしたの?」
「試着して欲しいので中へ入ってください」
アリアに手を引かれるがまま試着室へと入る。カーテンを閉めると何故かアリアまで試着室の内側へと入っていた。
「な、何で中に入ってきてるの?」
「着替えたら確認しますし、今朝みたいに着替えを手伝った方が速いかと思いまして」
動揺を隠せないトリシャと違い、アリアは平然としている。
確かに、女の子の服装を着用するのに手間取るのかもしれない。一人で着替えたところでキチンと着こなせる自身もない。
それでもまた、下着姿を見られると思うと素直に手伝ってもらうことはできなかった。
「では、早速ですが脱がせますね。」
迷っている内にアリアが服のボタンに手をかける。事の恥ずかしさに固まっていると、見る見るうちに脱がされていくのだ。
着るよりも脱ぐ方が圧倒的に早いもので、物の数十秒で下着姿にされる。
「は、恥ずかしいんだけど」
服を脱がされたトリシャは、無意識に手で体を隠そうとする。しかし、全てを隠せるわけもなく、気休めにしかならなかった。
「嫌……ですか?」
不安げな少女の顔を見ると、嫌だとは到底言えない。羞恥心を押し殺して、アリアの要求に応えるしか出来ないのである。
「嫌じゃないけど、見られるのは恥ずかしいかな……」
「わかりました」
アリアはそういうとおもむろに自身の服を脱ぎ始めた。肩にかかっている服の部分を外すと、衣服はするりと足元に落ちていく。
手足を覆う布は服とは別になっているみたいで、服を脱ぎ終えた後も四肢を覆っている。
しかし、少女が自ら脱いだ服の中から現れたのは、穢れを知らないであろう、白く透き通る肌だった。
下着姿になったアリアは、潤いのある赤紫色の瞳で見つめてくる。その恥じらいを含んだ瞳に、トリシャの体温は上昇していくのであった。