7話 『懐かしの場所と』
氷の城での生活を始めて早1週間。最初の頃は事ある事に泣いていたクレアリスも、少しばかり落ち着き始めていた。
ふとした瞬間に母親の温もりを求めてか、クレアリスは度々涙を流していた。それは夜に顕著に現れ、夜の持つ独特の雰囲気と、眠る前に訪れる寂しさに、クレアリスは耐えられなかった様子だ。
それも、アイリスが添い寝をするよって和らぐ事が出来たのだが、根本的な寂しさは無くならなかった。
そうした中、アイリスとクレアリスは奥底に隠された研究施設へと赴く為に、転移魔法の施されている部屋へと向かった。
その部屋にはルミエーラの姿はなく、今日も今日とて研究施設に籠りっきりみたいだ。
アイリスは梟の置物を使って魔法陣を浮かび上がらせる。その魔法陣の中心に立つと早速、ルミエーラのいる場所へと移動を開始するのであった。
研究施設と称される部屋は、前回来た時とは違い室内に灯りが溢れていた。それもその筈である。ルミエーラが研究施設を使用している以上、照明を使えるように整える事は当然だと言えよう。
天井に埋め込まれた電球は明るく部屋を照らし、青味の強い床に反射しているのであった。
「何しに来たんだ?」
アイリスとクレアリスの姿に気が付いたルミエーラは、不機嫌そうに問いかける。
何故なら、彼女にとって幼い女の子は研究の邪魔にしかならないからだ。
「クレア様が連れて行って欲しい場所があるみたいなので相談に来ました」
クレアリスはアイリスの影に隠れるように、スカートの裾を掴みながら彼女の後ろへと回り込んでいる。
眉間にしわを寄せるルミエーラに臆してしまったのだ。
「何処だ、それは?」
「……」
アイリスがクレアリスの口から言うように促すが、彼女は一向に口を開こうとはしない。
その様子にルミエーラは苛立ちを覚える。腕を組み、眉をひそめる彼女の雰囲気に、クレアリスは余計に怖気づいてしまうのだった。
「言わないのなら付き合ってられん。アイリス、部屋に戻してやれ」
ルミエーラはアイリスに指示を出すと、手元にある研究資料に目を通し始める。
「では、私が代わりに言いますね。クレア様は自身が過ごした家へと戻りたいと言っています」
「あそこにか?」
「ええ」
ルミエーラは頭を抱える。クレアリスが家に帰りたいという事は想像出来ない事でもない。
しかし、その場所に連れて行くのは、難しいというより不可能に近い事なのだ。
「それは無理だ。アイリス、お前なら分かるだろ?」
「すみません。私が言っても諦めてくれなかったので、仕方なく連れてくる事にしました」
事情を知っているアイリスは、ルミエーラが連れて行かない事を知っていた。しかし、諦めず食い下がるクレアリスに押し切られる形で、研究施設に連れてきたのだった。
「残念ながら無理な話だ。――が何故こんな所に封印してまでお前を隠していたと思う?」
事情を知らないクレアリスに言っても仕方の無い事だ。しかし、例え事情を知らないにせよ、彼女を家に連れて帰れない事は変わらない事実であった。
「ううー、帰りたい、お家に帰りたい」
声を荒らげるルミエーラに、クレアリスは精一杯の勇気を振り絞って言葉を発する。
目尻に涙を溜め、今にも泣き出しそうな彼女は、そう迄してでも家に帰りたい気持ちが大きいのだ。
「泣く子は嫌いだ」
「泣いて……無いもん」
ルミエーラの言葉にクレアリスは、唇を噛み締めてまで涙を堪え様とする。必死に涙を堪え、アイリスの陰からルミエーラに訴える様に凝視していた。
「そうだなー。私の前で泣かないと誓うなら別の場所に連れて行ってやる」
「ほんと?」
ルミエーラが妥協案を提示すると、クレアリスは分かりやすく食いついた。
「ああ、私は嘘を付かないからな。覚えているか? 私とお前が過ごした施設の事を」
クレアリスの過ごした家には連れて行ってはあげられない。しかし、ルミエーラが彼女と過ごした場所になら連れて行く事は可能である。
ルミエーラは、彼女の過ごしていた家の代わりに、そこへ連れて行こうと考えたのだった。
「少しだけ覚えてる」
「そこでもいいか?」
「うん」
笑顔を見せるクレアリスの頬に涙が伝う。顔を上げた事によって、涙が零れてしまったのだ。
「泣く子は連れていかないからな」
「泣いてないもん。喜んでるんだもん」
クレアリスは零れた涙を拭うと、とびっきりの笑顔を見せるのだ。それと同時に、も泣かない事を胸の内で決めるのであった。
氷の城を飛び立ち、海を越え、大陸に差し掛かると、目的の地へ進路を取る。
ルミエーラは早速、飛行艇にクレアリスを乗せて、懐かしの場所へと向かうのであった。
「最近はクレア様に付きっ切りになっているので様子が分かりませんが、生活に支障など有りませんか?」
「生活する分には問題ない。必要な徳はレジーナに頼んでいる」
目的地に到着するまでの間、ルミエーラは飛空艇の食堂で、アイリスの入れた紅茶を啜るのであった。
「食事はアイリスかリーチェが用意してくれるとはいえ、あいつはお前ほど器用じゃないからなー。新しく従者を造った方が良いかもしれん」
食堂にクラリスの姿は無く、彼女は氷の城で留守番をしていた。
「慣れていない事をさせるのですから仕方が無い事ですよ」
「まぁ、クラリスも頑張ってくれているから暫く様子見かな」
アイリスがクラリスの世話をしている為、城での生活にはクラリーチェの頑張りが不可欠であった。
彼女がアイリスの分も清掃から家事を行っているお陰で、滞りなく生活が出来ているといっても過言ではない。
目的地が使づいてくると、ルミエーラはアイリスとクレアリスを連れて飛行艇の入口へと向かう。その空間は、3人が待機するには少々手狭であった。
目的位置に到着すると、ルミエーラはクレアリスの目の前にしゃがみ込む。
「いいか、街に着いたらこの手を絶対離すなよ。絶対にだぞ」
クレアリスの小さな手と固く結ばれたのは、隣にいるアイリスの手だった。
「この場所に帰ってくるまで離すんじゃないぞ」
「分かった」
ルミエーラは念を押すと飛行艇の扉を開く。3人が地をつけた場所は、緑豊かな土地の広がる穏やかな街だった。
離着陸を行える場所の無いこの街に飛行艇を着陸させるには、郊外の建物の無い場所を選ぶ他ない。
舗装されて無い道を進むと、町外れにある大きな建物の前に到着する。
白い外壁は腰の高さまでしかないが、その上に高くそびえる黒い柵が建物を頑丈に囲っている。柵の間から覗くのは、白い壁の横長に伸びる建物と、その間にある広く何も無い空間であった。
門の前に赴くと、呼び鈴を鳴らす。暫く待つと、奥から黒い服に身を包む女性が姿を現すのであった。
「よう、久しぶりだな。リア」
気さくに声を掛けるルミエーラに対し、橙色の髪の毛を首の後ろで一つ結びにしている女性は驚愕を顔に浮かべていた。
「ルミエ、ルミエーラなの? 貴方、今まで何処に居たのよ」
まるで幻でも見たかの様に、リアと呼ばれた女性は、ルミエーラの姿を何度も確認する。
「お久しぶりです。コーデリア」
アイリスは深々とお辞儀をする。
「あ、アイリス?」
ルミエーラに続いて、アイリスの存在にも驚きを隠せない女性の名前はコーデリアと言う。ルミエーラにはリアと呼ばれているが、それは彼女たちが親しい間柄である事を表している。
「久しぶりに様子を見に来たんだ。たまには帰って来たっていいじゃないか」
「たまにって、何年も帰ってこないくせに……」
女性は目に涙を浮かべて、ルミエーラが帰って来た事に安心感を覚える。
「でも、良いわ。帰ってきたんですもの。ささ、中へ入って頂戴」
コーデリアと呼ばれた女性の後を付いて、ルミエーラたちは門をくぐるのであった。
白い外壁に囲まれたこの地は、ルミエーラにしてみれば懐かしの地であり、クレアリスにとっても思い出のある地であった。
その懐かしい空気を胸に吸い込み、ルミエーラは旧知の仲であるコーネリアに案内されながら建物の中へ入っていくのであった。




