6話 『役割の分担と』
青みを含んだ白い床の上には、瑠璃色に染まる大きな絨毯が敷かれている。そ表面は、繊細に織り込まれた糸によって複雑な模様が施されているのであった。
そして、絨毯の上に佇むのは、青白く透き通る長く奥行のある机と、30脚はある椅子たちだった。
天井からは大きなシャンデリアが3つもぶら下がっているが、そのどれも明かりを灯してはしなかった。
それも無理はない。長年人が入らず手付かずだった城内に、シャンデリアの火を灯す人も、蝋燭を交換する人も居ないのだから。
室内に窓が無い事もあり、食堂の中は薄暗かった。
しかし、青白い氷を使用して造られた壁や天井が、僅かな光源を取り入れているお陰で、部屋が見渡せない程は暗くなかった。
食堂の奥にあるのは、食事を提供する為に必要な厨房だ。今まで通ってきた廊下や食堂とは違い、この部屋は氷の材質が使われていなかった。
それもその筈だろう。何故なら、火を扱う厨房で氷の材質は余りにも不適切だと言わざるを得ないからだ。
室温が下がると食材に火が通りにくいし、火を使うことによって壁が溶けたりしては元も子もない。
食材を保存する分には、その冷気も必要と取れるかもしれないが火を扱う以上、氷を部屋を構築する材質に使用するのは、厨房にそぐわないと言えるだろう。
「クラリス、クレア様の事頼みますね」
「ええ」
アイリスが手を離すと、クレアリスは少し悲しそうな表情をする。
「邪魔しちゃいけないわ、向こうで待っていましょう」
「いい、ここで待ってる」
クラリーチェが食堂へ移動しようと促すが、クレアリスはそれを拒否する。
「大人しく出来るの?」
「うん、待ってる」
その問いかけにクレアリスは微動だにせず、アイリスだけを見つめていた。
「分かったわ。いい子にしてるのよ」
食堂に連れて行く事を断念したクラリーチェは、クレアリスの側に屈み、肘を膝の上に乗せ、手の平に頬を付いた格好で見守る事にした。
その様子を横目で見ながら、アイリスは調理へと入っていく。
肩から下げた鞄の中から食材の入った容器を取り出す。その容器の中には、予め焼いておいたパンと、ハムや野菜が入っていた。
その食材を調理台の上に並べると、続いて食器や調理具を鞄中から取り出すのだ。
厨房に備え付けられている刃物では無く、自前の包丁は切れ味が鋭かった。その包丁を使って厚みのあるパンを、1センチ程の厚さに切りそろえていく。
下は角があり、上は楕円の形になっているパンは、食パンの様に中は白く、外側は薄茶色の焼き目が付いている。
その切断したパンにハムと野菜を乗せていく。そして、もう一つ切断されたパンを用意すると、味の決めてとなるソースを塗り、そのパンを具材の上に乗せるのだ。
更に癖の少ないチーズを加えたものを用意すると、一通りの調理は完了する事となる。
それは、料理と言うほど工程のある作業では無い。それでも、アイリスは城に入る前に用意していた食材を使って、クレアリスの食事を用意してみせた。
本来ならルミエーラが食べる筈の物だが、具材は万が一に備え余分に持ってきている。
アイリスの鞄の中には他にも、スープやサラダ、メインディッシュとなる肉料理を作れるだけの食材を有しているのだ。
それらの食材を使えば、人1人が生活する分には、2日間は苦無く過ごせるだろう。
最後に紅茶を自前の食器に注ぐと、即席の料理の完成である。
「はい、出来ましたよ。折角なので、向こうで食事をしましょうか」
「うん」
アイリスは食器を片手に食堂へと移動する。彼女が料理を終えるまで大人しく待っていたクレアリスは静かに後に付いて行く。
適当な席に食事が置かれると、クレアリスは透明な素材で作られた椅子へと座る。
「どうぞ、お召し上がりください」
アイリスが声を掛けると、目の前に用意された食事を手に取り、大きな口を開けてそれを頬張った。
「ほいしい」
口一杯にパンを含んだクレアリスは、口をモゴモゴさせながら言葉を発する。
傾いたパンの隙間からソースが零れ、折角の白いワンピースを汚してしまう。
「あっ、ソースが零れてしまいましたね。シミにならないように拭きますが、気にせず食事を続けてください」
アイリスは鞄から布を用意すると、ワンピースに付いた汚れを拭いていく。
「ごめんなさい」
「いえ、私がソースを入れ過ぎました。気にしないで下さい」
バツが悪そうに謝るクレアリスを、アイリスは責めたりしない。
まだ幼いという事を加味せずに、普段通り作ってしまった事に原因を見出すのだ。
「喉を詰まらせないように、紅茶を飲みながら食べてくださいね」
紅茶の温度は熱すぎる事は無い。何故なら、先程ルミエーラが飲んだ時に入れたものだからだ。
普段なら改めて入れ直す所だが、ある程度冷ました方が良いと判断したアイリスは、少し温度の下がった紅茶を提供した。
「うー、苦い」
「お口に合いませんでした?」
ルミエーラが紅茶に砂糖を入れる事は無い。しかし、クレアリスに提供された紅茶には、予め角砂糖を1つ溶かしているのだ。
それでも、クレアリスにとっては苦いと感じる様で、アイリスは鞄の中から角砂糖を取り出す」
「もう1つ入れますか?」
「うん」
クレアリスはシュガートングを使い、角砂糖を1つ追加する。
小さな匙でかき混ぜた後、紅茶に口を付けるのだった。
「もう1個」
まだ苦さを感じるのか、クレアリスは角砂糖を更に1つ追加する。
計3つの角砂糖を入れて甘くなった紅茶を口にすると、ようやく味に納得するのだった。
「今度から砂糖は3個入れる事にしますね」
アイリスはクレアリスに微笑むと、シミ抜きの作業に戻るのだった。
一つ目を食べ終えたクレアリスは、もう一つのパンに手を伸ばす。すると、一口齧ったクレアリスの眉間にシワが寄ってしまう。
「この白いの嫌い」
そう言ってパンの間から取り出したのは、四角く薄いチーズであった。
その癖の強い味と特有の臭いが始めて口にするクレアリスには受け入れられないみたいだ。
「でしたら、チーズだけ抜いて食べてみてはどうでしょう」
アイリスはパンの間からチーズを抜くと、それを食器の上に置く。そうする事で、クレアリスが食べられる様になると判断したからだ。
「これなら平気」
そう言ってクレアリスは美味しそうに食べ始めるも、満腹になったのか半分ほど食べ進めた所で手が止まってしまう。
「お腹一杯だからもういい」
「分かりました。片付けをするのでその間、待っていてくれますか?」
「うん」
アイリスは厨房へ移動すると手にした食器を洗っていく。その間も大人しく待っているクレアリスは、アイリスから視線を外そうとはしない。
「これが終わったら着替えなくては行けませんね」
シミはある程度落ちたとはいえ、そのまま汚れた服を着続ける訳にも行かない。後々色が付いてしまう前に、洗濯するのが1番なのだ。
「城内の照明や使う部屋の掃除とか、しなくちゃいけない事がたくさん出来たわね」
アイリスは洗い終えた食器を鞄の中へしまうと、クラリーチェに向かって話す。
「そうね。そういう雑用は私が引き受けるから、貴方はこの子の事見てなさい」
「手伝ってくれるの?」
「ええ、その方が良いでしょ? 私も見守ると言った以上、手伝いくらいはするわ」
クレアリスがアイリスから離れない限り、アイリスの行動範囲は狭まる。それどころか、常にクレアリスに危険が及ばない様に側に居なくてはならない。
アイリスは作業に集中出来ず、自身は何もしないで見ているだけとなると、この上なく効率が悪い。
自身が雑用を引き受ける事で、アイリスの負担が減るばかりか、作業効率が格段に変わってくる。
クレアリスがアイリスに懐いている以上、合理的に判断すれば、自ずとこういう結果に落ち着くのだ。
「ありがとう。助かるわ」
「お礼なんて要らないわ。私と貴方の仲じゃない」
久々に旧知の仲のであるアイリスに会えた事は、クラリーチェにとっても喜ばしい事だった。
感情を表に出さない彼女の性格からは分かりにくいが、現在の立ち位置の事も、彼女なりに最善だと踏んでいるのだった。
「では早速、食堂と浴室、トイレの灯りの確認と、部屋に不備があったら使用可能な状態にしといて貰えるかしら」
「貴方、意外と人使い荒いのね」
「貴方と私の仲なのでしょう。手が離せない分、遠慮は出来ないわ」
クラリーチェは素直にお礼を受け取っておけば良かったと僅かながら後悔する。
しかし、アイリスから頼まれた内容に関して不満がある訳では無い。何故ならば、主を失ったとはいえ、彼女も従者として造られた魔人なのだから。




