5話 『純白のワンピースと』
ルミエーラが部屋に戻ってくる頃には、銀髪の幼い女の子の涙は止まっていた。
部屋に入ると、ベッドの上で横になる女の子と、その側に寄り添うアイリス。そして、椅子に座って本を読んでいるクラリーチェの姿があった。
「おかえりなさい。遅かったですね」
アイリスはルミエーラの入室に気が付くと、彼女の元へ駆け寄る。
「ああ、ちょっと街まで買い物に行ってきた。それよりもクレアリスの様子はどうだ?」
ルミエーラは羽織と鍔の広い帽子を脱ぐと、アイリスに手渡す。それを受け取ったアイリスは、丁寧に畳むと入口付近にある台上へ置いたのだ。
「今はぐっすり眠られています。泣き疲れたのでしょう」
ベッドの側に近づくと、清浄無垢な表情で眠るクレアリスの姿があった。腫らした目元はほんのりと赤くなり、この子が長らく泣いていた事が容易に想像できる。
布団からは肩から上を出しており、残りの身体は布団の中へ収まっていた。
「また泣かれたらアイリスに任せるからな。私はそこまでは面倒見れん」
「分かりました」
独り身のルミエーラに子育ての経験など当然ない。
ならば当然、子供が泣いた時の対処法を知らないのである。
「貴方は世話してあげないのね」
話を聞いていたクラリーチェが口を挟む。
「そういうの苦手なんだよ。それに、私の目的は子守りでは無いんでな」
ルミエーラの目的はクレアリスの世話をする事では無い。その為にわざわざ人のいない氷の城に赴いたのでは無いのだから。
「あら意外、昔は面倒見良かったじゃない」
「いつの話をしているんだ。それは私が、まだ子供だった頃の話だろ。大人になった今、子供の扱いは分からん」
クラリーチェの言う通り、昔のルミエーラは面倒見の良かった時期が存在する。しかし、それは彼女が成人する前、少女だった頃の話まで遡る。
感情の起伏が激しく、直ぐに泣いてしまう子供の相手は、彼女にとって苦手意識が生じてしまう要因になっていた。
「では、アイリスが世話をする事になるのね?」
「お前が代わってもいいんだぞ」
「遠慮しておくわ。アイリスの代替品としてならしてあげないことも無いけど」
クラリーチェにとって、いくら主の残した娘だとしても、幼い女の子が主の代わりになどなり得なかった。
その為、見守る事はしても、尽くすつもりは無いのである。
「アイ……リス?」
眠りから目覚めた女の子は、腫らした瞳を擦りながら上体を起こす。それと同時に、一番初めに目に入った人物の名前を呼ぶのであった。
「クレアリス様、目が覚められましたか。体調は如何ですか?」
「私の名前はクレアだよ?」
女の子はアイリスに名前を呼ばれたが、それを訂正する。
「そうですね。パティはそう及びしていましたね。ですが、正式にはクレアリスと言うお名前があるんですよ」
目覚めたばかりの女の子は、思考が付いていかないのか首を傾げる。
「うーん……そんな名前だった気もする」
暫く考え込むと、自身の本当の名前を思い出したのか納得し始めた。
何年にも渡って封印されていた所為か、記憶が不安定なのかもしれない。
「でも、長いからクレアで良いよ。そっちの方が慣れてるから」
「分かりました。それではクレア様とお呼びしますね」
アイリスが笑顔を向けると、クレアリスも笑顔を返した。
それは釣られて出た笑顔かもしれないが、その純真な笑顔は現在、彼女の心が安定している証拠だった。
「おっと、忘れる所だった」
ルミエーラは思い立った様に腰に下げられている鞄の中を漁り始めた。
すると、白いビニール素材の袋を複数取り出し、アイリスに手渡すのだった。
「これは?」
「クレアリスの服だ。さっき街に行ったと言ったろう。その時に買ってきたんだ」
ルミエーラから手渡された袋の中を見ると、小さな子供服か複数枚入っていた。
白い襟の付いた水色のワンピースに赤いリボンの付いたピンク色のワンピース。全身が真っ白になるフリルのあしらわれた物など、ワンピースを中心に買われていた。
「服のサイズか統一されていませんよ?」
「大きさとか分からなかったから適当に買ってきたんだ。大きい物はいずれ着る事になるんだからいいじゃないか」
アイリスの指摘にルミエーラは不機嫌そうに答える。
彼女がワンピースを選んだのも、サイズの調整がしやすい事と、着脱に手間が掛からないからであった。
それは、物事の手順を省く、面倒くさがりな彼女の性格が現れているのだ。
「クレア様、どの服が着たいですか?」
「それ」
クレアリスが指したのは、青いリボンの付いた白いワンピースだった。その服の袖はなく、肩口とスカートの裾にフリルがあしらわれている可愛らしいものだ。
「この服ですね。着替えを手伝いますので、こちらに来てもらえませんか?」
アイリスはクレアリスにベッドの中から出てくるように促す。そのままでは服を着せるのに手間取ってしまうからだ。
クレアリスは返事をすると、布団の外へ出る。華奢な体つきは幼く、膨らみの無い胸部も、線の細い太腿も、第二次性徴期がまだ来ていない証拠だ。
そんな幼い体を覆うように、アイリスの手によって衣類が身に付けられていくのだ。
「はい、着替え終えたので動いても大丈夫ですよ」
アイリスが最後に胸元のリボンを結ぶと、クレアリスはようやく衣類で幼い体を覆う。
胸の辺りまで伸びた銀色に煌く髪の毛と、幼い体を覆う白いワンピース。そのワンピースにも引けを取らない程、透明感のある白い肌。
清純さを体現した外観は、まるで氷上に佇む天使の様に美しさと可憐さを兼ね備えていた。
その場で左右に腰を回すクレアリスは、裾についているフリルが気になって仕方がないみたいだ。
「フリルが付いてない方が良かったですか?」
「ううん、こっちの方が好き」
アイリスはフリルが邪魔に感じるのかと思ったが、どうやらそれは違うらしい。
体を揺らすと共に、ひらひらと揺れるフリルに興味を引かれ、気に入った様子だ。笑みを浮かべるクレアリスの様子を見れば、それが喜びからなる行為だと判断する事が出来る。
その時だった。クレアリスのお腹の虫が音を上げる。
「お腹が空いたみたいですね。食事の用意をしてきます」
アイリスがそう言って立ち上がろうとすると、スカートの裾を引かれ、動きを静止される。
裾を掴む手は強いものではなかったが、抵抗を感じたアイリスは、手が離れる前に動きを止めた。
「どうかされました?」
「どこ行くの?」
クレアリスは急に不安げな表情になる。裾を掴んでいない反対側の手は口元に触れていた。
その仕草をしている彼女は、アイリスに甘えている様にも見える。
「食事を用意する為に食堂へ行ってきます。少々時間が必要なので、この部屋で待っていて下さい」
「嫌、ついて行く」
クレアリスは我儘を口にする。彼女がアイリスについて行っても邪魔にしかならないだろう。
寧ろ、刃物や火元、食器など、危険の多い厨房へは入らせない方が良いのは明らかな事だった。
「連れてってやれ。此処に食事を運ぶより、食堂で済ませた方が何かと手間が省けるだろ」
「ですが……」
クレアリスの同行に楽観的なルミエーラとは違い、アイリスは難色を示す。
「クレアリス。アイリスが料理をしている間、大人しくしていられるか?」
「うん」
「もし、いい子にしてなかったから、次からは付いていけなくなるからな」
「分かった」
ルミエーラの言葉に、クレアリスはスカートの裾を掴んだまま頷く。
「という事でリーチェ、料理の最中だけお前が見てやってくれ」
クレアリスとの話が終わったルミエーラは、アイリスの負担を和らげる為にクラリーチェにサポートをお願いする。
いくらアイリスが秀逸でも、幼い女の子の様子を見ながら料理を手掛けるのは難しい。目を離している隙に何かあっては困るのだから
「なぜ私が?」
「私は他にやる事があるんでな。それに、見守るのはお前の役目だろ? アイリスに力添え頼むよ」
「はぁ、仕方ないわね。手伝ってあげる」
クラリーチェは本を閉じると本棚の隙間へと戻す。口ではこう言っている彼女だが、その内情で嫌がっている事は決してない。
「じゃあ私は施設に籠っているから、何かあったら呼んでくれ」
ルミエーラはそう言うと、梟の置物に手を添える。前回アイリスが行ったようにマナを注ぐと、梟の瞳から橙色の光が差す。
その光によって照らされた床に浮かび上がる魔方陣を使って、彼女は別の部屋へと転移してしまう。
「では、私たちも行きましょうか」
アイリスはクレアリスの小さな手に触れると、その手を引いて部屋を後にした。
手を引かれたクレアリスは何処と無く嬉しそうな表情に変わり、アイリスを見上げながら歩いていく。
それは、アイリスの横顔に思い出の中の母親を重ねたのかもしれない。




