4話 『新たな服装と入浴と』
部屋に戻ると早速、ベッドの上に倒れこむ。恒例となりつつある行動に少しだけ頬が緩む。
置かれた状況が変化したわけではないのだが、アリアと楽しく会話ができたことが予想以上に嬉しく感じる。
不安しかなかった生活に少しばかりの悦びを見つけたのだった。
ルミエーラの事は正直嫌いだ。しかし、アリアの事は少しだけ好きになったと言える。男女の関係としてではなく、純粋に好意を寄せるだけであった。
ルミエーラと対峙している時の様に気を張るのは疲れてしまう。自室にいるとき以外でも気が休まる空間があってもいいではないか。
そう思うトリシャは、アリアとは仲良くしていこうと考えるのであった。
30分くらいだろうか。体感なので正確な数字はわかりかねるが、自室に戻ってからしばらく時間が経過すると、コンコンと扉をたたく音が耳に入る。
「入浴の準備が整いました。冷めぬ内にお入りください」
約束通りアリアが部屋まで伝えに来てくれたみたいだ。
ベッドから起き上がり扉を開けると、既にアリアの姿は無かった。お風呂の準備をしてくれて、呼びに来てくれたのだ。お礼の言葉を掛けたかったのだが、またの機会にするとしよう。
トリシャは気持ちを切り替えると、真っ直ぐ浴室へと向かった。
浴室の手前にある脱衣所に入る。大きな鏡が1つと洗面台が2つ備え付けられていた。
タオルが置いてある場所はアイリスが案内してくれた時に聞いていたので、棚からタオルを取り出す。取り出したタオルは洗面台の空いたスペースに脱いだ衣類と一緒に置くことにした。
ふと顔を上げると、撫子色の髪を下ろした衣服を一切身に着けていない清純な女の子の姿が目に入る。
透き通るような透明感のある肌に、紅梅の花のように色付く唇は柔らかみを帯びていた。指で軽く触れると艶めかしく揺れる。
アメジストのように紫色に輝く瞳に移る女の子は別人のようで、こうして見つめあっている今でも、映像か何かではないのかと疑いたくなるのだ。
視線を落とすと、一見華奢に見える体つきも女の子特有の柔らか味のある体型をしている。鏡越しに自分の姿を見てしまうと、少女の姿になった現実を受け入れるしかなくなってしまうのだ。
部屋にも鏡台があったのだが、事実から目を逸らすように視界に入らないようにしていた。
自分の体とは言え可愛らしい容姿をした女の子の裸を、まじまじと見つめるのは気恥ずかしく、逃げるように浴室へと入っていく。
浴室へ入ると小さな椅子が目に入ったので、その上に腰を下ろす。風呂の造りを気に留める余裕もなく、目の前にあったボトルから液体洗剤を手の上に出すと、それを使って体を洗っていく。
髪の毛を洗い、体を洗い、水で全身を洗い流している最中でさえも、気恥ずかしさが無くなることがない。
手足や髪は平気でも、体を洗う時は女の子特有の部分に触れなくてはならない。自分の体に触れているだけなのに良心の呵責に苛まれてしまうのだ。
それは突然やってきた。浴室の扉が勢いよく開かれる。
唐突な音に振り返ると、服を着ていない金髪の女性の姿がそこにはあった。
「湯加減はどうだ?」
悪気もなく堂々とやってきた人物は、この住居の主であるルミエーラだ。
服を身に着けていない彼女は当然、浴室内へ侵入してくる。歩くたびに揺れる乳房が、この時は凶悪に見えるのだった。
「ななな、何入って来ているんですか!?」
トリシャは身体を丸めその場に蹲る。手を胸の前で交差し足を曲げ、侵入者に向かって敵意を丸出しにするのだ。
衣服すら身に着けていないトリシャに、身を守る物など何一つないのである。
「いやー、風呂に入りたくなってな。何か問題でもあるか?」
「問題あるに決まってるじゃないですか! 大問題です!!」
この人には常識が無いのか。問題だらけではないか。キスがダメなら入浴もダメに決まっている。
逐一禁止事項を上げてかないと、彼女の突拍子もない行動を防げないのだと考えると、この先が思いやられてしまう。
「いいから出て行ってください」
「もう服を脱いでしまったしなぁ。面倒くさいからこのまま入ることにする」
いい加減な人だ。昨日の口付けの理由だって、面倒くさいからの一言で片づけてしまった。
ただでさえ気恥ずかしい思いをしていたのに、裸を見られた上に全裸の痴女が入ってくるとなれば、羞恥心のパラメーターは優に振り切ってしまっているだろう。
「良いじゃないか。女同士背中でも流し合えば」
「良いことない。出て行って!」
ルミエーラは意気揚々と近づいてくる。背中越しに抱き着かれると、肌に当たる柔らかい感触に頭がおかしくなりそうだ。
背中越しに触れる彼女の柔らかな肌は、自身についている物よりも遥かに大きな質量を感じる。
羞恥心がピークに達したトリシャは、動く事も出来ずに体の内側から溢れる熱でのぼせそうになってしまう。
「ルミエーラ、トリシャが困っています。お戯れもほどほどに」
助け舟を出してくれたのはアリアだった。脱衣所にいるアリアの言葉を聞き、ルミエーラの動きが止まる。
「私は出ていかないぞ。自分の住居で好きな時に風呂に入って何が悪い」
アリアに諭されたルミエーラはわかりやすく不機嫌になる。彼女なりにコミュニケーションを取ろうとしているのかもしれないが、刺激が強すぎるのが難点だ。
「僕が出ていくから後ろを向いていてください」
アリアの言葉でルミエーラは静止している。この機を逃せば、一緒のお風呂に入らなくてはいけなくなるだろう。
「仕方ないなー。10秒だけだぞ」
ルミエーラは渋々承諾する。立ち上がった彼女は腕を組むと背中を向けるのだった。
その姿を目の前にある壁に備え付けられた小さな鏡で確認すると、急いで脱衣所へ退避するのだ。
「新しい着替えを用意しておりますので、そちらにお着替えください」
浴室の扉を閉めるとアリアが一声かける。トリシャに気を使ってか、彼女は視線を逸らす様に半身になる配慮を行ってくれている。
「ありがとう、アリア。助かったよ」
一言お礼を述べると用意しておいたタオルで体を拭き始める。
ルミエーラと違い、アリアは背中を向けたまま振り返ってくる事もなく、トリシャの着替えが終わるのを待っていてくれた。
体を拭き終えると、新たに用意された衣類を見る。下着は色が違うことを除けば細かなデザインの違いしかなく、小さなリボンと細かなレースが少しばかり施されたものだった。
改めて見ると、恥ずかしさが込み上げてくるが、履かなければ他に身に着ける物など何もない。昨日と同じように足を通し身に着けるしかないのだ。
しかし、ここで問題が生じる。
「ねぇ、これの付け方がわからないんだけど……」
手にあるのは男性ならば身に着ける機会がないであろう下着のブラジャーだ。大雑把な性格のルミエーラは用意しなかったものだが、気配りの行き届いたアリアが用意してくれたのだ。
見た目が女の子になったトリシャに対して、これを用意するのは寧ろ当然であると言える。
「これを着けるの、手伝ってくれないかな?」
トリシャの求めに、アリアは恐る恐る振り返る。手にしているブラジャーを見て、アリアは要求を素早く理解するのであった。
「私が装着してもよろしいのですか?」
「恥ずかしながらつけ方がわからないもので……」
羞恥心を抑えて手にしているブラジャーをアリアに渡す。正面を向くのは照れくさくて、自然と背中を向けてしまう。
アリアは背中越しに近づくと、手渡されたブラジャーをトリシャの腕に通していく。
ふと、鏡に視線を移すと、2人の少女が密着している事がよくわかる。アリアは肩越しに顔を前に出してくるので、肌が少しだけ触れ合う。
顔立ちの整った美しい少女との距離の近さに、緊張感が高まってしまう。
肩まで紐を通すと、下着の生地によって胸部が隠される。衣類が肌に触れるこそばゆさに、トリシャは顔を熱くさせていく。
アリアの手はトリシャの背中に向かうと、下着を固定するためにホックを止めるのであった。
「失礼します」
アリアは断りを入れると同時に体を更に密着させる。布の間から手を侵入させると、トリシャの膨らみに腕を回し始める。
まるでシャボン玉に触れる時の様に優しく肌に触れられると、その手は下着の内側に侵入してくるのだ。
彼女の小さな手は温かく感じるが、それよりも自身の体温の方が高いことに驚いてしまう。
「あっ」
肌に直接触れる手にこそばゆさを感じ、咄嗟に声が出る。直接触られるとは予想していなかったので油断していたのだ。
他人に肌を触られているにも拘らず、不快感は全くといっていいほどない。それでも、自分でもビックリする声の高さに羞恥心の抑えが利かなくなっていくのだ。
アリアの手は下着の形に収まるように胸の形を整えていく。肌に触れられるたびに、体が熱を帯びていき、手に汗を握る思いで一杯になる。
下着の形に整え終わると、アリアは崩さないようにそっと手を抜いていく。
「これでお相子ですね」
耳元で囁いた声の持ち主は、鏡越しに表情を確認すると照れながらも意地悪く微笑みを浮かべていた。
まるで子猫の様に愛らしい表情を向けられると怒るに怒れなくなってしまう。
「いじわる」
見た目の可愛さに油断していたがとんだ小悪魔がいたものだ。
先ほど食堂で猫耳を許可なく触ってしまった事へのお返しと言いたげな表情は、どこか嬉しそうにも見える。
そんな彼女は、確信をもって羞恥心を煽る行動をしているのだと感じられずにはいられない。
「ついでに最後まで手伝いましょうか?」
「お手柔らかにお願いします」
本来ならば断わっていただろう。しかし、食堂で思う存分猫耳を触ってしまった手前、断る事に後ろめたさを感じてしまう。
今の行為で仕返しは終えたのだ。これ以上、羞恥心を煽る行為はしてこないだろうと考え、手伝ってもらうことにした。
断ってしまえば、後で着方がわからない服が出てきたときに頼みづらくなるのも断らなかった原因の一つだろう。
リボンの付いたブラウスを羽織ると、アリアがボタンを下からつけてくれる。トリシャは反対側になる上からボタンを付け始める。
真ん中の方で二人の手が重なると、それに合わせて視線も重なる。アリアがニッコリと微笑みかけると、トリシャも照れくさそうに笑みを返すのだった。
全てのボタンを付け終わると、アリアは立ち上がりリボンに手を掛ける。他人のリボンを結ぶのは難しいように思うのだが、アリアは悠然とやってのけるのだ。
滑らかな手の運びでリボンを結び終わると、見栄えが良い様に形を整えてくれる。
次に臙脂色のスカートに足を通す。裾には白いレースが付いており、女の子らしく可愛らしい服装の印象を受ける。
スカートを腰の高さまで上げるとシャツの裾を全てスカートの中へ収納する。
ファスナーの位置が左腰骨辺りに付いていたので、アリアに締めてもらう。スカートの位置を彼女に整えてもらうと、予想以上に高い位置まで上げられるのであった。
スカートの上部をへそよりも高い場所まで引き上げられると、アリアがファスナーの上に付いているホックも締めてくれた。
ズボンに比べると遥かに高い位置まで上げられたスカートを鏡で確認すると、不自然には見えない。
寧ろ、女の子の服装としてはこちらの方が自然だといえるだろう。
膝上20センチ近くになる裾の短さに気恥ずかしさは多少あったが、裸を見られた体験以上に照れる必要はない。
靴下は自分で履こうとしたが、これもアリアが率先して履かせてくれるのだ。
片足を上げると、よろけない様に足元にしゃがんでいる少女の肩に手を添えて体を支える。
ゆっくりと足を覆っていく黒い布生地に、背筋に何かが通る様な感覚を覚えるのだが、それは肌を刺激する感覚の副作用なのだろう。
足を上げる時に下着が見えそうになる。その時に、女の子の様にスカートの裾を持って隠そうとする仕草をしてしまう。
自分の仕草に若干、不快感を抱く。見た目が少女でスカートを着用している事実を考えると、自然な仕草であると開き直り、境遇の所為にする事にした。
膝上まで靴下をたくし上げ、左右の位置が揃う様に微調整する。
翌々考えれば、今まで着ていたワンピースと比べると、スカートの長さは同じくらいで露出度も断然下がる。
だけれども、上から下まで女の子らしく可愛らしい服装をすると、女装をしている気分になるので照れが生じてしまう。
これを着ないと着る服が無くなるわけで、着る以外に選択肢はないのだけれど――鏡を見るとガーリーな服装に身を包む麗しい少女の姿が視界に入るのだった。
自分で言うのは気が引けるのだが、鏡に映る撫子色の髪の毛をした少女は美少女だと言えよう。想像するに、ルミエーラが造ったのだから彼女の趣味趣向が反映されてそうだ。
元の顔が思い出せない以上、整った顔立ちに生まれ変われた事は素直に喜ぶべきなのだろう。これは不幸中の幸いという事で、ポジティブに捉える事にした。
「部屋に戻られますか?」
気が付いたら鏡に映る2人の美少女に見とれていた。アリアに話しかけられた事で我に返るのだった。
「あ、うん」
こうしている内にルミエーラの入浴が終わり、鉢合わせても気まずくなるだけなので、早めに自室へ帰ることとした。
それにしても、長い入浴だ。着替えている最中に出てこなくて良かったと心の底からそう思える。
「それでは街に到着しましたら、お知らせしますね」
猫耳の少女との戯れを終えると、再び自室へと戻るのであった。
その少女はというと、露出狂の身の回りの世話があるからと、浴室の前で待機をするのだという。
アリアは終始可愛く見え、思い描いていた魔人像とはベクトルがかけ離れていたと痛感させられる。
生前の姿ならば、今までのやり取りだけでアリアに恋焦がれていたことだろう。そう思うくらいアリアは愛嬌に溢れている少女に見えた。
猫耳メイドの愛くるしい少女と形容できるだろう。時にいじらしく、時に意地悪にこちらの心を弄ぶ。ルミエーラという悪魔がいなければどれ程素晴らしい事なのか。
トリシャはそう思わずにはいられなかった。
自室に戻り冷静になると、物事の経緯を思い出し悶絶する。
お風呂に入ろうとしただけなのに裸を見せられ、裸を見られ、あろうことか着替えまで手伝ってもらったのだ。恥ずかしいどころの騒ぎではない。
女の子の服装は自身の見た目が可愛らしい少女になっている事もあってか、それほど恥ずかしいとは思わなくなっていた。
自分が着用している衣服に目を通すと、アリアやアイリス達が着ている服装と似たような系統の服に見える。
もしかしたら、あの少女たちが過去に着ていた服かもしれない。そう考えると余計に恥ずかしくなってくるのだった。
それまで負の感情しかなかったトリシャの中に、喜びと戸惑いの入り混じった感情が生じる。これからの自分の先行きを考えるも、見通すことはできないのであった。