37話 『アリスと裸の付き合いと』
クレアリスの決心を待つ間の日々は実に面白みに欠けるものだった。最初は興味の引かれた正十二面体の玩具も、直ぐに飽きることとなる。
度々様子を見に来るアリアを交えたお茶会は楽しいのだが、クレアリスの事が気になり心の底から楽しめない状況が続いた。
時折アイリスの変なスイッチを押してしまうのか、彼女の着せ替え人形として羞恥印を募らせるトリシャであった。手足を露出した、レースのワンピースも、丈の短いスカートも、何度着ても羞恥心が取れることは無い。
何より、毎回アイリスが着替えを手伝うのだ。問題なく美少女と呼べる可愛らしい女の子に裸を見られながら衣服を着脱する行為は、この先も慣れることの無い、羞恥心の伴う行為になっていくのだろう。
黒髪の少女と会った以来、アイリスが裸でお風呂場に入ってこないのが唯一の救いだといえよう。
1日足りとも就寝時の添い寝を欠かさないアイリスがいる中、唯一1人きりになれる空間が浴室だ。厳密にはトイレという個室の空間もあるのだが、浴室の比では無かったのだ。
この日もまた、夕食後しばらく時間をおいてから入浴をする。氷の城に来てからというものの、トリシャは毎晩この時間帯に入浴するのが日課になっていた。
「はぁー、何だかんだで飛行艇の浴室より寛げるなー」
飛行艇の中にある浴室も決して狭い訳では無い。しかし、この氷の城の中にある浴室に比べると、やはり見劣りしてしまうだろう。
もし、この広くて華美な浴室を飛行艇に持ち運べたとしても、他の部屋が入る空間が無くなってしまう。いつまで氷の城に滞在するかわからないが、今のうちに存分に堪能しようと思うトリシャであった。
「邪魔するぞ」
トリシャが湯船で寛いでいると、突然浴室の扉が開かれる。慌てて振り向くトリシャの視界に入ったのは、銀髪を携えた一糸まとわぬ幼い少女だった。
「え、なんでここに?」
トリシャは動揺を隠せない。会いに行っても部屋から出ようとしない彼女が、入浴中だというのに浴室へとやって来たからだ。
「何でと言われても、お風呂に入ろうとしたらアイリスがいたのでな。トリシャが中にいると言うから入ってきた」
少女は少し照れ混じりに言葉を並べる。彼女が羞恥しているのは裸で入ってきた事ではない。
数日顔を合わすことなく追い返していたトリシャと対面する事に対してだ。もちろん、トリシャに彼女の裸を直視できるはずもなく、お互い視線を合わせようとはしなかった。
「僕、元男だよ? 恥ずかしくないの?」
「元と言うことは、今は違うのだろう? それに、トリシャは私の友人だ。恥ずかしがる必要はないだろう」
例え同性の友人だとしても少しは羞恥心を見せて欲しいとトリシャは思った。そんなトリシャの内情など気にも止めない少女は、有無を介さず浴槽の中へと侵入してくるのだった。
「……」
「……」
長い沈黙が2人の間に流れる。気まずい空気に包まれる浴室には、撫子色の髪の毛をした少女と、銀髪の髪色をした幼い少女の姿だけがあるのだった。
何を話していいのか思いつかないトリシャは口を紡ぎ、銀髪の少女の様子を伺うことしか出来ない。
静寂を破り、先に口を開いたのはクレアリスの方だった。
「この前は部屋から追い出して悪かった……」
「いや、無理やり仲直りさせようとした僕も悪かったし……」
クレアリスの方を横目で見ると、彼女も横目で様子を伺っていた。
「それでな、いつまでもトリシャと会わないのも悪いなって思って。ほら、私がいないと自由にお菓子食べられないだろう?」
「うん。でも、それよりもクレアリスと会えない事の方が寂しいかな」
クレアリスが言いたくても言えない事を、トリシャは素直に口にしてみせる。
「わ、私も寂し……かったぞ」
トリシャにつられたのか、クレアリスはようやく自分の気持ちに素直になる事が出来た。
「ルミエーラと仲直りさせる前に、僕達が喧嘩しても仕方ないしね。クレアリスが仲直りするって言うまで待つから、だから、明日は部屋に行っても良いかな?」
「……」
クレアリスは沈黙する。ここで彼女に断れれば、ルミエーラとの仲直りどころか、トリシャと彼女の仲が悪くなってしまうだろう。
トリシャは不安を抱きながら、クレアリスの方をじっと見つめるのだった。
「……仕方ないから許可してやる。そ、それと、明日は金色と仲直りしたいから手を貸してくれると有難い……」
彼女は顔を赤くし照れながらではあるものの、トリシャの目を見て自身の意見を主張するのであった。
「うん、もちろん手助けでも何でもするよ」
「だ、だか、報酬は出してやらんぞ。トリシャが言い出したことだしな」
「うん、それでも良いよ」
トリシャは嬉しさのあまり、笑顔を向けながらクレアリスに近づく。少し前まで、クレアリスが浴室に入ってきた事に動揺していたというのに、今は恥ずかしげもなく彼女に接近するのだった。
「私はトリシャとは喧嘩したつもりなどないからな。次からは好きな時に部屋に来るといい」
そう言うと、クレアリスは急に立ち上がる。彼女の裸体が視界に入ったことで、トリシャは羞恥心に見舞われる事になるのだ。
「ちょ、ちょっと急に立ち上がらないでよ」
「そう、恥ずかしがらなくてもいいだろう」
慌てて視線を外すトリシャに呆れたような物言いをする。
「私は上がろうかと思うが、トリシャはどうする?」
「もう少ししたら出るから先に出てて」
「本当に恥ずかしがり屋だな」
クレアリスが浴室から出るのを確認して、トリシャは浴槽の縁に腰掛ける。前回はのぼせてしまった事もあり、それを回避するために取った行動だった。
足先だけを湯船に付けて、物思いに耽る。数日間かかってしまったが、ようやくルミエーラとクレアリスの仲直りに踏み切れるのだ。
クレアリスとも仲違いすること無く進められるのは、トリシャにとって喜ばしいことだった。ただ心配なのは、一向に素直になれないルミエーラとクレアリスを、どの様に仲直りまで導いていくかが問題なのだ。
一筋縄ではいかない仲裁に、トリシャは頭を悩ませるのであった。
翌日、朝食を食べた後、クレアリスの部屋へと向かった。部屋の前まで行くと、ここ数日は中に入ることを拒んでいた彼女の手で部屋の中へと誘導される。
そんな彼女は、初日に見かけた時以来の鍔の広い帽子を被っており、気合い十分に見えた。
「その帽子被ると魔女っぽく見えるね」
白を基調とした服装には魔女っぽさを感じなかったが、三角錐の形をした鍔が広い帽子は、トリシャの魔女のイメージに近いものがある。
「魔女の正装に必要なものだからな」
「でも、その格好で行くより、もっと可愛い服装をした方がルミエーラも喜ぶんじゃないかな」
彼女の服装にはフリルやリボンがあしらわれているので、決して可愛くないわけでは無い。
しかし、ルミエーラと仲直りしに行こうというのに、魔女としての正装で行くのは好ましくないとトリシャは考える。なぜなら、これから決闘でもしに行くかの様に、臨戦態勢を整えた格好に見えたからだ。
「そうか? この服装は気に入っているんだがな」
「その服も可愛いけど、喧嘩しに行くんじゃないんだから、より女の子らしい服装をしてみてはどうかな?」
「トリシャが言うなら……」
クレアリスの了承が取れたところで洋服選びへと入る。
アイリスがどこからとも無く複数の服を用意してくるので、服装を探す手間が省けたのは嬉しい誤算だった。
「この服どこから持ってきたの?」
短時間で物の見事に用意してみせるアイリスに当然の疑問をぶつける。
「クレア様が昔に着ていた服装と、トリシャに着せる為にルミエが用意していた服装になります」
ということは、この中の一部の服は、自らに着せられる可能性を秘めているという事になる。トリシャは思わず苦笑いを浮かべずにはいられない。
「それで、どういう服を着て行けば良いんだ?」
クレアリスは落ち着きのない様子で、ベッドの上に置かれた服装に視線を落とす。
「うーん。何着ても似合いそうだから迷うね」
幼く見えると言っても、彼女の外見が美しくも可愛い事には変わりがない。きっと、この場にある全ての服を上手に着こなすに違いない。
となれば、トリシャが服装選びに悩んでしまうのも仕方がなかった。
「ルミエーラの好みとかある?」
「そう言われると思いまして、ここに用意した服はどれもルミエの好みに該当します」
アイリスの計らいによって、既にルミエーラ好みの服装が選出されているみたいだ。言われてみれば、普段トリシャやアイリスが身につけている服装に似た、フリルやリボンをあしらった服が多く見受けられた。
彼女の趣味趣向は、自身では到底身に付けそうにない女の子らしい可愛い服装を好む傾向があるのかもしれない。
「じゃあ、テーマを決めようか。ルミエーラはクレアリスの事をアリスって呼んでいたから、アリス風にするのも良いかもしれない」
「アリス風ですか?」
トリシャの想像するアリス風というのは、もちろん不思議の国のアリスの事を指している。
しかし、アイリスやクレアリスには、そのイメージが共有されておらず、いまいちピンと来ていない様子だった。
「アリス風と言えば、水色のワンピースは外せないよね」
そう言いながら手に取ったのは、水色に白いフリルがあしらわれたワンピースだった。
胸元の水色のリボンと、腰周りにある白いリボン付きのレースが特徴的だ。背中にも大きなリボンが付いており、一目で可愛らしい服装だと認識できる。
「後は、うさ耳風のカチューシャと、しましまのニーソがあったら良いんだけど……」
トリシャは床に敷いてあるマットの上に置かれた服飾品の中から、自身のイメージにあったものを探す。
まず見つけたのは黒い大きめのリボンを付けたカチューシャだ。そのリボンは兎の耳の様に縦に2本伸びた形状をしている。
「そのカチューシャは付けないぞ。主が従者と同じ髪飾りを付けるわけにはいかないからな」
トリシャがうさ耳風のカチューシャを手に取ると同時に、間髪入れずに否定をしてくる。言われてみれば、ノエルと呼ばれた彼女の従者も、うさ耳風のカチューシャを付けていた。
主としてのプライドなのか、このカチューシャをお気に召さなかったようだ。
「じゃあ、代わりに大きめのリボンが付いたカチューシャならどう?」
「それなら付けても良いぞ」
服に合わせて水色のリボンを付けたカチューシャを選ぶと、ようやくクレアリスの了承が取れる。
彼女なりに服装のこだわりや好みもあるので、小さな変更は仕方のない事だった。小物が変更されたところで、コンセプトに影響が出るわけでもないので、トリシャは躊躇なく代替案を探せるのであった。
「しましまのニーソは無いのかな?」
次に縞模様のニーソックスを探そうとしたのだが見当たらない。トリシャが今までにそれを履いたことは一度も無いので、見当たらなくて当然といえよう。
「しましまのニーソとは縞模様のニーソックスって認識で間違いありませんか?」
「うん」
「すみません。現在手元にはございません。今度街に出かけた時にでも探しておきますね」
アイリスは申し訳なさそうに頭を下げるが、縞模様のニーソックスが無いのは彼女の責任ではない。
無いものは無いと割り切って考えるトリシャは、別の代替品を探すことにした。
「じゃあ、白のニーソでいこっかな」
上の方に小さな青いリボンの付いた白のニーソックスを選ぶ。全体的に白と水色で纏めているので、色合いを考えて白色を選んだのだった。
これで粗方の服装選びは整った。後はクレアリスに着てもらうだけである。
「これらを着れば良いんだな」
「うん。お願い」
「ノエル」
服を手渡されたクレアリスは、己の従者の名前を呼ぶ。すると、淡い光と共に、目の前にうさ耳風のカチューシャを付けた少女が姿を現す。
「着替えを頼む」
クレアリスが少女に指示を出すと、少女は彼女の衣類に手をかけ、その場で服を脱がせ始めた。
「ちょっと、いきなり脱がし始めないでよ。外に出てるから着替え終わったら呼んで」
慌てふためくトリシャにノエルの手は止まり、不思議そうにトリシャの方を見ていた。
「すぐ着替えるから中で待っていてくれ」
着替えを見られる事を気にも止めないクレアリスの言葉で、少女は着替えの手伝いを再開させた。もう2度も浴室で裸の付き合いをしているので、恥ずかしがることは無いのかもしれないが、それでも目の前で美少女が着替える様を見続ける事はトリシャには出来なかった。
トリシャは出来行くタイミングを完全に逃す。仕方なく近くにあったクッションで顔を隠しながら、彼女の着替えが終わるのを待つ事となる。
アイリスはというと、その間部屋に広げた服や服飾品を、例の不思議鞄の中へ仕舞っていた。それらを持って来る時も、その鞄を使って運んで来たので可笑しなところは何一つない。
平然と着替えを続ける2人に、トリシャは視線を泳がせる。鍔の広い帽子を外し棚にしまうと、次は衣類に手を掛けていく。
背中にあるファスナーを下ろすと、大胆にもそのまま足元まで服を下げるのである。クレアリスの下着が視界に入ると、トリシャは目を背けてしまう。
本人が気にしなくても、トリシャの方は気になって着替えを見ている事は出来なかった。視線を外したトリシャは、自然と片付けをしているアイリスの方ばかりに目を向けるのであった。
「ど、どうかな」
クレアリスの言葉に顔を上げる。トリシャの見立て通り、いやそれ以上に彼女は可憐な姿を見せるのであった。
「うん、可愛くなったと思うよ。ねぇ、アイリス」
「ええ、よくお似合いですよ」
「そ、そうか……」
普段着ている服と一味違った服装に身を包み、それを褒められると照れが生じてしまうのは仕方の無い事だろう。
2人に褒められたクレアリスは、恥ずかしそうに頬を少し染めるのであった。
「準備も整ったし仲直りしに行こうか」
「ああ」
トリシャは緊張で大人しくなっているクレアリスの手を引いて部屋から連れ出す。
ノエルと呼ばれた彼女の従者は、着替えが終わると同時に待機状態といわれる装飾品の形を取る。イヤリングとしてクレアリスに身につけられているので、トリシャ達と直接やり取りをすることは無かった。
何にせよ、ようやく仲直りの兆しを掴んだトリシャは、この勢いで事の解決に当たろうと考える。仲裁役を買って出て早数日。その事ばかりに思考を巡らせていたトリシャは、事態の進展に悦に入ろうとしていた。
まだ事態は解決されているわけでは無いが、ようやく動き出した状況に内心ホッとしているトリシャであった。




