30話 『正十二面体の玩具と』
広い空間には30人は優に座れる長い机を囲むように、椅子が並べられている。それらは透明な素材で作られており、机の上には白い布が掛けられていた。
材質は氷で出来ていると思われた机と椅子だったが、椅子に触れてみると冷たさは感じない。透き通る素材で作られているだけで、氷が使われていない事が分かった。
それが分かるとトリシャは安心して席に着くことが出来る。もし、氷で作られていたならば、お尻が冷たくなるどころの騒ぎではない。
アイリスに掛けてもらった魔法は、気温の変化には対応していても肌に触れる寒さを遮るものでは無いのだ。食事を楽しむ余裕も無くなってしまう。
トリシャはついつい透明な素材で作られている物に、警戒心を見せる。城に入る前に触れてしまった壁の冷たさが、指先にまだ残っている気さえするからだ。警戒するのも当然の事だろう。
食堂へと赴いたトリシャは、椅子が冷たくない事を確認できると、適当な席へと座るのだった。既に食堂にはルミエーラの姿があり、机の中央付近に腰かけていた。その正面を避けるように、トリシャは彼女の反対側に位置する斜め前の席を、無意識に選んでいた。
普段の位置取りに近い方が日常の中の安心感が得られる。初めての地に来たからこそ、この席選びになっているのかもしれない。
「あれ、あの子は?」
辺りを見渡しても銀髪の少女の姿は無い。少女のことが気になっていたトリシャは、ルミエーラに尋ねてみるのだ。
「アリスの事か? あいつは来ないだろ」
彼女は当然の様に答えるが、何故そう断言出来るのか更に気になる。2人の関係は見るからに険悪にもかかわらず、旧知の中であるかのように答えるルミエーラを不思議に思うのだ。
「どうしてそう思うんですか?」
「あいつは我儘で人見知りで偏食家だからな。吹雪でも降らない限り部屋から出てくることは無いだろう」
最初の1つは彼女に対して言ってやりたい、と思うトリシャであった。人の家に――この場合、城に勝手に上がって滞在を決め込む姿は、我儘の範疇を通り越している。
部屋から出て怒号を上げる少女にとっては、彼女の存在そのものが吹雪に匹敵する災害なのだろう。そもそも険悪な中であるルミエーラが居る食堂に来る事が無いのは、少し考えればわかる事だと、トリシャは自己解決してしまった。
話をしている内に食事が運ばれてくる。白いスープは温かく、居るだけで寒気を感じてしまう環境の中に身を置くトリシャは、その温かさに幸せを感じる。
暑い日が続いていたせいか、しばらくスープを食べる機会が無かった。思い出せば、この世界で最初に口にした食べ物も、この牛乳を使って作られた白いスープだった。
まるでシチューを連想させる温かいスープに、安心感を抱くトリシャであった。
「この城の住人は他にはいないんですか?」
これだけ広い食堂に2人だけしか腰かけていないのも不思議である。昼食の時間なら尚更人がいないと違和感を覚えてしまう。
アリアもアイリスも普段通り机の側で立っているので食卓はより一層広く見えるのだろう。この食堂や部屋の広さから見て、数十人は済んでいるに違いないと考える。
銀髪の少女が食堂にやってこない理由は聞いたが、他の住人がどうしているのか気になるトリシャだった。
「アリス以外には誰も住んでいないと思うぞ」
予想外の答えに、トリシャは面を食らう。この広い城に幼い少女1人で住んでいると言っているに等しいからだ。
「あの少女1人で住んでいるって事ですか?」
もし、そうだというのなら、彼女の両親は何処へいるのか、この城の維持管理をどうしているのか、疑問ばかりが増えていく。
「住んでいる人間は1人だな」
ルミエーラの言葉はにわかに信じがたいものだったが、わざわざ嘘を付く理由も必要もない。
「アリスに関わるつもりなら好きにしたらいい。ただし、アイリスは必ず連れて行けよ」
今すぐ銀髪の少女に関わろうとは思わなかったが、長期間この城に滞在する予定なのだから、いずれは関わるつもりだった。
彼女に言われなくとも、アイリスは就寝時でさえ隣にいるのだ。わざわざ置いて行く必要も無く、銀髪の少女に接触する機会があったとしても隣にいるはずだろう。
「私は先に部屋に戻っているぞ。食べて済んだら片づけはアリアに任せておけ」
そう言うと、ルミエーラは立ち上がり食堂を後にする。早々に食事を済ませると1人部屋へと戻ってしまった。
彼女は彼女で何かやる事があるのだろう。でなければ、暑いからという理由だけでこの極寒の地に来るはずは無いのだから。
何をしているのか、トリシャには分かるはずも無く、詮索する気も無い。現状トリシャの興味が惹かれるのは銀髪の少女と氷の城の方なのだ。
食事を終えると寄り道をせず、真っ直ぐ部屋へと向かう。トリシャはアイリスと一緒に部屋の中に戻ってくると、ベッドの隅に腰を下ろすのだった。
「続きでもしますか?」
アイリスは正十二面体の箱を手にトリシャに近づく。トリシャが興味を示していたから、また遊ぶだろうと予想したのだ。
「いや、今は気分じゃないからやめとくよ」
トリシャは倒れ込むと背中越しに柔らかな布団の感触を味わう。昼食前まで夢中になっていた玩具も、今は興味が少しだけ薄れていた。食欲が満たされたからなのか、集中力が切れたせいなのか分からないが、到底遊ぶ気にはなれなかった。
完全に興味を無くしたわけではないが、アイリスに言ったように、正十二面体と向き合う気分にはなれないのだ。
「城の中って探索しちゃ怒られるかな?」
数分悩んだ後、トリシャは何か思いついたように上体を起こす。その表情は好奇心に溢れており、少し前の表情と別人のように変わっていた。
「ルミエとクレア様の邪魔をしなければ怒られる事はないと思われます。それでも心配ならクレア様の許可を頂いては如何でしょうか」
1人で生活しているという事は何か夢中になる事があるのかもしれない。少女やルミエーラの邪魔をトリシャがしようとするわけも無く、ただ単に現在興味を惹かれる城の中を見て回りたいと思っただけである。
「入っちゃいけないところとか分からないから、城の中の事知っているなら案内して欲しいな」
「かしこまりました。では、案内させていただきます」
トリシャはアイリスに城の中の案内を頼むと、部屋を飛び出し城の探索に出かけるのだった。氷で出来た城の内部に興味をそそられるものが有るのではないのかと、期待と共に興奮するのだ。
お城にある部屋の数は100を優に超えていた。どの部屋も使われた形跡は無く、家具すら置いていない部屋もあるくらいだった。書斎には魔法や魔術に関する書物が置かれているみたいで、部屋の中を見せてはもらえなかった。
しかし、がっかりする事ばかりではない。食堂よりも広いダンスホールに入った時は、あまりの大きさに、トリシャは感動するのだ。
天井から釣り下ろされたシャンデリアは美しく煌き、1,000を超える灯で広間を明るく照らしていた。大きな柱と10メートルは超える高い天井に、心踊らされたトリシャはホール内を、両手を広げてくるくると回るのだ。
全身で喜びを表現し、まるで童話の中に出てくる舞踏会の会場で踊っている気分になっていくのだった。
トリシャの気が済むまでダンスホールを堪能すると、アイリスによる案内が再開される。その後は特に変わった場所は無く、飛行艇よりも広い浴場や厨房などを案内されるだけにとどまった。
「以上になります。これより先はクレア様の部屋になりますので、今は近づかない方がよろしいかと思われます」
数時間をかけ、アイリスが案内できる場所は一通り網羅する。ルミエーラが使用している複数の部屋と、銀髪の少女が生活しているスペースには侵入するのは避けた方が賢明な判断となるのだから。
「これより先は行っちゃいけないんだっけ?」
銀髪の少女が最初に出会った時に、奥には来るなと言っていたことを思い出す。ルミエーラがやって来るのが夏場だけだとするのなら、1年の大半を少女は1人で過ごしている事になる。
誰だって自身の居住スペースに他人が侵入するのを快くは思わないだろう。
「ルミエとは喧嘩中なので侵入を頑なに拒否していますが、初対面のトリシャなら本人の許可さえ取れれば入る事が出来るかもしれません」
何が原因で喧嘩をしたのか知りえないが、銀髪の少女とルミエーラの仲が険悪なのも頷ける。アイリスの言う通り、初対面のトリシャなら友好的に接してもらえるかもしれない。
しかし、許可を取ろうにも、当の本人が部屋の奥にいるのでは許可の取りようがないのである。
「また、部屋から出てきてくれるかな?」
「直ぐには無理だと思いますが、外出される時もあるようですし気長に待ちましょう」
奥へ行ってみたい気持ちは山々だが、勝手に入って嫌われでもしたらルミエーラと同じく険悪な仲になってしまうかもしれない。ただでさえ、彼女と共に行動しているのだから印象は悪いに違いない。
トリシャは好奇心を必死に抑え、大人しく与えられた部屋に戻ることにするのだった。
部屋に戻るとベッドの上に腰掛ける。ついついベッドに腰掛ける癖がついてしまっているのだが、この時トリシャは床に座れるスペースが欲しいと思い始めたのだ。
飛行艇も、この城も、土足が基本みたいだか、靴を脱いで寛げる空間が部屋にあっても良いのでは無いのかと考えついた。
トリシャは床に座る事の出来る方法を考えて答えを出すのだ。
「今度お小遣いを貰えたら、部屋に置けるカーペットでも買おうかな」
カーペットを新たに床に敷けば、土足の境界線が簡単に作れると踏んだのだ。部屋の一部だけでも十分だったので、安直だが良い案だとトリシャは自負していた。
「どのくらいの大きさを買われるおつもりですか?」
「うーん、あの部屋の広さだと3畳くらいかなー」
飛行艇の部屋の広さは、今いる部屋よりも格段に小さい。決して狭いわけでは無かったが、手足が伸ばせる広さがあれば十分なのだ。
「3畳とはどのくらいの大きさでしょうか?」
アイリスには3畳という言い方では伝わらなかったみたいだ。この世界に畳が存在するのか怪しいので、彼女に通じないのも頷ける。
「これくらいかな」
トリシャはベッドから腰を上げると、床を使って大体の大きさを示すのだ。きちんと3畳分を示せたりはしないので、大雑把にしか表せないが大きさの目安は伝わるはずだと考えたのだ。
「その大きさだと、安い品を選ばないとお小遣いが無くなってしまうかもしれませんね」
物価がよく分かってないトリシャは、考えもなく敷物が欲しいと言ったわけだが、お小遣いで買える範囲なのかを検討していないのである。
お小遣いの大半をカーペットにつぎ込んでしまうと、当然お菓子が買えなくなってしまう。それだけは避けなければならない事なので、土足禁止エリアを作るのはまだ先になりそうだと諦める必要がありそうだ。
「お菓子が買えなくなるのは嫌だから、お小遣い貯めてからじゃないと買えないね」
「ルミエにお願いするのも一つの手だと思われますが」
アイリスの言う通り、ルミエーラに頼めば買ってくれる可能性は高い。しかし、何もせずに買ってもらうのも気が引けるので、お小遣いを地道に貯めてから買う事にしようと、トリシャは思うのだった。
「急ぐ事じゃないからお小遣いを貯めて買うことにするよ」
アイリスはトリシャが決めた事を否定しない。自分の意見を言ったり、提案をしてくれたり、トリシャの望む方向に近づく様に言葉を発する事はあっても、否定も拒否も一切しないのである。
「それでは勉強も魔法の習得も頑張らないといけませんね」
「ルミエーラの仕事を手伝えるようになったら一番いいんだろうけど、今の僕は邪魔にしかならないからなぁ」
彼女の仕事に同伴して仕事を手伝えるようになれば言うことは無い。しかし、まるで過保護な母親の様に口出しをするルミエーラから許可が出るはずも無い。
そうこう話している内に、夕食の時間となる。アリアが呼びに来てくれた事で、トリシャは時間の流れを知ることになる。
せっかく氷で出来た城に来たのにもかかわらず、新たな発見も無く日が沈んでいる事を知り、トリシャは憂鬱を感じてしまうのだった。




