27話 『迷子の幼女と夕焼けと』
エルシュの母親を探し始めて1時間は経過しただろうか。トリシャ達は迷子の女の子が走って来た道を、引き返し母親を探すが、それらしき人物は見つからなかった。
「何か特徴でもあれば探しやすいんだけどなー」
名前や外観の特徴すら知らずに探し始めたのだ、何も情報でが無い中で母親を見つけるのは困難極まりない。
「特徴ならあるじゃないですか」
隣にいるアイリスがそう言うも、トリシャには何を指して言っているのか検討がつかない。
「アイリス、トリシャは気が付いていなかったみたいですね」
アリアはアイリスが言っている意味を理解しているみたいだが、トリシャには伝わらなかった。2人には女の子の母親が持つ特徴を知っているみたいだ。
「エルシュ、その髪飾りを外してもらえますか?」
「ママがお外では外しちゃダメだって言ってたよ?」
アリアが花の形をした髪飾りを外すよう促す。しかし、女の子は母親の言いつけを守ろうとするので、外そうとはしない。
「アリア、無理に外さなくとも説明すれば分かってもらえますよ」
髪飾りを外す行為と、エルシュの母親の特徴に何の関係があるのか、余計にトリシャの頭は混乱する。
アイリスは更にトリシャに近づくと、顔をより接近させる。元より近い位置にいたアイリスが、息がかかりそうな距離に近づいてきたので一瞬ドキッとしてしまう。
そんなトリシャの様子はいざ知らず、アイリスはトリシャの耳元に近づくと小さな声で説明し始めた。
「エルシュはウルフビーストなんですよ。つまりは髪飾りで人種っぽい見た目に変化させているだけなのです」
アイリスの言葉を聞き、女の子の頭とお尻を交互に見るが、耳や尻尾はついていない。にわかには信じられないことだが、アイリスの話だと魔人以外にも猫耳や尻尾の付いた人間がいるという事になる。
トリシャは事実を知り戸惑ってしまうが、アリアもアイリスもエルシュが本当は猫耳を付けていると初めから気がついていたのだ。この中でトリシャだけがこの事実を知らなかった事になる。
「私の尻尾と耳を見てママと見間違えてしまったんですね」
「うん。ママもお外に出る時は耳と尻尾を隠しているけど、ママに似ていると思ったの」
トリシャはエルシュの言葉を聞き、やっと事実を受け止める事が出来た。きっと魔法か、それに近い何かで隠しているのだろう。
これまで経験してきた大容量の鞄や持ち運びのできる乗り物があるくらいだ。それくらいの事だってこの世界では常識なのだろうと、トリシャは認識し直すことにした
「ということは他にも猫耳や尻尾を付けた人間がいるということなの?」
「はい。ですがエルシュは猫耳と言うよりは犬耳ですね」
実物を見ていないトリシャには猫耳と犬耳の区別はつかないが、アイリスやアリアには判別できるみたいだ。
母親の特徴が分かったところで、きっと母親もエルシュと同じように耳や尻尾を隠しているに違いない。外見で判断出来ないトリシャには、見つけることは難しいだろう。
でもアリアやアイリスには外見からウルフビーストと呼ばれる種族なのか、尻尾のない人間なのか判別出来るようなので、母親を探すのは2人に任せた方が良さそうだ。
母親を探そうと自分で言い出した事だが、ここでも何の役にたたないことだけは分かった。自身の無力さを感じるが、落ち込んでも仕方が無い事なので。トリシャは前向きに母親を見つける事を優先した。
散々歩き回って行き着いた場所は、緑豊かな公園の様な開けた場所だった。中央には噴水があり、水が放物線を描いて空中に放たれていた。噴水の外郭はベンチの様になっており、数人が噴水の周りに座っていた。
噴水の近くの地面は、石材を敷き詰められていた。しかし、少し離れると芝生のある広い空間と、青々とした木々が点々とそびえ立っている開けた場所がある。
夕日が差し込み、橙色に染まり始めた公園には、数十人ほどの人を見かけるが、その誰もエルシャの母親では無かった。
「歩きっぱなしで少し疲れたから休んでいこっか」
迷子の女の子と遭遇する前も、トリシャ達は美味しいお菓子を求めて街中を歩き回っていたのだ。疲労が足に蓄積されていてもおかしくは無い。
「そうですね。エルシュは疲れてないですか?」
「ちょっと……」
母親と未だ合流出来ない女の子は不安と疲労で元気が無くなっている。日も傾き始め、トリシャ達が手伝えるタイムリミットも目前に迫っているのだった。
トリシャとエルシュは噴水前のベンチに腰掛ける。足への負担が無くなったことで疲労が軽減されたのだ。
噴水前のベンチに腰掛けるのはトリシャとエルシュだけだった。アリアとアイリスは2人の目の前に立ったままで、座ろうとする素振りを見せようとしない。
「アリアとアイリスも疲れてるでしょ。ここに座ったら?」
「私達は疲れないので座らなくとも平気です」
トリシャは隣の空いたスペースを指したが、アイリスに丁重に断られる。ベンチに座る2人とは違い、アリアもアイリスも本当に疲れて無さそうに見えた。
「これからどうしましょうか?」
「ルミエとの合流時間も迫ってきているので、私だけで合流して来ます。3人はこのままこの場所に居てください」
アリアとアイリスで話し始めると、今後の方針が決まっていく。
「はい、私達はこの場所で待機しときますね」
「トリシャ、いま話していた内容で構いませんか?」
2人のやり取りに不満などあるはずも無く、トリシャは即決で了承する。
「それでは、トリシャとエルシュを頼みます」
「任せてください」
アイリスはトリシャの護衛兼お世話係なのだ。それなのにトリシャを街中に残して行くというのは苦渋の決断である。
本来ならアリアがルミエーラと合流し、アイリスがその場に残るのが自然な流れなのだが、エルシュがアリアに懐いている以上、自分が合流しに行くのが適切だと判断したのだった。
「では、行ってきますね」
アイリスはトリシャに一礼すると、ルミエーラと合流する為、落ち合う場所へと向かった。残されたトリシャは、母親を探す元気も気力も無くなったエルシャをただ見ていることしか出来なかった。
そんな時、エルシャのお腹の音が鳴るのだった。女の子は照れているのか、それともただ疲れているだけなのか、下を俯いたままだった。
「お腹がすきましたか?」
アリアの質問にエルシュは首を縦に振る。疲れと空腹で返事をする元気さえ無くなってしまったみたいだ。
「あ、そうだ。今日買ったお菓子、クイニーアマンだっけ? それを食べさせたら良いんじゃないかな」
トリシャは咄嗟の思い付きを言葉にする。アリアの鞄には今日、散々街を歩き回って手に入れたお菓子が入っているのだ。お腹を空かせた幼い女の子に食べさせるのに何の躊躇も無かった。
「いいんですか?」
「もちろん」
アリアが念のため確認すると、トリシャは即答する。自分の小遣いで購入したお菓子を何の躊躇も無く、見ず知らずの女の子に食べさせようとしているトリシャを不思議に思いつつも、アリアは言われた通り鞄からお菓子を取り出す。
鞄から取り出されたお菓子は、食欲をそそる甘い香りを周りに解き放つ。エルシュはそれを涎を垂らしそうな勢いで見つめている。
「はい、きっと美味しいから食べてみてよ」
「いいの?」
「もちろん」
トリシャからお菓子を手渡されると、エルシュは口を大きく開けて頬張る。先ほどまで疲労で動かなくなっていた姿を忘れるくらい満面の笑みでお菓子を噛みしめるのだった。
「美味しそうに食べている姿を見ていると、こっちまでお腹が減ってきちゃうよ」
「でしたら、トリシャも1つお召し上がりになってみてはいかがですか?」
女の子の笑顔に釣られて頬が緩むトリシャだったが、その姿を見てお菓子を食べたくなってしまった。
「じゃあ、貰おっかな。アリアも食べたら?」
クイニーアマンは本来ならアイリスを含めた3人で食べるつもりだったものだ。1つだけ残しても仕方が無いので、アリアにも進める事にした。
「アイリスに悪いですし、私は遠慮しておきます」
アリアはアイリスに気を使ってか、食べようとしなかった。鞄からお菓子を1つ取り出すと、トリシャに手渡すのだった。
アリアからお菓子を受け取ると、トリシャは一口食べてみた。外側がサクッとした触感で甘くてしょっぱいバターの風味が口の中に広がる。香りと触感と甘味全てが疲れを吹き飛ばす様に幸福感を与えてくれる。
「んん~、思ってた以上に美味しい」
予定より早くなってしまったが、気になっていたお菓子を食べられて、トリシャが満足しないわけが無かった。
そんなトリシャを羨ましそうに見つめる人物がいた。先にクイニーアマンを食べ終えたエルシュだった。
空腹感は無くなったみたいだが、手のひらサイズのお菓子1つで満腹になるはずも無く、美味しそうに食べるトリシャを見て指をくわえて見上げている。
「ふふ、エルシュはもう1つ食べたいようですね。トリシャ、エルシュにもう1つあげてもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
トリシャの返答を貰うと、アリアは早速お菓子を鞄の中から取り出す。それの行為をずっと見ていた女の子は、目の前にお菓子を差し出されると瞳を輝かして見つめていた。
まるで躾をされた犬の様に、自分からは食べようとしないが、アリアの言葉を待ちきれず前のめりになっている。
「もう1つ如何ですか?」
「食べていいの?」
「ええ」
アリアの言葉を聞くと、エルシュはいきなりかぶりつく。その姿はまるで犬に餌を与えている光景に見えなくもない。一口かじり、ようやくお菓子を手に取ると、エルシュは満足げな表情で口いっぱいにお菓子を含むのだった。
「そんなに急いで食べなくても誰も取らないよ」
「のどに詰まらせない様に気を付けてくださいね」
2人に見守られながら、エルシュはクイニーアマンを残さず平らげてします。お菓子を食べた事で食欲が満たされた女の子は少しだけ元気を取り戻した様子に見える。
「ウェルシュ見つけたぞ」
低い声を上げるのは180センチを優に超える長身の男だった。その体つきは見るからに屈強で、鋭い目つきで見下ろしてくる。
「どなたですか」
いきなり現れた男にアリアが警戒心を剥き出しにする。トリシャとエルシャを守る様に男の前に立ちふさがった。
「パパ」
そんな中、緊迫した雰囲気をものともせず、アリアの脇をすり抜けてエルシュは男に駆け寄っていく。
「ウェルシュ、ママが心配していたぞ。日が暮れる前に見つかって良かった」
パパと呼ばれた男は女の子を抱き上げる。よく見ると頭には犬耳の様なものが付いていた。尻尾は角度的に確認できないが、迷子の幼い女の子の父親とみて間違いなさそうだ。
「パパ、このお姉ちゃん達が、一緒にママを探してくれたの。甘いお菓子も貰って美味しかった」
女の子は嬉しそうに父親に報告する。アリアの警戒心も無くなり、一瞬だけ訪れた緊迫感が嘘の様に見えた。
「お嬢さん方、ウェルシュが世話になりました感謝します」
男性は先ほどまでの怖い表情は無くなり、2人にお礼の言葉を向けた。先ほどから男性は女の子の事をウェルシュと言っているが、こちらが正しい名前なのだろう。幼い女の子の方が舌足らずで正しい発音が出来なかったと見た方が自然だ。
「何かお礼がしたい。よければ君達の名前を聞かせてくれないか」
「私達は魔女の従者。その服装から察するに、あまりかかわらない方がよろしいかと思います」
アリアが示す服装は、深い緑色の服装に身を包み、所々金と青で装飾されていた。細かな装飾に彩られている上着とは違い、白いズボンと黒いブーツはシンプルな作りに見える。
「魔女の従者か……お礼をしたい気持ちは山々だが、お互い関わらない方が良さそうだな」
「まじょ?」
魔女の従者と聞き、男性は深入りしないと決め込んだみたいだ。それとは対照的にウェルシュは言葉の意味を理解していないのか頭に疑問符が浮かんでいる。
「我の名はカーディフ・カーデガン。君達の名は聞かない事にするが色を教えてもらえると助かる」
「色は金。心配しなくとも日が沈む前にこの街を出ます。」
2人の会話にトリシャは付いて行けない。ただ、推察できるのは深くかかわらない方が良いという事だけだった。
「金色か……わかった。娘の事もある。上には報告しない事にしたので安心してくれ」
男性は1人で勝手に納得すると、アリアに方針を告げる。未だに置いてきぼりのトリシャは会話の内容を理解する事を早々に放棄していた。
「それでは妻が待っているので私はこれで。2人には心より感謝する」
ウェルシュの父親は一礼すると、まだ我が子の身を心配している母親の元へ向かおうとした。
「お姉ちゃん達は3人いたよ」
「そうか、それではもう1人のお嬢さんにも、よろしく言っといてもらえると助かる」
「承知しました」
男は再度浅く頭を下げると、女の子を抱えて離れていく。ウェルシュは父親の肩の上から顔を出すと、2人が見えなくなるまで、大きく手を振り続けるのである。
トリシャはそれに応えるように、女の子の姿が見えなくなるまで、大きく手を振り続ける。アリア対照的に小さく胸元で手を振るだけに留めるのだった。
「トリシャ、アリア帰るぞ」
ウェルシュと父親の姿が見えなくなると同時に、ルミエーラとアイリスが姿を現した。きっと途中から見ていたのだろう。でないと、現れるタイミングが良すぎる。
「ルミエーラごめん。迷子の母親を探していたんだけど見つからなくて」
「謝るくらいなら行動するな。人助けは結構な事だが、深入りし過ぎると外出許可を出してやれなくなるぞ」
「それは困ります!」
ルミエーラの言葉にトリシャは立ち上がって抗議する。例え冗談だとしても、楽しみを奪われる事だけは避けなければならない。
「今回は問題にならなかった様だが、あの男の言っていた事が本当とは限らん。用事は無いだろ、早めにこの街をでるぞ」
彼女はそう言うと、足早に飛行艇乗り場へと移動し始める。アリアも後に続いたので、トリシャも釣られて歩き始めてしまう。
アイリスはというと、トリシャの隣に来るなり笑顔と共に手を繋ぐのだった。トリシャの隣は、外出時のアイリスの定位置となっているからである。
そのままアイリスと手を繋いだままルミエーラとアリアの後を付いて行く。
飛行艇に乗る前にもう一度街の景色を見ようと振り返る。名残惜しそうにトリシャは夕焼けに染まる街を見渡すのだった。
日は深く沈み、空は橙色と青紫色がグラデーションによって日中とは違った雰囲気を醸し出す。辺りは伸びた濃い影によって夜が間近に差し迫っているのが見て取れる。
「おーい、何してるんだ。早く乗れよ」
ルミエーラに催促され、トリシャは手を繋いで待っていてくれたアイリスと共に飛行艇に乗る。
「どうかされましたか?」
トリシャの様子が気になったアイリスは、顔を覗き込むようにして心中を察しようとする。
「いや、今日は楽しかったから、少し名残惜しいなって。また来られたらいいね」
「そうですね。魔法や文字の勉強を頑張っていたら、また来られますよ」
飛行艇の扉が閉まると、街を見る事も、夕日を見る事も出来なくなる。自室に戻ると、またいつもの日常へと戻っていくのだった。




