26話 『お使いとお菓子のお店と』
紺色をした二等辺三角形の屋根が立ち並び、その下には砥粉色の様に薄い黄色味がかった石材で組まれた頑丈そうな壁がひしめく。川に面した建造物らを取り囲むように辺りは青々とした木々がそびえ立っている。
町の中心には遠くから見えるほど際立った時計塔が存在し、その高さは町中を見渡すことが出来るくらい長く見える。
トリシャ達が訪れたのは前日に話していたブランタージュという町だ。自然の真っただ中に位置する町の光景にトリシャは簡単に心を奪われてしまう。
「トリシャは街に来る度、景色に見とれていますね」
「だって、しかたないじゃん。どの町も初めて来る場所なんだから」
アリアからの指摘に頬を赤らめてしまう。トリシャは、まるで都会を初めて訪れた田舎者みたいに辺りを見回していた。それを自覚する羽目になったのが頬を染めた原因といえよう。
「まだ到着したばかりですし好きなだけ見て回ってもいいんですよ」
アイリスは町へ降り立つなり、トリシャの横をキープする。前回の買い出しで注意したこともあり、腕を組むことは無くなったが終始、何かと手を繋ごうとするのだった。
そんな彼女の行為を、トリシャが完全に断れるはずも無く今こうして手を繋いでいるのが現状だ。
「そんな悠長な事を言っていると、その内時間が無くなっちゃいますよ?」
アリアは決して催促しようとして言っているわけではない。ルミエーラからお使いを頼まれていることもあり、先に買い物を済ませた後にゆっくり観光した方が時間を気にすることなく楽しめると考えている。
「そうだね、景色を楽しむことは出来たし、先にお使いを済ませようか」
アリアの意図を組んだトリシャは立ち止まっていた歩を進め始める。といっても、土地勘があるわけでは無いので、アリアの後を付いて行くことになる。
ルミエーラの注文通り、チーズとワインを購入し終えると頼まれていた仕事が完了する。アリアの言う通り、先に用事を済ませた方が落ち着いて観光できるのは間違いなさそうだ。
チーズを買いに行った際、チーズのホールを初めて見たトリシャはその大きさに驚いた。顔よりも一回りも二回りも大きなチーズの塊が棚に並ぶ姿は見ていて圧巻だった。
ワインを買いに行った時は、お店に漂うアルコールの香りに飲んでもいないのに、その匂いに酔いそうになっていた。ワインどころかアルコールの入った飲料を口にしたことのないトリシャには、どのワインが良い物なのか区別がつかない。それどころか、味を想像する事すら出来ないだろう。
「これでルミエーラから頼まれたお使いは済んだんだよね?」
「はい、これからは自由に行動しても問題ありませんが、何かされたいことはありますか?」
トリシャがアリアにわざわざ確認を取るのには理由がある。その目的の為に即座に行動に移るのだ。
「昨日、ルミエーラが美味しいお菓子があるって言ってなかったっけ?」
「言っていましたね。ここブルンタージュは有名なお菓子がたくさんありますから」
彼女の言葉を聞き、トリシャの期待値は跳ね上がる。昨日、話題に上がった時から気になっていたのだ。甘党の自覚は無いが、トリシャは美味しいお菓子があると聞いて、買って帰ると決め込んでいたのだ。
「じゃあ、お菓子を売っているお店に行こうよ。おすすめのお店があったら案内して」
「かしこまりました。では紅茶とも相性の良いガトー・ブルトンのお店から行きましょうか」
トリシャの急な要求にもアリアは答えてくれる。トリシャはいつの間にかアリアを頼りにし、お店選びや道案内など何かとアリアに任せるようにいている。
それもアリアだけというわけではなく、アイリスにも日々の服装選びから髪の毛を結う事まで彼女を頼っていた。最初の内は自身の事は自分でやろうと決めていたトリシャだったが、気が付いた事には彼女たちに頼り切った生活になっていた。
それも必要以上にお世話をしたがるアイリスや頼めば期待以上に応じてくれるアリアの存在があるからである。
アリアの後ろを付いて辿り着いた場所は、青を基調としたオシャレな外観のお店だった。腰より下は木目調のデザインをしており、店の外からでも香ばしいバターの匂いが漂ってくる。
店に入ると、より一層その匂いが強まった。食欲がそそられる甘い香りに、トリシャの頭はお菓子の事だけでいっぱいになっていた。
「どれにしようかな」
店内を見渡しながら何を購入するのか吟味する。より取り見取りに並べられたお菓子に何を購入しようか迷ってしまう。
トリシャが悩むのも無理はない。今朝ルミエーラにお小遣いを貰えるように交渉したのだ。その結果、あっさり承諾されてお小遣いを貰うことが出来たのだった。
アイリスと寝る前に考えた必殺を使わずに承諾を得ることが出来たので、肩透かしを食らった気分となった。
何はともあれお小遣いをゲットする事が出来たのだ、トリシャが何を購入するか悩んでいるのは、自分の使える限られた金銭の中で必要な物を購入しなくてはならないからだ。
お小遣いを貰う口実というのは、魔法を覚えたご褒美ということにした。外出の許可を得た時点でご褒美を貰っている気がしたが、そもそも外出に許可がいるのも変な話だと、改めて考えると変に思ったが、この際気にしない事にした。
まるでテストで良い点を取った時のご褒美感覚で、トリシャは自由に使えるお金を得たのだった。
お小遣いを貰って初めて知ったことだが、この世界の通過は硬貨と紙幣みたいだ。今まで見る機会が無かったわけではないが、アリアが支払いをする時、わざわざ近くで見ようとはしなかったので気が付かなかった。
当然、トリシャがその貨幣それぞれの価値を理解している訳では無いが、アリアやアイリスに聞きながら買い物すれば大丈夫だろうと楽観視していた。
「おすすめとかあるかな?」
悩んだ結果、決めきれないトリシャは結局、アリアに決めてもらおうとする。
「紅茶ともよく合うガトー・ブルンタージュをおすすめします」
アリアが指差したのはケーキのホールくらいの大きさをした焼き菓子があった。表面には菱形になるように斜めに入った線の模様が付いている。明るい茶色に焼き上げられたお菓子は見るからに美味しそうだ。
「じゃあ、これにしよっかな。この大きさならみんなで食べられそうだね」
アリアのお墨付きもあり、トリシャは即決で購入を決める。優柔不断だが、人に決めてもらった後に悩んだりはしない。アリアが勧めてくれたお菓子は美味しいに違いないと確信を持っていたのだ。
「みんなで食べられるなら、私が預かっているお金で払った方が良いのでは?」
「初めてのお小遣いだから良いの。アリアにもアイリスにも普段お世話になってるから、全員で食べたいな」
トリシャの心遣いにアリアもアイリスも幸せな気持ちとなる。普段お菓子どころか食事さえしない彼女たちにとって、トリシャと共にするお茶会は特別なものとなっていた。
「外出の許可もくれたし、このお金も元々ルミエーラのものだし、ルミエーラも含めた4人で食べたら楽しそうだと思わない?」
「そうですね。隣にある1人用の大きさのお菓子を勧めたのですが、みんなで食べると言うのなら大きい方を選ぶのも納得です」
よく見ると、大きなガトー・ブルンタージュの隣には6等分された物が並べられていた。お菓子選びに夢中になっていたトリシャには、大きな方が真っ先に目に入ったので、1人分に切られた物は言われるまで認識されなかった。
アリアにお小遣いの入った袋を見せると、そこから必要な分の紙幣を取り出してもらう。そのまま彼女に会計をしてもらうと、細かくなった小銭を受け取り袋へ戻した。残金は減ったのに重量が増した袋をスカートに付いているポケットにしまう。
店員から購入した焼き菓子の入った箱を受け取ると今までで一番強い焼き菓子の香りを感じる。その匂いに今すぐ食べたい気持ちになるが、その気持ちを抑えて我慢する。
「今夜にでもみんなで食べられるかな?」
今すぐにでも食べたくなっているトリシャは早速、今夜食べようと思い尋ねてみる。
「このお菓子は数日置いた方が美味しく召し上がれますよ」
「そうなんだ。じゃあルミエーラの予定を聞いて食べる日を決めたらいっか」
最初は残念そうな表情をするも、数日置いた方が美味しくなると聞いてより期待感が高まり、表情は一瞬で明るくなる。
「じゃあ、今度は今日食べる分を買わないとね。他におすすめのお菓子は無いかな?」
店を出るや否や、トリシャは早速、次の目的地を定めようとする。
「でしたら、クイニーアマンとかは如何でしょうか。ガトー・ブルンタージュより小さいものになりますが、こちらも有塩バターを使った香ばしい焼き菓子になります」
「じゃあそこにしよう」
トリシャは即決すると、アリアとアイリスを引き連れて次の目的地へと移動する。その足取りは軽快で、どれだけトリシャが楽しんでいるか一目瞭然である。
魔法を教えてもらう、本を読む事を除いて、この世界で楽しめる事といえば外出とお菓子を食べる事くらいだ。トリシャにとって外出と、お菓子を購入する事が同時に出来るのだから、これを楽しんでいないはずは無い。
トリシャ達はお菓子を売っているお店を次々に訪れて、トリシャの気の済むまでお菓子を購入していく事となった。
「思ったよりいっぱい買ったね」
トリシャはお小遣いの7割以上を使い、お菓子のみを購入していた。買ったものはアリアが肩から下げている鞄の中に入れてもらったので荷物を抱える事は無かったが、鞄から出すと両手で持ちきれないほどの量を購入していたのだ。
「私たちの分も買うからですよ。この調子で使っていたら、お小遣いも直ぐ無くなってしまいますよ」
アイリスの指摘通り、トリシャは基本的に3人分のお菓子を購入していた。ルミエーラは間食をあまりしないと聞き、アリアやアイリスは食事をする事が無いので買い出しとしてお菓子を買うことも無いと言う。
この前のスコーンの様に材料があれば簡単なお菓子は作る事が出来るみたいだが、トリシャがやって来る前まで彼女達が食事や間食をする事など無かったので、外でお菓子を購入したことは今まで当然無いといえる。
「無くなったら、また頑張って魔法を覚えたり、お手伝いしたりして、また貰ったら良いんだよ。それよりも美味しそうなお菓子がたくさん買うことが出来て大満足」
口角が上がりっぱなしになっているトリシャは、まるでスキップでもしているかの様に足取りが軽かった。
楽しそうなトリシャの姿を見て、アリアやアイリスがそれ以上とやかく言う事はなのだ。トリシャの楽しげな姿を見るだけで彼女たちもつられて楽しさを感じているのだから。
トリシャ達はルミエーラとの待ち合わせまで時間があったので、喫茶店でも入って寛ごうとしていた。待ち合わせ場所近くの喫茶店を探していると、誰かが駆け寄ってくる足音が後ろから聞こえてくる。
すると、後ろからトリシャの側を走って通過していく幼い子供の姿が視界に入る。急な事だったので、トリシャは反射的に立ち止まってしまう。
腰の位置辺りの身長しかない子供はそのまま前方を走ると、後ろからアリアに抱きついた。
「ママ・・・・・・」
幼い女の子に抱き着かれ、アリアは驚いた。後ろを振り返ると、少し離れた位置にいるトリシャとアイリスが足元の方を見ているのが分かる。そのまま視線を落とすと小さな女の子が自身の腰に抱き着いているのを認識するのだ。
「私はママではありませんよ。ママとはぐれてしまったのですか?」
アリアは子供の目線の高さまで腰を落とすと優しい口調で問いかけた。
「ママがいなくなっちゃた」
上下繋がったワンピースの様な服を着ている女の子は、今にも泣き出しそうな声で答える。幼い女の子が母親と離れてしまった時の不安は計り知れないものが有る。トリシャ達の想像以上に女の子は心細さを感じているに違いない。
「まだ待ち合わせまで時間あるし、この子の母親を探してあげようよ」
トリシャは2人に近寄ると同時に声をかける。喫茶店を探していたことも忘れ、女の子の母親を探そうと提案するのだ。
「私は構いませんが、トリシャはそれでよろしいのでしょうか?」
「もちろん。困っている女の子を無視して帰るなんて事できないよ」
その女の子は不安そうな表情でアリアとトリシャを交互に見上げる。目尻に涙を浮かべた視線を向けられると尚更、母親を見つけてあげたい気持ちとなる。
「お姉ちゃん達がママを見つけてくれるの?」
女の子は希望に満ちた表情でトリシャを見つめた。母親と合流できる可能性がある事は、今の女の子にとって何よりも優先される事なのだから。
「そうだよ、僕はトリシャ。お名前教えてくれるかな?」
トリシャは女の子の近くにしゃがみ込むと、名乗ると同時に女の子に名前を尋ねる。
「エルシュ……」
女の子はトリシャに警戒しているのか小さな声で名を告げる。アリアに抱き着いた時から、その手はアリアの服を掴んだままだった。
母親とはぐれて不安なのだろう。トリシャは一刻も早く母親と合流させなければと、謎の使命感に燃えるのだった。
「エルシュって言うんだ、可愛い名前だね。お母さんの名前はわかるかな?」
「うーん……」
エルシュと名乗った女の子は下を向いて考え込んでしまった。まだ幼い女の子は日ごろからママと呼んでいるからなのか、母親の名前を聞かれても思い出せないのかもしれない。
トリシャは母親の名前を聞くことを諦めて次の行動へ移る事とした。
「エルシュが来た方向へ行ってみよっか。もしかしたら母親と合流できるかもしれないし」
「そうですね。そうしましょう」
トリシャの提案にアリアとアイリスは同意する。手がかりが少ないので、母親を見つけられる可能性は低いのかもしれないが、ここに留まっていてもしかたのないことだ。
トリシャ達は立ち上がると、女の子が走ってきた方向へ行ってみる事にする。
「見た事がある景色がありましたら教えてくださいね」
「うん……」
アイリスはエルシュに向かって笑顔で話しかけるも、女の子は小さく返事をするだけだった。何故だかわからないが、女の子はアリアにだけ懐いているように見える。
女の子は立ち上がった後も、アリアのスカートから手を放そうとしない。最初に間違えたみたいに、アリアに母親の姿を重ねている可能性がある。
「じゃあ、アリアはエルシュがはぐれない様に見ててね」
「かしこまりました」
そう言うと、彼女は女の子の手を握る。アイリスがトリシャにしているみたいに、手を繋ぐことで与えられた役割をこなそうとしたのだ。
こうして4人に増えた一行は、幼い女の子の母親を探しに来た道へ歩を進める。ルミエーラとの集合時間は日が暮れる一歩前だ。それまでに母親と合流させてあげないと、日が暮れて暗くなってしまうと母親と女の子を合流させる事が困難になるだけではなく、ルミエーラとの合流にも遅れる事になる。
トリシャ達は、はやる気持ちを抑えてエルシュの母親を探し始めるのだった。




