20話 『内緒の話と』
浴室を出ると、アイリスはアリアの元に報告に行く。入浴が終わったら食事を用意してもらう手筈になっているので、入浴が終わった旨を伝えに行ってもらったのだ。
アイリスが報告へ向かっている間、トリシャは一足先に自室へと戻っていた。ベッドの上に飛び乗ると、体を反転させて仰向けの体制へ移る。
目の前に映る天井は、いつもとなんら変わりがない。自室のベッドに寝転んだトリシャは、落ち着くと共に安心感に身を包む。
ふかふかのベッドが眠気を誘うが、夕食を用意してもらっている手前、おちおちと眠る事は出来ないだろう。
そんなトリシャはベッドに体を預けたまま今日起こった出来事を振り返り始める。
アリア、アイリスと3人で買い出しをする為に街へと繰り出した。買い物を済ませた後は海沿いの街を一望する事も出来たお陰で、久々の外出を楽しむことが出来たと言えよう。
あのクロエと名乗る少女と出会うまでは――
全身黒い衣装に黒く真っ直ぐに伸びる長い髪、それらとは対照的に蒼白に近いくらい不気味な白い肌が印象的だった。
アリアやアイリスの反応を見る限り、彼女と関わらない方が良い事は明白だ。
一見、顔立ちの整った幼い少女に見える。しかし、その見た目に反した彼女の持つ艶やかかつ怪しげな雰囲気が、彼女を危険人物だと言わしめている様な気さえした。
過去に何があったのかは分からないが、彼女と遭遇したらいけない事だけは今のトリシャにも理解できる。
その原因は想像つかないが、ここに居る住人全員が不安を抱くのなら遭遇しないに越したことは無い。
原因はどうあれ、ここで生活をしていくことを決めたからには、皆の不穏に満ちた表情を見たくは無い。
しばらくは外出が出来ないだろうが落ち着いたころに、またルミエーラに外出の許可を取ろうと思うトリシャであった。
そんな事を考えていると、部屋の扉をノックする音が聞こえる。
トリシャはベッドから体を起こし、部屋の扉を開けに行く。扉の外には、アリアに報告しに行っていたアイリスの姿があった。
顔を見ると、先ほどより元気を取り戻したみたいで、入浴前よりも晴れやかな表情をしている様な気がする。
「アリアに伝えてきました。食事の準備が整ったら呼びに来るそうです」
アイリスの報告を聞きながら、トリシャは彼女を部屋に招くのだ。再びベッドに腰かけると、アリアが呼びに来るまでの間、彼女と雑談をする。
「アリアの様子はどうだった?」
アイリスは己の心情を打ち明けてくれたが、アリアが今どのような気持ちを抱いているか、トリシャに知る由もない。
先ほど報告に行ったアイリスなら、彼女の様子を知っているに違いないと踏んだのだった。
「様子自体は普段と変わりのない様に見えましたけど、心なしかいつもよりも暗かった様に見えました」
アイリスは鏡台の前にある椅子に腰かけて話をする。
彼女ほどでは無いにしろ、アリアも不安を抱いているのかもしれない。アイリスのお願いを聞いてあげたみたいに、アリアにも何かお願いをされた時には快く承認すると思うトリシャであった。
「あの子は意思表示をあまりしないから少し心配です」
ちょっと前まで泣いていた少女も、今はまるで妹を心配する姉の様にアリアの事を気に掛けている。
トリシャから見ればアリアの方がしっかりしている様に見えるので、アイリスが心配する程には深刻な問題でも無いと考えていた。
「心配なら夕食の時にでも声をかけてみたら良いんじゃないかな」
「そうですね。今行っても邪魔しちゃうだけですし、後で様子を見てみましょう」
アリアが呼びに来るまでアイリスと雑談を重ねる。トリシャはクロエという少女の事に触れずに、今まで読んだ絵本の話や明日着る服の話をした。
せっかく元気を取り戻したというのに、彼女から笑顔を奪う話題を振るのは無粋だといえよう。
彼女の顔が曇るのを見たくないのだ。トリシャが自らその要因を作るような事をするはずが無いのである。
そうやって雑談を重ねているうちに、夕食の準備を終えたアリアが部屋を訪ねてくるのだ。
「夕食の準備が整いました。食堂へお越しください」
少女は普段通りに淡々と業務連絡を済ませる。その声はいつもと変わりなく、彼女が落ち込んでいるかどうか声色からは判断が出来ない。
アイリスと一緒に部屋を出ると、普段通り扉の前に少女の姿は無かった。アリアが居ない事を確認すると、2人は食堂へと足を向ける。
食堂の中へ入ると席へ着く。しばらくすれば、奥から1人分の料理を乗せた皿を持った猫耳の少女が姿を現した。
そして、テーブルの上にお皿を並べると、少女はいつも通り定位置に着く。
アリアとアイリスに見守られる中、トリシャは1人で食事を取る。食器が当たる音だけが部屋に響く中、アイリスがアリアに近づくと話をし始めるのだ。
「アリアは大丈夫?」
アイリスは食事の邪魔をしない様に小さな声で話しかける。そんな2人の会話を聞き逃さない様に、トリシャは聞き耳を立てるのであった。
「私は大丈夫。アイリスほど気に病んでいないわ」
「そう、それならいいのだけど」
心配しすぎただけなのだろうか。アリアはアイリスの様に不安を口にすることは無かった。
「今日の事なら、トリシャやルミエーラが無事だった事に一安心しているわ。漆黒と遭遇しない様にこれから気を付けないといけないわね」
「そうね」
アイリスがあれほど不安に身を包み苦しんでいたのとは対照的に、アリアは何事も無かった事に安堵している様子だった。
なんにせよ、アイリスみたいに深刻な様子は無く、彼女が言う通り一先ずは大丈夫なのだろう。
「あ、良い話があるのだけれど――」
急に何かを思い出したアイリスは、更に小声になる。トリシャが横目で確認をすると、アリアに何か耳打ちをしていた。
先程よりも小声になってしまったのだ。会話の内容が気になる所だが、何を話しているのか聞き取ることが出来ない。
「ふふ、それは良い話ね」
「でしょう。今夜が楽しみだわ」
2人で楽しそうにしている姿を見て、トリシャは若干の疎外感を感じる。
いや、楽しそうな事は大変喜ばしい事ですよ?
でも、ほんの少しでいいから仲間に混ぜてくれてもいいのではないかと、トリシャは胸の内で呟く。
そんなトリシャの心の内を知らない2人は楽しそうに何やら話し込むのであった。
食事を終えると、トリシャは自室へと戻ってくる。アリアは食事の片付けに勤しみ、アイリスは用事が出来たと言ってどこかへ行ってしまった。
部屋に1人きりになると何もやる事が無いのも問題だと言えよう。
机に置かれた本を使って勉強する事も出来るのだが、朝も晩も勉強付けというのは、流石に集中力が続かない。
何より、夜勉強を行うのは眠気を誘うこともあり、たいして頭に入ってこないので勉強には適さない。
そういえばルミエーラは自室で何かをしている様だが、彼女が何をしているのだろうか?
トリシャはルミエーラが普段何をしているのか知らない事に気が付く。
研究とか言っていた気がするし、怪しげな実験でもしているのではないのだろうか?
魔女の実験といえば、大きな釜で謎の液体をグツグツ煮込んでいる姿を想像する。典型的な所でいえば老婆の姿が思い描かれるが、ルミエーラは老婆と呼ぶには程遠い。
魔人や生体人形と呼ばれる人に近い存在を生み出している事を考えると、彼女は人を作る研究でもしているのかもしれない。
それこそ、大切な人を失って、その人を蘇らす為の過程として魔人や生体人形を生み出しているとも仮定できる。
あくまで仮説にすぎないが、人と変わらない生命を生み出している理由を考えると、自然とそういう答えに行き着いた。
彼女が何を思い、何をしているのか気になるのは、こうして生体人形として呼び出されているからである。
端的に言えば彼女の研究に巻き込まれているからだと言えよう。こうして巻き込まれた身としては、彼女の動向が気になるのも仕方がない。
聞いてもすんなり教えてくれることは無いだろうから直接聞きはしないが、徐々に彼女について知っていければいいなと考えるのだった。
トリシャはベッドの上に寝転がりながら暇をつぶす様に考え事をしていた。
それでも数十分もたてば飽きるもので、最初の方は真剣に考えていたにも関わらず、今ではただ単にぼんやりしているだけになっていた。
どれくらい時間が経ったか分からないが、やることも無く絵本を手に取って軽く読んでいると、部屋の扉をノックする音が聞こえてくる。
トリシャは手に持っていた本を置くと扉の方に駆け寄り、ドアノブを握って扉を開く。
外にいるのはアイリス1人で、アリアの姿は無い。
彼女の手には何やら衣類の入った袋が握られており、トリシャはその中身が何なのか気になる。
「その袋の中って何?」
「この後のお楽しみです」
質問に対してアイリスは軽くウィンクをしてはぐらかす。
袋の中身を何に使うか気になって仕方が無かったが、この後使うようならその内わかるだろうと思い、トリシャはこの場で追求する事は無かった。
アイリスは部屋の中へ入ると、手に提げている袋を鏡台の足元に置く。
トリシャは今すぐ袋の中身を確認しようとも考えたが、人の荷物を漁るのもバツが悪いので、彼女から言ってくれるのを待つ事にした。
「アリアは私が心配する程は気に病んでいませんでした」
食堂での会話を盗み聞きしていたトリシャは、この事を既に知ってはいるものの聞き耳を立てていた手前、知らなかった体で話を進める事にした。
「そうなんだ。気に病んで無かったなら良かったよ」
「そうですね」
トリシャはベッドに腰かけるとアイリスを手招きする。それに気が付いた彼女は、遠慮がちに隣へと腰かけるのだ。
彼女は上半身を捻ると、トリシャに接近するように前のめり気味の姿勢を取る。その姿勢にトリシャは内心ドキドキするのだが、自分で呼んだ手前その行動を抑止する事は出来ない。
「アリアも言っていましたが、トリシャと無事に帰って来られてアイリスは嬉しく思います」
その屈託のない笑顔で喜びを表現する少女に、トリシャもつられて笑みが零れる。
彼女の様に感情を言葉や表情で表してもらえると、一緒にいる身としては非常にありがたい。アイリスの笑顔は周りを、少なくとも自分を幸せな気持ちにしてくれる。
「アイリスに元気が戻って僕も嬉しいよ。」
アイリスに感化されてか、自然と言葉が出た。言った後に少しばかり照れが生じるが、嬉しそうに笑う彼女の顔を見ると、そんな些細な照れは気にならなくなる。
アイリスはその言葉を聞くと、トリシャにいきなり抱き着く。
それに対しトリシャが驚くのは言わなくても分かる事だが、突然の行動に体制を崩し、後ろへ倒れてしまった。
幸い背中ははベッドに包まれたので、怪我をすることは無かった。だが、変な体制で倒れてしまった為、右手が少女の胸に敷かれてしまっていた。
柔らかな感触が肌に伝わると、抱き着かれた時よりも心臓の鼓動が高鳴っていく。




