18話 『少女の不安と』
癖のない艶のある黒髪がを携え、全身をゴスロリの様な黒を基調とした華美な服装に身を包む。
その少女は、3人の中で一番背の低いアリアと同じくらいかそれよりも小さく見える。
「あら、見慣れぬ子がいるじゃない。その子も従者かしら?」
洋人形と日本人形を掛け合わせた見た目の少女は、一歩ずつゆったりとした足取りで歩み寄って来る。
彼女が興味を示した人物は、アリアでもアイリスでも無くトリシャだった。
従者という言葉を知っているという事は、目の前の少女はアリアやアイリスが魔女の従者である事や魔人である事を知っているのかもしれない。
そう考えるトリシャの両脇にいる2人の少女は、普段は見せない険しい表情をしている。
そして、黒髪の少女が一歩ずつ近づいてくるにつれ、2人の警戒心が上がっていくのであった。
「そんなに警戒しなくても手出しはしないわ。貴方達には興味ないもの。
私が興味を持つのは貴方達の主人と、その子くらいかしら」
細長くも美しい指先が示しているのは、アリアでもアイリスでも無いトリシャだった。彼女の口振りから2人やルミエーラと顔見知りであることが伺える。
しかし、会ってはならない人物に出くわしてしまったといわんばかりの雰囲気に、トリシャは如何様に対処していいか判断する事が出来ない。
「何が目的ですか?」
アイリスはトリシャの手を強く握ったまま体を密着させてくる。目の前の少女からトリシャを遠ざけたいのか、彼女は半身を覆う様に寄せるのだ。
「今日はたまたまよ、たまたま通りかかっただけぇ」
黒髪の少女は目の前までやってくると歩を緩め立ち止まる。見た目は幼いにも関わらず、その仕草一つ一つに色気を漂わせ、人を惹きつける何かを彼女は持っていた。
目を逸らすこと賄わず、自然と彼女を視線で追いかけてしまう。
「新しい子が入ったみたいだから挨拶をさせて頂戴。
私の名はクロエ、クロエ・カルティエラって言うの。貴方の名前を聞かせてくれるかしら?」
名を名乗った少女は近くで見ると、肌が真っ白である事がわかる。
しかし、よく見ると純白というよりは蒼白という表現に近く、まるで血が通っていない――それこそ死体の様な不気味さを感じる色合いを醸し出していた。
「トリシャ、トリシャ……何だっけ?」
問われて初めて気が付いた。自分のフルネームを覚えていなかったのだ。
最初に、名前を付けられた時に一度聞いたはずだったが、トリシャはそれを忘れてしまっていた。
「ロゥリィスポットとお聞きしていますが?」
隣で腕を抱きしめているアイリスが耳打ちをする。言われてみれば、その様な名前だったなとトリシャは自身の名を改めて確認した。
「トリシャ。ロゥリィスポットって言うみたいです」
トリシャは黒髪の少女の方に視線を向けると、改めて自分の名前を名乗るのであった。
「ふふ、良い名前ね。覚えておくわ」
黒髪の少女はトリシャの名を聞くと口角を上げて不敵な笑みを浮かべる。何が面白いのか理解しがたいものを感じると同時に、彼女特有の妖艶な雰囲気に呑み込まれていってしまう。
「それ以上の接近は私が許しません」
笑みを浮かべながらクロエと名乗る少女が、トリシャに近づこうと一歩踏み出したところでアイリスに抑止される。
クロエは一瞬、アイリスに冷たい視線を向けるが、すぐに元の表情へ戻る。目を疑うほど瞬時の事だったのでトリシャが気に留める事は無かった。
「貴方に私を止める事が出来るとは思えないのだけど……まぁいいわ。その内また会う事になるのだから、その時を楽しみに待つ事にするわ」
黒髪の少女はそう言い残すと、この場を直ぐに立ち去った。途中、一度振り返ると、数秒視線をこちらに向ける。
少し離れた場所だったが、トリシャは彼女と目が合った気がした。それは気のせいかもしれないが、その視線から目を外す事が出来ないでいた。
黒髪の少女の姿が見えなくなることで、ようやくアリアとアイリスの警戒が解かれる。最後まで彼女の何に警戒をしているのか、トリシャに察する事は出来なかった。
しかし、妖艶で怪しげな雰囲気を醸し出す彼女が何かを持っているであろう事は、事情を知らないトリシャにでも感じていた。
「彼女の気が変わる前に急いでルミエーラと合流しましょう」
「私たちでは力不足なので、一刻も早くルミエの元へ赴きましょう」
アイリスとアリアがこぞってルミエーラとの合流を急ぐ。その切迫した彼女らの焦りにトリシャは黙って頷いた。
今はルミエーラの元へ行くのが最優先事項なのだろう。元々合流をする手筈だったのだ。異論など有るはずもない。
飛空艇乗り場でルミエーラの帰りを待つ間も、アリアとアイリスは周囲を見渡していた。片時も集中力を切らす事も無く周囲に目を光らせる。
日が沈み始めた頃、空が赤く色好き始めるとルミエーラを乗せた飛空艇が到着するのであった。
「悪い、悪い。ちょっと仕事が立て込んでてな。予想以上に時間がかかってしまったよ」
飛空艇乗り場にルミエーラが降り立つと、3人は直ぐに彼女の元へ駆け寄った。
「どうした?」
不穏な空気を感じ取った彼女は、己の従者に問うた。彼女たちの表情は曇り、持ち前の明るさは見る影もない。
「一刻も早くこの街を去りましょう」
「急いでこの場を離れましょう」
アイリスとアリアは間髪入れず主張する。普段自分の意見を述べる事が少ない彼女たちが意見を述べる事に新鮮さよりも不安の色を濃くしてしまう。
「わかった、話は後で聞く。とりあえず中に入れ」
彼女たちの異変を感じ取ったルミエーラは早急に3人を飛空艇の中へと誘導する。
あれだけ楽しかった買い物が嘘の様に重たい空気に包まれる。それもこれも、あの色白い肌をした黒髪の少女クロエとあった所為だといえよう。
あの少女が何者か気になるが、トリシャは聞くことが出来なかった。それほどにまで切迫した状況だったのだ。
全員を乗せた飛行艇は再び高度を上げると夕日を背に飛翔するのだった。
飛空艇の入り口は狭く同時に4人揃うとなると、その空間に余裕は無くなる。後1人か2人増えれば、密着せざるを得ないだろう。
離陸し飛行が安定するまでの間、そこにいる誰もが言葉を発する事など無い。少女2人は下を俯き、その主である女性は遥か遠くを見つめる様にただ一点に視線を集めていた。
そんな状況の中、トリシャは3人の顔を交互に伺う事しかできなかった。自体が深刻な事は周りを見ていたら想像がつく。
しかし、状況が変化した直接の事情を推察する事は出来なかった。
「何があった?」
沈黙を破りルミエーラが言葉を発した。状況を説明できるのは2人。そのどちらかが口を開かねば再び静寂に包まれることだろう。
「私から報告させていただきます」
先に口を開いたのはアリアだった。少女の耳は垂れ下がっており、その表情も雲がかかったように暗かった。
「夕刻前、飛空艇乗り場に向かっていた途中に漆黒と遭遇しました」
彼女の声を聞くと、ルミエーラの眉が潜まる。漆黒というのは、クロエと名乗る真っ直ぐに長く伸びる黒髪を携えた黒い衣装に身を包む少女の事を指すのだろう。
あの少女が何者なのか何故アリアとアイリスがこんなにも警戒をするのか、トリシャはその理由を知りたいと思うのであった。
「それは本当なのか?」
「はい、確かにこの目で視認致しました」
ルミエーラの顔が険しくなるのがわかる。少女からもう一度確認を取ると眉間にしわを寄せていく。
「何かされたか?」
「いえ、幸い彼女からは何も行動は起こしませんでしたから」
アリアの言葉を聞き先ほどとは打って変わって、ルミエーラの表情は穏やかになる。された事といえば名前を聞かれただけで、彼女がここまで警戒される人間とは到底思えない。
不思議そうな顔をしているトリシャに目もくれず、2人は会話を続けるのであった。
「そうか。食料は何日分用意してある?」
「3日間は無理なく過ごせると思われます」
今回の買い物は食料を中心に購入した。余分なものと言われるかもしれないが、紅茶やお菓子に必要な材料を多く買うことになったのは、きっとトリシャの所為だけではない。
その証拠に、アリアとアイリスもトリシャが喜ぶのなら、と言って率先して購入を進めていたのだから。
「では次の買い出しは3日後にする。」
ルミエーラの宣言によって、最低3日は外出する事が不可能となった。現時点でのトリシャの外出が許可される事といえば、買い出しを除くと何も残らない。
神妙な雰囲気の中、トリシャ1人だけが違うベクトルで落ち込むのだった。
「私はやる事があるから部屋に戻る。夕食は無くていいから3人で好きな時に食べてくれ」
そう言うと、ルミエーラはその場を立ち去る。黒髪の少女が何者か聞きたい気持ちはあったが、最後まで聞き出せる雰囲気ではない。
トリシャは気配を消す様に聞き耳を立てていたが、結局謎を残したまま知りたい情報を得ることはできないのであった。
「トリシャ、夕食はいつ食べられますか?」
ルミエーラが去った後、最初に言葉を発したのはアリアだった。彼女の表情から不安の色は抜けていなかったが、それでも心配をかけない様に懸命に取り繕う。
「外から帰ってきたところだし、先に入浴を済ませてからにするよ」
トリシャはなるべく彼女らの不安を取り除くように明るく振る舞う。
この中で自分だけが事を把握できていないのは釈然としないが、それでも今まで通りに過ごすことくらいが、今自分にできる最善であるとかんがえたのだ。
「かしこまりました。入浴後直ぐに召し上がりますか?」
「ううん、少し時間が空いてからの方が助かるかな」
日中あれだけ街中を歩いたにも係わらず、不思議とお腹は空いていなかった。
直ぐに夕食を取っても問題は無かったが、話に付いていけず不完全燃焼なトリシャは、とてもじゃないがそういう気分にはなれない。
「でしたら、入浴後に作り始めますね。準備が整いましたら部屋に伺うのでよろしいでしょうか?」
少女の問いにトリシャは頷く。徐々に普段の調子を取り戻し、少女の顔に明るさが戻ってくるのを見ると、安心感を得ることが出来るのだ。
アリアは一礼をすると、購入した食材をしまうために食堂の奥にある調理場へと向かっていった。
「先に入浴をされるのですね。それでは一緒に浴室へと参りましょう」
アリアとのやり取りを静かに見ていたアイリスは、ここでようやく口を開いた。
飛行艇に乗ってから今まで一度も言葉を発していない少女は、いつの間にか表情に笑みが戻っていた。
クロエと名乗る少女と出会ってから今まで、彼女の表情から笑顔が消えていた。飛行艇に帰ってきたという安心感もあるのだろう。
彼女もアリアと同じで、徐々に本調子に戻っていくのだろうと、そう感じるトリシャであった。
笑顔を見せるアイリスに手を引かれると、トリシャはそのまま浴室へと向かう。
浴室に辿りつくと、早速アイリスに着替えを手伝ってもらう。習慣化されつつあるこの行為が今は心地良く感じられる。
衣類を脱ぎ終えて裸になると浴室へと移動する。しかし、何故かアイリスが徐に自身の服を脱ぎ始めるのだ。
「え、何で?」
途中で言葉を失ったトリシャは脱衣所と浴室の間で立ち尽くす。そして、どの様に対処していいか判断が付かないトリシャは、その光景を見ている事しか出来ないのである。
普段なら気が付いた時点で止めていただろう。しかし、涙を一粒落とす少女に何と声を掛ければいいのか分からない。
困り果てたトリシャは、静かに少女の動向に注目する事しか出来ないのであった。