17話 『漆黒の御御髪と』
朝、目が覚めると、トリシャの隣には少女の姿があった。昨日の朝との相違点は、少女が下着姿かつ目が覚めているという事だ。
若干の既視感に包まれながらも、トリシャは状況の整理を開始する。
確か、文字の勉強をしている途中、睡魔に襲われたので眠ることにしたはずだ。しかし、自身の姿をよく見てみると、隣の少女だけでなく自分自身も下着姿になっていることに気が付く。
どうやら、着替える前に力尽きて寝てしまったらしい。
トリシャは寝る直前、アイリスに着替えを手伝ってもらい、下着姿で寝てしまった事までは思い出す。
その後に、アイリスは部屋から出て行ったと思っていたのだが、彼女は現在下着姿で隣に座っていたのだ。
「おはようございます」
そんなアイリスは、屈託のない笑顔で朝の挨拶をする。晴れ晴れしい表情をしてはいるものの、それに反して少女の体は美しくも艶やかな、肌を露出している恰好だった。
「あのー、もしかして昨日も押し倒したりしたのかな?」
トリシャは恐る恐る質問をする。1度ならまだしも、2度までも少女を押し倒したとしたのなら、彼女たちの信用に関わりかねない。
「いえ、そのような事はありませんでしたよ」
「じゃあ何でベッドの上にいるのかな?」
質問に対し、きっぱりと否定する辺り、少女が自ら侵入してきたと推測する。それ以外の理由があるとするのならば問いただしたいところだ。
「朝、入浴をされると思いまして。起床時間を伺えなかったので、側にいた方が良いと判断しました」
確かに、起床時間を言ってはいなかったが聞かれてもない。恐らく聞かれる前に寝てしまったのだろう。
それが何故、下着姿で布団に潜り込んでいるのかの説明にはなっていない。そう思うトリシャであった。
「それで、どうして下着姿になっているのかな?」
「それは、トリシャだけが下着姿になっているのは不公平かと思いまして。失礼のない様に自らも同じ姿になったという次第です」
だからといって、わざわざ服を脱ぐ必要があるのだろうか?
状況が把握できたところでトリシャは頭を抱える。2日連続の淫らな目覚めが頭を悩ますのだった。
「迷惑だったのでしょうか?」
不安気な表情をする少女の顔を、もう何度見てきただろうか。彼女たちの気遣いのベクトルは多少なりずれているのだと改めて実感するトリシャであった。
「迷惑じゃないよ。今日着る服を決めてお風呂に入ろうか。また昨日みたいに髪を結んで欲しいんだけど、お願いしてもいいかな?」
トリシャは不安を取り除くように優しい声色で彼女の行為を受け入れた。今更下着姿で一緒に寝ただけでどうこう言うつもりは無いからだ。
ただ単に、この様な状況になった経緯を知りたかっただけなので、アイリスを窘めるつもりも無い。
「もちろんです」
アイリスはトリシャの申し出を快諾する。少女は自身の存在を否定しないトリシャの願いを断るはずか無いのである。
「あの、今夜も添い寝をさせてもらないでしょうか?」
脱いでいた衣服を身に着けた後、アイリスは自身の希望を伝えた。寝食を共にするのは侍女としての役割を与えてもらっている彼女にとっては必要不可欠な事柄なのだ。
本来ならば仕えるべき者と寝床を共にするはずは無いのだが、厳密に言えばトリシャは彼女の主人ではない。従って、寝床を共有しても問題は無いと自己完結していたのだ。
「でも僕、中身男だし恥ずかしいというか、意識しちゃうというか」
既に一夜を共にしてしまっているのだが、それは意識が無い状態で行われていただけに過ぎない。
就寝前に麗しげな少女と寝床を共にすれば、過剰に意識してしまうのは当然で、中々寝付く事は出来ないだろう。
「存じております、それでも私を側において欲しいのです」
アイリスが何故ここまで固執するのかは分からないが、トリシャは彼女の願いを受け入れることにした。
彼女が不安を感じるのなら、その不安が解消されるまでの間だけでもいいから彼女の願いを聞き遂げようと考えたのだ。
「いいよ、そのかわり今日みたいに下着姿で寝ないでよね」
「はい。そう望まれるのであれば慎みます」
アイリスは、自身の要望を受け入れてくれた喜びに思わず抱き着いてしまう。戸惑うトリシャを尻目に、アイリスは歓喜を体現するのだった。
寝ている間にアイリスによって解かれた髪に触れながら、トリシャは目の前の事柄に朗らかな気持ちへとなっていた。
その後、この日着る服装をアイリスと一緒に選ぶと、トリシャは脱衣所へと移動する。当たり前の様に、アイリスによって着替えを手伝ってもらい、衣服を全て脱いでいく。
トリシャは衣服を全て脱ぎ終えると、1人で浴室へ入る。解けた髪の毛は寝ぐせでふわりと膨らみ、節々で髪の毛同士が絡まっていた。
前日までとは違い、アイリスは脱衣所で待機しているので、自分で髪の毛を洗わなくちゃいけなくなる。
トリシャは浴室に置いてある小さな椅子に腰かけると、まずはお湯に晒して髪の縺れを解いていく。
長い髪の毛の扱いは非常に難しく、慎重になればなるほど時間が掛かってしまうのだ。かといって、乱雑に洗ってしまえば髪の毛は傷んでしまう。
せっかく1人で入浴できるようになったのに、適切に行えないのなら再びアイリスが浴室へと入ってくる事態へとなってしまいそうだ。
その事を考えれば、これからは毎日行わなくてはならない。
アイリスの手を煩わせない様に、トリシャは丁寧に髪の毛を洗っていくのだった。
髪の毛との奮闘を終え入浴を済ませると、脱衣所にて待機をしていたアイリスに着替えを手伝ってもらう。
慣れというものは怖いもので、裸を見られるという事に関しては羞恥心を僅かばかりにしか刺激されなくなっていた。
明確には恥ずかしいという事には変わりは無いのだけれども、元々自分本来の肉体では無いという点を踏まえると、羞恥心を半減させる事が可能だったのだ。
この日も前日と同じようにアイリスの手によって髪を整え結われていく。左右均等に髪の毛を束ねるとツインテールの完成である。
偏りが無く、ものの見事に仕上げていく様は見ていて爽快であった。
そうこうしている内に朝食の準備が整ったみたいで、アリアが浴室へと顔を覗かせる。余所行きの恰好に身を包むトリシャを見てアイリスの表情が明るくなったのは言うまでもない。
食堂で朝食を済ませると自室へ戻る。張り切って準備をしたはいいが、外出をするのは昼食を取った後からだという。
てっきり午前中から行くものだと思っていたトリシャは分かりやすく気を落とすのだ。
しかたなく午前中は大人しく文字の勉強に努めることにした。アイリスの教示の元、絵本を読み進めていく。
まだ挿絵のない本を読むまでには至らず、引き続き絵本を読むことで文字の学習を行っていた。
これからの予定を考えると、勉強に身が入らなかった事は必然といえよう。トリシャは昼食の時間が来るまで時間を潰す様に絵本を眺めているだけに過ぎなかったのだ。
昼食を済ませると、トリシャは飛空艇の入り口まで出向いた。アリアに呼ばれたわけではなかったが、街へ到着するまで待てなかったのだ。
「なんだ、もういたのか。これからアリアに呼ばせに行こうと思っていたのに」
飛行艇の出口に顔を出したルミエーラは、その場所でソワソワしているトリシャの姿を見つけると声をかける。
「待ちきれなくてつい」
予定より早く待機していたトリシャは少しだけ照れて見せる。外出を待ちきれない様子が、まるで子供の様だと自分で感じてしまったからだ。
苦笑いを浮かべるトリシャの隣にはルミエーラのほかにアリアとアイリスの姿がある。
アリアは買い出しの要として、アイリスはトリシャの護衛として同行をするのだ。本来の目的は買い出しなので、どちらかといえばトリシャやアイリスが同行者になるのだが――
飛空艇乗り場に着陸すると、トリシャを含めた3人の少女は街へと降り立つのであった。
辿り着いた場所は前回の街とは違い、白塗りの継ぎ目が少ない壁の建物が多い街だった。屋根の色は晴れた日の海面の様に鮮やかな青い色をしている。
前回と全く違う街並みにトリシャの心は舞い踊っていく。
「それじゃあ、日が暮れる前に戻ると思うから、それまでに買い物をすませてこの場所で待っていてくれ」
「かしこまりました」
「ルミエーラもお気をつけて」
アイリスとアリアがそれぞれ見送りの言葉を述べると、ルミエーラを乗せた飛行艇は地を離れ遥か上空へと高度を上げた。
そして、そのまま目的地となる方角へ飛翔していくと、あっという間に空の彼方へと消えていってしまった。
「あんな速度で飛んでたんだ」
あまりの移動速度にトリシャはただただ驚くことしか出来ない。今まで生活していた住居が高速に空を動く様は、驚愕の二文字で表すのが適切な表現なのだろう。
「さて、買い出しに行きましょう。これから行くお店はある程度決まっていますので、順番に回ろうかと思います。よろしいでしょうか?」
買い出しに関してはアリアに全て任している。というよりは、必要な品もそれを買うお店も、トリシャが把握しているはずもないわけで、アリアに任せるしかないというのが真意である。
「うん。道案内よろしく頼むよ」
アリアの後ろを付いて歩き出す。以前、街に出た時の様に彼女たちとはぐれない様にしようと、トリシャは比較的近い距離で側を歩いて行くのだ。
すると、隣を歩いていたアイリスが腕組みをしてきた。
「どうしたの?」
「前にはぐれてしまったとお聞きしたので、こうして腕を組むことで迷子になられるのを防ごうとしているのです」
確かに腕を組めば余程の事がない限り、はぐれることは無いのだろう。しかし、街中で人目を憚らずに腕を絡ませるのは如何なものかと考える。
だが、迷子になった実績があるので、トリシャには強く言うことが出来ないでいた。
「もう。腕組みじゃなくて手を繋ぐだけじゃダメなの?」
「そちらの方がよろしければ、手を繋ぐのでも構いませんよ」
アイリスは予想外にすんなりと腕組みをやめると、トリシャの手を取りそれを自身の手と繋ぐ。
拍子抜けをしてしまったトリシャとは裏腹に、アイリスは晴れやかな表情で前方を向いて歩いていた。
そうやって、離れたりしない様に、アイリスは買い物をしている間、終始手を繋いだままトリシャと行動を共にするのであった。
「一先ずこれにて必要な物は買い終わりました。まだルミエーラが戻ってくるまで時間がありますし、これからどうされますか?」
複数のお店を見て回ると、買い出しは終わったみたいで、アリアが今後の行動方針を聞いてきた。普通ならカフェにでも行って、歩き回って疲れた足腰を休めるのが無難だといえよう。
しかし、外出が出来た喜びで舞い上がっているトリシャは、休憩をする事よりも街中をもっと見て回りたいという気持ちの方が強かった。
「ねぇねぇ。せっかく外に出られたんだし、もっと街中を探索しようよ」
トリシャは、まるで探検に出かける少年の様に輝いた瞳で主張する。
魔女や魔法のある世界なのだから想像もつかない様な、好奇心をくすぐるものが有るはずだと確信していたのだ。
「どのような所へ行かれたいのですか?」
トリシャはアイリスの問いに困ってしまう。何故なら、具体的に何処へ行こうという考えが無かったからだ。
「何処へと聞かれると思い浮かばないんだけど、この街特有の観光地とか無いのかな?」
「丘の方へ行けば海や街を一望できますよ」
良い案が出ないトリシャに代わってアリアが行く先を提案する。太陽に照らされ白く輝く建物を上から見下ろせば、素晴らしい景色を見られるに違いない。
「本当? とりあえず行ってみようか」
「はい、お連れしますね」
トリシャは再び歩き始めたアリアの後を付いていく。この後待ち受ける何かを期待して歩を進めるのであった。
丘の上に辿り着くと街を一望する事が出来た。遠くに地平線が見え、澄み渡る青い空と太陽の光を反射し、揺らめきながら輝く青い海が手前に見える真っ白な建物を、より一層美しく見せてくれる。
「うわぁ、良い景色だね。来てよかったよ」
その壮大な景色にトリシャは魅了される。目に見える全てに感動し、景色を見て抱いた感情は心の内を満たしてくれる気がした。
「夜になれば違った景色を堪能できるそうですが、夜景を見せることが出来なくて残念です」
日が暮れる前にルミエーラと合流する予定だ。それも当然だと言えよう。
トリシャは夜景を見てみたいという気持ちに駆られたが、無理を強いて危険に巻き込まれるのだけは避けたい。
今ある光景で満足しようとトリシャは没頭するように眼下の景色に見入った。
「そろそろ戻りましょうか。夕刻まで少し時間がありますが先に行って待っていましょう」
しばらく景観を楽しんでいると、アリアがトリシャに声をかける。薄っすらと日が傾き始めており、日没が近づいてきているのを認知する。
「そうだね。ルミエーラを待たせたら心配するかもしれないし、早めに戻ろうか」
ルミエーラに心配をかけない事も必要だが、ここでもしトラブルを起こしたりしたら、二度と外出が許可されないかもしれない。
トリシャはアリアの意見に賛同すると、その場を離れることにした。
「今日は楽しめましたか?」
「うん、買い物も楽しかったし、良い景色が見られたからね」
トリシャはアイリスの問いに笑顔で答えた。今回ははぐれることも無く、無事に帰路に付くことが出来そうで内心ホッとしている。
夜景を楽しめない事に若干の名残惜しさを滲ませるが、またの機会の楽しみに取っておくことにした。
「何故ここに?」
突然アリアの足が止まると、周囲の空気は一気に緊張感に包まれる。アイリスの手を握る力が強まり、多少の圧迫感を伴う。
「あら、見慣れぬ子がいるじゃない。その子も従者かしら?」
前方を塞いでいるのは艶やかな言葉遣いで問いかける一人の少女が立ちふさがっていた。
癖のない艶のある黒髪が風に揺られて靡いている。全身をゴスロリの様な黒を基調としたレースやフリル、リボンに飾られた華美な服装に身を包み、頭にもフリルやリボンと薔薇の様な花があしらわれた装身具を身に着けている。
黒髪の少女はトリシャ、アイリス、アリアを見て笑みを浮かべると、ゆっくりとした足並みで歩み寄って来るのだった。