第五話「帝国旗揚げの日」
「おう……まじかよ」
青年は人気のないビルの最上階で餡パンをかじりながら双眼鏡を覗いていた。
潮太洋は無類の釣り好きでカーボン製の長い釣竿常に肌身離さず持っている。わざわざ地元を離れ地方へ身を移したのもそれに起因する。
「コンクリも蜂の巣にする銃弾の雨も何処吹く風やんけ」
ミリタリーマニアの地轍鬼平から預かった高性能指向性マイクを傾け身を乗り出した。
「俺らは少し甘く見てたかもしれんな。帝国の力を」
「行くぜ、おい!」
全ての弾丸を弾いた群青が吼えて走り出した。
「戦車だ!戦車で狙え!」
強固な装甲の重戦車が隊列を掻き分け躍り出た。
「目標赤ジャージの男!撃て!」
洗練された連携で息もつかせぬ間に砲弾が発射された。発射の反動で車体が揺れ轟音が塵を巻き上げた。
群青は地を踏み締める脚に力を入れた。砲弾が両者の中間距離に差し掛かったその時、
「むぅんッ!!」
爆炎が上がった。何もない空中で突如砲弾が暴発したのだ。
「あァ?」
群青は足を止め怪訝そうな顔で燻る炎を見つめた。少し黙考した後大きな溜め息をつき空を見上げた。そして興が削がれたような声で口を開いた。
「なんでお前が出てくるんや」
「ぐっくっく……」
不気味な笑い声が闇に響く。背後の影からぬるりと姿を現したのもまた黒フードの男だった。
「あなた一人では心配だったものどぇ。助太刀に参りましとぁ」
群青は天を仰いだまま鋭い目で黒フードの男を睨み付けた。
「勢いで喋るもんやないぞ糞ガキ。まずはお前からいてまうど」
「ぐくっ。冗談ですよ群青さん」
「もう一度聞く。ここへ何しにきた?」
相変わらず不気味な笑みを浮かべたまま男はフードを外し素顔を露にした。
「尾伊良よ」
「陛下からの御任命を承りましてぬぇ、この後の例のイベントを任されただけですゆぉ」
「ふん、くれぐれも邪魔してくれるなや」
「私はそんなつもり毛頭もありませんぐぁ……もう一人の方はどうですかぬぇ?」
「もう一人?」
尾伊良は顎で前を指した。
「ぐあ!なんだこれは!?」
隊列の中から一人の悲鳴が聞こえてきた。周囲の者は奇異と恐怖で後退りした。
「うわぁあ!炎が!体に……うわぁああぁ!?」
男の身体はやがて火だるまとなりすぐに燃え尽きてなにもなくなった。
「ひっ!ひいいぃ!」
「馬鹿、こっちに来るなぁ!」
その異変を皮切りに隊員達の体が次々と発火した。炎上は連鎖して夜の天啓キャンパスはたちまち阿鼻叫喚で溢れ返った。
「きょーきょっきょっきょ!燃えろ燃えろ燃え尽きロォ!ワタシに断末魔の美しいアクセントを聞かせてくれタマエェェ!」
女の高笑いが煉獄の向こうで谺する。金切り声の主の影が炎に投影された。
「……あいつは何用で来た?」
「私と同じです。他の皆様は重要な任務があったのどぇ」
女は群青に気付き近付いてきた。既にフードは被っていなかった。
「オーウ!先にいらしていたのデスか群青先生。つい興奮して今ので半分近く殺ってしまいましたがどうしマスか?」
「どうしマスか?じゃないやろが、桜邊」
「きょーきょっきょっきょ!それもそうデスね。失礼しまシタ。」
女は英語教諭兼元三年二組担当の桜邊黒美。以前とは似ても似つかぬ異様な形相だった。耳元まで避けた口、それを雑に縫い合わせた糸、大きく見開かれた眼球は瞳の焦点があっておらず常にギョロギョロと動いていた。
「地上にいては敵わない!上空から一気にやる!」
三人が話していると上空から照明が焚かれた。眩しそうに空を見上げると大きな羽音を立てて戦闘ヘリが駐空していた。
「これで終わりだ……同志の恨み!」
両脇に装備された不釣り合いに巨大なガトリングガンが武骨に回転し始める。
「ふぅむ、なかなか良い代物じゃないくぁ」
尾伊良が呑気にしてると銃口はあっという間に高速回転を始めていた。ガトリングガンが火を吹いた。耳をつんざくような発射音を絶え間なく撒き散らし鉄の嵐が地上を襲った。
「とどめだ!」
パイロットが忌々しそうに吐き捨てボタンを押した。すると二発のミサイルが同時に射出された。
爆音が響き渡った。立ち上ぼる火炎と煙が天を焦がした。茫々と炎が辺り一帯を焼き尽くす。
パイロットは勝利を確信した。恐怖からの解放、復讐の成就、強者への勝利。様々な感情が混ざり合って無意識に笑っていた。パイロットは無線を手にした。
「こちらA-02!目標は殲滅した!繰り返す、目標は殲――」
「本当にそう思くぁ?自衛隊すぁん」
誰かがパイロットの肩に手を置いた。全身の血が凍り付いた。硬直する目線を恐る恐る背後に向けた。
「ゲぇームオぅーバぁー」
「~~~ッ!!」
醜悪な笑みを浮かべた尾伊良が立っていた。先程まで地上にいた筈なのになぜ背後に立っているのか。そんなことはどうでも良かった。肩に置かれた手から流れ込むリアルな死の緊迫で全ての思考がショートした。
戦闘ヘリが爆発した。制御を失い地上に落下したヘリの隣に桜邊がいた。
「おかえりなサイ。全く不思議な能力デスねぇ尾伊良先生のバーストは」
ヘリに乗っていたはずの尾伊良が今度は桜邊の背後から現れた。
「それをあなたが言いますくぁ?まあいい、群青先生は何処ぬぃ?」
「先生が墜落させたヘリの下敷きになりまシタ」
「それは申し訳ないことをしとぁ」
二人が話しているとヘリの残骸が音を立てて軋んだ。
「尾伊良ぁ、一通り終わったら後で話がある……」
数十トンもある機体が持ち上がった。真下で群青が己の肉体一つで支えていた。
「ご容赦お願いしますゆぉ」
「知る……かァッ!!」
乱暴に投げられた巨大な鉄塊は遥か上空に弧を描き夜の闇に消えた。
「やっべ!」
〈おい、太洋!?〉
潮は双眼鏡やマイクを放り投げて慌てて逃げ出した。直後ビルの最上部に群青の投げつけたヘリの残骸が直撃した。
「なんとなく奴らの考えは読めた。そろそろとんずらこかせてもらう!」
一階まで一気に駆け降りた潮はビル前に駐車した大型バイクに跨がった。
「話は後だ。一旦切るぞ!」
〈ああ、気を付けてな〉
潮はエンジンを吹かしてその場を後にした。バックライトの赤い光が尾を引いて闇夜に消えていった。
「万が一の事があっちゃあ太刀打ちできねえ。飛ばすでぇ!」
「テレビを付けてくれ」
電話が切れた後在悟が言った。
「部屋には置いてないみたいだから俺のタブレットでよければあるッスよ」
通話をしていた杏也と在悟を囲っていた津宇水誠がタブレットを差し出した。地上波の電波を拾い映し出された映像は通常のバラエティー番組だった。
「最近のキカイは便利じゃのう。お前こんなもん持ってたんか」
「去年買ったんスよ。なにかと便利と聞いてたんで」
画面の中では芸人達が面白おかしく問答をしていた。
「それはそうと在悟。テレビなんて付けたって報道規制が掛かっているに決まっている。一体どうするつもりなんだ?」
「普通はな。首相殺害の脅迫か大規模なテロ予告、はたまた官僚の汚職か……どんな手を使ったかは知らないが国家を脅かすような情報を餌に武力を集中させたんだ。当然、国は簡単に捻り潰せると思っていただろうな」
在悟は画面から目を離さなかった。
「だが結果は違っていた。こぞって集めた精鋭部隊達は完敗。そもそもあれだけの武力を集中させる必要のある重要な情報をハッキングできる人間がいる時点で報道規制の突破は時間の問題だ。潮はそれに気付いて場を離れたんだ」
「あっ、番組が変わったッスよ」
皆が画面に注目した。
〈あー、テステステス……〉
画面には全滅した隊が映し出されていた。
「なんて惨い……」
久兵衛が思わず溢した。
〈ほな本番行くど。三、二、一、キュー!〉
カメラの外で群青の声が聞こえた。直後、画面の奥の方に映っていたラジオのスイッチを赤ジャージの男が押してすぐにはけた。
雄大なファンファーレが鳴り響く。軍隊ラッパの導入が流れ終え、緊迫を掻き立てる打楽器の音と共に二つのスポットライトが照らされた。
「あっ!尾伊良先生と桜邊先生だ」
「一体何を企んでいる。何を伝えるつもりだ?縁際……」
尾伊良が画面の中央に移動した。
〈もうちょっと右。いや行き過ぎた。ちょい左。うーん、あとちょい気持ち左〉
〈このくらいですくぁ?〉
〈よし、オッケー。ええ位置や〉
「なんだこの緊張感のない電波ジャックは……」
尾伊良は咳払いをして拳を天に突き出した。
〈我々は新たなる時代の信託者ァ!久遠の安寧を授けし者ォ!我々は今!此処に!帝国の誕生を宣言するゥゥァアアッ!!〉
尾伊良は画面が割れそうな程の声で張り上げた。
〈先に言っておく。後ろで転がっている雑魚共は見せしめどぁ。我々に抵抗する逆賊はァ!個人、組織、国家問わず!容赦なく粛正されると心得ておけェ!〉
「宣戦布告か。そのための電波ジャックだったのか」
映像は続いた。次は桜邊が話し始めた。
〈それでは我々の主、皆様にとって新たなる王となる方をご紹介させて頂きとうございマス〉
〈陛下、陛下ァー!〉
皆が息を呑んだ。胸の鼓動が高まるのが分かった。だがいつまで経っても陛下とやらは姿を現さなかった。
尾伊良もそわそわし始めていた。手を後ろに回したまま横を見たり後ろを見たりしていた。
〈陛下?出番ですぞ!何処にいらっしゃるのですかァー!?〉
「普通の番組なら放送事故じゃのう」
紋人の独り言に皆が頷いた。そして、その時はやって来た。
〈ここだじょー!ここ、ここ!〉
〈いずこォォォーーー!?〉
必死で叫ぶ尾伊良の足下でマンホールの蓋がカタカタ動いた。
〈まさくぁ……〉
蓋がゆっくり開き中から人が出てきた。
〈ぼくだじょー!〉
「縁際ッ!!」
予想はしていた。だが二の句が繋げなかった。自分の目で確認するまでは信じられなかった。否、それが達成された今でさえ信じられない。
〈縁際皇帝陛下のおなァァァりィィィーーーッッッ!!!〉
尾伊良と桜邊はマンホールを挟んで敬礼した。
〈ぼくの名前はえっと……へりぞーっていうじょー!〉
マンホールからのそりのそりと出てきながら世界に名乗りを上げる縁際の姿は薄汚れた白ブリーフ一枚だった。
〈陛下ァ!今この映像は全世界に配信されているのですぞ!せめてこの王国の紋章が刻まれた外套だけでも……〉
〈しーっと!ゆーあーしーっと!〉
〈ハハァーッ!!〉
尾伊良は跪き深く頭を垂れた。彼の顔から一気に血の気が失せ冷や汗が吹き出した。戦慄に肩が震えているがよく分かった。
〈ぼくが今日からみんなの王様だじょー!国の名前は、えっと……えっと〉
縁際はへらへら笑ったまま硬直した。数秒後さっと後方に体を反らしカメラに丸聞こえの声で桜邊に耳打ちした。
〈なんだったっけ?〉
〈聖ヘリゾアル帝国で御座いマス〉
縁際は満面の笑みを浮かべカメラの方へ向き直した。
〈へりぞーランドだじょ!〉
〈聖ヘリゾアル帝国デス!〉
縁際は突然、拳を突き上げたかと思うと何度も同じ言葉を連呼した。
〈あいあむふりーだむ!〉
〈ユーアーフリーダム!〉
〈あいあむふりーだむ!〉
〈ユーアーフリーダム!〉
映像は縁際が連呼を飽きるまで続いた。放送が終わるとどの番組も緊急ニュース番組に差し替えられており内容はもちろん先程の帝国の建国宣言についてだった。
様々な感情が入り交じりだんまりとなってしまった居酒屋の宴会場で最初に口を開いたのは杏也だった。
「……なんだこれ?」
杏也は独り言のつもりでいったが皆はまた何も言わずに頷いた。だが一同はまだ知る由もなかった。この頓珍漢な放送が戦禍の狼煙となることを。
つづく...