第四話「動き出した運命」
「貴様等は包囲されているッ!!大人しく武器を捨て速やかに投降せよッ!!」
全身に強固な防具を身に纏った男が分厚いジェラルミンの盾を前に構えてメガホンで叫ぶ。腰には十手と銃が携えられている。
「繰り返すッ!!無駄な抵抗は辞め速やかに投降せよッ!!」
篭った声で何度も警告を繰り返す中年の男がメガホンを下ろし忌々しそうに舌打ちをした。
とある某所に数千の特殊部隊が集結していた。規則正しい隊列が描く全ての火器の矛先は修基大学天啓キャンパスの学舎に向けられていた。一触即発、といったところか。現場には緊迫した空気が張り詰めていた。
逼迫した沈黙が続く中、一人の若い隊員が誰にともなく呟いた。
「制圧部隊が延べ数千、戦車に戦闘機、ミサイル車までも百近い配備……」
「おい、私語は慎め!」
隣の男が小声で注意をした。若い機動隊ははっとして小さな声で反省の言葉を述べたがあまり響いていない様子だった。悪びれず、若い機動隊は言った。
「相手はたった七人。我々は今から戦争にでもしにいくのか?」
「帝国が動いただと?」
密ヶ嶺の眉間が大きくしばむ。息を切らせた居相が柱に掴まり頷いた。
「……仕事の現場から帰る道中交通規制が敷かれていた。表向きには大規模な道路整備だったが怪しく思って迂回してみるとやっぱり天啓キャンパス周辺を封鎖するように警備網が張られていた。強固な装甲車が何台も入っていくところも見た。ただ事じゃない」
「国は彼らをテロ組織と考えているのか」
久兵衛が顎をさすって思考を巡らせた。
「いったい何が起きているのかもう少し手掛かりが欲しいねぇ」
「仕方あるまい。しかしジ・サード決起の日に動くとは引きが悪い」
わけの分からない単語が飛び交った。呆然と聞き尽くしていた在悟の中でやがて歯痒さは苛立ちに変わっていった。
連鎖するざわつきの中、バンと机を強く叩く音がした。
「いい加減にしろ!帝国だとか失踪だとかいきなり突拍子もない話を聞かされて納得できるか!一からちゃんと説明してくれ!」
皆がきょとんとした。在悟が怒鳴ったところを初めて見たからだ。
「それもそうだな。悪かった」
我に還った密ヶ嶺が深く頭を下げた。周りの者も重い空気に潰されそうな顔をしていた。
「ごめんね、在悟」
一人の少女が沈黙を破った。意とせず皆の視線が彼女に集まった。
「纒?」
「私が悪いの。この一年数学を勉強するために海外に行っていたあなたに今回のことを黙っていてほしいと言ったのは私なの」
在悟は纏が何に対して謝っているのかよく分からなかった。ブラックボックスの中で刺さった纏の配慮が小骨のようにもどかしい。
「あれは一年前だ」
たまたま纒の隣に居合わせた冠歴が語り始めた。
「修基大学についての妙な噂の話は聞いたろ。唯一同じ大学に通う浮月からその情報を得たのが半年前だ。最初は気にしなかった。仮に縁際が関わっていたとしてもあいつの少し変わったカリスマ性が誇張された噂だと考えていた。その頃だぜ、三四郎が同窓会を企画したのは」
そこから先は三四郎にバトンが渡った。
「もう聞いてると思うけどこの同窓会にはゆかりのある先生達も呼ぶ予定だった。でも先生達はいなかった。最初は偶然かと思ったけどそのタイミングでの縁際の音信不通。ただ事ではないと思ったんだゾ」
三四郎が続きを話そうとすると誰かが彼の肩に手を置いた。
「それからだ。同窓会のグループで修基大学について調べ始めたんだ」
「杏也!今まで一体どこに?」
「まあちょっとな。それよりも話を続けよう」
今度は、集まりの冒頭に在悟を迎えてくれた杏也が会話を紡いだ。
「俺たちなりに努力した。学業や仕事の傍ら情報を集めては共有した。そしてようやく一つの真実にたどり着いた。この写真を見てくれ」
杏也は懐から一枚の写真を取り出した。画素の粗い写真にはフードを被った六人のシルエットが写っていた。
「これは?」
「今年の五月に天啓キャンパスで撮られた一枚だ。|閃偉≪せんい≫キャンパスに通う久兵衛が天啓キャンパスの友人を頼って手に入れたんだ。ピンぼけして遠目からだがうち一人の男の顔が見えるだろ」
在悟は写真を手に取り目を凝らした。そこには予想だにしなかった人物が写っていた。
「小揺先生!?」
「この写真を久兵衛に送り届けた後、その友人とは連絡が取れなくなったそうだ」
はっと久兵衛を見ると彼は悔しそうに下唇を噛んでいた。ぶつけようのない怒りとやるせなさが彼の瞳にぐるぐると渦巻いているのが目に見えた。
「点と点が繋がった瞬間だ。連中は繋がっていたんだ。何を企んでいるかまでは分からないがそうと知った以上放っていくわけにはいかなくなった」
「なんてこった……」
在悟は唖然とした。事態の全容を知ればどうにかなると思っていた。しかし事は想像よりもずっと深刻で在悟の理解を超えていた。
「それから今に至るまでの数ヶ月俺たちは調査や諜報を続けた。しかし哀しいかな、この破天荒な奴らを牽引できる程の器と頭脳を持つ人間がいなかったんだ。何人か候補はいたさ。だがその両方を備えた奴はいなかった。ただ一人を除いてな」
「えっ?」
杏也が未だ動揺を隠せない在悟の肩を掴んで言った。
「桜函在悟。俺達を導けるのはお前しかいない。お前があいつを……縁際をぶん殴るためのレジスタンス、ジ・サードを引っ張ってくれ!」
「俺がみんなを?」
杏也がこくりと頷いた。彼だけではない、その場にいる全員が許容していた。
「本当は前から伝えたかった。でもお前その時はまだ海外にいたろ?だから纒が今海の向こうにいる在悟に余計な心配はかけさせたくない、伝えれば自分の夢なんて投げ出してすぐに戻ってくるから黙っていてほしいって言われたんだ」
「纒……」
「ごめん、ごめんね。何も言わなくてごめんね」
纏は。何度も謝った。彼女は何も悪くない。ただ彼女は涙を見られまいと必死に俯いた。
「頭脳、器、実力。どれに置いてもお前と比肩できる奴はいない。お前しかいないんだ」
在悟の肩を握る力が強くなる。杏也はかつてなく真剣な眼差しを向けていた。
「やってくれるか?桜函在悟!」
「俺は……」
皆の視線が一挙に彼に注がれた。数刻の静寂の後在悟は小さく息を吸った。
「俺は俺にできることならなんでもしよう。ここにいるみんなのためにも、縁際のためにも。ひいては三年三組のために!」
歓声が上がった。皆この日を待っていたのだ。遂にレジスタンスの想定メンバーが揃ったのだ。ある者は安堵の表情を浮かべ、喜びに打ち震えた。
「在悟にはもう一つ教えておかなければならないことがある」
杏也は取り入った様子で話を続けた。
「なんだ?」
「カルマについてだ」
「ちっ、埒があかないな」
隊を取り仕切る中年の男がまた舌打ちをした。緊張状態に入って数時間、報告に受けた七人が投降する気配はなかった。
「次の合図で強行突破を開始するッ!!全隊、構えッ!!」
男の手を挙げる動作と同時に全隊が突入の構えに入った。
「覚悟しろ国賊共め。今目に物を見せてやる」
「カルマ?」
「河南さん」
聞き慣れない言葉に戸惑う在悟を前に杏也は河南を呼び出した。
「カルマとは生きた証。あるいは生きる力」
「なっ……!?」
河南の差し出す手のひらに小さな炎が揺らいで灯った。
「人が生きているうちに背負う業のエネルギー。それがカルマよ」
「奇跡だ。まるで魔法だな」
灯火が細い煙を出して消えた。
「奇跡ではないわ。人が持ちうる心のエネルギーを取り出しているだけ。でも、それだけに計り知れないものがある」
燻る煙が立ち上ぼりきったとき花南はか細い指を力強く握り締めた。
「今回の戦い、必ずこのカルマが鍵を握る。必ずね」
在悟は生唾を飲んだ。これから始まる戦いをを想像すると鼓動が高鳴った。
そんな折りだった。杏也の携帯の着信がなったのは。
「誰からだ?」
「太洋からだ」
杏也はそれ以上は話さず電話に出た。
「もしもし」
〈おう、帝国と自衛隊のパッチギぼちぼち始まりそうやぞ〉
音声はスピーカーで流れていた。通話相手の声は確かに潮太洋その人であった。
「大丈夫なのか?太洋は」
〈あー、たぶん安全圏からやから大丈夫や〉
身の丈以上に長い釣竿が風にしなる。太洋は天啓キャンパス周辺で最も高いビルの最上階にいた。建物内に人気はなかった。
〈映像通話に切り替えたるわ。ほれ〉
杏也の携帯画面に緊迫した風景が写し出された。
「三、二、一で踏み込むぞッ!!」
乱暴な声がメガホンで拡音された。男の眉間に深い皺が刻まれた。
「三ッ!!」
隊員達に緊張が走る。
「二ィッ!!」
腰を落とし位置につく。
「一ッ!!」
男は大きく息を吸い込んだ。
「突撃ィィィーーーッッッ!!!」
「うおおおおおおおおッッッ!!!」
男達の雄叫びと夥しい軍靴の地を蹴る音が夜の静寂を切り裂いた。校門を力づくに破壊して強烈な照明が照らす学内の進路を突き進んだ。
「ぜんたァーーー……い、止まれィィィッ!!」
学舎手前に差し掛かったところで隊を制止する大声が響き渡った。指揮官の男の声ではない。勇猛果敢に走っていた隊は思わず足を止めた。
「どこだ!どこから聞こえる!?」
「ここじゃいッ!」
学舎の上、月明かりに浮かぶシルエットが飛び降りた。粉塵を巻き上げて着地するその男はフード付きの黒いマントを纏っていた。
「またようけ集まって騒ぎ立ててくれとるのお」
手に持つ武器は一振りの竹刀。ただならぬ気配を漂わせるその男はたった一人、数千の隊列の前に立ちはだかった。
「貴様が首謀者か?まずは素顔を出せ!大人しく武器を捨て投降するんだ!」
一人の隊員が警告をしながら近付いた。手には十手が握られていた。“テロリスト”どもが抵抗してきた場合は生け捕りするように言われていたが隊員には自信があった。如何に警戒しようとたかが人間、馬鹿な真似をすればよく訓練された自衛隊に掛かれば一瞬で制圧できると。
十手を伸ばせば当たりそうな距離まで近付いた時、フードの男はにやりと笑った。
「素顔?そんなに見たけりゃ見せてやる」
「のぁっ!?貴様!」
男はマントを脱ぎ捨てた。機動隊員は前方の死角を遮られめちゃめちゃに十手を振るうが空しく空を切った。
「おいおい、そんな物騒なもん振り回しとったら……」
真っ暗な視界で誰かが耳元で囁いた。ヘルメットの上から誰かが顔面を掴む感覚が分かった。恐怖がピークに達し叫び声を上げようとしたときにはすでに後方へ急降下していた。
「危ないやろがいッ!!」
「が、ぁ!?」
鈍い音を立てて防具と頭蓋の割れる音が響いた。ピクリとも動かない機動隊員のヘルメットの隙間から粘り気のある血が流れた。
真っ赤なジャージに規律の二文字を背負った男が立ち上がる。
「どうしたぁ!さっさまとめてかかってこんかい!来おへんならこっちからいてまうど!」
男の正体は群青進であった。闘将のがなりが空を震わせる。
「ひっ!」
一人の隊員が怯えて銃を構えた。引金に当てた指はがたがたと震えていた。
群青はまたにやりと笑うと胸からぶら下げたホイッスルに唇を当てた。ピィーーー、ピッ!と甲高い笛の音が鳴り響く。
「うわあ!」
驚いた隊員の指に力が込められ銃弾が発射された。隊員はしまったと思った。誤って殺害してしまったと思ったからだ。だがその心配は杞憂に終わった。
「え?」
銃弾が何かに弾かれる音がした。潰れた鉄の弾が乾いた音を立てて転がった。群青の肩からは銃弾による煙が上っていた。
「これは喧嘩売ったいうことでええねんな?」
群青は今度は上のジャージも脱ぎ捨てた。歳に合わない筋肉質の締まった体が露となった。再び甲高い笛の音が鳴り響く。群青はリズムに合わせてその場で交互に膝を上げて足踏みをした。
「く、来るぞ!」
「構うな、撃てェーッ!!」
一人の男の合図を皮切りに銃弾の嵐が一斉に吹き荒れた。だが銃弾は無惨にも隆々とした四肢に弾かれ彼の足元には夥しい鉄屑が散らばった。彼はそれを踏み潰して進む。
「ば、化け物め……!」
「我が行進は陛下が歩む覇道の開拓機!何人足りとも止めさせん!」
つづく...