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三カ月程経ちまして。
自分が恐らく死んだと思われる状況を思い返して、やっぱりこれが転生と呼ばれるような状況なんだろうと結論づけたが。待って欲しい。
ライトノベルは読むし漫画も勿論読む。アニメだってみるからオタクだって言われりゃそうだと返すが、これは勘弁して欲しかった。
そんなに強い情熱は持ち合わせてないのだ。
百歩譲って転生したとしてもまた現代日本に生まれたかった。
あくまで娯楽として楽しんでいたので、実際に自分の身に降りかかってくると、天災にしか思えない。剣とファンタジーの世界ってネットあるの? ゲームは? ジャンクフードとか?
例えこのまま成長したとしても、前の世界の人生で得た満足感がこちらの世界でも得られるのだろうか?
俗物だと言われるかもしれないが、娯楽に囲まれた生活の方が性に合ってる。
絨毯に突っ込んでいた頭を再び上げると、二人のメイドが話しかけてきた。
「坊ちゃまおいでおいでぇー。抱っこしてあげますよぉー」
「坊ちゃまー、こっちにおもちゃがありますよー。ほらほら〜」
え〜と、栗色のボブがエナで金髪のポニーがシーナだっけ?
ぶっちゃけ、こいつらは俺の世話といいつつ遊んでいる。どちらも自分の方が俺になつかれていると言い張るので、俺を床に下ろして距離をとり、なついている方にいくだろうと二人して手招きしているのだ。
こんなの泣き声を上げれば止めるのだろうけど、俺もいい歳した大人(生後半年前後)なので、それはちょっと。
でもいくらなんでも三回も四回も付き合ってられない。やんわりと体で拒否を示していたのだが、どうやら決着がつかないと終わらないらしい。
俺はうんざりしつつも匍匐前進を開始した。今度はエナの方に。
「あー! 坊ちゃま! おもちゃありますよ? ほらほらこちらは楽しいですよー?」
シーナが慌てたように玩具をかき鳴らし悲痛な叫びを上げる。やめてくんない? 毎回選ばなかった方に罪悪感が残るようなことすんの。
エナが鼻を鳴らして勝ち誇ったようにシーナに告げる。
「ふふ〜ん。やっぱり坊ちゃまは私の方がお好きなのよ。夜泣き当番の回数もダントツ私の方が多いし?」
「なーにが、私の方がお好き。よ! あたし知ってんだからね、あんたが夜泣き当番中ずっと寝てんの。坊ちゃまもきっとあんたの顔なんか覚えてなくて、あれー? この人だれだろう? って近づいてんのよ、きっと」
「ううううるさいなぁ! 坊ちゃまが泣き声を上げれば直ちに対応するわよ! 切り替えよ、切り替え!」
顔を赤くして怒鳴るエナに呆れたと溜め息を吐くシーナ。
ああ、まぁね。夜中目覚めても暖炉の前で涎垂らしながら幸せそうに寝てられたら、流石に起こすのは躊躇われるね。
喧々囂々とまた言い合いを始めた二人のメイドを見ながら、この三カ月を振り返る。
どうやらどこかの異世界に生まれ変わったのは間違いないようだ。
赤ん坊の間は暇で暇で、自分のことすらまともにできない。恥辱を覚えたこともあるが、自分は赤ん坊だから仕方ない自分は赤ん坊だから仕方ないと、呪文のように唱え続けた。それはまぁいい。仕方ない。
その暇な時間に必死に情報収集を続けたお陰で、少しわかったこともある。
まず俺の今生における名前だが、ファドニクスというらしい。
次にこの世界に魔法があるというのも分かっている。母親が蝋燭に魔法で火を付けるところを実際に見たからだ。
これには少し興奮した。俺にもできないかと、呪文をまねたりと試してみたが、全く魔法を起こせる気がしない。
そして、転生物のお約束であるチートも、どうやら授かっていないようだ。
ステータスを出したりできるんじゃないかと、色々唱えたり念じたりしたが、なしのつぶて。
端から見ると赤ん坊が唸ったりバタバタするだけという、実に微笑ましいものになった。
こういった転生物のお約束であるスキルを鍛えたりチートの性能向上を、何故転生者は軒並み行うのか疑問だったが、実際に転生してみて分かった。
みんな暇なんだな。
ある一定以上の年齢の人が、その記憶を受け継いだまま転生すると、赤ん坊の間は恐ろしく暇だ。
勉強したり働いたりなど当然なく、娯楽も充実してないのだから、前世でやっていたゲームの中の出来事を実際にやれるとなったら当然、そちらに傾くわなー。
赤ん坊からのスタートじゃない人も生きるために必要に迫られたり、ゲーム感覚で最強目指したりするのも分かる。他にすることが無いのだから。
しかーし。俺はどうやらスキルなんてものはなく、チートも当然持ってない状態の、普通の赤ん坊として生まれ変わったようだ。しっと!
おっと、そんな言い方はないね。一応、便利機能一つ貰ってるみたいだし。
日本語翻訳機能搭載です。
今、言い争っているメイドから放たれている言語は日本語じゃないが、何を言っているのかは日本語として理解できる。何故分かったかというと、口の動きと聞こえてくる日本語が合わないためだ。
つまり映画の日本語吹き替え版みたいな状態だ。
できれば前世でこの機能欲しかった。英語って苦手なんだよねー。
そんな知識と経験は大人な俺が、無力で才能のない赤ん坊に生まれ変わって思うことは一つ。
面倒くさいなぁー。
今から鍛え直したり勉強し直したりしなきゃいけないのか。この世界の常識やルールを一から。
思わず憂鬱になって絨毯に顔突っ込むぐらいは許して欲しい。ああでも、魔法は覚えたいよね。でも赤ん坊じゃ使えないっぽいし。
そんな感じでメイドの言い争いをボーっと見ていたら、扉からまたメイドが入ってきた。
黒髪をひっつめにし眼鏡をかけた二十代後半ぐらいのメイドだ。名前はタージェさん。
タージェさんが入ってきた途端ピタリと争いがやむ。それどころかエナにシーナの二人は汗をかきはじめた。
「……あなたたちにはファドニクス様のお世話をいいつかっていたと思うのだけど?」
「はいぃ! その通りですぅ!」
「坊ちゃまのお世話をしていました!」
タージェさんは絨毯の上で座っていた俺を抱き上げるとエナとシーナを睨んだ。
「あなたたちには一度お世話というものの概念を聞いてみなければいけないようね?」
「「はい! すみません!」」
その後、暖炉の火が消えかかっている、部屋の掃除はしたのか、坊ちゃまのベッドのシーツは常に清潔にするように、そろそろお食事もされるから用意するようにと、矢継ぎ早に指示を出しエナとシーナの二人は慌てて部屋を出て行った。
二人きりになるとタージェさんはジッと俺を見つめてくる。きたか。
タージェさんは俺の頬にキスをすると、緩みきった表情で聞いてくる。
「は〜い。お腹すきましたねぇ〜? 体キレイキレイにしまちょうねぇ〜。坊ちゃまは良い子でしゅね〜」
嬉々としてキスの雨が降ってくる。この人ちょっと怖い。
しかし、拒否するわけにはいかない。一度拒否したら二日程寝込んだらしいのだ、この人。
この後は、いつも通りお湯を持ってきて無理やり俺の服を剥ぎ、体を拭くのだろう。
俺は刑の執行を待つ罪人のような心持ちでそれを待つ。
この世界で初めて覚えた呪文を唱えながら。
赤ん坊だから仕方ない赤ん坊だから仕方ない。