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どうも転生者です。なんて、ははっ。……いや笑えねえ。
思わずコテッと頭を絨毯に突っ伏してしまうが、毛が深いので大したダメージはないし、見た目的にも問題ない。
なぜなら――
「きゃ〜! かわっ、可愛いですぅ!」
「ほら〜、こっちですよ〜。おもちゃで遊びまちょ〜」
俺は赤ん坊だからだ。
毛足の長い絨毯から顔を上げると、喜色満面の笑みを浮かべているメイドさんが玩具を振って必死に俺の気を引こうとしてる。
全く応える気がない俺は、再び絨毯の中に頭を突き入れた。黄色い歓声が上がる。
なんでこうなった?
上手く思考をまとめられないまま、ぐるぐると、俺は自分が死んだ時のことを思い出していた。
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俺は今年で二十五歳になるサラリーマンだった。
会社でのポジションは中間管理職で、使えない部下の尻拭いを毎日文句を言いながらこなしていた。
その日も朝早くに会社に行っては、誰かがやらなきゃいけない仕事の準備を何故か俺一人でこなし、夜は誰よりも遅く仕事を終えた。
文句は、正直山のようにある。
新人に成り立ての頃、俺の教育を担当していた人に「これは新人の仕事だから」と教えられ、そういうこともあるだろうと後輩が入るまでその仕事を受け持っていたが、いざ後輩が入ってきて、同じように仕事を教えたら、後輩はその仕事をサボりだした。
怒られたのは、何故か俺だ。
「もうお前の担当だから」
そう言って上司は締めくくり、俺にその仕事を投げた当時の先輩は知らんぷりをしていた。
いい職場環境とは言い難かったが、ここでまた誰かにこの仕事を投げて、俺の教育を担当していた先輩のようになるのも、仕事に適当で使えない後輩のようになるのも嫌だったため頑張った。
仕事は毎日残業ばかりでプライベートな時間なんて余り取れなかった。
それでも健康には注意していたし、少ない休みを使って友達と遊んだり飲んだりしてストレスを発散させていた。
酒を飲んでいる時の友達の愚痴で、苦労しているのは自分だけじゃないんだと少しスッキリしていた。
それでも俺は死んでしまった。
病気や過労で死んだわけじゃない。誰かを助けるためとかカッコいい理由があるわけでもない。
単なる交通事故で。
いつも通り帰るのが遅くなり、コンビニで弁当を買おうと車を走らせていた。
信号は青。
普通に交差点を抜けようとした時、衝撃。視界が明滅し、気づけば地面に這いつくばっていた。
何が起こったのか分からず、力の入らない体。
それでも状況を理解しようとフラフラと視線を上げたら、酔っ払っているのか赤い顔色をした後輩が車から降りてくるのが見えた。
助手席から降りてきた知らない女と何か口論になり、再び二人とも車に乗り込んだ。
バックして反転すると後輩の車は遠ざかっていった。
よく分からない。コンビニに、あれ? 仕事は、終わった。あいつ今日休みで。車に乗ってたよな? 十時過ぎて。外食。帰らなきゃ。
現状の把握が上手く出来ず取りあえず起き上がろうとしたが、やはり体に力が入らない。それどころか、どんどん抜けていくような……。
唯一動かせる目で自分の体を見ようとしたが、上手く視界に入らない。
そうこうしている内に、何かがじんわり地面に広がっていく。
それが血だったと今なら理解できるが、当時の俺には分からなかった。
ただ、何となく感じていただけだ。
多分、死ぬんだろうなぁ、と。
死にたくはなかった。死ぬのは怖いし、生きてやりたいこともいっぱいあった。
しかし目前に迫る死に恐怖はなく抵抗もなかった。
逆に少しの安らぎを感じ取っていた。
段々と視界が黒く塗りつぶされていく中で、声が聞こえてきた。
『生きたい?』
少し高い澄んだ声は、おそらく女性のものだと思う。
声なんて出せるわけがなく、その問いには胸の中だけで答えた。
『別に』
意識が暗闇に飲み込まれる中で、誰かが笑った気がした。
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気がつくと闇の中にいた。
死後の世界だろうか? 体を動かそうとしたが上手く動かせず、見えるのは闇ばかり。
ふと不安になり、声を上げようとしたが、出てきたのは自分の声とは似ても似つかない泣き声のようなものだった。
なんだこれ?
思いっきり暴れてみたが、やはり体は上手く動かない。
暗闇の中でジタバタとやっていると、視界の端に灯りが灯った。
灯りは段々と大きくなり、誰かを映し出していた。
どうやら蝋燭を持った誰かが近づいてくるようだ。
「はーい。どうしたのかなー。寂しかったのかなー」
そう言いながら、ブロンドの長い髪を三つ編みにして肩から垂らしている美人が、蝋燭を脇に置き手を伸ばしてきた。
不意に視界が大きく動き、一瞬の浮遊感の後、近寄ってきたブロンドの美女の胸がアップになった。
ん!? いやいや、それはヤバい。
また動かせない体を必死にジタバタさせるが、ブロンドの美女から離れる事はなかった。
「んー? どうしたのー。お母さんですよー」
いやいや、それはない。
どう見積もっても二十歳そこそこの女性だし。うちの母さんは今年五十になる。髪がパツキンなのに日本語って。
体を軽く揺すられ始めた。
全然動いてないのに疲労の溜まった体は、そのゆっくりとした揺すられるリズムに眠気を覚える。
不思議な安堵感に包まれ瞼が重くなっていく。
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再び目が覚めた。
窓から光が入ってきて室内を照らしている。
知らない天井だ。
少しボーっとしてしまったが、すぐに起き上がろうとする。しまった、会社!?
「うえあーう、いぃー(今何時!? やべー!)」
体をジタバタさせるがやはり上手く動かせない。
「はいはーい。坊ちゃま起きましたかぁー?」
必死に体を動かしていると再び誰かに抱えられる。
栗色の髪をボブカットにしたメイドが笑顔を向けてくる。
「うー、あーうー(おう……メイドさん)」
さっきから近くで赤ん坊の声のようなものが聞こえてくる。ここはどこだ?
「今日は機嫌がいいですねぇー。やっぱり昨日、奥様が寝かしつけたからかしら?」
ニコニコと笑顔のメイドさんが俺を抱っこする。そこで、漸く気づいた。
小さな手足、前掛け、ゴワゴワした下半身の感触。
その小さな手が自分の意志によって動くのを確認し、手をゴシゴシと顔に擦り付ける。
「あー、まだオネムなんでしょう? あんまり顔こすっちゃ駄目ですよぉー」
「うー、うぅ?(うーん。うん?)」
つまり、あれだ。だから、えっと。
全然知らない場所だ。
中世ヨーロッパのお屋敷の一室を再現したような所だった。あ、暖炉あるよ暖炉。初めて見たよ暖炉。
ふと足元を見る。今まで自分が横たわっていたであろう場所に、ベビーベッドがあった。
「うー、あふだ(なんじゃそりゃ)」
取りあえずの現状は把握した。
どうやら赤ん坊になったみたいです。いえ、おかしいわけでなく。