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第十話 イシス辺境伯爵領事変 2

第十話 イシス辺境伯爵領事変 2


side コビー


眠気を誘うような陽気の午後。

『四同盟の目』と呼ばれる砦の一角に建てられた竜小屋と呼ばれる場所を、藁を持ってせっせと働く男の姿があった

その男の名はコビー。

竜小屋で飛竜を始めとする、いくつかの飛行可能な生き物の面倒を見る仕事。

つまり、竜番と呼ばれる仕事を、30年続けてきたベテランだった。


(今日は平和だ)


藁を運びつつ、十室ある部屋の全てが空になった竜小屋を眺めるコビー。

といっても、コビーは生き物達が居ないため、仕事が少なくなり平和だと言っている訳ではない。


(貴族が居ないだけで、こうも心穏やかに仕事ができるとは。

 不謹慎だが、アンデットが毎日襲ってくればいいのに)


『ツェッペリ準男爵』と書かれた札が貼られている区画を眺めながら、コビーはそう思う。

コビーが働いている竜小屋で飼われている生き物達は、貴族達が乗り、戦うためのものだった。

つまり、生き物達が居ないということは、それに乗る貴族達も居ないということを意味していた。

貴族達は、大樹海から現れたアンデットを倒そうと、今朝、先を争うように出陣していたのである。


「主!終わりました!」


物思いに耽るコビーに、小太りの少年が声をかける。

主とは、コビーのことであり、少年はコビーの部下の一人だった。

コビーの名目上の立場は、あくまで竜番を勤める平民達の取りまとめ役でしかなかったが、実質的には竜番を統括していたため、竜番を勤めている他の平民達から、敬意を込めて主と呼ばれていた。


「おお!早いじゃないか」


「今日は、訳の分からない命令を出してくるお貴族様が一人も居なくて仕事に専念できました!

 特に我等の上司、ツェッペリ準男爵が居ないので、仕事が捗ってます!

 ツェッペリ準男爵!居なくて、ありがとうございます!」


少年が、ツェッペリ準男爵の札に頭を下げながら言う。


『我等の上司』と少年が言うように、竜番の責任者はツェッペリ準男爵という名の貴族だった。

だがツェッペリ準男爵は、竜番の仕事についてはまったくの素人の上に、仕事を覚えようという気持ちも無かった。

しかも厄介なことに、仕事をコビーに丸投げしてくれればまだ何とかなるのだが、丸投げをせず、色々と的外れの指示を竜番達に出してきたのである。


ツェッペリ準男爵の立場としては、完全に丸投げしてしまっては、砦を指揮する辺境伯閣下に面目が立たないのだろう。

だが、的外れな指示を出される竜番としては堪ったものではなかった。

的外れな指示により、常に竜番の現場は混乱し、仕事が滞るという事態が発生していたからだ。


そしてその的外れな指示は、非常に困ったことにツェッペリ準男爵に限った話ではなかった。

生き物達を所持している貴族達の大半は、聞きかじった知識や思いつきで竜番に命令を出すことが多く、ツェッペリ準男爵によって発生した混乱を、更に悪化させていったのである。


つまり、コビーが今日は平和だと思ったのは、ツェッペリ準男爵も含めて、貴族がほぼ全員出撃してしまったため、仕事が混乱しなかったからだった。


「まったくだ、馬鹿貴族達はどいつもこいつも本当に仕事の邪魔でしかない!

 居なくて、真にありがとうございます!!」


少年に続き、コビーより幾ばくか若い中年の男が現れ、少年と同じくツェッペリ準男爵の札に頭を下げる。

この中年の男もまた、コビーの部下で、コビーの次にベテランだったが、コビーと比べ少々思慮が足りないところが難だった。


(少し不味いな)


二人の様子を見て、コビーは貴族への愚痴を止めさせるべきだと思った。

確かに貴族の大半は出陣しており、ここには平民の竜番しかいない。

そして、竜小屋の総数は31棟もあるが、現在使われているのは、コビーが今居る1棟と、特殊な事情があるもう1棟だけ。

つまり、竜小屋に出入りする平民の数は限られており、コビーはその全てを掌握していたのだったが、用心することに越したことはなかった。

人の口に戸は立てられぬ、と言うように、噂として二人の言動が貴族に漏れる可能性があるからだ。


「だが、ここの貴族共は可哀想な人達だから、少しは大目に見てやれ」


たしなめるように、コビーが二人に言う。

コビーが言ったように、四同盟の目に居る貴族達は、ある意味では非常に可哀想な存在だと言えた。

四同盟の目とは、その名の通り四カ国同盟が健在だった時代に建てられた砦の一つであり、その役割は魔王の居城だった大樹海を監視する目だった。

そのため、監視役として竜騎士が重宝され、伝承によると最盛期には300騎に及ぶ竜騎士が駐留していたのだという。

そして、その伝統は現在も受け継がれており、四同盟の目に駐留している貴族達は、大樹海を監視するという役割が与えられていた。

このように役割だけを聞くと、砦の重要性は極めて高く、神聖オルトラン王国の精鋭が駐留しているような印象を受けるが、その実態はお粗末なものだった。

四同盟の目に配備されるということは地母神教会の威光により、依然として『名目上』は名誉なことだとされているが、魔王が伝説上の存在となった今では、所謂左遷先とも言える場所になっていたからである。


戦闘力に自信のある貴族は、戦場にて名を上げる。

知力に自信のある貴族は、官僚の園で名を上げる。

財力に自信のある貴族は、舞踏会で名を上げる。

美に自信のある貴族は、寝所で名を上げる。

何もかも自信がない貴族は、心の中で名を上げる。


誰が言い始めたのか分からないが、王国で活躍できなかった貴族を揶揄した有名な言葉である。

だが、神聖オルトラン王国での貴族の実態をよく表した言葉でもあった。

秀でたものを持たない貴族は、自らの領地に引き篭もり「古来より王から与えられた領地の管理に尽力した」と自画自賛するか、活躍するエリート達が見向きもしない仕事に自分が納得できる理由を見つけ、その仕事に就任するということが大半だったからである。


王都オラトリオから遠く離れた田舎で、これといった出世のチャンスも無い四同盟の目での勤務は、エリート達が見向きもしない仕事の一つだった。

だが、地母神教会の威光で、名目上とは言え名誉だけは手に入る。

つまり言葉は悪いが、負け犬になってしまった貴族達が、藁をも掴む思いで『名誉』を掴もうとやって来るのが、四同盟の目という場所の実態だった。


そして、そんな彼等を平民達は『可哀想な人達』と密かに呼び馬鹿にしていた。

所謂、憂さ晴らしという奴である。

つまり、コビーは二人をたしなめるように言っているように見えて、実際はガス抜きをしているのだった。


「すみません主!調子に乗りました!」


「すみません!」


少年と中年の男が、素直に頭を下げる。

だが二人とも顔には、依然として侮蔑や不満の色が残っていた。


(二人はこの近くの出身だったから、仕方が無いか)


二人の出身地を思い出し、侮蔑や不満の色が消えないのも仕方がないとコビーは思う。

神聖オルトラン王国は広大である。

よって、地域によって特色があり、イシス辺境伯領近辺では神聖オルトラン王国の中でも特に亜人の人口が多く、亜人との交流も多いという特色があった。

そして、二人は地元、イシス辺境伯領の出身だった。

そのため、二人も友人とまではいかないものの、何人もの亜人の知人がいた。


だがここ数年、そんな二人にとって面白くない事態が起きていた。

神聖オルトラン王国全体で亜人に対する風当たりが強くなり、四同盟の目に駐留する貴族達の間でもそれが顕著になってきたからである。

そしてそれは、平民が亜人に対して行ったのなら、罪に問われるような酷いものが幾つも含まれていた。


哨戒に出たはずなのに、どう見ても亜人の集落から脅し取ってきたとしか見えない金銭を持ち帰ってきた。

亜人に難癖をつけて無礼打ちをしたとしたか思えないような話を武勇伝のように語っていた。

正当な対価を払うと約束しておきながら、仕事の出来が悪いと難癖をつけ、最後には奴隷商人に売り飛ばした。


このように、亜人に対して特に何も感じていないコビーであっても、顔をしかめる様な話が、最近は幾つも耳に入ってきていた。


だが、だからと言って、貴族に表立って盾突いていい理由にはならない。

コビー達平民は貴族に逆らってはいけないのだ。

逆らえば最悪の場合、死が待っている。


「まあ何だ、まともな貴族も少しはいる。

 不平不満はあるだろうが、そういうまともな貴族向けの仕事も、俺達がしているんだってことを忘れるな!」


「「はいっ!」」


叱り付けるように、コビーは二人に言う。

少しは効果があったのだろう、表面上は二人の顔から侮辱と不満の色が消えたのが見て取れた。


(とりあえず今は、これでいいか)


「分かったなら、ハルスの大切なシェイリィお嬢様の竜小屋へ行くぞ!」


「「はいっ」」


とりあえず、及第点になったと判断したコビーは、バンッと二人の肩を叩き、そのまま竜小屋から出て行く。

そして二人は、体のホコリを払い、顔の表情を引き締めると、キビキビとした動きでコビーの後を追っていくのだった。


----------


ハルスは、従騎士と呼ばれる身分に位置する立場の少年であり、コビーが言った、まともな貴族の一人だった。

従騎士は貴族ではあったが、騎士・正騎士と合わせて士族階級や単純に士族とも呼ばれており、貴族階級の最底辺を構成する身分である。

最底辺と表現したように、貴族と言えども、士族と呼ばれている者達は、貧しい生活を送っている者達が多かった。

貧しい生活の理由としては、神聖オルトラン王国の直接の配下として自治権を与えられた準男爵以上の貴族とは違い、士族は準男爵以上の貴族の配下として土地と幾つかの特権を持つ以外は平民とあまり変わらなかったからである。

しかも、長年続いている神聖オルトラン王国内の権力闘争の影響で、土地を失ってしまった者も多く、実質的には下手な平民以下に落ちぶれることも多かったからだった。


ハルスも、そのような立場に生まれた少年だった。

本人の談によると、ハルスの家は曽祖父の代に起きた内戦で背負った借金によって土地を失い、名ばかりの貴族に成り下がっていた。

そのためハルスは、四同盟の目へと駐留の嘆願を行う際に、誰の推薦も、まともな装備も用意できなかったのだという。


ハルスの話は非常に悲惨なことのように聞こえるが、よくある話でもあった。

土地を失った貴族は、どこかで働くしかない。

だが、土地より手放しやすい装備は、土地より先に手放していることが多く、人脈についても金を失った時点で消えてしまうものが多かったからだ。


よって、『よくある話』の結末は、門を叩いても門前払いされるか、せいぜい平民と一緒に下働きを任されるというものだった。


事実、ハルスも一度門前払いを喰らったらしい。

だがハルスは、他の者達と一つだけ違うところがあった。

次の日、ハルスは白く美しい飛竜を自分の竜として連れて来たのである。

竜騎士の価値をよく理解している辺境伯閣下の一押しで、ハルスはその日のうちに四同盟の目に駐留を許された。

そして、コビーとハルスは出会ったのだった。


そんな目立つ経歴を持つハルスだったが、元来平民と同じ立場で暮らしていた影響もあるのだろう。

他の多くの悪行が目立つだけの貴族達とは違い、竜番達にも紳士的に対応し、日々の訓練も真剣そのものだった。

特に、お座成りな訓練をする者が多い中で、毎日泥だらけになりながら訓練する姿には平民の誰もが感心していた。

そのため、ハルスは平民達の間で非常に評判が良く、コビーも「久しぶりに見込みのある奴が来たじゃないか!気合を入れて仕事をしなくちゃいけないな!!」と、出来る範囲でハルスを応援していた。


そんな応援の一つが、今コビー達が向かっている、彼の飛竜であるシェイリィ専用の竜小屋だった。

あれは、ハルスが砦に来て二ヶ月程経った頃だった。

「シェイリィが、他の汚い竜達と一緒の小屋に入れられるのが嫌だ!

 あんな臭い場所、もう限界って言っているんです!

 どんなに古い小屋でも構わないのでシェイリィ専用の小屋を用意してあげてください!

 お金が掛かると言うのなら、僕のお給金を出します!

 お願いします!

 お願いします!

 お願いします!」

とハルスがコビーに土下座してきたのである。

(喋りもしない飛竜がそんなこと言うわけ無いだろ!

 もしもそんな事を言う飛竜が本当にいたら、とんでもないお嬢様飛竜だな!)

とコビーは思わずツッコミそうになったが、必死に頭を下げる姿と、日々の紳士的な態度を思い出し、コビーは特別に助けることにしたのだった。

といっても、コビーにできることは限られている。

用意できたのは、元々藁を保管する小屋の一つだったが、古くなった今では使われなくなっていた小屋だった。

そのため、ハルスに引き渡されたされた直後の小屋は、石で作られた外見だけを見るとそれなりに綺麗に見えるが、中を覗くと廃屋の一歩手前という有様だった。

ところが…


「相変わらず、女の子の部屋って感じですね」


「まったくだぜ。

 いつも思うんだが、これはハルスがやってるんだよな?」


少年と中年の男が、緊張した顔をして部屋を覗き込みながら、ヒソヒソと話す。


窓には花柄のカーテン。

その横には、花が植えられた鉢植えと、綺麗に織り込まれた藁で作られたベッド。

ベッドの上に置かれた花柄のクッション。

そして何故か置いてある『開錠厳禁』と女の子らしい字が書かれた鍵つきの小さなタンス。


元が藁を保管する小屋であるため無骨な造りは変わっていなかったが、ポイントポイントに女の子らしい小物や家具が置かれ、小屋の中はまるで年頃の女の子の部屋のようになっていた。

この部屋の様相が、ハルスの飛竜を「シェイリィお嬢様」とお嬢様付きで竜番達が呼ぶ理由だった。


「正直言って、そうは思いたくない」


中年の男の言葉に、渋い顔をしてコビーが答える。

コビーの心には、よくぞあのボロ小屋をここまで立派な竜小屋にしたものだと感心する思いもあったが、同時に自分の行いを後悔する思いもあった。


飛竜は獣並みの頭脳しか持っていない。

そのため、シェイリィお嬢様が、小屋の内装を自分でコーディネートすることなど絶対にできない。

よって、この部屋をここまで改装したのはハルス自身ということになる。


つまり、シェイリィお嬢様がメスとはいえ、まるで人間の女の子のような部屋を自分の飛竜に与えたということは、ハルスがシェイリィお嬢様を人間の女の子、もっと突っ込んだ言い方をすれば『異性として意識している』ということではないのか。

そしてそのような間違った想いを、自分は後押ししてしまったのではないか、ということがコビーの後悔していることだった。


確かに、自分の飛竜がメスだった場合は、飛竜の身に着ける竜具のデザインをオスの物とは変えたりするという事例はある。

だが、土下座までして部屋を用意し、給金を叩いて部屋をこのように女の子風にしてしまうという話は聞いた事が無く、どう控えめに見てもハルスの行動は異常だった。


(そういえばこの前も、シェイリィお嬢様が綺麗な飛竜だとハルスに褒めたら「シェイリィはもの凄い美人だと僕も思います、村を出て色んな女の人を見て始めて気がつきましたけど」って恥ずかしがりながら言っていたな。

 他にも、メイドがハルスを夕食に誘ったら「シェイリィとご飯を食べる約束があるから」と言って断ったという噂も最近あったな)


ハルスとシェイリィお嬢様の関係が怪しいという噂が立った当初、コビーは「それは難しい言葉で言えば論理の飛躍って奴だ!」と言い、そのような噂を一蹴していた。

だが、色々な噂が耳に入り、そして自身も噂を裏付けるような経験をするに従って、コビーの自信は崩れていった。

そして今では、久しぶりに見所がある貴族だと思っていたハルスが、実は性倒錯に陥っているのではないか?という不安がコビーの心を支配すようになってしまったのである。


(いや、川岸でハルスがローブで体を隠した人物と逢引しているという話もあるじゃないか。

 しかも、声を聞いた奴の話だと、若い女だって)


コビーは顔を振り、不安を吹き飛ばす。

確かに、不安になる話は沢山あったが、それに反論できるような話もあったことをコビーは思い出した。

ハルスが若い女性らしき人物と逢引しているという目撃証言がいくつかあったのである。


(ハルスはちょっと自分の飛竜を可愛がり過ぎているだけだ)


そう思い直したコビーは、いつもの日課のように小屋の入り口から中に入らずに、部屋を目視で確認した。


「問題無しだな」


「無しですね」


コビーの言葉に、中年の男が同意する。

竜番の仕事は、竜小屋の管理。

つまり、掃除等であったが、シェイリィお嬢様の小屋だけは、こうやって様子を確認するだけだった。

何故なら、以前勝手に部屋に入ろうとしたところ、シェイリィお嬢様に噛み付かれそうになった上に、ハルスが「シェイリィが怒っているから、掃除とかは自分達でやります!」と言ってきたからだ。

そのため、シェイリィお嬢様が不在の場合は、竜番達は入り口から目視で何か問題がないか確認するだけに留め、問題が無ければそれでシェイリィお嬢様の小屋での仕事は終わりという仕組みになっていた。


「誰も居ない今日なら、中身が見られるかもしれないですね」


「なんだと?」


「あのタンスの中身ですよ、気になりませんか?

 タンスの鍵ぐらいなら、頑張れば針金で開くかもしれませんよ?」


仕事は終わりのはずだが、二人が『開錠厳禁』と書かれたタンスを指差しヒソヒソと話し始める。


「確かに気になるが、噛み付かれるどころじゃ済まない気がするからやめるんだ!」


それをコビーは止める。

鍵を針金で開けるということが犯罪だからという訳ではなく、唯の勘だが、とてつもなく悪いことが起きる気がしたからだった。


「さあ、今日の仕事はとりあえず終わりだ、行くぞ!」


二人を連れて、小屋から離れるコビー。

コビーは、そのまま竜番の待機小屋へと移動しようとする。

貴族達が全員出陣した今、もはや仕事など無いはずだからだ。


「ピューイ!」


ところが、どうやら仕事は終わりでは無かった様だ。

コビーの耳に、鳥のような鳴き声が入ってくる。


「あれは、アインツヘン準男爵ですね!」


肉食獣を思わせる体に、鳥の顔と羽根を持った獣。

グリフォンが、颯爽と降りてくる。

その上には、幸の薄そうな顔をした中年が乗っていた。


「くそっ何がアンデット相手だったら、動きが鈍いから簡単に倒せるだ!!

 あいつら、魔法を使いやがったぞ!!

 私の可愛いミーコちゃんが助けてくれなければ、今頃どうなっていたことか!!!

 出世のチャンスどころか、死ぬところだったんだぞ!!

 誰だ!簡単に倒せるといった馬鹿な奴は!!」


立派な白銀の鎧を泥だらけにしたアインツヘン準男爵が怒り狂いながら、グリフォンから降りる。

実力は無いが、先祖から受け継いだ頑丈な鎧と、忠実で有能なグリフォンを所持していたことで命拾いしたようだった。


「お怪我はありませんか」


明らかに怪我は無さそうだが、コビーはご機嫌取りのために言う。


「無い!

 竜番!ミーコちゃんをしっかりと休ませてやってくれ」


「ははっ!」


アインツヘン準男爵は、グリフォンをコビーに預けると、怒りの表情のまま砦へと向かう。

それを(やっぱりこうなったか)と思いながらコビーは見送った。


今回、大樹海から現れたアンデット達は、大樹海近くのアーダン村を襲ったのを皮切りに、街道沿いの村三つを襲い、慌てて駆けつけた衛兵を返り討ちにしていた。

奇跡的に村人、衛兵ともに死者はなかったものの、衛兵一個分隊、合計十人の衛兵を簡単に打ち破ったことから、かなりの強敵だと思われていた。

ところが「動きと知能が低いアンデットなら、空中や遠距離からの攻撃で一方的に倒せる」「村三つを襲い衛兵を返り討ちにしたアンデットを倒せば、名を上げることができる」等といった噂が貴族の間で広まり、まともな実力も無いのに誰も彼も出陣してしまったのだった。

そのため、返り討ちになるのではないか、とコビーは心配していたところだったのである。


「おい!ミーコちゃんに水を持って来てやれ!」


コビーが少年に命令する。

ところが、少年はそれに答えず「主!また帰ってきました」と言い、空を指差した。

コビーが空に目を向けると、今度は灰色の体を持った飛竜がゆっくりと降りてきた。


「今度は、エントラケス子爵か」


飛竜を見上げていたコビーが嫌な顔をする。

エントラケス子爵は、年は若く十代半ばだが、特に悪行が目立つ貴族として有名な人物だった。


気に入らない平民に無実の罪を着せた。

任務の哨戒飛行をまともに行わず、任務に出たと言って街で女を買っている。

亜人の女を強姦した。


等など、噂ではあるが、酷い話ばっかりだった。


「出迎えご苦労」


ニヤニヤとした気持ちの悪い笑顔をしたエントラケス子爵が、飛竜の上から言う。


「飛竜をお預かりいたします」


それに対し、コビーは顔が酷く歪むのを必死に抑えながら、決まりきった言葉を出す。

コビーの顔が酷く歪みそうになった理由。

それは飛竜の背中に、エントラケス子爵とは別に、二人の見目麗しい女性の姿が見えたからだ。

二人の見目麗しい女性は、兎のような耳と尻尾を持った亜人。

兎人だった。


「おい!さっさと降りろ!」


エントラケス子爵が、飛竜の上に乗る二人を怒鳴りつける。


「はい…」

「ごめんなさい」


怯えた様子の二人が、おずおずと飛竜から降りてくる。

明らかに、友人等の類ではなく、ろくでもないことをエントラケス子爵が行ったことは明らかだった。

だが、コビーはそれを指摘しようとは思わなかった。

兎人の二人には悪いが、助けようとすれば自分までどんな目に遭うか分からない上、残念ながらコビーの力ではどう頑張っても二人を助け出すことができなかったからだ。


「あの、この二人は?」


「ああん?」


ところが、コビーの後ろにいた少年が思わずといった感じで、エントラケス子爵に声を掛けてしまう。

亜人の知人がいる少年としては、無視しようとしても、無視できなかったのだろう。


「申し訳ありません、エントラケス子爵。

 こいつは言葉が不明瞭なところがありまして、後ほどしっかりと教育しておきます。

 そちらのお二人はどういったご関係の方でしょうか?

 ご客人でございましたら、辺境伯閣下にお伝えしませんと」


そのため、コビーが慌ててフォローを入れるという事態になった。

『駐留する貴族に来客があった場合、イシス辺境伯として接待の有無が必要か判断しなくてはならないため、来客を報告すること』

コビーは咄嗟にメイド達の規則をの一文を思い出し、少年の話を誤魔化したのだった。


「ああ、こいつらは…捕虜だ、これから尋問する」


その問いに対し、目を少し泳がせながら、エントラケス子爵が言う。

その様子を見て、明らかに嘘だとコビーは思った。

恐らく、アンデットを狩るために出陣したものの、その強さを目の当たりにして逃げ出し、腹いせに見目麗しい女性を攫って来たという所が真実だろう。


「ははっ、お勤めご苦労様です」


だが、それを指摘するわけには行かない。

コビーは頭を下げ、この話をここで打ち切ろうとする。


「捕虜ですか、それなら衛兵を呼びましょうか」


だが、今度は中年の男が、噛み付いてしまう。

捕虜を連れているのなら、逃亡等を警戒して衛兵を用意するのはあたりまえである。

そのため、中年の男の発言は間違ってはいなかったが、この場においては明らかに嫌がらせだった。


「衛兵?

 そんなものいらない!!

 こいつらは、これから俺が自分の部屋でじっくりと尋問する。

 へへへっ楽しみだなあ」


エントラケス子爵は、鼻の下を伸ばしながら、舐めるように二人の女性の体を見る。


「…」

「っ」


エントラケス子爵の言葉に、女性の一人は涙目で俯き、もう一人は歯を噛み締め、フルフルと首を振る。


「来いっ、しっかりと楽しませろよ?

 楽しめなかったら、家に帰さずに、オガサワラ子爵の奴隷市に売り飛ばすからな」


女性の一人を抱き寄せ、更に気持ちの悪い笑顔になりながら、エントラケス子爵は歩き始める。

そんなエントラケス子爵の顔とは逆に、二人の女性は顔は恐怖と悲しみに塗りつぶされていた。

その顔にコビーは罪悪感を感じるが、既にかなり危険な問答が続いているため、できることはただ一つだった。


「後は頼んだぞ」


「はい!」


エントラケス子爵に頭を下げ、見送ろうとするコビー。

ところが、ここで問題が起きた。

少年と中年の男の二人が、頭を下げなかったのだ。

厳密に言うと頭は下げたのだが、コビーと比べ、明らかにワンテンポ遅れてしまったのである。

意図してやった訳ではないのだろう。

だが、エントラケス子爵の行為に内心、腸が煮えくり返っていたため、ワンテンポ遅れてしまったのである。


「おい!そこの二人!!何か文句があるのか!!!」


エントラケス子爵が、腰に差した剣を抜き、二人に向ける。


「何もございません!」


「ございません!!」


中年の男が大声で弁明し、少年もそれに続く。


「嘘をつくな!!

 その目は何だ!!!!」


エントラケス子爵が、剣を少年の顔の目の前に突き出す。

非常に不味いことに、少年の目には隠しきれない怒りが籠ってしまっていた。

まだ若いためだろう。

内心を隠すことに少年は長けてはいなかった。


「待ってください!!」


(このままでは、無礼打ちされる!!)

そう思った、コビーは慌てて二人の前に飛び出す。


「待てだと!!

 誰に向かって命令している!!」


しかし、それは完全に悪手だった様だ。

強い口調で言ってしまったのがいけなかったのだろう。

コビーの言葉にエントラケス子爵は激昂する。

ゆっくりと、エントラケス子爵が、コビーに向けて剣を振り上げた。

突然姿を現れた死に、コビーは目の前が真っ暗になる。

だが、次に感じたのは体を切り裂かれる熱い感覚ではなく…



今まで経験したことも無いような激しい嵐だった。


「うわああああ!?」


「きゃあ!?」


「主ーーー」


まるで嵐のような風が体を横殴りに吹き飛ばし、コビーの体が地面をゴロゴロと転がる。

周りからは、エントラケス子爵や兎人の悲鳴、そして自分を呼ぶ中年の男の声が聞こえるが、体の回転が止まらないコビーには、何が起きているのかまったく理解できなかった。


風に流されるまま、コビーの体は転がっていく。

それが何秒ほど続いただろうか、突然風が弱まり、体の回転が収まり始めた。


(今だ)

その隙に、コビーは四股に力を入れ、一気に体の回転を止める。

そして、両手を地面につき、体を起き上がらせようとした。

ところが、そこで今度は違う衝撃が押し寄せてきた。

まるで、地面が引っくり返ったように揺れ動き、またコビーの体が吹き飛ばされたのである。


「ゲホッゲホッ」


突然周囲を覆った土ぼこりに咽つつ、コビーが体を起き上がらせたのは、体が再度吹き飛ばされてから10秒ほど経った後だった。


「皆、無事か?」


コビーが辺りを確認すると、景色が一変していた。

何故か、辺りが暗くなっていたのである。


「どうなってる!?」


コビーが、改めて周りを見回すと、すぐ近くに、頭を地面に突っ込み、死んでいるのか気絶しているのか分からない状態のエントラケス子爵。

少し離れたところに、腰を抜かしたような姿勢で空を見上げる少年と中年の男。

そして二人で抱き合いながら恐怖に引き攣った表情で同じく空を見上げる兎人の女性二人と、屋根が吹き飛んだシェイリィお嬢様の竜小屋が目に入った。


(いったい何を見ている!?)


釣られるようにコビーが空を見上げると、そこには空を覆いつくさんばかりの何かがいた。


「は、はは、なんだこれは、ははははは!!」


狂ったような笑いが、コビーの意思を無視して、口から勝手に出る。

空を覆いつくす程の何かは、いったい何者なのか。

コビーには、すぐに分かった。

30年間見続けた生き物。


ドラゴンだ。


だが、ありえない。

太陽を喰らいつくしたと言わんばかりに太陽の光を遮り、空を覆いつくすように立つ、太陽のように真っ赤な体を持ったドラゴン。

冗談としか思えない。


しかしそれは冗談ではなく、現実だった。

コビー達の方向に『ズシン!』と踏み出したドラゴンの足と振動が、否応無しにこれが現実だとコビーに知らしめる。

コビーは自分の中の常識が壊れていくのを感じた。


「逃げるんだ!」


「お嬢さん達、こっちだ!」


少年と中年の男の声が聞こえる。

少年と中年の男は、兎人の女性二人の手をそれぞれ引っ張り、ドラゴンの進行方向から逃れようとしていた。


(自分も逃げないと)

それを見たコビーは自分も逃げないと気がつき、動き始めようとする。


「な、な、な、なんだ!?」


すると、自分のすぐ近くで、自分自身とは別の声が響いた。

エントラケス子爵はどうやら死んではいなかったようだ。

しかし、エントラケス子爵は状況が飲み込めていないのだろう、困惑した表情で周囲を見回している。


コビーは、一瞬助けに行くということを考えるが、その選択肢を放棄し、エントラケス子爵に背を向け走り出す。

助ける義理が無い相手というより、自分自信が逃げられるかどうかギリギリの状態だったからだ。


「ぶ、無礼だぞ!私はあのディオイラート公爵家の嫡男だぞ!!

 将来のディオイラート公爵だぞ!!!」


エントラケス子爵が大声で喚く。

コビーは、見捨てて逃げる自分への言葉だと思い、走りながら振り返る。

ところが、エントラケス子爵は、地面の上に尻をついたまま剣を抜き、あろうことかドラゴンに向けて叫んでいた。


「聞こえていないのか!?来るな、来るな!!」


聞こえる訳が無い。

そして、聞こえていたとしても敵であるドラゴンが聞く訳が無い。


(錯乱しているのか!?)


とコビーは思うが、目は恐怖の色に染まっているものの、狂気に支配されているようではなかった。

どうやら腰が抜けてしまい、もはや喚く事しかできなくなってしまったため、最後の抵抗を試みているようだ。

まったくの無意味ではあったが。


(……)


気に入らない上に、殺意しか感じない相手だったが、死ぬとなると哀れに感じるものである。

コビーは、さっと目を背け、走る速度を更に上げる。


「止まれ!!!止まれええええええ!!!!」ズズズズーーーーン!!


エントラケス子爵の絶叫が聞こえ、それを掻き消す様にドラゴンの足音が辺りに響き渡る。

コビーが再度振り返ると、先程まで自分とエントラケス子爵が居た所には、赤い鱗で覆われた禍々しい足があるだけだった。


「可哀想に」


コビーは見捨てた罪悪感もあり、エントラケス子爵の死を悼む。

だが、ドラゴンにとっては、エントラケス子爵など、地を這うアリと同じ価値なのだろう。

エントラケス子爵を踏み殺したドラゴンは、それまでとまったく変わらない様子で、次の足を踏み出す。


ところが、ここで奇跡が起きた。

ドラゴンの足が通り過ぎた後に、エントラケス子爵の体が原型を残して横たわっていたのである。


「エントラケス子爵!?」


驚いてコビーが駆け寄ると、エントラケス子爵は失神した上に、失禁もしているものの、生きているようだった。


(指の間に入ったのか)


生き残った理由は、足跡を見れば一目瞭然だった。

どうやら、エントラケス子爵の体は、奇跡的にドラゴンの指と指の間に入り、潰されなかったようだ。


(まったく悪運が強い、だがどうする)


コビーはエントラケス子爵の扱いに困る。

ドラゴンは自分達の前を通り過ぎ、今まさに四同盟の目の中枢部である砦部分に取り付こうとしていた。

そのため、ドラゴンの注意が向いていないという意味で、エントラケス子爵を助け出すチャンスではある。

だが、今後状況がどのように転ぶか分からないという問題があった。


そして実際に、状況は予想外の方向に転んだ。


コビー達の仕事場である竜小屋は、四同盟の目の周辺部分に当たる場所に建っていた。

そのため、中枢部である砦部分との間には、石の壁が張り巡らされていた。

ドラゴンの大きさから考えて、この石の壁はどう見ても役に立ちそうに無いものだったが、そこで意外なことが起きた。


ドドドドドドン!!


「グオオオオオオ!!」


雷鳴のような音が辺りに響き渡ると同時に、ドラゴンが唸る。

中枢部の砦を守る石壁は砦を中心に置いた正方形の形になっており、四隅にそれぞれ四つの尖塔が建っていた。

そしてその尖塔の先端には、人の背よりも巨大なクリスタルが乗っかっていたのだが、少なくともコビーも含め、多くの平民は今日までただの飾りだと思っていた。

だが、飾りでは無かったようだ。

まるで満月のような輝きをクリスタルが放ち、そこから発した光が、それぞれの尖塔を結ぶように光の壁を作り出したのである。


その光の壁が、ドラゴンの進入を阻む。

ドラゴンは再度、体を突っ込ませて光の壁を突破しようとするが、同じく雷鳴のような音と共に、光の壁がドラゴンをしっかりと受け止めた。


「すごい!」


誰かが歓声を上げる。

確かに、光の壁はビクともしていない。


(だが、防ぐだけではまずい、撃退しないと!)


光の壁はかなりの強度を持っているようだった。

だが、四同盟の目に篭城する訳にはいかなかった。

四同盟の目に隣接する形で、イシス辺境伯領の領都イスペリオンがあるからである。

万が一、ドラゴンの矛先がそちらに向いた場合、どれ程の被害が出るか想像できなかった。


(誰か、ドラゴンを撃退してくれ!)


その時だった、まるでコビーの心の声に答えるかのように、四つのクリスタルとは別の輝きが、砦の最も高いところに現れた。


side マイマイ


「ちょっと!?

 トイレ借りに来ただけなのに、何だか様子がおかしくない!?」


マイマイが焦った声を出す。

攻撃を受けたわけではないが、砦に横付けする直前で、明らかに抵抗らしきものを受けたからだ。


「侵入者防止用の防犯装置か事故防止用の防御壁でござるな。

 ここは一旦ファイ一郎から降りて、門から入ったらどうでござる?」


「そうですね、今一番大切なのはマイマイ姫様を一刻も早くトイレに送り届けることです。

 ファイ一郎の体を横付けするのが一番早いと思いましたが、これでは埒が開きません。

 マイマイ姫様、よろしいですね?」


「う、うん」


だが、カグヤとスケサンはマイマイと違い、落ち着いていた。

マイマイは慌てて頭から抜け落ちていたが、このような仕組みは自分達の王宮にも備わっていたからだ。

壁の侵入者や墜落事故から建物を守るのなら、壁で覆うのが一番だったが、それでは外観が格好悪くなる。

そのため、このように必要な時だけ展開する障壁が重宝されていたのである。


それはとにかく、カグヤとスケサンの議論の結果、ファイ一郎から降りて門から中に入ることに決まる。

このままでは埒が開かないからだった。

ところが、その前に事態が動いた。


「ガルルルルー!?」


なにこれ!?と言わんばかりに、ファイ一郎が声を上げる。


「どうしまし…マイマイ姫様攻撃です!!」


「え、えええ!?」


砦の最も高い所に、新たな光が現れる。

そこには、金色の鎧を着た、いかにも偉そうなおじいさんと、パーティだと思われる四人組の男女がいた。

そのうちの一人、筋骨隆々といった感じの男が弓を引き、その弓に向かって、金色の鎧を着た偉そうなおじいさんとローブを着た魔法使いの女性が魔法をかけているようだった。


「同時詠唱での攻撃強化魔法だと思われます!!

 スケサン!!カクサン!!」


「分かってるでござる!!」「キシャーー!!」


カグヤがこれまで聞いたことも無いほど緊張した声で叫ぶ。

同時に、スケサンが抜刀しマイマイの盾になるように立ちふさがり、カクサンも合わせて姿を現した。


「ちょ、カグヤ!?モフモフ!?」


まったく状況に着いていけないマイマイは、カグヤに向けて状況を聞こうとするが、マイマイの視界を狐色の毛が埋め尽くした。

カグヤは普段は一本しか生えていない尻尾を、突然十本に増やし、それでマイマイを包み込んだのだった。

マイマイは、されるがままカグヤの尻尾の中に沈んでいく。

そして、マイマイの姿が完全にカグヤの尻尾の中に隠れるのと、男が矢を解き放すのはほぼ同時だった。


まるで硬い金属と金属をすり合わせた様な甲高い音をたてながら、矢が真っ直ぐ向かってくる。

だが、男から解き放たれた矢は、マイマイを狙うのではなくその更に上、ファイ一郎の顔へと真っ直ぐと突っ込んで行き、着弾した瞬間、爆発した。


「グアーーーー!?」


辺りに響き渡るファイ一郎の大声は、尻尾に埋もれたマイマイの耳にも届く。

マイマイはファイ一郎の言葉が分からないが「なにするんだー!?」と叫んでいるような気がした。


「ファイ一郎は大丈夫!?生きてる!?」


カグヤの尻尾の中で、マイマイはファイ一郎の様子を心配する。

待っていれば、カグヤやスケサンから正確な情報が入ってくるが、視界を奪われた状況で戦闘が始まってしまったことに、居ても立ってもいられなくなってしまったのだ。

だが、カグヤとスケサンはマイマイの問いに、すぐに答えてはくれなかった。

ファイ一郎の顔は、爆発によって発生した猛烈な煙で見えなくなっていたからである。


「ガア!!」


しかし、神龍のコンセプトは伊達ではなかったようだ。

一喝する様な咆哮と共に、ファイ一郎の顔を覆っていた煙が吹き飛ぶ。

そして、その下から傷一つ無いファイ一郎の顔が姿を現した。


「良かった無事だったんだ!」


元気なファイ一郎の声を聞いて、マイマイは尻尾の中で喜ぶ。

だが、その喜びは長くは続かなかった。


「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」


ファイ一郎が、世界を揺さぶるような猛烈な咆哮をする。


「あれ!?ちょっ!?ファイ一郎!?」


すると、ファイ一郎に変化が起き始めた。

ファイ一郎の背中から少し離れた空中。

ちょうど、マイマイ達が乗っている場所のちょうど頭上に炎の輪が現れ、車輪のようにぐるぐると回りだす。

そして、ファイ一郎の体に赤い線が浮かび上がり、まるで口に向かってエネルギーが流れ込むかのような赤い線の上を光が流れ始めた。


「やっと出られた、いったい何が起きて…あ……」


カグヤの尻尾からマイマイの頭だけが、ちょこんと顔を現す。

ファイ一郎の猛烈な咆哮に物凄く嫌な予感を覚えたマイマイは、必死に尻尾の海を泳ぎ、何とか頭だけを出すことに成功したのだった。


(えー…あれー…これってまさか…冗談だよね!?)


頭上で車輪のように回る炎と、足元に流れる光を確認したマイマイの顔に、嫌な汗がダラダラと流れ始める。


「ファイ一郎、ストップ!!ストーーーっプ!!」


「グエエエエ!?」


マイマイは、大声を出して、ファイ一郎にストップと叫ぶ。

その声は、確実にファイ一郎の耳に届いていたようだったが、既に手遅れだった。

『車は急に止まれない』という言葉があるように、マイマイが乗るファイ一郎も急には止まれないのである。


マイマイの声も空しく、マイマイの頭上で回転していた炎が三つに別れ、ファイ一郎の口に飛び込む。

その瞬間、ファイ一郎の口から太陽が生まれたような光が現れ、その光は更に強くなる。

そして、まるで光がファイ一郎の口から溢れるが如く、砦に向けて殺到していった。

その様子は、まるで怪獣映画に出てくる怪獣の口から吐き出されるビームのようである。


これこそが「怪獣が出てくるなんてチートだ!」と非難された程のファイ一郎の必殺技、炎獄撃滅覇である。


塔の上にあるクリスタルが、先程までより激しく光り輝き、光の壁がファイ一郎の炎獄撃滅覇を受け止める。

だが、先程までビクともしなかった光の壁が、はっきりと、たわみ始めた。


「ファイ一郎、首を上に向けるのです!」


「ガウッ」


光の壁がこのままでは崩壊すると察したカグヤの指示に従い、ファイ一郎が首を上に向ける。

すると、ビームは砦を逸れ、空を駆け昇り、その通り道にある雲を消し飛ばして飛び去っていった。

『止められないのなら向きを変えればいい』というカグヤの気転のおかげで、何とか最悪の事態は避けられたようだった。


「何とかなった」


マイマイの経験上、直撃していれば、目の前の砦は巨大なクレーターに姿を変えてしまっていたはずである。

そんな最悪の事態を避けられたことに一安心するマイマイだったが、嫌な音がマイマイの耳に入った。


ビシビシ


まるで氷にヒビが入るような音が辺りに響き渡る。


「まさか…」


マイマイの震える声を切っ掛けにしたように、ガシャン!という音が鳴り、それと同時に尖塔の先に取り付けられたクリスタルの一つが粉々に吹き飛んだ。


「ギャー!」


しかし、その崩壊は始まりでしかなかった。


ドン!ドン!ドン!ドン!


まるで、クリスタルの崩壊が伝わるかの如く、塔が上の階層から順に爆発し、崩壊していく。


「過負荷でオーバーロード、いやエネルギーが逆流しているようですね」


冷静にカグヤが分析するが、状況は冷静とは真反対の方向に進んでいく。


ドドーン!


塔が一本崩壊したかと思うと、次に隣接する二本の塔が、今度は根元から上に向けて爆発を始めた。


「もうやめてー!」


マイマイが、両耳に手を当てながら、悲鳴を上げるが…

それをあざ笑うかのように、四つ目の塔まで時間差で爆発を始める。

結局、綺麗に四本の塔全てが吹き飛んで、やっと爆発が収まったのだった。


「エネルギーの逃げ場を用意していないとは、これはとんでもない欠陥砦ですね。

 ですが、これでトイレへの障害は消えました。

 ファイ一郎はこのまま前進後、私と共に先程攻撃してきた不埒な奴らを血祭りにあげます。

 ファイ一郎、あの筋肉達磨と不愉快な仲間達に生まれてきたことを後悔させてやるのです!

 スケサンとカクサンはマイマイ姫様のエスコートをお願いします」




「そんなことはいいから、撤退!!!!!」

マイマイの声が、周囲にキーンと響いた。


----------


マイマイの命令で、ファイ一郎が砦を飛び立って数分後。


(どうしてトイレ借りるだけなのに、こんなことになっちゃうの…)


マイマイは、ファイ一郎の上で体育座りになって塞ぎ込んでいた。


「マイマイ姫様、ファイ一郎も『かっとなってやった、今は反省している』って言ってますし、そもそもこちらは正当防衛です。

 しかも、幸いなことに崩壊した塔は無人だったようで、生命探知魔法で調べる限り誰一人死んでいません。

 だいたい、トイレを借りようとしただけで攻撃してくるような非常識極まりない連中です、マイマイ姫様が気にされる必要はありません」


それをカグヤは必死に慰めるが…


「確かに正当防衛だけど、ファイ一郎に絶対に撃っちゃ駄目って伝え忘れたの私だし。

 そもそも慎重に行動しなくちゃいけないって思って準備してきたのに、トイレに行きたいってだけで全部ぶち壊す私って…

 おまけに、あっちの方もそろそろ限界だし」


目のハイライトが消えた状態で、自己嫌悪に陥るマイマイには伝わらなかった。

そんなカグヤとマイマイの様子を見ていたスケサンが「代わるでござる」と言い、カグヤの代わりにマイマイの前に出る。


「私自信が無くなってきたよ」


マイマイはスケサンに愚痴を言う。

女々しい話だが、スケサンが自分を慰めようとしていることが分かり、甘えてしまったのだった。


「姫、拙者さっきからずっと言いたかったことがあるのでござる」


ポンッとスケサンの右手がマイマイの肩に置かれる。


「スケサン…」





「短いスカートを穿いてるのに、そんな座り方をしてるから、パンツが丸見えでござる」






メキッ


鈍い音が、スケサンの顔面から響く。

マイマイの右足が、スケサンの顔面にめり込んでいた。


「スケサン!それが落ち込んでいる女の子にかける言葉!?」


八重歯のような小さな牙を剥き出しにして、マイマイが怒る。


「そうやって元気にしているのが、一番姫らしいでござるよ。

 塞ぎこむのは姫らしくないでござる。

 姫はどんなに失敗しても、最後はいつも元気に乗り越えて来たはずでござらんか。

 戻って来てからの姫が、どうしてずっと悩んでいるのか拙者には分からないでござるが、元気を出すでござる。

 拙者達は、姫が元気を出すためだったら、どんなことでも力になるでござるよ」


マイマイの足を、手でそっとどけたスケサンが、ウインクしながら言う。

それを見てマイマイは、ハッとなった。


(私がいじけちゃったせいで、スケサン達を心配させちゃったのか。

 それに、人によっては心配どころか『いじけるなんて、面倒くさいな』と思われても仕方が無いような有様なのに、励ましてもくれるなんて!!)


スケサンの言葉に、自分の行動がどれほど家臣達を心配させているのか、そしてどれほど家臣達が自分のことを思っているのか、気が付いたのだった。


(それなのに私は、自分のことばっかりで…もっとしっかりしないと!!!)


マイマイは自分に活を入れる。

すると、マイマイの目に輝きが戻ってきた。


(家臣達に心配されるなんて、ギルド長失格だよ!

 『家臣達はわが子も同然』っていつも言ってた私が、情けない!!)


マイマイにとって、家臣は確かにAIである。

だが、それと同時に仲間達で力を合わせて作った存在であるため、子供のような存在でもあったのである。

そしてマイマイは、世界建設ギルドの中でも特にそういった思いが強く、それがギルド長に押し上げられた幾つかの要因の一つになっていた程だったのである。

そのため、親である自分が、子である家臣達を心配させてしまうようではいけないと、強く思ったのだった。


「皆すまない、悩んでも仕方なかったよね。

 いくら悩んでも、トイレが見つかる訳じゃないのに、私ってお馬鹿だね」


ニヤリとした笑いを作り、マイマイはスケサンやカグヤを見る。

マイマイは軽い冗談を言い、暗に自分はもう大丈夫だと伝えたのだった。


「そうでござるな」


「フフフ」


我慢しているため、少し無理をして作った笑顔だったが、スケサンとカグヤを安心させることには成功したようだ。

スケサンとカグヤの顔が少し綻ぶ。


「それでは、マイマイ姫様が復活したところで早速行動です。

 マイマイ姫様、幸運と言っていいのかどうか分かりませんが、ラストチャンスとなりそうな建物を見つけました」


綻んだ顔のままカグヤが言う。

どうやら、マイマイを慰めつつも、しっかりと次の目的地を探していたようだ。

流石である。


「ファイ一郎、あそこにある邸宅のような建物が見えますが、アレです街から少し離れた、水堀で囲まれたとこで、何台もの馬車があるところです」


カグヤが示したところは、街の中ではなく、街から少し離れた少し大きな建物だった。

空から見ただけでは、邸宅のようにも見える。

だが、何台も馬車が止まっていることから、公共施設にも見えた。


「邸宅にしては、少し造りが変でござるな」


「とにかく行ってみよう」


マイマイの声に合わせて、ファイ一郎が高度を下げ始める。


(今度は上手く行くようにしないと。

 私自身のためにも、スケサン達のためにも)


マイマイは心の中で決意したのだった。

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