『BLACK D●T』
雨天時に『BLACK D●T』を訪れた人には、飲み物一杯のサービスを。
『BLACK D●T』というのがこの店の名前で、そのサービスの名前が『雨宿りサービス』だった。常連なせいでそれが当たり前過ぎて、中谷会長が私に対しての説明をすっかり忘れていたのがこのサービスだ。
「それと、日によって違うお茶請けが準備してあるんだ。これは、この大路や、ほか三つの大路にあるお店のものが多いな」
今日のお茶請けである『月むすび』を二人分カウンターの奥から差し出しながら、「別料金でのメニューもあるけど」と古場さんが付け加えた。
『月むすび』。薄い黄色をした真ん丸のお饅頭。北大路にある和菓子屋、『紅月』の一品だ。今までに食べたことはあるけど、それが何年前のいつのことかは覚えていない。
懐かしさが込み上げてきて、私は古場さんに向けて笑った。
「すごく久しぶりです、これ食べるの」
「宣伝料ってことで、定価より、ちょっと安く買わせてもらってるんだ」
古場さんも『月むすび』を指差して、にやっと笑った。
ご近所付き合いの賜物を私は頂いているわけだ。こう思うのはちょっと癪だけど、雨のおかげで、無料で。
『月むすび』に齧りつき、その懐かしい味に眼を細める。
口を動かしているとふと視線を感じた。隣を見ると、既に自分の分を食べ終え、ほうじ茶を啜っていた中谷会長が私の顔を見て満足げにしている。
「美味し?」
「美味しいです」
「それは良かった」
うん。良かった。
この美味しさを久しぶりに堪能出来たのは中谷会長のおかげでもあるのだと思い至ると、私の中に浮かぶ中谷会長への苦手意識が、少し和らいできた。我ながら簡単なやつだと思う。
「どうして、このサービスを始めたんですか」
『月むすび』を食べ終えて、自分の分のほうじ茶を飲む。ふと思ったことを口にすると、カウンターの向こう側の古場さんが少し考えるように斜め上を見上げた。
「この商店街を歩いている時、急に雨が降ってきたら一番困るのは何かって考えて、俺らは雨宿りする場所じゃないかって思った。気軽に足を入れられる場所があったらいいんじゃないかってな。喫茶店に行くのは勿体無いと思う人も、無料で飲み物を提供するお店だったら、ちょっと入ってみる気にならないか?」
なる。少なくとも『得』という言葉が好きな私は、絶対に。
「とってもいい考えだと思います」
古場さんの答えに納得して頷きかけ……しかし疑問が浮かんで眉を寄せる。
『喫茶店』に行くのは勿体無い。
ということは。
「……『BLACK D●T』って何屋さんなんですか?」
私はそうだと思っていたけど、ここは喫茶店ではないということ?
「何屋……。何屋っていうんだろうな」
古場さんが腕を組む。私はぐるりと店内を見回す。
カウンター、丸型のテーブル。
テレビ、CDコンポ、本棚。
スプレー型のものが並んだショーケース。
入り口付近の、雨合羽や傘がたくさん掛かったラック。
その下に並ぶ、色とりどりの長靴。
壁には何枚もの写真が貼られていて、その写真は雨の日のものが多かった。
「んー、『雨の日専門店』、とかじゃない?」
小首を傾げるようにした中谷会長がそう言ったのと同時、今まで洋楽だった店内のBGMが、私もよく知っている童謡へと変わった。
♪ あめ あめ ふれ ふれ かあさんがー……