なみだ
しばらく静かな時間が続き、ややあって中谷会長が涙声のまま口を開いた。
「……どうしよ陽ちゃん、止まんないってこれ。一番嫌いなタイプの涙なのに」
陽介さんが、ふはっと笑いを漏らす。
「お前、涙に好き嫌いなんてあんの?」
「あるよ。今みたいな、怒りからの涙が一番嫌いなの、俺は」
ぐす、と鼻をすすりながら、中谷会長は涙についての講義を始めた。
「悲しいとか寂しいとかの涙はさ、その原因に思いがあるから泣くわけでしょ。誰かからの言葉に傷ついたとか、誰かがどっかに行っちゃったとか。そのことが忘れられなくて、そのことに思いが囚われているから泣くわけで。そういうのは、いくらでも泣きながらその原因について色々考えればいいよ。嬉しいときの涙もそう。……だけど怒りの涙は違うね。怒りはまず、自分でどうにかしなくちゃいけないものだ。それを他の人に向けるなんて言語道断だと俺は思う。自分で、自分の中に飲み込まなくちゃいけない」
サイドテーブルの灰皿にタバコを押し付けて、陽介さんが緩やかに尋ねた。
「そのときに涙を流すのが、何で駄目なんだ?」
中谷会長は、少しだけ顔を上げて片目で陽介さんを見上げた。
「泣くのって結構疲れるんだよ、陽ちゃん」
ふぅ、とため息を吐き、再び顔をうずめて続ける。
「怒りのままに泣くのは、疲れ損なんだよ。それじゃ何にも解決しないんだから。それに、いつまでも不機嫌だと周りも嫌な気分じゃん。だからね、そんな時は泣いてないで、さっさとその怒りをどうにかしろって思うわけ。言うなれば自分との戦いってやつ――、なんだけどヤバいホントに止まんない。助けて陽ちゃん、俺負けっぱなしじゃん」
ぐすぐすと鼻をいわせる中谷会長にヘルプを出されて、怒りで泣くのが嫌ならと、笑いながら陽介さんはまたその背中をさすり始めた。
「今泣いてんのは、俺の優しさが身に沁みてってことにしとけ」
「陽ちゃん天才。かっこいい。惚れるねぇー……、……」
「あー、よしよし。もうちょっと俺の優しさに浸ってな。濡れタオル持ってくっから。そのままだとお前、明日絶対に眼ぇ腫れっぞ」
「……やだ。困る。明日、挨拶あるんだけど」
身体を反転させたのと同時に、陽介さんは私に気付いた。
私が何も言えないでいると、人差し指を口の前に立てて静かに笑う。私はそれに頷いて、そのまま陽介さんと一緒に階段を下りた。
降りてきた私の表情を見て、「びっくりした?」と矢面さんが笑った。
「……はい。本当に」
「でしょー。普段がアレなもんだから、あぁなっちゃうと更にギャップを感じるのよねー。今日の感情のブレ程度でいくと、泣いてたんじゃない?」
頷いた私に、驚いていたのは夕香だけだった。
やっぱり、よく一緒に居る人には中谷会長がよく泣くというのは共通の認識のようだ。
「生徒会長さんって、泣くんですかっ?」
水道で濡らしたタオルを絞っていた陽介さんが、眼を見開く夕香に何度も頷く。
「泣く。すっげぇ泣く。どうしてってほど涙腺が弱いんだ、アイツは。ガキの頃にあんまり寝小便をしなかった分じゃないかって、じぃちゃんは言ってるけどな」
「の、クセに感動系の映画とかはケロッとして観てるんだよな。『一緒に観よう』つって、人の家に押しかけてくるし。……ポップコーン持参で」
「なぁ? 分かんねぇよ、アイツの泣き所は。滝長君なら分かるか?」
「付き合いの長い陽介さんでも分からないのに、俺だってさっぱりですよ」
滝長副会長と陽介さんは、顔を見合わせて苦笑した。
「感受性豊かというか、面倒くさい性格というか」
言いながら、これも持っていってやれと古場さんは陽介さんにお盆を渡した。
その上には、湯気の立つミルクティーのカップが乗っていた。