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BLACK D●T  作者: 笹舟
六月十日 くもり 時々 ●。
4/87

フレンドリーなお隣さん

 回想から思考を現在へと戻すと、中谷会長は雨合羽を脱ぎ始めていた。

 その姿がアマガエルから学生へと変わっていくのを見ていると、脱皮という言葉が浮かんだ。カエルは脱皮をしないけど。それくらいは知っているけど。


「あっれ。一年生?」

 ――気付かれた。

 脱いだ雨合羽をばっさばっさと勢いよく振り、玄関の外に水滴を飛ばしながら中谷会長が私に尋ねる。露骨に眺め過ぎていたんだろうか。

 私は頷いて答えた。

「一年です」

「もしかして、ロッカーの場所、わかんない?」

「あ、いえ」

 

 北一では、生徒一人につき一つの縦長ロッカーが与えられている。更衣室などでよく見られる、無骨なスチールのよくあるアレだ。

 生徒はその個人ロッカーに付属のスチール盤を掛け渡して棚状にし、体操服を入れておく、教科書をそこに納める、などと三年間活用する。鍵もついているため、登校中に聴いているMDプレイヤーなどの貴重品を管理しておくのにも便利だ。

 しかし、ロッカールームには全校生徒分の同じロッカーがずらりと並んでいる上に、ネームプレートは付いていない。一年生のロッカーだけはクラスと出席番号の書かれたシールが貼ってあるものの、慣れるまでは探すのに一苦労だった。


「大丈夫です」

 そう、一苦労、だった。

 入学して二ヶ月経ち、ロッカーに教科書も体操服も保管しているのが常となった今では、さすがにロッカーの位置くらい把握している。一苦労、は既に過去形なのだ。

 心の中ではそう思いつつも、それでも一応は「お気遣いありがとうございます」というつもりで、首を前に出す程度に頭を下げた。

 中谷会長は雨合羽を振るのを止め、シューズを脱ぎ片手に持つと「だよねぇ」と笑った。

「二ヶ月も経てば慣れるよねぇ」

 ――だったら訊くな。

 置いていたスポーツバックを肩にかけると、中谷会長は二年の靴箱が並ぶ方へと足を進めていった。 分からないと言ったら連れて行ってくれたのか、と何処か釈然としない気持ちを抱えつつ、ローファーを上履きに履き替えた私もロッカールームに向かう。今日の授業で使う教科書を二階の教室まで持って上がらなければならない。


 ロッカーの鍵を開けながら、もう一度本を撫でてみた。

 それはもう乾いていたけど、濡れた表紙はやっぱり波打ったままだった。

 長編の物語を文庫にしたものだから、ページは厚めで、値段もそれに比例して高めで、ずっと読みたいと思っていたけど手が出しにくくて、それを察した母さんが先日買ってきてくれた本だ。まだ、読み始めたばかりなのに。

「……やっぱり最悪だ………」

 諦めきれない思いを口に出した瞬間、

「勿体無くない?」

 今まで視界に無かった鮮やかな色がぬっと現れて、思わず仰け反った。

「最悪って、『最も悪い』だよ。『悪い』の中での、『最も』。一番悪いんだよ。ショックの原因が何なのかは知らないけどさ、今『最も悪い』って表現を使っちゃう?」

 あぁ。アマガエル色だ、これ。

「人生は結構長いよ、たぶん」

 変な名前の中谷会長は自分で頷きながら笑った。――自分の考えを懸命に説明してくれたんだろうけど、そうですか、としか私には思いようがない。

 

 驚いたことに、私と中谷会長のロッカーは隣同士だったらしい。

 私のロッカーが一年列の折り返しの場所であり、右隣からは二年専用のロッカーだということは知っていた。だけど誰の物なのかは今まで知らなかったし、興味も無かったから知ろうともしていなかった。……でも今日のために知っておくべきだったのかもしれない。

 アマガエルの出現で驚いてから、未だに私の動悸は治まってない。


 雨合羽を抱えた中谷会長は「隣?」と私のロッカーを見て一度眉を上げ、自分のロッカーの鍵穴に鍵を差し込んだ。その鍵についていたストラップもカエルだった。

「あ、でもさ、英語の例文で『第九は音楽界で最も有名な曲の一つだ』とかってあるよね。最もって、いくつもあってもいいってことかな。どうなんだろ」

 生徒会長は思い出したようにそう言いながら、開いたロッカーからはプラスチックのハンガーを取り出した。そのハンガーに雨合羽をかけると、教科書類を出すことなく、またロッカーに鍵を閉める。そして「ね?」とこちらに視線を向けた。

 いや、そんなの私に訊かれても。

 そう思いながらも、当たり障り無く、気になるところですねとだけ返して私は自分の教科書を取り出した。すぐにロッカーを閉める。

「じゃあね、授業頑張って」

「……どうも」

 別れ際までフレンドリーな人だ。きっとたくさんの友達が居るんだろう。

 

 でも、私にとってこういう人は、正直対応に困る相手だ。

 学年が違えば、あまり顔を合わせることもない。一言の会話もしないまま、どちらかが卒業することだってある。例えば部活動などの関わりあう機会が無ければ、「先輩」と「後輩」の関係ってそんなものじゃないだろうか。

 そして私は、今日まで中谷会長と話したこともなかった。それなのに、朝、玄関で顔を合わせただけの後輩にあれだけ親しく接するとは。

 

 この学校の生徒会長は、名前だけでなく、性格もちょっと変なのかもしれない。

 

 そんなことを考えながら、ロッカールームを離れて足早に廊下を歩いた。

 一応断っておくけど、別に中谷会長から逃げようと思ったんじゃない。

 とろとろしているとホームルームに間に合いそうになかったからだ。


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