帰り道中にて
『BLACK D●T』を後にして、雨音さえしない静かな雨の中を歩く。
いい店との出会いのおかげか、新しい傘のおかげか、雨という天気にしては珍しく、私の心は穏やかだった。普段なら、お腹の底にずんぐりとしたものが居座っているような気持ちになるのに。
「家はどの辺り?」
「市営プールを少し越して、そこの橋を渡れば、すぐです」
「プールって、あの夏季救命講習で使ったやつ? ……って笠見さん一年だった。まだ習ってないじゃんね。先に言っておくけど、あれ、本っ当ーに面倒臭いよ」
大切な講習なんだろうけどさと眉を寄せる中谷会長に、思わず笑った。
「その講習って、服着たままでプールに落ちるやつですか」
「そうそう、それ。見てたの?」
「小学校の時にやりました。私は、それなりに楽しかったですけど」
「うん、落ちるのはね。楽しかった」
中谷会長が語るには、その講習は一年から三年、三学年ともが同じ時間帯に実施されたらしい。
しかしプールにその三学年が一気に入るわけにはいかない。そのため、一年は市営プールまで徒歩で行った。ちなみに二・三年は一年の時に全員が受けているからということで、代表者だけがプールに入ったんだとか。
「夏休み前の暑い中だよ。うだうだ歩いて、プールについて、講習。終わったらまた、うだうだ帰る。一年全員の長蛇の列がこの大路をうだうだうだうだ。講習が面倒っていうか、その移動が面倒で面倒で。笠見さんももうすぐ体験することになるよー、あのうだうだを」
中谷会長は意地悪げに笑うと、「うだだー、うだだー、うだうだでー」と、かの有名な曲を口ずさみ始めた。正しくは「うらら」だった気がするけど、敢えて訂正はしない。
「……中谷会長は社交的ですね」
今朝まで全く接点の無かった人と帰り道を歩いているのだと考えると、不思議だった。
事なかれ主義の私。親しく声をかけてきた中谷会長を苦手に思っていた。『BLACK D●T』に向かう道では、まだ苦手だったはず。
でも、現在の状態はどうだ。仲良く並んで下校中。不思議だ。
相変わらず「世界ぃー、一のー、オトコだけー」と雫が飛ばない程度に傘を回しながら歌っていた中谷会長は、私の声に気付いて歌と手を止めた。
「社交的? まぁ一応O型だけど」
「そういう占い、信じてるんですか?」
「いやー、そんなに。あ、でも面白いから否定はしてない」
尋ねる前から、そんな答えがくる気がしていた。
「どうして俺が社交的だって思ったの、笠見さんは?」
私は少し躊躇った末に、私の思っていた『先輩後輩論』を話した。関わりあうことが無ければ、というやつだ。これを話したことによって、話しかけない方が良かったのかと後悔されるのは悪い気がしたし、それは本当に今更過ぎる話だ。
だから話すのを躊躇ったんだけど、
「それなのに中谷会長は、朝知り合っただけの私を雨宿りに誘ってくれたので」
「あー、なるほど」
中谷会長は、ふんふん、と何度か頷いただけだった。
これはこれで何だか逆に気を使う。
「今は、別に何とも思ってないですよ。いいお店教えてもらいましたし、この傘も安くしてもらいましたし、あの、むしろ感謝してます」
「いやいや、感謝なんてそんな」
あまりの反応の薄さに、実は心底落ち込んでいるんじゃないだろうかと心配になる。
だけど、伺うように見た中谷会長の表情は笑っていた。
「つーかね、笠見さん」
「はい、何ですか?」
中谷会長が急に真っ直ぐこっちを見たせいで、思わずたじろぐ。
「俺と笠見さんって、今日の朝、偶然知り合っただけって仲でもないんだよ」
それは。
――生徒会長と新入生?
――先輩と後輩?
――そういうことじゃなく?
疑問符満載の私に、中谷会長はニッと笑って傘を回した。
「一方的にだけど、――……俺、ずっと笠見さんのこと見てたから」
読書家にも苦手ジャンルはある。私の場合それは恋愛小説だ。
……この状況、どうしろって。




