-junior high school- spring 12
「莉子…………知らないか?」
突然やってきて、突然、そんなことを言われた。
相手はクラスメイトの荒瀬勝成。
「知らないか……ってのは、その……、…つまり、行方が分からなくなってる、…ってこと?」
僕は慎重に言葉を選んだ。
ぶっちゃけ、この人物がこんな時間に屋上へ来た時点で、警戒していた。荒瀬は学級委員長を務めるほど(僕と違って)真面目で勤勉な生徒であり、授業をサボるなんてことは天地がひっくり返った拍子に地球の軌道が狂ってしまい太陽に衝突してthe end of earthなんてことはあっても有り得ない。
そして、今名前が出た莉子――――柳川莉子との関係性を少しばかり考察してみれば、おのずと答えは出てくる。
「……柳川のことが、心配なんだ」
「心配?」
「僕にそれを聞くって事は、そういうことじゃないか? ただでさえ今は授業中だ。さしずめ、クラスメイト全員に聞いて回ってたんだろ。にもかかわらず、誰も柳川の行方を知らない」
それでわざわざ授業をサボってまで僕に聞きに来たってわけだ。
それもそのはず、荒瀬は柳川の幼馴染なのだ。ある事情があって全く喋らなくなってしまった柳川を、常日頃から心配している。理由を知っているだけに更生させるわけにもいかないし、かといっていつまでもこの状態のままではいられない、いや、社会において許されないであろうことは荒瀬も分かっていた。だからこそ困惑し、混沌し、憤っていた。
僕にもかつて親友がいたが、あいつが何か思い悩んでいた時は、いつも相談に乗ってやっていた。前に高田が言っていたように、目の前で人が苦しんでいる時に何も出来ない自分なんて嫌だった。それは積極的とか活動的とか、そういうのとはまた違う。他人の思いやる気持ちに準ずるものには違いないけれど、だからといって僕は単なる思いやり、同情程度で相談に乗っていたわけではない。内情を知ったからには、そのために自分が出来ることはないか。なかったとしても手助けくらいはしてやりたい、という風に、ただ聞いて励まして終わりではなくて、それに基づいて行動できるようなヴァイタリティーこそ、相談した相手が本当に望んでいるものだ。聞くだけなら誰にでも出来る。文章問題のようなもので、用紙に書かれた文章を読むことならば誰にだって可能なことだ。読んだ上で、出題された問題を解いていくことに意義がある。それを持ち合わせているのが荒瀬勝成という人間なのだ。
相当、人間としての器が出来上がっているように思う。まだ義務教育も終えていないのに、大した精神だ。
「で、僕に聞きに来た」
「…………。つってもまぁ……別に、心配してる…ってわけじゃあ、ないけどな」
「ん?」
「っていうのは、俺自身は莉子の居場所は大体予想できてるんだ。伊達に10年以上付き合い続けてきたわけじゃない、その程度確認するまでもなく分かる」
「なら何で僕に?」
そう言うと。
荒瀬は、先ほどまでのどこか焦ったような様子を一変させた。
会話をしていながら、僕とは目を合わせようとしなかった荒瀬が、至極冷静な目で僕を見つめてくる。
屋上の扉を開けた直後の、あの目だ。
「正直に言うと……」
音楽用語で例えるならば、リタルダントにメゾピアノでデクレッシェンドをかけたその物言いは、なぜか身を震わせた。
一文字一文字を言うごとに温度を下げていく目線が怖い。
「俺が聞きたいのは、お前が莉子の行方を“知っているか”じゃない」
「…………」
言葉を発することが出来なかった。
気圧された、とでも言うのだろうか。
「お前が莉子の行方を“知っていないか”が知りたかったんだよ……もしかしたら、何らかの偶然でクラスメイトに莉子の行方を知られてしまっているかもしれないと思うと、不安になってな。1組の生徒全員に聞いて回ってる。御影先生にもな。さっきの言い分からすると、お前も莉子の行方は知らないみたいだから、じゃあもう大丈夫か。――――っと、いかん、あと3人忘れてた」
独り言じみた荒瀬の呟きを呆然と聞く。いや……聞き流す。
「佐上惇と鶴嶋京平……鏡崎亮介。この3人は、数日前から欠席だったっけな。家にまで押しかけるわけにもいかないし……登校してくるのを待つか。ま、あいつらが莉子に関わってるとも思えないし、気にするだけ無体な話だ。あぁ、なんか悪かったな、感傷に浸ってたところ邪魔して」
勝手に会話を結ぶと、その足で方向転換して校舎内に戻ろうとする荒瀬。
僕は一瞬迷ったけれど、結局何の言葉もかけないままに、それを見送った。
何だったんだろう、今のは。
荒瀬らしくないといえば、僕が今まで見てきた彼の中で一番彼らしくなかった。もはや別人のようだった。
普通……では、ないんだろう。
非日常。
本当に、何なんだろうな…。
僕の周りには、非日常拡散ウイルスでも蔓延しているのか?
「あ……あいつ、数え間違えてんじゃん」
僕はふと、その事実に気づいた。
荒瀬ともあろう者が、こんなに単純な足し算を間違えるなんて。
「4人目……蓮音香奈には、聞きたくても聞けないだろ」
呆けたようにぼやくと、先刻寝転んでいたタイルの上に再度寝そべる。
目の前を冷たい風が通り過ぎていった。
放課後。
清掃や帰りのホームルームなどの面倒事全てが終わったあとに、僕は教室に戻った。
既に大多数の生徒は部活動をしに各々の活動場所へ散ってしまっている。帰宅部の連中も早々と教室を出て行ったらしく、そこには1人の生徒しかいなかった。
すなわち。
「…………」
高田寛人は、朝の状態のまま顔を伏せていた。
一切の身動きをしないその様子は、数千年の樹齢をもつ巨木を思わせた。
もしかしたらこいつ、もう何年も何十年も何百年も前から、ここでこうして机に突っ伏していたんじゃないのか。
錯覚だとは分かっていても、そう思わずにはいられない。
「高田」
控えめに声をかけてみる。
当たり前だが返事はなかった。
「…もう、みんな帰ったぞ?」
何を言えばいいのか分からず、とりあえず周辺の情報を再確認させてみた。
返事は期待していない。
えーと、こいつは何部だったかな。
……あれ?
気づかなかった。
高田って何部だ?
「部活……行かなくていいのか?」
今更といえば今更だ。
僕は。
僕は、今まで高田の何を見て、分かったような顔をしていたのだろう。
結局、何も知らないのは僕の方だ。
そんな僕が、高田を落ち込ませるに一役買ったこの僕が、こいつを慰めることなんか、到底無理な話だった。
高田は、僕を恨むだろうか?
僕が言った余計な一言のせいで、蓮音に関わってしまったことを、恨むだろうか?
そんなことはない。高田は人を恨むようなやつじゃない。
……何を分かりきったことを。
何も知らない人間のことを、僕はどうしてここまで過信できたのだろう。
本当のことなんて、全く知り得ない。
高田という存在を認識したのはほんの二週間前なのに。
この二週間で、僕は高田の何を理解した?
二週間程度で、赤の他人の何が分かる?
つまりはそういうことだ。
いつも快活で明るい、まさしく右脳発達型タイプの高田。
僕が友達だと思ってきた高田。
それは本当の高田だったのか?
僕に見せたことのない素顔があるのではないか?
本当は――――僕のことを忌み嫌っていたのではないか?
僕のことを、恨んでいたのではないか?
「…………」
「…………」
所詮、人間なんてそんなもんなんだろう。
少し関わったくらいで、相手の全てを知ったような気になると、痛い目を見る。
裏では何を考えているか、分かったもんじゃない。
考えもしなかった。
友達に嫌われることが怖い自分がいたなんて。
「…… ? 」
感傷に浸っていた僕は、声が発せられたことに気づかなかった。
完全に五感が麻痺していた。
考え事にふけっているような場面ではないはずなのに。
「……ん?」
ふと。
僕は後ろを振り返った。
ついさっき敷居をまたいだ、教室の後ろ側の引き戸を。
いた。
人がいた。
大原夏輝がいた。
「ベリーグッドだったよ、寛っち」
ん?
……ん?
あれ、なんか。
…構図、おかしくない?
「やぁみっくん。どうだったかな? 大原夏輝のスペシャルショートサスペンスは」
「…………は? ひ?」
「いやー、お疲れー寛っち! あのタイミングで教室入るのって相当キツかったっしょ?」
「そうでもないぜ? ま、放課後にシュミレーションとかはしてみたけど、コツさえつかめればわりと楽だった。一番苦労したのは、蓮音を説得することだったけどな」
「ホント、迷惑かけてごめんなー。でも、こうでもしなくちゃみっくんは騙されてくれないと思って」
「あいつ、地味に皆勤賞狙ってたっぽい。最終的に納得してくれたけど、やっぱ罪悪感は残るな……ま、終わり良ければ全て良し、だ」
「それにさっきのみっくんの表情。見モノだったねーありゃ。写真に収めたかったよ」
「後半笑いこらえんのマジ苦労したわ。かなり腹筋きたえられたな。逆に申し訳なくなっちまって。だってあんな純粋に自責してんだぜ? 俺は見てられなかったよ」
「まーまー。そこはあれだ、寛っちもちぃぃっとはイラついてたんだろ? あ・の・こ・と!」
「…そりゃ、……まぁ、な」
「軽ーい恨み返しのつもりで。これでチャラにしてやれって」
「ん、そうしてやろう」
話が分からない。
話が分からない。
話が分からない!
何だこの二人。いつからこんなに仲良くなってたんだ? スペシャルショートサスペンスって何? 蓮音を説得ってどういうこと? 僕を騙せない? 何に?
「ちょ、2人とも――――」
口を挟もうとした、その時。
「やっぱ嫌! あんた達のくだらない茶番劇で皆勤賞逃すなんてもったいなすぎ!! 登校させてもらいましたから!!!」
閉まっていた引き戸がすさまじい音をたてて開き。
蓮音香奈が僕達に向けて怒鳴った。
あっはははははは!!!
というわけで、香奈殺人事件は夏輝プロデューサーのフィクション、作り話でしたー!! やっべ笑いがとまらねぇ!
…はい。落ち着きます。
次回は、なぜ夏輝がこんな茶番劇を演じたのかを、みっくんに拷問されながら言わされると思うので、あくまで温かい目で見てあげてください。もちろん悪気があったわけじゃないんで。