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酒飲んでたらなんかしらんがギルドランクが上がってる俺

「んー……あと五分……」




酒場の片隅、陽だまりのテーブルに突っ伏したまま、リオン・アッシュフォードは至福の寝息を立てていた。栗色の髪はぼさぼさで、よれよれの冒険者服には昨夜こぼした酒の染みがくっきりと残っている。傍らには空になった木のジョッキが三つ。昼間から飲んだくれて、そのまま眠り込んでいるのだ。




「もう、リオンったら……」




呆れたような、それでいてどこか優しい声が降ってきた。リオンは薄目を開けて、目の前に立つ人物を確認する。




肩まで伸びた金色の髪、凛とした青い瞳。ギルドの制服に身を包んだエリカ・ヴァンフリートが、腕を組んで見下ろしていた。幼馴染——らしい。三年前に記憶を失ったリオンには確証はないが、彼女がそう言うのだから間違いないのだろう。




「おー、エリカ。昼飯の時間か?」




「お昼はとっくに過ぎてます。もう三時ですよ、三時」




「マジで? じゃあおやつの時間じゃん。ラッキー」




リオンはのそのそと体を起こし、大きく伸びをした。骨が鳴る。気持ちいい。




「ラッキーじゃありません。今月のクエスト達成数、まだ二件ですよ? このままじゃF級のまま一生を終えることになりますけど、いいんですか?」




「えー、別にF級で困ってないしなぁ。簡単な仕事で稼いで、酒飲んで寝る。最高じゃん」




「最高じゃないです」




エリカは溜め息をつきながら、手に持っていた一枚の羊皮紙をテーブルに置いた。クエストの依頼書だ。




「はい、これ。今日中に終わらせてください」




「うっわ、仕事? やだなぁ」




「文句言わない。『街道沿いの薬草採取』、報酬は銀貨三枚。危険度ゼロです。リオンでもできます」




「リオンでも、って言い方ひどくない?」




ぶーぶー文句を言いながらも、リオンは依頼書を手に取った。確かに簡単そうだ。街道沿いの草むらで薬草を十本採ってくるだけ。魔物に襲われる心配もない。




「まぁ、酒代になるならやるか」




「その酒代がなくなったら困るでしょう。ほら、早く行ってください」




エリカに背中を押され、リオンは渋々立ち上がった。腰に下げた剣がじゃらりと鳴る。実戦で使ったことはほとんどない、ただの飾りのような代物だ。




「エリカさぁ、もうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃない? 俺ら幼馴染なんでしょ?」




「優しくしてますよ。本当なら酒代全額没収するところを、クエストのチャンスをあげてるんですから」




「それは優しさなのか……?」




リオンは首を傾げたが、エリカの表情は真剣だ。仕方ない、行くしかないか。




酒場を出ようとした時、がたいのいい男が声をかけてきた。




「おう、相棒。今日も平和な依頼か?」




ガルド・ブロンソン。リオンより一回りも二回りも大きな体躯の、ベテラン冒険者だ。顔には無数の傷があり、いかにも歴戦の勇士といった風貌だが、性格は気さくで面倒見がいい。リオンとは、記憶を失った後に知り合った——はずだ。




「うん、薬草採取。ガルドも一緒に行く?」




「いや、俺は明日から長期の護衛任務でな。今日はゆっくりさせてもらうぜ」




ガルドはそう言って、ジョッキを掲げた。中身はエール。昼間から飲んでいるのはリオンだけではないらしい。




「いいなぁ、俺も飲みたい」




「仕事が終わってからです」




エリカの冷たい声が背後から飛んできた。リオンは肩をすくめ、酒場を後にした。




——街は相変わらず賑やかだった。




石畳の通りには露店が並び、商人たちが威勢よく声を上げている。子供たちが路地を駆け抜け、洗濯物を干す主婦の姿が見える。平和な日常。リオンはこの光景が好きだった。




三年前、この街で倒れていたところを保護された。それ以前の記憶はない。自分が誰で、どこから来たのかも分からない。最初は戸惑ったが、今はもう気にしていない。




記憶がなくても、今が楽しければそれでいい。酒を飲んで、昼寝をして、たまに簡単な仕事をする。それだけで十分だ。




「さーて、さっさと終わらせて酒でも飲むか」




リオンは鼻歌交じりに街道を歩き始めた。




——薬草採取は思ったより早く終わった。




街道沿いの草むらには、目当ての薬草がたくさん生えていた。青い小さな花をつける、見間違えようのない植物だ。リオンは適当に十本ほど引っこ抜き、布の袋に詰め込んだ。




「よし、これで銀貨三枚ゲット。今夜は奮発してワインでも飲もうかな」




上機嫌で街へ戻ろうとした時、ふと視線を感じた。




草むらの奥、木陰に何かがいる。小さな、白い何かが。




「……猫?」




リオンは近づいてみた。確かに猫だ。真っ白な毛並みに、青い瞳。まだ子猫のようで、ぷるぷると震えている。




「おいおい、こんなところで一匹とか危ないぞ。魔物に食われちゃうぞ」




リオンはしゃがみ込み、子猫に手を伸ばした。子猫は警戒するでもなく、するりとリオンの手に収まった。軽い。ふわふわしている。




「にゃあ」




「よしよし。とりあえず街まで連れてってやるか」




子猫を懐に入れ、リオンは立ち上がった。その時だ。




——ゴォォォォォッ。




地鳴りのような咆哮が、森の奥から響いてきた。




空気が震える。鳥たちが一斉に飛び立ち、木々がざわめく。リオンは反射的に剣の柄に手をかけた。




「……なんだ、今の」




咆哮は一度きりではなかった。二度、三度と繰り返され、徐々に近づいてくる。何か、巨大な何かが、こちらへ向かっているのだ。




リオンの額に冷や汗が流れた。体が本能的に危険を察知している。これはまずい。非常にまずい。




「逃げ……ないと……」




足が動かない。恐怖で硬直しているのか、それとも——




——ガサッ。




木々が揺れ、何かが姿を現した。




それは熊だった。いや、熊と呼ぶには大きすぎる。高さは優に三メートルを超え、全身が黒々とした毛に覆われている。目は血走り、口からは涎が垂れている。魔物化した熊——グリズリーロードだ。




「うそ……だろ……」




リオンの声は震えていた。グリズリーロードは、B級冒険者でも苦戦する高位魔物だ。F級のリオンが太刀打ちできる相手ではない。




魔物はリオンを見つけ、低く唸った。次の瞬間、地を蹴って突進してくる。




「わっ、わわわっ!」




リオンは咄嗟に横に転がった。魔物の巨体が、さっきまでリオンが立っていた場所を通過する。地面に爪痕が深々と刻まれた。




「やばい、やばいやばい……!」




立ち上がり、リオンは全力で走り出した。街へ戻らなければ。ギルドに報告しなければ。でも、魔物は速い。あっという間に距離を詰められる。




——もう、だめかもしれない。




そう思った瞬間、懐の中で子猫が鳴いた。




「にゃあ」




その声を聞いた途端、リオンの足が止まった。




振り返る。迫りくる魔物。このままでは、この子猫も巻き込まれる。




「……くそっ」




リオンは懐から子猫を取り出し、近くの木の根元にそっと置いた。




「ここにいろ。すぐ戻る……たぶん」




剣を抜く。刃は錆びてはいないが、切れ味は期待できない。それでも、何もしないわけにはいかなかった。




魔物が咆哮を上げ、再び突進してくる。リオンは剣を構え——




——そして、気づいた。




自分の手が、震えていないことに。




恐怖はある。でも、体は冷静だ。まるで、こういう状況に慣れているかのように。




「……なんだ、これ」




疑問を抱く間もなく、魔物の爪が迫る。リオンは本能的に剣を振るった。




——キィンッ!




金属音が響き、魔物の爪が弾かれた。




「え……?」




リオンは目を見開いた。今の、自分がやったのか? 信じられない。でも、剣は確かに魔物の攻撃を受け止めていた。




魔物は怯み、一歩後退する。リオンは混乱しながらも、剣を構え直した。




——その時、遠くから複数の足音が聞こえてきた。




「リオン! 無事か!」




ガルドの声だ。ギルドの冒険者たちが駆けつけてきたのだ。




「ガルド! 助けて、こいつやばい……!」




「分かってる! お前は下がってろ!」




ガルドと他の冒険者たちが魔物を取り囲む。リオンはほっとして、その場に座り込んだ。足の力が抜けていた。




「はぁ……はぁ……助かった……」




懐を確認する。子猫は無事だ。よかった。




——魔物は、ガルドたちによって何とか撃退された。重傷者は出たが、死者はいない。リオンは無傷だった。




夕暮れの街道で、リオンはぼんやりと空を見上げていた。




「なんだったんだ、今日は……」




魔物の爪を受け止めたあの感覚。まるで、体が勝手に動いたような。




——でも、すぐにその疑問は忘れた。酒を飲めば、きっと忘れられる。




「よし、帰ったら飲もう。うん、飲もう」




リオンは立ち上がり、子猫を懐に入れたまま街へと歩き出した。




その背中を、遠くからエリカが見つめていた。彼女の表情は複雑で、安堵と不安が入り混じっていた。




「……リオン」




小さく呟き、エリカは踵を返した。




——夕日が、長い影を地面に落としていた。

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