第七話 泊まっていきなよ
「――じゃ、再生するよ?」
光崎アリスは、慣れた手つきで円盤ケースを開いた。
テレビの前、ミニテーブルに横並びで座る。
距離が、近い。
肩と肩が、触れそうで触れない。
いや、たまに触れる。
彼女は何も気にしていない様子だ
*
アニメの、エンドロールが流れ終わり、
部屋に残ったのは、テレビの余韻と雨音だけだった。
結局、この小一時間でアニメを一本しか見られなかった。
と言うのも、光崎アリスはシノゴの話になると強火かつ早口、そして情熱的になってしまう。
そんな彼女はアニメの良シーン、改悪シーン、改良シーン、などなどに出会った時すぐに止めて解説するのを繰り返す。
僕自体シノゴは好きだし、絵も描くほどで、
彼女の話についていくことができてきたが、
彼女のこの作品への愛をこの小一時間で思い知ったのであった。
窓の外は、相変わらず真っ暗だ。
屋敷の屋根を叩く雨は、弱まる気配すらない。
「……結構降ってるね」
ソファに座ったまま、光崎アリスが言う。
「ですね」
時計を見る。
二十一時を少し回っていた。
アリスは、ちらっとこちらを見て、
何でもない調子で口を開いた。
「今日はさ……
泊まっていきなよ」
「…………」
思考が止まる。
「い、いや……それは……」
「雨だし、遅いし」
「服部も来てないし」
淡々と理由を並べる。
論理的で、冷静で――
でも、
(距離感だけがおかしい)
「……光崎さん」
「なに?」
「もう少し躊躇しません?」
「しないけど?」
即答だった。
「友達でしょ?」
彼女はいつも通りの純粋で、澄んでいて、全てを見透かしているような目で僕を見てくる。
僕は勇気と喉を振り絞って声を引き出した。
「……光崎さんがいいのであれば……」
「ただ、その……」
「晩御飯まだですよね……」
「だからせめて、作らせてもらえるのであれば……お礼に晩ご飯は僕が作ります」
「え……」
アリスの目が、少し見開かれる。
「小山くん、料理できるの?」
「……最低限は」
「じゃあ決まり!!」
彼女は勢いよく立ち上がる。
彼女が動くたびに嗅いだことのない
いい匂いが鼻に広がる。
「キッチン、こっち」
***
二階のキッチンは、
広くて、無駄がなくて、やけに綺麗だった。
(……生活感がない)
というか、生活感を感じさせないほど誰かが綺麗にしているかのように思える。
冷蔵庫を開ける。
――そして、固まった。
「……何ですか、これ」
中に並んでいるのは、
見たことのない肉、
ラベルの読めない野菜、
明らかに一般スーパーでは見かけない調味料。
「どこで売ってるか分からないやつしかないんですけど」
「そう?」
アリスは首を傾げる。
「いつもこんな感じだけど」
「というか、いつも服部が買ってくるからよくわからないや」
(やっぱレベルがちげぇぇ)
心の中で、叫ぶ。
「……じゃあ、カレーにします」
「カレー?」
「はい。何があっても形になります。
あと、カレー粉があるので」
「頼もしい」
鍋を出し。
包丁を握り、具材を切っていく。
高級そうな肉は、驚くほど柔らかい。
野菜は切っただけで、香りが立つ。
(……素材が、強すぎる)
炒め、煮込み、
ルーを入れる。
キッチンに、スパイスの匂いが広がった。
「……いい匂い」
気づけば、光崎アリスの顔が真横にある。
「近くないですか」
「邪魔?」
「邪魔というか……」
振り向けない。
僕の顔が今気持ち悪くないか心配になってしまう。
彼女はカレーを見ているはずなのに。
「小山くん、手際いいね」
「慣れてるだけです」
「へえ……」
少し感心したような声。
*
テーブルに並んだカレーは、
どう見ても家庭料理なのに、
素材の圧がすごかった。
一口食べて、
アリスが目を丸くする。
「……おいしい」
「……よかったです」
「え、なにこれ」
「普通に、めちゃくちゃおいしいんだけど」
じっと見られる。
「料理うますぎじゃない?」
「服部超えてるよ!」
「い、いえ……そんなこと…」
「素材のおかげです」
即座に謙遜する。
「こんな食材、反則ですよ」
「でも作ったのは小山くんでしょ」
さらっと言う。
そしてこう続けた、
「……ありがとう」
「作ってくれて……」
親に愛を伝えるように言った。
彼女からの感謝を聞いた時、
僕は、なぜか嬉しさと悔しさで涙が出そうになった。
それは多分、今日光崎邸に来て色々彼女の家庭環境についてわかってしまったからだろう。
この感情に従い、僕は口を開く。
「光崎さん…」
「僕、今心から思いました。」
「高校デビュー失敗してよかったです。」
今僕がこうしてあなたの心に少しでも寄り添えたのなら、
高校デビューに失敗してよかったんだ。
続けて言おうと思った言葉は喉元まで出かけてきたが、
結局言わない。
突然の僕の告白に唖然とする彼女は、何かを察したのか少し照れくさそうに目線を逸らして言う。
「…えへへ、それは良かった……」
気のせいか彼女の顔が熱っている気がした。
***
晩御飯を食べ終え、二人で食器洗いをしたあと、
彼女はいった。
「忘れてないよね?」
「もちろん特別編まだまだやるから!」
食器洗いをしている時のウキウキした彼女の裏には、
オタ友会特別編の続きへの期待があったのだろう。
「もちろんです!」
僕の快諾に満足そうな顔をして、
彼女は思い出したようにいった。
「その前に、お風呂入らないと…」
「私は一階のお風呂使うから、小山くんは
そこにある2階のお風呂使ってね」
そういうとそそくさと階段を降りて一階へ行ってしまった。
(初めてきた女子の、しかもあの光崎アリスの家で一緒に アニメ見て、ご飯食べて、お風呂に入って、泊まるって、
普通にすごいことが起こってるよな……)
そんな現実離れした事実に改めて動揺しながら、言われた通りにお風呂に入った。
*
エンディングテーマが流れ、画面が暗転する。
アニメが終わると、部屋には雨音だけが残った。
しばらくの沈黙のあと、光崎アリスが小さく伸びをする。
「……今、何時?」
「二十三時五十分です」
「思ったより見てたね」
円盤ケースを閉じ、棚に戻す仕草は名残惜しそうだった。
「今日はここまでにしておこうか、」
早すぎる時間の経過に僕も少し名残惜しい。
「こっち」
立ち上がったアリスは、部屋を出る。
それに続いて鞄を手に持ち彼女に続く。
まず、階段を降りた。
夜の屋敷の廊下は、昼間よりもさらに静かだった。
足音が、やけに大きく響く。
一階の真ん中。
彼女は一枚の襖の前で立ち止まる。
「ここが来客用の部屋」
襖を開ける。
中は、必要最低限の家具だけが置かれた和室だった。
畳は綺麗で、布団もすでに用意されている。
――ここにも生活感はない。
(それは当たり前か、)
一人ツッコミを心の中でかました。
「ここ、使って」
「……ありがとうございます」
「毛布とか寒かったらもう一枚出すから」
それだけ言って、彼女は廊下へ戻ろうとする。
「あの、光崎さん」
思わず呼び止める。
「今日は……本当に、ありがとうございました」
アリスは振り返り、少しだけ照れたように笑った。
「友達でしょ」
「ていうか、どっちかというと私の方がありがとうだよ、」
彼女は当たり前だと言わんばかりに言った。
「友達が家に来たの初めてで嬉しかったし、楽しかった。
私変なテンションになってたかも……」
思い当たる節はあったが言及することなどしない。
彼女はいつも通りニコッと笑って襖を閉めた。
*
布団に入る。
天井を見上げると、木目がぼんやりと浮かんでいる。
廊下の向こうから、微かに足音。
おそらく、彼女が自分の部屋へ戻る音だ。
それを聞いて、なぜか少し安心する。
雨は、まだこの家を激しく叩いている。
疲れの溜まった体を横にして数分後、
僕の寝息は客間に響く。
第七話・完
読んでいただきありがとうございます。




