第一九話 交換条件
「図書室、行くぜ」
「……え?」
意味が分からないまま、僕は引っ張られるように歩き出した。
廊下にはテスト終わりの熱が残っていて、どこからでも笑い声と足音が聞こえる。
その中心を突っ切るみたいに、七は迷いなく進む。
黒髪のボブが軽く揺れて、首筋がチラッと見える。
「……釧路さん、僕、なんで呼ばれたんですか」
「説明はあとだぜ。とりあえず静かなとこ」
図書室の扉の前に着く。
七は一瞬だけ周りを確認してから、そっと扉を開けた。
—中は、無人だった。
机も椅子も整然としていて、空調の音すらしない。
本棚の匂いと、静けさだけが残っている。
七は気にせず、入口近くの影になる席へ向かった。
僕も仕方なくついていく。
七は鞄を机に置くと、ためらいなく中を探り、すっと一冊のノートを出した。
——見覚えがありすぎる。
「……それ」
喉が勝手に乾く。
「小山くんのだろ?」
七は、にやっと笑った。
「図書室で拾った。落とし物箱に入れる前に、ちょっと中見た」
「……中、見たんですか」
「見た。すげーの描いてあった」
最悪だ。
脳内で警報が鳴る。
そのノートは僕の漫画帳だ。
ネームの断片、セリフ案、コマ割り、キャラの表情の練習が描いてある。人に見せる前提なんて、どこにもない。
ただ、ほんの出来心で光崎アリスに見せようかと持ってきたあと無くしていたものだ。
「あなたが持ってたんですか……返してください」
手を伸ばす。
七は、ひょいっとノートを引っ込めた。
「返す」
「じゃあ……」
「だがしかし条件があるぜ」
即答だった。
「……条件?」
「私と一緒に漫画、描いてほしい」
あまりにも直球で、僕は一瞬固まった。
「……は?」
七は机に肘をついて、僕をまっすぐ見る。
無人の図書室で、その視線だけがやけに強い。
「私漫画を描きたいんだぜ」
「でも一人だといつも作画面で詰まっちゃうんだぜ。だからこのノートを見た時これだ!って思ったんだぜ」
「小山くんのノート、ネームがちゃんとしてた……」
「作画はもちろんコマの呼吸っていうか、流れがいいんだぜ」
褒められてる……はずなのに、状況が状況すぎて素直に受け取れない。
「いや、でも僕、そんな——」
「教えて、じゃない」
七は言い切る。
「一緒に、だぜ」
ノートを指でトントン叩く。
「返してほしいだろ?」
「なら、放課後ちょっとだけ付き合ってくれよ。すぐ終わるから」
「……」
断ればいい。
でも——
(この人、絶対に引かないタイプだ)
活発で、距離感が近くて、勢いで押し切る。
しかも今、この図書室には僕らしかいない。
逃げ場のない静けさが、逆に圧になってくる。
僕は息を吐いた。
「……少しだけです」
「よっしゃ」
七は勝ちを確信した顔で、ノートを差し出した。
僕はそれを受け取り、抱きしめるように胸へ引き寄せた。
中間考査が終わった日。
打ち上げを誘おうとして。
その直前に五組の人気者にさらわれて。
図書室で漫画ノートを人質に取られて。
一緒に漫画を描く約束をさせられた。
僕の平穏は、いつだって短い。
七は立ち上がり、扉の方へ向かった。
「じゃ、来週の放課後からな。小山くん」
「……はい」
扉が閉まる音が、図書室の静けさに吸い込まれる。
残された僕は、ノートを見下ろした。
(光崎さん……)
あの打ち上げの約束は、まだ宙に浮いたままだ。
第19話・完
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