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第一話 面倒臭い男

できるだけ高頻度で投稿していくつもりです!!

       第一章「面倒臭い男」


 もしこの世界に「面倒臭い人ランキング」なんてものが存在するなら、たぶん名誉ある一位はこの僕であろう。


生まれてから今年の春までの十五年間、僕はずっと「面倒臭いヤツ」と呼ばれてきた。


例えば五年前、小学五年生の頃の話だ。


僕はクラスで一、二を争うほど人気の女の子を好きになった。

彼女は男女問わず好かれていて、告白なんて日常茶飯事。男子の間では「一度は好きになるのが通過儀礼」みたいな存在だった。


そんなある日、僕は彼女と隣の席になった。

話す機会が増え、距離が縮まり、当然のように好きという気持ちは強くなっていった。


ところが席替えで離れてから、状況が変わる。

彼女の視線をやたらと感じるようになり、向こうから話しかけてくることも増えた。


察しのいい…いや、勘違いの激しい僕は思った。


(は〜ん、さてはこの子、僕のこと好きだな)


今思い出しても吐き気がする。

クソみたいにキモい、一段上からの視点だった。

この時の僕は彼女が自分のことを好きになった喜びよりも、達成感を感じていたんだろう。


そして、ここからが本題だ。

僕は好きだった相手が自分を好きだと分かった瞬間、なぜかその相手への好意がすっと消えてしまう。


理由は分からない。

ただ、事実として消えた。


彼女の視線も、声も、存在そのものがだんだん面倒臭くなって、僕は距離を取った。

当然、彼女も気づく。

そして、話しかけてこなくなった。


彼女が話しかけてこなくなってから、しばらくして

僕は後悔したのだ。


失ったと気づいた瞬間に、また彼女を好きになってしまった。


だが、時すでに遅し。

彼女とは中学が別れ、ニ度と会うことはなかった。


自分の性格が、心底気持ち悪いと思ったのは、たぶんこの日が最初だ。

こんなのは「僕が面倒臭い事件」のほんの一部にすぎないが、

さすがに全部語ると引かれるので割愛させてもらう。

          

          ***



 今日、2026年4月8日。

 私立善翔高等学校の入学式だ。


全寮制で、県内偏差値ランキング2位。

年平均40人以上の東大合格者を出し、部活も全国レベル。

そんな学校に、僕は一般入試・最低点で入学した。


中学三年の冬、

自暴自棄だった僕は「もうどうにでもなれ」と

第一志望を一段階上げるという教員泣かせをかまし、半ば記念受験のつもりでこの学校に挑んだ。

結果、なぜか受かった。


内気な性格のせいで、中学三年間の記憶はほぼ虚無だ。

覚えているのは修学旅行でヤンキーにタバコを吸わされそうになり、

逃げて先生に報告したら、その後とんでもないいじめを受けたことくらい。


だからあの街を出たかった。

そのおかげで勉強を頑張れたんだ。


「今度こそ、楽しいと思える学校生活を送ってやる」


朝七時半。

二日前に荷解きを終えた散らかった寮の部屋で、

少し大きい制服を着ながら呪文のように繰り返す。


僕、小山純太郎は今度こそ楽しい学園生活を送るのだ。


     第2章「私立善翔高等学校にて」


善翔高校は、正直言って学校の規模じゃない。

芝生のグラウンドが三つ、体育館が二つ、温水プール完備。

別館には音楽ホールと専門教室、少し離れた場所には陸上競技場まである。


どう考えても研究都市の規模である。


(ア◯ゾンの社長が道楽で建てたに違いない。)


そんな感想を抱いてしまうほどに大きいのだ。


寮から校舎へ向かう道は、さながら王城へ続く花道のように美しく、そしてどこか荘厳だった。

校舎の前には大きな掲示板が設置されており、そこに各々の所属クラスが貼り出されている。


クラスは全部で六つ。

新一年生だけで二百十六人もいるらしい。


僕のクラスは四組。

出席番号は四番だった。


小山という苗字のせいで、これまで出席番号が一桁になったことが一度もなかった人生だったので、初めての一桁に少しだけテンションが上がったのは、ここだけの話だ。


掲示板を離れ、

埃一つ落ちていない玄関で上履きに履き替え、自分の出席番号が書かれた下駄箱に靴をしまう。


校舎の外観は近未来的なのに、内部は本物のお城を思わせる洋風の造りになっていて、そのギャップに思わず感心してしまった。


受験で一度来ているはずなのに、やはり胸は高鳴る。

本当に異世界転生でもしたみたいで、気づけば口元が緩んでいた。


一年生の教室は三階。

二階が二年生、一階が三年生という配置らしい。

さらに四階には大型の図書室、大型のテレビスクリーンがあるらしいからもはや学校というより小さな都市だ。


階段を上り、三階の四組の教室へ向かう。

緊張のせいで足取りは自然と重くなり、覚悟を決めて扉を開いた。


少し早めに出たつもりだったが、どうやら遅い方だったらしい。

教室にはすでにそこそこの人数が集まっていた。


それなのに、妙なほど静かだった。


全員同じように緊張しているのだろう。


僕が入った瞬間、何人かがちらりとこちらを見る。

しかし、すぐに視線は逸らされた。


教室自体はごく普通で、強いて言うなら椅子の座り心地がやけに良かった。


特にやることもないので指定された席に座り、説明開始時間である八時十五分までぼんやり過ごすことにした。


昔から、こうして何もせずにいると将来への不安が頭をもたげてくる癖がある。


(この学校に、ちゃんと馴染めるんだろうか)


そんなことを考えているうちに時間になり、担任らしき教師が教室へ入ってきた。


「はーい、こんにちは。えー、今日から四組の担任を務めます、えーと……はい、大木おおきです。よろしくお願いします」


見た目は四十歳前後。

どこかほんのりセクハラ臭が漂っていて、この学校の雰囲気と致命的に合っていない。

思わずじとっとした視線を向けてしまったが、周囲も似たような反応だった気がする。


「えー、それでね。今から講堂、えー、音楽ホールみたいなとこに行って、入学式をします。」

「放送でクラスが呼ばれたら、私について来てくださいね」


少し残念な大木先生の説明を聞き、やがてクラスが呼ばれ、僕たちは講堂へ向かった。


入学式は、学校の規模に反してこじんまりとしていて、驚くほどあっさり終わった。


そんな入学式の中で一番印象に残ったのは、

生徒代表の女の子だ。


背が高く、華奢で、可愛いというよりは美人。

そして何より、シルクのような艶を持つ銀髪が強烈な存在感を放っていた。

この学校に相応しい、そう思わせる厳格さをまとっている。

きっと、こういう人がいわゆる一軍陽キャになるのだろう……。


自分に縁のなさそうな存在を見ると、達観した目線になってしまう。

昔からの悪い癖だ。


入学式の後には親と話す時間があったが僕には関係がない。

なので僕は入学式が終わるとそそくさと一年四組へと戻った。


教室に戻りしばらくして、

その生徒代表の女の子が教室に入って来た。

どうやら同じ四組だったらしい。


彼女が入室した瞬間、自然と周りの視線が彼女へと集まり、教室の空気が変わった。

近くで見ると、もはや現実味がなく、

顔面偏差値の高さに一周回って感心してしまう。


少し遅れて大木先生が戻り、ホームルームが始まった。


「みんな緊張してるよねぇ。まあ徐々に慣れていくと思うけど、とりあえず自己紹介、していこっかぁ」


来た。

高校生活最初の関門――自己紹介イベント。


自己紹介イベントとは、ただ単に自己紹介をしあうだけのイベントなのだが、一見単純なイベントに見えて、今後の高校生活の航路を左右する重要儀式である。


ここで舵を切りすぎる、つまり調子に乗って浮いてしまうと、三年間ずっと大嵐を進む羽目になる。

高校デビューを成功させたい僕からしたらとても重要なイベントなのだ。


ゆえに、情報公開のレベル調整が何より重要。

つまりここで大切なのは一番最初に当たらないことだ。


「今日は四月八日だから、八―四で……四番の人からね」


入る学校間違えたかも……

なぜその当て方を今使う?

普通は授業でしか使わないよな?

ウケ狙いだとしたらまじでこのおっさん許さん


僕の出席番号は四番。

つまりこのイベントのファーストバッターである。


一番最初に当たる人間は、他人の自己紹介を見て何を言えばいいのか調整することができない。

つまり、地雷原を目隠しで突っ走るようなものだ。


仕方がない。腹を括れ、純太郎。


「……えーと……小山純太郎です。出席番号は四番で、好きな食べ物はマンゴーです。好きなことは……アニメ見たり、漫画読んだり、ラノベ読んだりすることです…以上です」


 (少し趣味を言いすぎてしまったか?)


変に角が立たなければ、それでいい。

少し爪痕を残したい気もしたがやはり自分の臆病で内気な性格が邪魔をしてくる。


――と思ったのも束の間。


「小山君は、アニメを見るんだい?」


「え……えと、一番好きなのは」


「えっと…、竜巻ガールのシノゴとかです。……」


「知ってる?」「んーん全然知らない」

嫌な反応が聞こえる。

 周りから冷たい目で見られている気がする。これは自分より下の人間を見た時の卑しい視線だ。


「へー、ごめん全然知らないや。じゃあ次行こっか、五番の人」


完全に終わった。

せめて有名どころを挙げるべきだった。


ああ……これで三年間、オタク認定コース確定だ。

やっぱり趣味は隠すべきだったか。


どうにかして、この認定を取り払わなければ。


そんな恨みと不安で意識が遠のいていた時、左後ろから心地いい声が聞こえ、我に返る。


例の首席で生徒代表だった銀髪美少女だった。


光崎みつざきアリスです。好きなものは、いまは家にいないけど、愛犬のローラで……好きなことは……本を読むことです」


教室中の視線を集めた彼女の自己紹介は、驚くほど普通だった。

なのに、なぜか教室の空気だけが違っていた。


「えー、光崎君は光崎財閥のご令嬢だそうですね。二十年以上この学校にいるけど、君のような人を担任として持ったのは、初めてだよ」


――財閥令嬢。


その四文字の重みに、彼女の存在が一気に遠く感じられた。

まだ話したこともない相手なのに、勝手に線を引いている自分がいる。



また、贔屓が露骨すぎる大木の発言に僕は少しムッとした。


十分ほどで全員の自己紹介が終わり、大木は学校のルールを説明し始める。


「この学校は全寮制だからね。男女両寮への異性の立ち入りは禁止。これを破るのが一番処罰が重いから気をつけて。朝と夜は寮で食事が出るけど、昼は食堂ね。自炊したい人は別館一階で材料が買えます」


「それじゃあ、初ホームルームを終わりまーす」

「あ、ちなみにえーと、この後、学校を好きにみてまわって構わないよ。もちろん寮にそのまま帰ってもらうのも結構」


そう言って解散になると、教室は一気にざわつき始めた。


その中で、ひときわ大きな声が響く。


「えーいいかな、」


「もしよかったらなんでけど、このあと親睦会みたいなのやりたいんだけど、」


「みんな来られるかな?」

 

ツーブロック。

キリッとした目元。

涙袋にほくろが二つ。


――ずるい。


第一印象でそう断言できるほど、完成度の高い顔面をしていた。

その顔面で、あんなにでかい声を出せるメンタルまで備えているのだから、もはや反則だ。


そんな「持っている側の人間」は橘朱たちばな あかというらしい。

見るからにザ・陽キャ。彼の周りには、すでに三、四人ほどの男女が自然と集まっている。

ああいう人間が、クラスの中心になっていくのだろう。


クラスの様子を見るに、

クラスのほとんどの人が親睦会に行くらしい。

もちろん僕も行くつもりだ、この親睦会で少し話して、少し笑って、「こいつ全然普通のヤツだな」とみんなに思わせるのだ。


そう思っていると目の前にある光景に、

ある雰囲気を感じ取ってしまった。


男子たちは、明らかにある人の動向をちらちらと伺っていた。もちろん橘も。

視線の先にいるのは、もちろん光崎アリス。


どうやら、親睦会の真の目的は

「クラスの親睦」ではなく

「光崎アリスとお近づきになること」らしい。


要するに、これは親睦会という名の光崎アリスとの距離を近づけるための戦場だ。

しかも、最初から僕には勝ち目のないタイプの戦。


親睦会を通して、彼女に話しかけ、距離を縮め、存在を印象づける。

そんな未来予想図が、あの連中の中にははっきりと思い描かれている。


そう考えた瞬間、急に親睦会というものがどうでもよく思えて、クラスの連中がどこか憐れに見えた。


いつもこうなのだ、結局自分が負けることを知っていると、達観して人を憐れむでしまう。

そんな僕の周囲への視線とは裏腹に橘が僕の目の前まで来て尋ねた。


 「小山だったよな?」


不意に名前を呼ばれて、心臓が跳ねる。


顔を上げると、橘がこちらを見ていた。

 

「よかったらさ、一緒に来ない?」


「え…」


一瞬、理解が追いつかなかった。

まさか僕に直接話しかけてくれるなんて、

もしかしたら自己紹介で滑ったことを気にかけてくれたのかもしれない。



「自己紹介で絵描くって言ってただろ?どんな絵描くのか見せてくれよ!」


悪意はない。

むしろ、好意的ですらある。


(……今だ)


ここで頷けばいい。

行けばいい。

笑って混ざればいい。

そしたら僕の評価は上がるんだ。

親睦会がどうでもよく思えても、周りを哀れに思えても、

ここで行けば高校デビュー成功の道はまだ閉ざされていないんだ。


分かっている。

分かっているのに。


「……あ」


喉が、ひくりと鳴る。


「すみません」


気づいたら、そう言っていた。


「今日は、ちょっと……」

「あと、そういうの、あんまり得意じゃなくて」


言い終わった瞬間、後悔した。


空気が、ほんの一瞬だけ止まる。


「そっか」


橘は、あっさり笑った。


「無理なら全然いいよ。

 また今度な」


そう言って、すぐに他の生徒の元へ移動した。

深追いはしない。

あまりにも、スマートだった。


 ――だから余計に、胸が痛んだ。


すると、案の定というべきかやはり、罵倒が聞こえて来た。

 「あいつなに?ノリ悪」「オタクでノリ悪いって最悪だな」「親睦会行くより絵を描きたいんだろw」


橘の取り巻きは僕に聞こえるくらいの声量で罵った。


それはそうだろう、あんな優しい行けてるやつの誘いを断ったんだ。

完全に僕が悪いだろう。


心臓が張り裂けそうになった。後悔と恐怖が同時に僕を襲う。

結局僕は誰とも目を合わせず、静かに教室を出た。


本当は、親睦会に参加するべきだった。


だが、みんなの光崎アリスへの媚びるような卑しい目が、雰囲気が僕に嫌悪感を感じさせたんだ。

本当に自分の性格が嫌になる。面倒臭すぎる。


入学式の前とは正反対に小股でトボトボと寮へと向かう。

そうして僕の高校生活一日目は、高校デビュー失敗と共に静かに幕を閉じた。

           ***


翌朝、早くベッドに入ったつもりが、全く眠れず寝不足な僕は眠い目をこすりながら男子寮の食堂へと向かう。朝食は小規模なビュッフェのような感じで、おにぎりやパン、スクランブルエッグ、納豆、味噌汁などを自由に取ることができた。


学校生活が始まって2日目、今日から授業が始まる。

昨日までほとんど言葉を交わしていなかったはずの連中が、

もう当たり前のように同じテーブルを囲んでいる。


笑い声が響いている。

やけに距離が近い。


(……早すぎだろ)


トレーを持ったまま、空いている席を探す。

無意識に、人の少ない端の席を選んでいた。


パンとスクランブルエッグ。

味は……正直、よく分からない。


咀嚼するたびに、耳に入ってくる会話が気になって仕方ない。


「昨日の親睦会さ」

「橘、ガチで仕切ってたよな」

「初日であれは強すぎだろ」


――橘。


あのツーブロックの陽キャラ。


(そりゃそうか)


行かなかった人間は、

こうやって話題にすら入れない。


「罰ゲームやばかったよな」

「笑い死ぬかと思った」


楽しそうな声。


その輪の中に、僕はいない。


(まぁ、分かってたけど)


フォークを動かしながら、心の中でそう呟く。


そのとき。


「そういえばさ」

「あの橘の誘い断ったやついたじゃん」


――やめろ。


「オタク全開だったなw」

「そんでノリ悪いのマジでないだろw」

乾いた笑い声。


誰が言ったのか、顔は見ない。

 多分昨日罵倒して来た橘取り巻きと言ったところだろう。



(……聞こえない)


自分にそう言い聞かせて、黙々と食べる。


やがてトレーが空になり、席を立つ。


現在時刻は7時30分。まだ始業時間までの時間はある。

けれど、ここに残る理由はなかった。

というか残りたくなかった。


食堂を出て、廊下を歩く。


窓から差し込む朝の光が、やけに眩しい。


(昨日、行ってたら)


ふと、そんな考えが浮かぶ。


すぐに打ち消す。後悔は何も生まない。


そのまま重い足を引き摺りながら、校舎の方へ向かった。

やはり校舎への道は本当に美しい、ここで時間を潰してもいいくらいだ。


朝の自由時間。

教室に行くにはまだ早いし、かといって部屋に戻って寝直す気分でもない。

こういう中途半端な時間に一人でいられる場所は、だいたい決まっている。


図書室だ。


四階にある図書室は4階丸ごとを使う勢いの広さで学校の規模に見合ってやたらと広い。

天井は高く、壁一面に並ぶ本棚は圧迫感よりも安心感を与えてくれる。


――好きだ。


人がいない場所。

誰にも評価されない空間。


僕は入り口近くの棚を適当に眺めながら、

無意識にラノベコーナーの方へ足を向けていた。

昨日の誘いを断ってしまった一件が、まだ頭のどこかに引っかかっている。


(……気にしすぎ、だよな)


そう思っても、完全には切り離せない。

僕は所詮、そういう性格だ。


適当に学園系の本を一冊手に取ろうとした、その時。


「……あ」


小さな声が、本棚から聞こえた。


反射的にそちらを見ると、本棚の向こう側。

一人の女子生徒が、床に落ちた本を慌てて拾い上げていた。


――本棚の隙間から見える艶々の銀髪。


一瞬で分かる。


光崎アリスだった。


心臓が、嫌な音を立てる。

別に悪いことをしているわけでもないのに、

見つかってはいけないものを見られた気分になる。


彼女は本を拾い上げ、ぱっと表紙を確認してから、きょろきょろと周囲を見渡した。

そして、僕と目が合う。


「あ、おはよ」


ほんの一拍置いて、そう言った。

柔らかくて、気取らない声。

気のせいか顔は少し熱っている。


「あ……お、おはようございます」


まさか挨拶をされるとは思わず反射的に、敬語が出た。

自分でも、少し硬いと思う。


「早いね」


「ええ、まあ……なんとなくです」


「私も。部屋にいると落ち着かなくてさ」


やはりコミュ力が高い。初対面の人にここまで話しかけられるなんて。


本棚越しに彼女はそう言いながら、手に持っていた本を棚に戻そうとした時、僕にはその本の表紙が見えてしまった。

「竜巻ガールのシノゴ」それは昨日僕が自己紹介で好きだと言ったアニメ化したライトノベルだった。


(……あれ?)


「本、好きなんですよね」


そう言うと、彼女はびくっと肩を揺らした。


「ん? あー……まあ、ね」


一瞬だけ、間が空く。


「ちょっと意外でした」


「そう?」


「はい。もっと、その……難しそうなのを読まれてるのかと」


言った瞬間、やってしまったと思った。

いくら僕の好きな本を持っているからと言って踏み込みすぎだ。


彼女は一度視線を逸らし、

それから、困ったように笑う。


「これはさ……ほら、資料? みたいなやつ」


言い方が、どう考えても苦しい。何かを隠しているようにしか思えない。


それ以上踏み込まないほうがいい、と直感が告げていた。


「……あ、そうだ」


光崎アリスは、思い出したように声を上げる。


「昨日さ」


「はい」


「親睦会、来てなかったよね」


心臓が、ぴくりと跳ねた。


「……え」


そう言われて、思考が一瞬止まる。


(……なんで、知ってるんだ?)


昨日の親睦会、橘の誘いを断ったと言ってもそれを知っているのは橘と取り巻きくらいだ。


それに、あの場で僕のことを気に留めていた人間がいるとも思えなかった。


「えっと……」


言葉を選ぶ。


「すみません。ああいうの、あまり得意じゃなくて」


なぜか謝ってしまう。

逃げでもあり、本音でもある。


光崎アリスは「そっか」と短く返すと、

なぜか少しだけ安心したような顔をした。


「無理して行く必要、ないよね」


その言い方が、妙に自然だった。


「……はい」


そう答えながらも、頭の中では別のことを考えていた。


(どうして、この人は僕がいなかったことを知っている?)


ホームルームが終わった後、クラスはすぐにざわついた。

僕は誰とも話さず、そのまま教室を出た。


――目立つ行動じゃない。


なのに。


「小山くんってさ」


「はい」


「昨日、自己紹介のあと、すぐ出てったでしょ」


確信めいた口調。名前を覚えられていた喜びよりも、昨日の不甲斐ない自分を知られていたことの恥ずかしさも相まって

背中に、うっすら汗が滲む。


「……見てたんですか」


「うん、たまたま」


即答だった。

たまたま、という割には、迷いがなかった。

光崎アリスは、息を整えて言った。どこか緊張しているらしい。

「えーとね……」

「……ここで言わなきゃだよね…あのね実はっ!」


そう言いかけた瞬間、活力のある、大きな声が聞こえた。


「おっ、アリスじゃん!!こんな朝っぱらから図書館なんて本当に本好きなんだな!」


声の主はそう、橘である。周りには3人ほどの取り巻きを連れている。

たった一度の親睦会、そして昨日初めて知り合った関係で

光崎アリスを名前呼びしているそのコミュ力の高さと、

距離感を間違えたような馴れ馴れしさに、

なぜか腹が立ち、それと同時に彼への申し訳なさを思い出すように感じる。


橘は、光崎アリスとは本棚越しに話していたせいで、

僕の存在にまだ気づいていない。


光崎アリスは、手に持っていたラノベをさっと棚に戻し、橘に向き直った。

 

「おはよう。橘くん。」


先ほど僕に見せたような柔らかな口調はどこかに行ってしまったようだ。少し堅苦しいような気がする。

いや僕がそう思いたいだけなのかもしれない。


 「昨日は親睦会に来てくれてありがとな!お陰でみんな楽しんでたよ。」

 「てかもうこんな時間じゃん、アリス。そろそろ行こうぜ」


橘は腕時計を一瞥すると、当然のような顔でそう言った。


「もうすぐホームルームだし。遅れると面倒だろ?」


「……まだ時間あるけど」


アリスがそう返した瞬間だった。


「いいからいいから」


橘は笑いながら、彼女の手首を掴む。


あまりに自然な動作だった。


「え、ちょ……」


アリスの声が、小さく跳ねる。


「行こうぜ。クラス一緒なんだし」

 

橘はそのまま、半ば引っ張るように歩き出した。


図書室の静寂の中で、

足音と、衣擦れの音だけがやけに響く。


「……」


僕は、声を出せなかった。


彼女を引き止める理由も言葉も持ち合わせていなかったからだ。

光崎アリスは一度だけ、振り返った。


その視線が、

一瞬だけ、僕と交差する。


何か言いたそうで、

でも言葉にできない、そんな目だった。


そして、

彼女の姿は本棚の向こうに消えた。


彼女が何を言いたかったのかはわからない。そしてなぜ僕のことなんて気にしていたかもわからない。


僕は名前がわからない不思議な感情を胸に、先ほど取ったラノベのページを適当にめくる。


………………予鈴のチャイムが鳴った。

現実に引き戻される音。


僕は静かに本を棚に戻し、

誰もいなくなった図書室を後にした。



             第一話・完

読んでくださりありがとうございます。

本当に感謝です。



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