33:Sonance / Script in the Library
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
武雄の夜。空に走った赤い「取消線」が霧となって消えた後、街には奇妙な「静寂」が訪れていた。
それは安らぎではない。まるで、舞台の書き割りが一時的に剥がれ落ち、次の背景が描かれるのを待っているかのような、不安定な余白。
『Remaining storyline: 8%』。
視界の端に浮かぶ一桁の数字は、依然として冷酷な現実を突きつけていた。だが、アサヒナ・アリアの胸に宿っているのは、先刻までの焦燥ではなく、温かなレモングラスの香りのような、静かな決意だった。
「……テツトさん。03号機の『エレジア』……あの子は、今もこの街のどこかで、私たちの歌を聴いているんだね」
地下センターのブリーフィングルーム。アリアは、モニターに映し出された武雄市図書館の構造図を見つめて呟いた。
テツトの口から語られた03号機の真実――。それは、残酷な失敗などではなく、この世界が最高に輝いていた瞬間の記憶を、削除から守るためにあえて「欠番」として封印したという、祈りにも似た秘策だった。
「ああ。……アリア、カノン、カナタ。君たちの『日常』の中に、あいつは断片を隠した。……武雄市図書館の古文書室。そこには、記述者さえも気づかなかった、この物語の『本当のプロット』が眠っているはずだ」
テツトの声は、これまでの迎撃指示とは異なり、どこか宝探しを前にした少年のような弾みを含んでいた。
彼は、かつて存在し消された物語の痛みを知っている。だからこそ、今、この手元にある「アリアたちの物語」を、誰にも、何ものにも、指一本触れさせないための究極の謎解き(クエスト)を提示したのだ。
「……了解よ。……論理的に解けないパズルなんて、この世には存在しない。……武雄の歴史、すべて洗わせてもらうわよ」
タチバナ・カノンが眼鏡のブリッジを押し上げ、不敵に微笑む。01号機『エチュード』のコックピットに滑り込む彼女の背中は、もはや「防衛」という義務感ではなく、「真実を解き明かす」という知的好奇心に燃えていた。
「おーほっほっほ! 宝探しですわね! わたくしの審美眼に適う、最も美しい旋律を見つけ出して差し上げますわ!」
ナナミ・ワカが、紅金の扇を広げて高らかに宣言する。
リツ、コトネ、サヤカ、ヒビキ。新星たちもまた、それぞれの「音」を武器に、街に隠されたパズルのピースを探すために、夜の図書館へと急行した。
――武雄市図書館。
夜の帳に包まれたその場所は、千年の記憶が層をなして眠る、情報の深淵だった。
アリアたちが足を踏み入れた瞬間、図書館の巨大な書架が、まるで生き物のように不自然な「揺らぎ」を見せた。
「……っ、何これ。……文字が、本から零れ落ちてる……?」
アリアの視界。
棚に並ぶ無数の本から、黄金色に輝く文字が光の蝶となって溢れ出し、空中で複雑な幾何学模様を描き始めた。それはエコーによる破壊ではない。記述者が遺した「真筆」が、アリアたちの共鳴に呼応して、その正体を表そうとしているのだ。
「アリア、注意して。……この空間の記述強度は、通常の十倍以上に跳ね上がっているわ。……不用意に触れれば、あなたの記憶まで『物語の一部』として取り込まれてしまうかもしれない」
カノンの01号機が、多層眼鏡状のセンサーをフル稼働させ、光の蝶の軌道を計算する。
「……『不抜の加護』。……大丈夫だ、俺たちがついてる。……みんな、自分の『歌』を信じろ。……俺たちの日常が、この迷宮の唯一の標識だ」
カナタの02号機が展開した黄金の結界が、アリアたちを情報の奔流から優しく包み込む。
その結界の中で、アリアはふと、一冊の古びた楽譜に目を留めた。
それは、どの棚にも属さず、ただ空中に静止していた。
――『Elegia ―― 終わらない日々のための序曲』。
「……これだ。……03号機の、本当の名前……」
アリアがその楽譜に手を触れようとした瞬間、図書館の深淵から、かつてないほど「澄んだ」響きが鳴り渡った。
それは、これまでのエコーが放っていた呪詛(ABUSIVE-LOGOS)とは対極にある、絶対的な肯定の調べ。
「ハッ。……面白くなってきやがった。……退屈を殺すための最後のピース、そいつが答えかよ!」
リツの07号機が紅い稲妻を散らし、楽譜を囲む情報の壁を強引に切り拓く。
八機のアポリアが一つに重なり、失われた03号機の旋律を奏で始めた時。
記述者さえもが忘れていた「この世界を創った理由」という、最も美しく、最も強力なプロテクトコードが、武雄の夜空に解凍されようとしていた。
――同じ頃、緒妻邸の縁側。
ユウは、夜空を見上げ、小さな鼻歌を歌っていた。
それは、今アリアたちが図書館で見つけたばかりの、あの楽譜と同じ旋律。
「……ねえ、テツちゃん。……アリアちゃんたちは、気づくかしら。……物語を終わらせるのも、続けるのも。……最後は、そこに込められた『愛』の深さだけだってこと」
ユウは、そっと自身の胸に手を当てた。
そこには、三姉妹の長女として、そして世界の真理として秘められた、膨大な「慈愛」のエネルギーが、穏やかに脈動している。
何気ない日常の欠片さえもが、この物語を完結させないための、最後の防波堤。
「……アリアちゃん、頑張って。……最高のハッピーエンドを、あなたの手で描いてね」
ユウの微笑みは、不自然なほど完璧で、そしてどこまでも深く、明日を照らし出していた。
武雄。
第4サイクルの謎解きは、残酷な現実を「最高の物語」へと書き換えるための、確かなリズムを刻み始めた。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




