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黎明創紀 APORIA-CODE  作者: 久遠 魂録


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21/33

21:Suite / Echoes of Overlapping Daily Life

この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。

 武雄の空を支配する琥珀色の残光は、いつにも増して濃く、そして脆かった。


 県立第2SS学園の校舎。その屋上から見下ろす街並みは、一見すれば平和そのものだ。だが、アサヒナ・アリアの網膜に焼き付いたシステム・グリッドは、現実の輪郭が数ミリ単位で絶えず震えていることを冷酷に示していた。


 『SATURATED-BOREDOM ―― 飽和する退屈』。


 記述者ライターがこの世界に注ぐ関心が、砂時計の砂が落ちるように確実に削り取られている。


「……アリア。また遠くを見て。意識の同期シンクロが漏洩しているわよ」

 カノンが、銀縁の眼鏡を拭きながら静かに注意を促した。彼女の指先にある端末は、武雄温泉周辺の「存在定義」が、通常の八〇パーセントまで低下していることを告げている。


「ごめん、カノン。……ただ、少し考えてたんだ。ここから鹿島まで、車でたった三十分なのに……どうしてこんなに遠く感じるんだろうって」

 アリアの呟きに、弓道の修練で鍛えられたカノンの視線が、ふと柔らかく揺らいだ。


 三十分。それは日常においては「少し足を伸ばす」程度の距離だ。だが、この街を覆う情報の浸食は、その僅かな距離を、光さえ届かない深淵へと変貌させていた。


「距離の問題ではないわ。……記述が断絶されているのよ。テツトさんが子供たちを鹿島に留めているのは、そこがまだ『物語の連続性』を保てている聖域だから」


「そうですわ。あたくしたちがここで踏ん張るからこそ、あの子たちの無邪気な時間が守られるんですもの。……さあ、湿っぽい話はそこまでですわよ!」

 ワカが、見事な刺繍が施された扇子をパチンと閉じ、立ち上がった。彼女の漆黒の長髪が、境界の歪みから生じる微かな電子の風に舞う。


「カナタ、例のものは用意できていますわね?」


「ああ。……お嬢の言う通り、湿っぽいのは俺たちの旋律に合わないな」

 カナタが穏やかに笑い、実家の古社で清められたばかりの、神聖な香りを湛えた茶器を片付けた。彼の存在そのものが、この不安定な屋上において唯一の「揺るがない定点」として機能していた。


 ――同時刻、武雄の静かな住宅街、緒妻邸。


 ユウは、キッチンの広々としたテーブルに、三つの段ボール箱を丁寧に並べていた。

 中には、武雄名産のレモングラス、温泉石鹸、そして今日、アリアたちと共に温泉街で見つけた色鮮やかな銘菓。


「……これでよし。イツキには新しい自由帳。マサルには、少し早いけれど冬用の厚手のソックスも。……アキは、本当にちゃんと二人の面倒を見てくれているかしら」

 ユウは、宛名ラベルを貼りながら、遠く鹿島の方角へと想いを馳せた。


 今、鹿島の家では、二人の妹たちが、ユウの三人の子供たちの「親代わり」として奔走してくれているはずだ。


 中学三年生のアキ、小学五年生のイツキ、そして小学三年生のマサル。


 シュカはアキにとって「戸籍上の叔母」でありながら、同じ中学に通う最高の親友であり、下の2人の子ども達にとっては頼れるお姉さんでもある。ネガイは少し厳格だが、誰よりも深く子供たちを愛してくれる。


「テツトさんも、本当は今すぐにでも車を飛ばして、あの子たちの寝顔を見に行きたいはずなのにね」

 玄関が開く音が響き、白衣を翻したテツトがリビングに現れた。彼の隈の浮いた瞳には、地下センターでの過酷な指揮による疲労が色濃く刻まれているが、ユウの顔を見た瞬間に、その鋭い眼光はふわりと解けた。


「……ただいま、オユウさん。……荷物、まだまとめていたのか。悪いな、俺が自分で届ければいいものを」


「いいのよ、テツトさん。あなたが武雄で戦っているのは、あの子たちの未来のためだって、アキも分かってくれているわ。……さっきネガイから連絡があったの。マサルが、シュカちゃんに懐きすぎて、将来は釣り師になるって言い出したんですって」


「……フン……相変わらずだな」

 テツトはユウから受け取った温かい茶を啜り、ようやく椅子に腰を下ろした。


 武雄と鹿島。わずか車で三十分の距離。だが、その間には、記述者が投げ出した「未定義の荒野」が広がっている。テツトがアポリアというコードを用いて戦っているのは、その荒野を埋め戻し、再び家族が一つ屋根の下で笑い合える「続きの物語」を取り戻すためだった。


「アキも……シュカも、もう中学三年か。……あいつらが大人になる頃には、こんな空は見せたくないものだな」

 テツトの呟きは、重厚なスマートフォンの警報音にかき消された。


 赤い点滅。それは、第2サイクルを締めくくる、最大級の浸食波。


「……っ。オユウさん、行ってくる」


「ええ、気をつけてね。テツトさん」

 テツトは一瞬だけ、ユウの栗色の髪に触れると、嵐の中へと飛び込んでいく。


 彼の向かう先、武雄駅前広場には、もはや形を成さない「透明な巨大な腕」が、現実の建物を掴み、虚無へと引き摺り込もうとしていた。

この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。

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