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黎明創紀 APORIA-CODE  作者: 久遠 魂録


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17/33

17:Variation / Daily Life on the Boundary

この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。

 県立第2SS学園の校庭を抜ける風には、既に秋の冷ややかな気配が混じり始めていた。


 朱色の楼門が夕陽を浴びて街の境界を守るように佇む、武雄の穏やかな風景。だが、そのありふれた景色を網膜に映すアサヒナ・アリアの視界には、現実のテクスチャを侵食する「ノイズの雨」が絶えず降り注いでいた。

 

教室の喧騒は、どこか遠くの出来事のように聞こえる。


 黒板を叩くチョークの乾いた音。談笑するクラスメイトたちの屈託のない声。それら全ての「意味」が、時折砂嵐のようにざらついては霧散する。アリアは、自身の左手に刻まれた見えない感覚――ウーヴェルチュールの操縦桿を握り締めた時の、あの冷たくも熱い神経接続の残滓デブリを無意識に確かめていた。


「……また、深度を上げているわね。アリア、意識のフォーカスが甘いわよ」

 冷徹な声が、アリアの思考の霧を切り裂いた。


 隣の席で、カノンが銀縁の眼鏡を指で押し上げている。彼女の膝の上にある端末には、一般の生徒には「高度な物理学の数式」にしか見えない、SAGA SAGA第2層からの浸食データが奔流となって流れていた。カノンは弓道部で培った動体視力と集中力を、今やこの世界の綻びを監視するために注ぎ込んでいる。


「ごめん、カノン。……少し、昨日見た『蝶』のことを思い出してたの」


「あれはエコーの残滓が情報の安定を求めて再構成されたものに過ぎないわ。センチメンタルに浸る必要はない。……それよりも、見て。武雄温泉街の東側、記述の強度が極端に落ちている。人々が無意識にその場所を『認識しない』ように仕向けられているわ。これがテツトさんの言う『SATURATED-BOREDOM(飽和的な退屈)』の初期症状ね」

 カノンの言葉通り、武雄の街は静かに、しかし確実に変質していた。


 人々は空に走るノイズを「ただの雲の影」だと思い込み、崩れかけたビルの壁面を「改装中」だと誤認する。記述者ライターによる「飽き」が、世界の細部を投げ出し、物語の解像度を一方的に下げ始めているのだ。


「オーホッホッホ! 暗い顔はおやめなさいな、お二人とも! 退屈なら、わたくしたちがより鮮やかな旋律を書き加えて差し上げればよろしいのですわ!」

 教室内の一角、不自然なほど豪華なティーセットを展開したワカが、優雅に扇子を広げた。その背後では、カナタが穏やかな表情で、ワカの持ち込んだ高級な菓子器を片付けている。


「ワカの言う通りだ。……アリア、焦ることはない。俺たちの『旋律』が揃えば、どんな空白だって埋められる。……さあ、テツトさんから連絡が来る前に、少しだけこの温かなお茶を楽しもうじゃないか」

 カナタの差し出したカップから、神聖なまでの香りが立ち上がる。実家がこの街で千年の歴史を刻む古社である彼の「清め」の波動が、境界の揺らぎを一時的に鎮める「聖域」として機能していた。


 ――その頃、武雄の温泉街に近い緒妻邸。

 夕暮れのキッチンで、ユウは鼻歌を歌いながら、丁寧に荷物を梱包していた。段ボール箱の中には、武雄名産のレモングラスティーや、温泉街で評判の肌に優しい入浴剤、そしてアキが以前から欲しがっていた武雄焼の小さな小物が丁寧に詰められている。


「……よし、これでアキちゃんたちへの荷物は完璧かな。鹿島では手に入りにくいものばかりだし、喜んでくれるといいけれど」

 ユウは、かつて鹿島で過ごした賑やかな日々を思い出し、ふと目を細めた。


 長女のアキ、そして二人の妹たちは今、鹿島市にある憂の妹である――ネガイのアパートで暮らしている。

末美こと白猫に擬態しているバステト神や、てちちという名前でチワワに擬態しているショロトル神がペットのフリをして一緒に住んでいるので、3人の子ども達については心配ないだろう…。


哲人が武雄でのSAGASAGAの極秘プロジェクトに専念するため、そして子供たちの学業環境を変えないために苦渋の決断として下した別居生活だった。


「鹿島も、今頃はきっと平和なんでしょうね。……アキは、ネガイに我儘を言っていないかしら。シュカも、あまりあの子たちを甘やかさないでいてくれると助かるのだけれど…」

 ユウの呟きは、玄関が開く重い音にかき消された。


「……ただいま。ああ、腰が痛い……。オユウさん、悪いな、今日も遅くなって」

 よれよれの白衣を翻し、テツトがリビングに現れた。彼の隈の浮いた瞳には、地下センターでの過酷な指揮による疲労が色濃く刻まれている。


「お帰りなさい、テツトさん。……今日もアバターエンジンのデバッグ? あまり根を詰めないでね。アキちゃんたちも心配していたわよ。……ねえ、さっきネガイのところから連絡があったわ。アキはシュカに新しい釣りの仕掛けを教わって、大はしゃぎなんですって」


「……フン、あいつら。相変わらずだな。……シュカやネガイが傍にいてくれるなら、アキたちも寂しくはないだろうが……。早くこの『バグ』を片付けて、あいつらを武雄に呼び寄せたいものだ」

 テツトは、ユウの笑顔を見て、ようやく地下で背負ってきた世界の重圧を一時的に降ろすことができた。彼はユウの傍らにより、彼女の栗色の髪に微かに触れる。


「……オユウさん。この街が、ずっと静かだといいんだが」


「あら、そうね。……武雄の星空は、あんなに綺麗ですもの」

 ユウが窓の外を指差した先――そこには、通常の人間には見えないはずの、空間がひび割れたような黒い「傷跡」があった。だが、彼女が微笑むと、その傷跡さえも夜空の星屑の一部であるかのように、柔らかく調和して見える。


 テツトは、その微笑みの裏にある「真理」に気づかぬふりをして、食卓についた。


 彼が守るべき日常。それは、鹿島で待つシュカやネガイ、そして自分たちの「続き」を信じて待っている子供たちの未来そのものだった。

 ――だが、安息は長くは続かない。

 テツトのスマートフォンが、けたたましく警報を鳴らした。

 

「……っ! 始まったか。……オユウさん、悪い、急ぎの仕事が入った」


「ええ、気をつけてね、テツトさん」

 テツトは急いで上着を掴み、夜の武雄へと駆け出していく。


 彼の向かう先、地下センターの巨大モニターには、かつてない規模の『メタ・コード:BOREDOM』が、武雄駅周辺を完全に覆い尽くそうとしていた。

この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。

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