不死身の愛で、魔女をとらえた紅海月
○紅海月
年老いると若返りをするクラゲで、成熟したクラゲが衰弱後、通常なら溶けてしまうところをクラゲの前段階である、イソギンチャクのようなポリプに戻ることができる。
という性質を見て、思い付いた話です。
生まれ変わらなくとも、あなたのそばにいたいと願ってしまう。
不死身のように、何度消し去ろうとしてもまた貴女に惚れてしまうやっかいな恋です。
ーーこの恋を殺すには、どうしたら良いですか?
「君の身体ごと私が殺してあげようか」
「……あなたはそういう方でしたね」
読んでいた本のページをめくりながら、なんでもないことのように提案されたその方法。消せないなら丸ごと葬れ、というのがあまりにも面倒くさがり屋の魔女さまらしくて笑ってしまった。
「眠った君も美しいけれど、毎日私だけが問い掛けるなんて随分と寂しい。だから殺さなくていいんじゃないか。その恋とやら」
「また無責任なことを。どうせ殺したところで僕の代わりなんていくらでもいるでしょうに」
僕の種族は、老衰で死ぬことはまずない。
老いても新しい細胞に作り替えられて、記憶をそのままに肉体が若返る。そうしてまた老いていくことを繰り返すだけ。
だからこそ人間ほど死が身近でない僕にとって、非現実と思える最期を魔女さまに奪っていただけるとするならば。嬉しすぎて死んでしまいそうな気がする。過分な幸せで殺されるなんて夢のよう。
アリだなその選択、などと考えていると、ついと腕を引かれた。近付いた僕の頬に手を伸ばして触れた魔女さま。艶のある笑みを浮かべる時は大抵何かを企んでいる。
「代わりはいても君はいない。それに私は、責任を取らないなんて言っていないよ」
「……それは、どういう意味ですか」
「ふふ。さてね。君の思うままに行動すれば良いんじゃないか。私は君に甘いようだから、許せてしまうことの方が多いかもしれないよ」
それは、貴女がほしいと思うままに行動しても良いということですか。
自分の奥底の醜い欲望が顔を覗かせる。表に出る前に消化してしまおうと思っていたのに、本を閉じてこちらに視線を寄越した魔女さまには、すでに見透かされていたようで。
「監禁でもするかい?」
「捕まってもくれないくせによく言えますね」
「君の腕の中にならいつまでもいてやるさ」
ほらおいで、と伸ばされた腕。わがままな子どもをなだめるような緩やかさが嫌いとは言わないけれど。いつかは離れてしまう寂しさが同居する拘束では、物足りない。明確な言葉が、印が、縛りがほしい。
……それはそれとして抱きしめに行くけれど。
「死がとても遠い僕を受け入れるということは、あなたの一時ではなく一生を決めることと同義なんです。それでも良いのかと聞いているんですよ」
「あるかも分からない先のことを考えても仕方がない。気持ちなんて移りゆくものだし。それでも今は、君といられる時間が一番好きだ」
そんなことは知っている。長い孤独を知らないわけではないから。別れだって必ず来るものだということも。
それでも僕は、この先をあなた以外とは生きられないと思う。そのままに伝えるのはとても恥ずかしいけれど、伝えずにはいられない。
「……僕もです。貴女がいればそれでいい。僕は、誰よりも貴女が……っ、」
ようやく言った、と微笑む魔女さまの声がとても近い。息遣いさえも分かるような距離。もっと伝えたかった言葉の先が消えたのは、目元の涙を掬う唇のせい。
「泣き顔も愛おしいなんてね。口付けでこんなに可愛いのに、この先をしたらどうなってしまうのか。ねぇ、ハオ」
この魔女め。すぐにからかって子ども扱いだ。
だけど、そうやって余裕なフリをして隠すのが上手なだけだと僕が知っていることに頭が回っていない時点で、普段よりもよほど心が動いている証拠。
少しずつ離れてうやむやにされてはたまらない。首裏に手を回して引き戻せば、僅かに揺れた瞳。
「知っていますか、魔女さま。あなたは照れると、左耳の耳飾りに触れるんです。僕が初めてあなたに贈った翡翠の耳飾り。贈ったあの日から1日も欠かさず付けてくれていましたね。そういうところも好きです。……本当はあなたの方が、余裕がないんでしょう?」
感情をあまり表に出すことのない魔女さまの気持ちを少しでも知りたくて、日々少しずつ見つけていった手がかり。僕の一等大切な思い出に感情の揺らぎが見えるようになったとき、息が詰まりそうなほど心が揺れて嬉しかったことを覚えている。
「余裕か。お前にはどう見えているのか分からないが、取り繕っているものは何もない。だから、耳飾りに触れることが癖になっているのなら、心を揺さぶられることがあると無意識にでもお前を求めているのだろうな」
「ッそういう殺し文句を当たり前のように言わないでください」
肩をすくめられたので、自覚はあるのだろう。
まぁそれはそれとして。ここまで来れば逃がす隙を与えるわけもない。僕はあなたを敬愛して止まない、最高傑作と呼ばれている弟子なので。
「魔女さま。やはり監禁してもいいですか」
「おまえ……最高強度の拘束魔法までしておいて。断ったらどんな殺し方をされるやら」
「断るなんて選択肢があると思ってるんですか。それに、あなたが殺されるまで大人しくしているとも思えませんけど」
「もちろん逃げてやるさ。私だってハオを私だけのものにしたいからね。私に囚われるのは嫌かい?」
そういうわけじゃないですけど。むしろ12年も弟子やってるんだから、魔女さまに好きなようにされるのは嫌なわけがない。でも男には男のプライドってもんがあるんですよ。
「僕の思うままに行動すれば良いって言ったのはあなたですよ」
「苦しいくらいに愛が重いねおまえは」
分かってるよ、こんなもので彼女を縛れるわけがないことくらい。
互いに想い合っているだけで世界は完結しているはずなのに、この尽きない不安はなんだ。この人が僕のものだと、僕から逃げないと分かる絶対的な何かがほしいと思ってしまう。情けなくて醜くて幼い感情。格好の悪いものなど見せたくないのに。
「そんなに不安なら、聞き飽きるくらい愛を囁いてやろう。一つになりそうなほど体をつなげて、心を通わせて、印を刻んで。それで揃いの首輪でもしようじゃないか。とびきり重い契約を交わして死ぬまで外せないやつ。大人しく縛られてやるつもりはないが、私もハオを同じだけ自由にできるのならやってみるのもまぁ、悪くはないよ」
「──っ、……」
ひどく驚いたその提案。
縛られ、行動を制限されることを何よりも嫌う魔女さまが自らやると言う。それがどれだけ甘やかされているか、僕は知っている。わかりにくい魔女さまの、精一杯の告白。たまらない。
「……こんなに惚れさせておいて。僕をどうしたいんですか?」
「それは何より。離れていかないように必死さ」
よく言うよホント。うまい口に何度騙されてきたか。今回ばかりは逃がさない。
「……言っときますけど。さっきあなたが提案したこと、全部してもらいますからね。逃げてもむだ、」
威勢の良い口をなだめるように。僕の唇に指を当てて微笑んだ彼女は、魔女らしく凄絶な色香と妖しさでもって僕を制す。
「ハオを愛している。心の底から。死んでも忘れられないくらい愛してやる。毎日毎日、私だけがオマエを独り占めできるなんて嬉しくてたまらないよ。……あぁ、そうだ。知っているか。痕を付ける場所にも一つひとつ意味があるんだと。覚えるまで消えないように体に教え込んでやろう。私は言葉がうまくないから、どうか汲み取ってくれ」
……どうしよう。供給過多で死ぬ。
いきなりフルアクセルとか本気で心臓に悪すぎる。手のひらでコロッコロされてる。何が言葉はうまくない、だ。表情も大して変えないで。感情なんてほんの僅かな癖でしか見抜けない。ちなみに今は悪ノリが入ってる。懲りねぇなこの人。
「煽った分だけめちゃくちゃにして差し上げますから。覚悟してくださいね、魔女さま」
「……お手柔らかに」
ストッパー外した張本人が言うセリフじゃなくて笑った。