2話
「いや死ねぇぇぇぇぇぇ!!!!」
「…こら、寮の壁は狭いんだ」
「別に〝誰に〟とは言ってないじゃん」
『…だとしてもだ。苦情を受け付けるのはオレなんだ』と。未だ眉間にシワを寄せながらベッドに腰掛けた男を不憫に思うと同時に自分にも同じだけの憐れみを覚える。
それもこれも全てあの男のせいである。
ヒロインが羨ましいという人間、是非とも私と一対一で対話をして欲しい。何も羨ましくないから。ほんとに、謙遜とかそんなクソみたいなものはゼロ寄りのゼロなことを一から百まで教えて差し上げる。
先程言った〝あの男〟というのは、私がルートに入ってしまった攻略対象である第一王子、シャルルだ。
優しく温和な性格の中に見え隠れする彼の〝雄〟な部分にドキドキ!?
…と、大変気色悪いテロップがキャラ紹介の欄に書かれていたことを思い出すと怖気がする。あ、さっき吐いたばっかなのにまた胃酸が逆流しそう。
端から見れば玉の輿であるが、実情─彼は死ぬほどきしょいメンヘラなのだ。
口を開けば
『私は誰からも理解されない』
『蛮族の末裔だと貴族は言う』
『君はどう思う?』
こんなこと聞かれて、空気が読める一般人が返せる言葉なんて、決まりきっているだろう。
『私はそうは思いません。殿下はとてもお優しい方ですし、誰がなんと言おうと私の尊敬するお方です』
とろりと甘い笑みを貼り付け、慈愛の滲む声で言葉を紡いだ。
彼は殿下だ。この国の王子。王位継承権第一位。名実ともに、国王を除き、この国で一番位の高いお方。
そんなお方に彼が望む以外の言葉をかけられる訳がないだろう。アホか。
それに加えて、私には言葉を選ぶ権利がない。
ヒロインだからだ。
私は自分の意志関係なく人好きのする笑みを浮かべ、シャルルの欲しい言葉を綴る。いや、綴らされる。
その間、指一つ動かない私は、肩に手を置かれても、腰を抱かれても、壁に追い詰められようとも、
恥じらい、頬を染めるだけ。
拒否権などないのだ。
その後、彼は嬉しそうに『やっぱり私を分かってくれるのは、君だけなんだね』と。私を壁に追い詰めて、『でも…君にだけは、蛮族の血を抑えられそうにない…』だのふざけたことをほざきながら前髪にキスをするのだ。
それが今朝の出来事である。
思い出すだけで鳥肌ものだ。
これが創作物の話ならギリ許せるのだが、自分の身に起きるとなるとただのセクハラでしかない。
考えてみ?
仕事の上司(まったく自分からの気はない)がわざと自分に残業をさせて二人きりの状況を作り、身体にベタベタ触ってくる。抵抗は不可。
鳥肌もんだろ…?
これを毎日受けている私の身にもなってくれ。
因みに抵抗不可というのは気持ちの問題ではなく、物理である。スチルに入るからなのか本当に動けない。でも意識はあるからこうやって友達の部屋に駆け込み、洗面台を借りているという訳だ。
「…オレの方からも、やんわり言ってみる」
「いや、いいよ。気持ちだけ受け取っとく、ありがと」
この友達、アダルウィンは元攻略対象である。
アダルウィンは平民出身の実力主義の真面目系眼鏡。本来、ヒロインには勉強仲間として優しくしてくれるが、私に対しての当たりは強い。なぜならば私が入ったルートはシャルルであり、シャルル以外の男にスチルは適応されないから。
可愛らしいヒロインとは違い、私の性格はかなりガサツだ。それに加えて前世は二十半ばまで生きた社会人。若い女の子の愛嬌など持ち合わせていない。
私の素を見たアダルウィンは「オレは、こんなヤツに負けたのか…こんな、こんな……ッ!」とorzの形を晒しながら項垂れていた。なんか悪いことしたな、とは思ったがその後も交流は続き、この学園で数少ない信頼できる存在となっている。
そんなアダルウィンの歯切れがさっきからずっと悪いのは彼がシャルルの騎士だからだ。
本来、平民が王族の騎士になることはない。実力がどれだけあろうと身分の差を無視した抜擢などありえない。だから、アダルウィンはシャルルに並々ならぬ忠誠を誓っている。
幼少から、平民で終わらせるには勿体ない才を持っていた分、やっかみも多かった。才能のない貴族から何度も何度も、
平民のくせに、平民のくせに、平民のくせに──と。
呪のように繰り返されたせいで、アダルウィンには平民コンプレックスが色濃く根付いている。
そんな状況の中、シャルルは身分に関係なくアダルウィンを自身の騎士に抜擢したのだ。
誰よりも地位のある方に気に入られたアダルウィンに直接やっかみを向ける者は減った。陰でどう言われているかは分からないが、それでもコンプレックスを取り除いてくれたシャルルに、忠誠を誓う理由なんて十分だ。
私がゲームをやっていたのは妹にスチル回収を頼まれたからであり、頼まれなかったアダルウィンルートは知らない。
だがしかし、プレイしていたら一番推しになっていたんじゃないだろうか。忠誠心との間を揺れ動く恋心とかなにより美味しいだろ。主君に懺悔しながらヒロインに恋する様がきっとどうしようもなく愚かでかわ………。
「どうした?」
「いやなんでも」
既に私はそんな視点でアダルウィンを見ていない筈だが、眼下に本人がいるのに邪な妄想はよろしくない。
彼は私の親友である。
親友が主君にセクハラされて吐いているのを見て、無理だと分かっているのに苦言を呈そうとするなんて、本当にいい奴だと思う。
私一人では耐えられなかっただろうけれど、状況を分かって哀れんでくれる人がいるだけでこうも救われる命があるのだ。
「いつも気にかけてくれてありがと。アダルウィンと出会えて良かったよ」
「なッ、なんだよ、それ」
友人関係は勝手に続いていくものじゃない。
親しき仲にも礼儀あり。
こうやって常日頃から感謝を伝えることが大事である。
カッ、と分かりやすく赤くなって顔を背ける様が、どっからどう見ても親に褒められて照れる反抗期の息子だ。
これでは友達というより子供だが、私の方が精神年齢は上だし、加えて孤児院に置いてきた子供達を思い出す…。
「かわいいもんだな」
「なッでんな!ばか!!」
私の記憶が蘇ったのは王子ルートに入ってからだ。戻るのが少しでも早まってくれれば、こんなゲロインライフを送らずにも済んだのにな。と不満を募らせながらもよしよし、とアダルウィンの銀色頭を撫でれば必死に抵抗してくる様子に勝手にニヤけてしまう。これじゃ、完全にツンデレキャラだな。