元聖女セレナは、鳥籠の中から逃げ出したい
ちょいエロ注意
ちょっと改変しました
「ユリウス……一生のお願いよ。一度でいいから抱いて欲しいの!」
その言葉が放たれた瞬間、若きレーヴェンシュタイン公爵ユリウスは、まるで時間が止まったかのように固まった。
彼の端正な顔には見たこともない困惑が浮かび、凍りついた青い瞳がセレナを見つめていた。
ここは、聖女の棲まうサンクトゥス神殿の聖女セレナの私室。
ユリウスに火急の用があるからと連絡し、秘密通路を使って誰にも知られぬように呼び出した。
「……すまないが、もう一度言ってくれるか? どうも俺の耳がおかしいようだ」
彼の低く唸るような声は、冷静さを保とうとする努力が見え隠れしているが、どうにも動揺を隠しきれていなかった。
いつも落ち着き払った彼が、こうまで驚くなんて──セレナは一瞬、罪悪感が胸をよぎったが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「ほんの軽くでいいから抱いてほしいの……お願い、ダメ?」
セレナは首をかしげ、彼の瞳を覗き込むように甘く微笑み、少しあざとい仕草を加えてみせた。
「……抱きしめてほしい、ということだな?」
「ハグじゃないわよ。ほら、あれよ……女性と男性が、こう……繋がるっていう……」
恥じらいながらも大胆なセレナの言葉に、ユリウスの顔がさらに険しくなる。彼女が真剣に言っていると悟った瞬間、その表情はさらに硬直していった。
セレナとユリウスは長い付き合いだ。
この国の王侯貴族は皆、莫大な魔力を持つが、平民は蝋燭を灯す程度の微量だけが関の山だ。
だが、ごく偶に魔力を吸収し、吸収した魔力を癒しの力に変える子どもが生まれることがある。
その子供は神に祝福された子として、神殿で大切に保護され、聖者や聖女として尊ばれる。
聖女は魔力を持つ高位貴族と素肌で触れ合う機会が多く、恋愛に発展しやすい。
玉の輿に乗れると人々の羨望を集めるが、セレナはそんなことより自由が欲しい。
ユリウスはレーヴェンシュタイン公爵の隠し子で、幼少期に魔力過剰症を患っていた。
その命を救ったのは、聖女に認定されたばかりのセレナだ。
余剰魔力を吸収し、セレナはユリウスを癒した。
重篤なユリウスを心配して、夜な夜なベッドに忍び込み、セレナはユリウスを抱きしめ、手を握り眠った。
その後、ユリウスはサンクトゥス神殿に身を寄せ、聖女となったセレナの世話役と教育係を務めながら、十六歳で史上最年少の聖騎士の称号を取得するという異例の経歴もつ。
寡黙で生真面目なユリウスは、セレナにとって堅物な兄のような存在だった。
平民出身の彼女が、聖女としての生活に馴染むように、彼は実直に彼女を支え続けた。
だが、セレナが十七歳になり、聖女としての任期があと一年を残す頃。
ユリウスは突然聖騎士を辞め、公爵家当主の座に就いた。
素行の悪い公爵家令息の悪事が暴かれ、廃嫡となり、当主も引退を余儀なくされたのだ。
今や、若き公爵は王国中の未婚の貴族令嬢たちにとって理想の結婚相手となった。
その人気は未来の王である王太子を凌ぐほど。
短く清潔に整えられた黒曜石のような髪、藍晶石のように澄んだ群青の瞳。
鋭い鼻筋と薄い唇、そして綺麗に彫られた頬から顎にかけてのラインは、男性的な美貌を体現していた。
公爵として身にまとう上質な衣裳の下に隠れているが、その身体は鍛え抜かれ、見事に引き締まっていることをセレナは知っている。
そして、その所作には常に気品と威厳が漂い、隙を一切見せない彼の姿は、どこから見ても完璧で、誰もが認める美丈夫だった。
結婚相手に困ることなどないだろう。
だが、ユリウスには特別な相手がいない。
それどころか、彼は貴族令嬢たちとの距離を常に保ち、浮ついた話の一つも聞こえてこない堅物男だ。
だからこそ、先ほどのセレナの言葉は彼にとってさぞ信じがたいものだろう。
若い娘が──それも、この国で神に愛された聖女が、異性に一晩の誘いをかけるなど、ユリウスの常識には到底ありえないことだからだ。
「……一体、どうしてそうなったんだ?」
ことの起こりは数日前。聖女の任期もあとひと月と目前。
聖女の務めとして、いつものようにセレナは王侯貴族の余剰魔力を身体接触により吸収していた。
その日は、セレナの苦手で大嫌いなザイン王太子がやってきた。魔力吸収は、掌を軽く合わせるだけで済むのに、セレナの指と指を執拗に絡め、いやらしく魔力を流し込んできた。
そして──。
「喜べセレナ、卑しい平民のお前を、聖女の任期が終わり次第、俺の妃にしてやろう」
「ザイン殿下の妃になるくらいなら、死んだ方がマシです」
セレナは毅然としてそう答えた。
だが、その言葉に、王子は鼻で笑いながら冷たく言い放った。
「ふん……強がるのもほどほどにしろ。聖女の務めが終われば、お前はただの平民だ。王族に逆らえると思うなよ? これは決定事項だ」
セレナの胸に重苦しいものが押し寄せた。
王侯貴族の魔力を吸収する聖女としての務め──それは厳格な規律に縛られ、制約だらけの生活を強いられる神殿での暮らし。
もうすぐ、セレナは自由になれると信じていた。
聖女の任期が終わったら、狭い神殿の外の世界を旅してみたい。広い世界を自分の足で歩き、自由を謳歌したかった。
聖女ではなく、ただのセレナとして。
だが、ザインの言葉が現実になるなら、聖女から解放されるどころか、黄金の檻は神殿から王宮へと変わるだけだ。
一生、窮屈な暮らしに閉じ込められ、自由を奪われるのだろう。
その未来を思うと、セレナの身体は小さく震えた。
「一生のお願いよ、ユリウス! 私には、あなた以上に信頼できる人なんていないの。ザイン王太子の妃になって、また鳥籠の中に閉じ込められるのはもう嫌なの」
ユリウスの瞳が揺れ、彼は戸惑いながらもセレナの言葉を真摯に受け止めようとしているのが分かった。
このお願いの目的は明確だ。王族の妃に求められるもの──それは純潔、つまり処女であることだ。
セレナは『純潔』を失いたかった。
「……いいんだな」
ユリウスはセレナの目を見据え、肩に手を置いた。ユリウスの青い瞳が光り、肩に置かれた手に痛いほど力が入っていくのを感じた。
✼••┈┈┈┈聖女の後悔┈┈┈┈••✼
「ひどい、ひどすぎる!」
翌朝、ベッドで目覚めたセレナは、隣のユリウスの背中をバシバシと叩いた。
堅物で生真面目なユリウスが、まさかここまで獣のように豹変するとは、夢にも思わなかった。
彼はセレナの私室に防音魔法を張り巡らせ、朝まで執拗に彼女を抱き続けたのだ。
まるで『抱き潰す』という言葉が相応しいほどに。
セレナは涙を零し喉が枯れるまで、ユリウスは、ねちっこく抱き続けたのだ。
計画では、ごく軽めの最小限の行為で処女を捨て去る予定だったのに。
なのに、ユリウスはそれを許さなかった──いや、もっと正確に言えば、彼は抑えきれなかったのだ。
「信じられない! こんなのって……あんまりだわ!」
セレナは怒りのこもった声でユリウスに詰め寄るが、彼はただ申し訳なさそうに、静かに彼女を見つめた。
「……セレナ、本当にすまない」
「このムッツリスケベが! 謝っても許さない……一度でいいのに何度も何度も!」
セレナは苛立ちを露わにした。
ユリウスは申し訳なさそうな表情を崩さず、彼女の全身に清浄魔法をかけ、情事の形跡を消し去り、名残惜しそうに立ち去った。
残されたセレナは、全身のけだるさを感じながらベッドに沈み込む。
疲れ果てた体を少し動かし、両手を天井にかざして指を開いたり閉じたりする。
「……やったわ、これで王太子妃にならずに済む」
身体のだるさの中にも、ほっとした安堵感があった。だがその安堵の瞬間、昨夜の情景が不意に脳裏に蘇る。
『セレナ、愛してる……』
昨夜の低い囁きが耳にこだました瞬間、セレナは「ひっ!」と悲鳴を上げた。
ユリウスはまるで興にのったかのように『愛してる』や『好きだ』と、普段は寡黙な彼とは思えないほど執拗に囁き続けたのだ。
信頼していた生真面目な幼馴染──それが一夜で、とんでもない獣に変わるとは思わなかった。
セレナは一夜の情熱を記憶から消し去るように、重い体を起こして、毎朝の祈りの儀式に向かう準備を始めた。
✼••┈┈┈┈元聖女の逃避行計画┈┈┈┈••✼
ひと月が過ぎた秋、セレナの聖女としての任期は静かに幕を閉じた。
神殿での厳格な生活を終え、新しいセレナの人生の幕開けだ。
退職金を使い、王都の外れにある白く瀟洒な邸宅を購入し、準備は万端だ。
まだ日も明けぬうちに、セレナは新たに雇った女中と共に、自邸へ向かう準備を整えた。
女中には真新しいメイド服を用意し、自らは新緑色のドレスに身を包んだ。顔を隠すように深いフリルのついたボンネットを被り、誰の目にも留まらぬようひっそりと神殿を後にした。
馬車は静かに石畳の道を進み、やがて市場の前で止まった。
セレナは車輪が回る音を聞きながら、ふっと静かに息をついた。
新緑色のドレスは、街の雑踏の中にすっと紛れこんでいった。
セレナの邸宅に降り立ったのはメイド服姿の女がただ一人。
邸宅の門前で待っていた執事が不思議そうに尋ねる。
「セレナ様は、どちらに?」
だが、女中は無言のまま二つの手紙を差し出した。
一つは王太子ザイン宛、もう一つはユリウス宛だった。
──そう、セレナは、王都から忽然と姿を消したのだった。
「ザイン王太子殿下へ
わたしには、王族の妃となる資格はありません。
遠慮や謙遜なんかじゃありません。
身も心も穢れて、乙女ではなくなりましたので、 未来永劫、無理です。
どうか、素敵なご令嬢と幸せになってください。
元聖女、セレナ」
「親愛なるユリウスへ
世界の広さを知るために、旅に出ます。
無茶なお願いを聞いてくれて、ありがとう。
怒ったりもしたけど、やっぱりあなたは私にとって一番の友です。
どうか、幸せになってください。
あなたの友、セレナより」
ザインは薄く笑うと、読み終えた手紙を机の上に叩きつけた。
「身を穢した、だと……?」
王太子はセレナの拒絶に身体が戦慄く。
彼女が自分から逃げ出したことは明白だった。
セレナの手紙をぐしゃりと握り潰す。
「王太子を虚仮にしやがって……」
瞳には復讐の炎が宿る。
掌の中で握りつぶした手紙を床に投げ捨てるとと、ザインは侍従武官を呼び、命令を下した。
「セレナを探し出せ。どんな手を使ってでもかまわん。連れ戻せ、そして……監獄の中に閉じ込めろ」
一方、ユリウスはというと手紙を何度も読み返し、静かに拳を握りしめた。
セレナが夢見ていた『自由』を求めたのだろうことは理解できる。
セレナは天涯孤独の身だ。
聖女と認定され、神殿に引き取られた後、流行り病で彼女の家族は天に召された。
セレナはずっと、家族を助けられなかったことを悔やんでいた。
『神殿に閉じ込められていなければ…』
そう何度も憤る彼女にとって、自由は切望だった。
「……セレナ、たった一人でどこへ行ったんだ」
ユリウスは静かに窓の外を見つめた。セレナが置き手紙ひとつで、どこか遠くへ行くことを選んだことに、突き放された気分だった。
✼••┈┈┈┈元聖女の潜伏生活┈┈┈┈••✼
「ルルルーン、タターン♪」
セレナはハタキを手に鼻歌混じりに歌いながら、邸宅の埃を払っていた。
軽やかなステップを踏み、ハタキを天井に放り投げると、くるっとターンして頭上でキャッチ! 見事に決まった。
「……セレナ様、楽しそうですね」
執事が恨めしそうに声をかける。
ここは、王都の外れにあるセレナの白く瀟洒な邸宅。
メイド服を着たセレナは自分の邸宅を掃除していたのだ。
「あっ! 執事さん、ちょうどいいところに。壁が寂しいから、素敵な絵を飾りたいんです。いい感じの絵を買ってきてくださいな」
実は市場で馬車を降りたのは、セレナではなかった。
馬車の中で女中と衣装を交換し、セレナが王都から姿を消したように装ったのだ。
メイド服に身を包んだセレナは、まるで本物の女中のように邸宅を掃除している。
セレナは聖女の任期が終わる退職金を元手に、新婚夫婦が蜜月を過ごす邸宅を貸し出す事業を始めようとしていた。
永続的に旅費を捻出できるように、慎重に考え抜いた末の決断だった。
そう、セレナはまだ旅に出ていないのだ。
「セレナ様のせいで、私はザイン王太子とレーヴェンシュタイン公爵を騙すことになりました……」
「そうよ。あなたも騙しの相棒なんだから、私がまだ王都にいることは絶対に内緒にしてね!」
セレナは念を押すように執事に頼んだ。
「……捜索隊がたくさん出ていて、旅に出られないのよね」
セレナは困ったように肩をすくめた。
ザイン王太子の捜索隊が縦横無尽に王国のみならず他国へまで捜索の手を伸ばしている。
セレナは捕まって自由を妨げられるのは回避したい。
「まぁ、そのうち諦めるでしょ」
再び鼻歌を口ずさみながら、セレナは楽しそうに掃除に精を出した。
執事の溜息を無視して。
✼••┈┈┈┈元聖女捕獲!┈┈┈┈••✼
冬の木枯らしが吹き荒れる頃、捜索隊もついに王都へと戻り、解散となった。
セレナの潜伏生活は順調そのものだった。
彼女は春の訪れと共に旅立つ準備を着々と進めていた。
その日も、セレナはいつものように旅支度を整えていた。
だが、外から聞こえてきた執事の緊迫した声が、平穏を打ち破る。
「セレナ様、申し訳ありません。殿下が……」
その瞬間、扉が勢いよく開く。
現れたのは王太子ザインだった。
彼の鋭い視線がセレナを射抜く。
「やっと見つけたぞ、セレナ」
ザインは笑みを浮かべながら近づいてきたが、その目には冷たい光が宿っていた。
「逃げ回っても無駄だ。俺を侮り愚弄した罪は、監獄で永遠に償わせてやる」
その言葉に、セレナは息を飲んだ。ザインの言葉には、冷酷な支配欲が透けて見える。
セレナが退こうとした瞬間、ザインは勝ち誇ったように微笑み、彼女の腕を掴んだ。
「逃げることはできない、セレナ。お前の自由はここで終わりだ」
手を振り払おうと必死に抵抗したが、ザインの力は強く、敵わなかった。
ザインは魔力でセレナを縛り上げると、宙へ浮かせて運ぶ。
「本物の檻に入れられちゃった……」
暗く冷たい石壁に囲まれた牢屋の中、セレナは深いため息をつき、呟いた。
結局、セレナは王宮の地下牢に連れ去られてしまった。
セレナは牢屋の鉄格子に手をかけ、窓からわずかに差し込む光を見つめた。
自由への憧れが胸に再び広がったが、どうすればここから逃げ出せるのか、考えがまとまらない。
ザインの支配がこれほどまでに執拗だとは思わなかった。
そのとき、遠くから足音が近づいてきた。
牢屋の前に立っていたのは──ユリウスだった。
「ユリウス……!」
驚くセレナに構わず、ユリウスは牢の鍵を静かに開ける。
「すぐにここから出るぞ」
ユリウスは短く言い、セレナの手を取り外へ引き寄せた。
✼••┈┈┈┈元聖女は吸収する┈┈┈┈••✼
二人は地下から抜け出し、夜の王宮の庭へと出た。
冷たい夜風が二人の頬を撫でる。
突然、ユリウスは跪き、真剣な表情でセレナを見上げた。
「頼むから俺と結婚してくれ! セレナを守りたいんだ」
王太子に執着されるセレナを守れるほどの力を持つのは、国中を探してもヴェンシュタイン公爵家くらいのものだろう。
だが、セレナは首を振った。
「ユリウス、駄目よ。そりゃ、あなたのことは好きよ。結婚したら楽しく暮らせる……我慢できる。でも、そのうちきっと満たされなくなって、私はあなたを嫌いになってしまうわ」
「面倒な社交なんてさせないし、セレナの行儀が悪かろうと俺は気にしない。……自由に旅に出るのも構わない。ずっと自由な旅に憧れていたのを知っている。ただ、あるがままのセレナでいてくれたらいいから」
ユリウスどれだけ自分を大切に思い、譲歩してくれてるのは、痛いほど伝わってくる。
「ずっと、ずっと好きだったんだ。セレナが聖女としての任期を終えるのを待っていた」
ユリウスの言葉には、偽りない真摯さが込められていた。その瞳は揺るぎない決意を映し出し、セレナの心に深く届く。
しかし、そのときだった。冷たい夜風と共に現れた影が、二人の前に立ちはだかった。
「やっと見つけたぞ、セレナ」
低く冷たい声が響き渡る。
そこに立っていたのは王太子ザインだった。
彼の目には怒りと欲望が交錯しており、背後には護衛たちが控えている。
「ユリウス、どうやらお前も共犯だったようだな。やはり、セレナの身を穢したのはお前の仕業だったのだな」
その言葉に、セレナの胸に激しい怒りが沸き上がった。彼女はザインの言葉の冷酷さに震えながらも、一歩前に出た。
「違うわ! わたしからユリウスに抱いてって懇願したのよ」
「何だと!?」
ザインの目が見開かれ、護衛たちも動揺する。
「こーんな涼しい顔をして、ユリウスはそれはもうねちっこくネッチャネッチャ私を抱いたわよ! ザイン、ざまーみろだわ」
元聖女による、とんでもない暴露が始まった。
王太子や護衛だけでなく、何事かと城中の人間が集まってきた。
名門ヴェンシュタイン公爵家当主は、昼は堅物生真面目にも関わらず、夜はムッツリで大変粘着質らしい──明日には公爵の性癖が王国中に広まるであろう。
「くそっ! 忌々しいこの口を縫いつけてやる」
セレナの思惑通り、煽られたザイン怒り狂い、近づいてきた。この方法だけは使用したくなかった……が仕方ない。
セレナは両手を伸ばし、ザインの首筋に掌をぴったり密着させた。やはり、皮膚の柔らかいところが、魔力も吸収しやすい。
撫で回すように手を滑らせると、ザインの耳が赤く染まった。彼の瞳に迷いが一瞬浮かぶ。
「お前、素直になったのか?」
ザインは戸惑ったように微笑んだ。
「なぁに、安心しろ。穢れた身だとしても、妃は無理でも愛妾にはしてやれるからなっ……」
セレナの掌から黄金の光が溢れ出した。
ザインの表情が変わり、次第に驚きと不安が広がった。
「な、何をしている……?」
セレナの額に大粒の汗が噴き出す。
ザインの強大な魔力が、セレナの体内に流れ込んでくる。
濁流のように激しく、セレナの体内を魔力が駆け巡る。
大量の魔力をセレナは次々と癒しの力に変えていく。
セレナは彼を見つめ、静かに言った。
「これが、あなたにできる最後の魔力吸収よ。あなたの魔力をすべて吸収し、捻れて歪んだ性格を治癒して、もう二度と誰かを傷つけることがないようにするの」
ザインの魔力が完全に消え去っていく。黄金の光が彼の体を包み込み、彼の全ての力が癒しに変わるその瞬間──ザインの表情が苦悶から次第に穏やかになっていく。
やがて、魔力がすべて吸収され、ザインは無力な状態となったが、その目にはこれまでにない澄んだ光が宿っていた。
✼••┈┈┈┈新たな旅立ちへ┈┈┈┈••✼
春の陽光が差し込む頃、セレナは旅立ちの準備を終え、広い世界へと一歩を踏み出した。
セレナは、七色に輝くオーロラや、力強い轟音を立てる巨大な滝など、世界の広さと美しさに触れる旅がしたいのだ。
それに、王太子からせしめた莫大な魔力もあるため、癒しの力も事欠かない。
聖女の力を使って、流行り病で家族を亡くし悲しむ子どもを減らすこと、それが長年憧れた旅の一番の目的だ。
魔力が枯渇した王太子はというと、すべての欲望を失い、悟りを開いた。
今までの素行の悪さから一遍、澄んだ瞳の聖人君子になった。
国王からは、慈しみ深い聖女が慈悲もなくやりすぎだと苦言を呈されたが、過失相殺で3年間の国外追放という激甘処分が下された。
こうしてセレナは念願の旅に護衛を連れて出発できたのだった。
「ねぇ、公爵家をほったらかしにして、元聖女の護衛なんてしていていいの?」
セレナは隣を歩く護衛を見上げて尋ねた。
「大丈夫だ。信頼できる者に任せてきたから。それに、君を守ると約束した」
生真面目な護衛は真剣な表情で、誇り高く答えた。
長旅の間、ユリウスはセレナに一切手を出すことなく、ただの忠実な護衛騎士として任務を全うしている。
しかし、ユリウスが公爵家当主であることには変わりがない。彼は一時的に護衛を他の者に任せ、王都へ戻らねばならなかった。
ユリウスがいなくなると、途端にセレナの旅は味気なく感じられた。どんな美しい景色を見ても、心がときめかない。
それどころか、いつも彼のことが頭から離れない。ユリウスと一緒にこの景色を見られたら──そう思うたび、胸の中が寂しく満たされない気持ちでいっぱいになった。
ある日、セレナは小さな村に辿り着いた。そこには一面の美しい花畑が広がり、子供たちの笑い声が風に乗って響いていた。
セレナはその光景に癒されながらも、心のどこかが空虚なままであることに気づいた。
「やっぱり、ユリウスと一緒がいい……」
セレナは自分の心が次第にユリウスへの想いで満たされていることに気づき始めた。
そばにいないことで、彼の存在がどれほど大切だったのか、はっきりとわかってきたのだ。
王都の用事を終えたユリウスが再びセレナの元に戻ってきた時、セレナの心はすでに決まっていた。
夜、宿屋のベッドに横たわりながら、セレナは隣のベッドにいるユリウスに静かに声をかけた。
「ねぇ、そっちに行ってもいい?」
「えっ、あっ……」
戸惑うユリウスに構わず、セレナは彼のベッドに潜り込んだ。
そして、彼の手を優しく握った。
「久しぶりに、手をつないで寝ましょう」
ユリウスは遠い昔の記憶を思い出していた。
公爵家の隠し子として、居場所がなく、重篤な魔力過剰症に苦しんでいた幼少期。
孤独の中で苦しむ彼のもとに、小さな天使が現れた。
聖女に選ばれたばかりの天使は何も言わずにユリウスを抱きしめ、その小さな手で彼の手を握り、心も身体も癒してくれた。
人肌に飢えていたユリウスに、惜しみない愛情を注いでくれた天使、セレナ。
──もっとも、その天使であるセレナはお転婆で、厳格な神殿の規則に馴染めず、ユリウスをやきもきさせたものだが……。
それでも、ユリウスは幼い頃からずっと、彼女を支え続けることを誓ってきた。
そして今、その天使が再び自分の隣にいる。
幼い頃とは違う、大人の女性となったセレナが、優しい笑みを浮かべている。
「セレナ……」
ユリウスは驚きつつも、彼女の手をしっかりと握り返した。手のぬくもりが、二人の間に穏やかな時間を流れさせる。心が満たされ、静かな安心感に包まれた。
「ユリウス、私、気づいたの。あなたと一緒にいるときが、一番幸せだって」
セレナは柔らかく微笑み、彼の額に優しく額を寄せて囁いた。
ユリウスはその言葉に一瞬固まった。
まるで時が止まったかのように、セレナの告白が彼の心に深く染み渡っていく。
彼の胸の奥で、長い間押し殺していた感情が静かに解き放たれた。
ユリウスの瞳にギラリと欲望の炎が灯る。
セレナの腰をぐっと引き寄せ、唇に力強く口づけた。
「んん……っ」
何度も角度を変えて重ねられる唇。
息継ぎをするように唇を離すと、ユリウスはセレナの耳元で低く囁いた。
「煽ったセレナが悪い。もう、我慢できない」
そう言うと、ユリウスは彼女の耳たぶを甘噛みし、首筋に優しくキスを落としていった。
✼••┈┈┈┈エピローグ┈┈┈┈••✼
その後、国外追放期間を終えたセレナとユリウスは正式に結婚し、公爵夫妻として新たな生活を始めた。
公爵夫人としての日々は忙しいながらも、ユリウスとの旅は続いていた。
旅の先に何が待っていても、彼らは互いの手を離すことなく、新たな冒険を共に楽しみ続けるのでした。
おしまい
寡黙だがムッツリした男が描きたかった……黒髪青瞳が好きです
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