90.未来を占う悪夢(4)
前回の話
イスラはヨアヒム・オーヒル侯爵の娘であるアイリスを事実上誘拐して侯爵に交渉を持ち掛けた。
王都の外れに、かつてはレアを匿っていた無人の空き家を持っている。
レアを屋敷に置くようになってからは久しく足を運んでいなかったが、俺は珍しくその家を訪れた。
家の扉を開けると、小柄な少女が駆け寄って来た。
「イスラ、来てくれたのね」
「アイリス様、お待たせして申し訳ありません」
そのまま少女は俺を正面から抱きしめてきたので、俺は軽く抱き返してやった。
俺はヨアヒム侯爵の娘である、アイリスを子供の家出ごっこという体でこの家に連れてきていた。
アイリスは俺の顔を見上げて父親の様子を聞いてきた。
「許すわ。それより、お父様の様子はどうかしら? この前は怒ってるって言っていたけど」
「今は怒っている、というよりも心配が勝っているようです。アイリス様に会いたがっている様子が伝わってきました。そろそろ帰られてもいいかと思います」
「そう。お父様もようやく私の大切さが分かったようね。それなら帰ってあげてもいいかしら」
アイリスは得意げに帰宅を提案してきたが、自分が人質として使われていたことなど一切知らないが故の表情だ。
適当に理由を付けて滞在期間をコントロールしていたが、俺の要件は済んだので、アイリスにもう用はない。
お望み通りヨアヒム侯爵に返してやろう。
「承知しました。それではお屋敷までお送りいたします」
「よろしく頼むわ。帰ったら何を買ってもらうようお願いしようかしら?」
アイリスはご機嫌な様子で帰宅後のことを考えていたが、彼女は知らない。
自分が無事に帰れるのは父親の努力があったことを。
オーヒル家の屋敷に着いた俺とアイリスは使用人にヨアヒム侯爵が私室にいることを教えてもらった。
「お父様がいるのはこっちの部屋ね。イスラ、付いてきて」
「かしこまりました」
アイリスは先導して意気揚々と歩みを進め、俺もそれに続いた。
彼女はとある扉の前で立ち止まると、ノックもせずに室内に入った。
「お父様! 帰ってきてあげたわ」
部屋の中にはヨアヒム侯爵が力なく椅子に座っていたが、アイリスの姿を見ると、生気を取り戻して娘の元に駆け寄った。
そして膝を折り、アイリスと目線を合わせると、力強く抱擁した。
「あまり心配させないでくれ。とにかく無事に戻ってきてくれて良かった……」
「お父様、流石に大げさよ。それと、痛いから放して。……あれ、お父様、泣いているの?」
気が付けばヨアヒム侯爵は体を震わせて静かに涙を流していた。
アイリスもそれに気が付いたのか、生意気な態度は消えていき小さく謝罪を口にした。
「ごめんなさい、お父様」
「いいんだ。お前が無事でいてくれれば」
そのまま親子は少しの間家族の愛情を確かめ合っていた。
そしてヨアヒム侯爵はアイリスを放すと、優しい目で娘に語り掛けた。
「話は後で聞くから、お前は自分の部屋で待っていてくれ。……私はイスラ君と話があるから」
「分かったわ。だけど、イスラのこと、あまり怒らないで。私も悪かったのだから」
アイリスは父親に言われるがまま退室し、俺とヨアヒム侯爵だけが残された。
そして先ほどとは打って変わって侯爵は俺を憎しみのこもった目で睨んできた。
俺は場を和ませるために小さく拍手をして先ほどの親子のやり取りを称えた。
「ご家族の絆とは素晴らしいものですね」
「あまりふざけるなよ、女狐が」
しかしヨアヒム侯爵のお気には召さなかったようで怒られてしまった。
恐ろしいことこの上ない剣幕だ。
とても和やかな雰囲気とは言えないが、俺は構わず話を続けた。
「そういえば、選考結果の再考の件、ありがとうございました。私も無事に次の最終選考に進めそうとのことでとても嬉しく思います。一時はどうなるかと思いましたわ」
「念のためアバン王子に話は付けたが、アイリスはもう私のところに帰って来た。もはや貴様に従う理由はない。貴様のやったことはこれから裁判所に提示させてもらう。その後にしかるべき罰が下るだろう」
先日、ヨアヒム侯爵にアバン王子の婚約者を決める選考の落選見込みを撤回するよう『お願い』をしてから数日、本当にアバン王子を説得して俺の選考通過を取り付けてくれたと昨日連絡が入った。
その努力に免じてアイリスは無事返してやったのだが、どうやらヨアヒム侯爵はまだ俺のことを敵視しているみたいだ。
こちらはもう一切敵対するつもりなどないのに、困った人だ。
そんな態度を取られたら、こちらもそれ相応の対応が必要になってしまうというのに。
「侯爵様、そんなに恐ろしいことを仰らないでください。そんなに怖いことを言われると、また『悪夢』を見てしまいそうですわ」
「アイリスはもう貴様には近づけない。その手はもう通用しないぞ」
娘の無事を確認した父親は強気な態度で俺を責めてくる。
しかし俺が標的にできる『的』は何も一つとは限らない。
「奥様は本日はご不在ですが、確か乗馬がご趣味で、今頃は郊外の乗馬クラブですかね?」
「!?」
ヨアヒム侯爵は驚いた顔をして俺を見たが、俺は構わず言葉を続けた。
「息子様は現在、領地にて経営のお勉強をされているとか。遠くにいると何かとご心配ですよね?」
「……」
先ほどまで威勢の良かった侯爵の顔はみるみる青くなっていく。
「長女のクルーヴィス様もご結婚されており相手方のお屋敷で生活されているとか。もうすぐ第一子がご誕生されると伺いました。おめでとうございます」
「…………やめてくれ」
ヨアヒム侯爵がぽつりと呟いた。
すっかり怯えてしまい、とても可哀そうな姿になっている。
「やめる、とは何を?」
「もう私の家族に手を出すのはやめてくれ」
「手を出す、とはどういうことでしょうか? 私はただ侯爵様のご家族の話をしているだけですよ?」
そう。俺はただヨアヒム侯爵の家族の話をしているだけだ。
実際に彼の妻や遠方の娘や息子まで監視しているわけではなく、ただ情報として近況を知っているだけだ。
しかしヨアヒム侯爵から見たらそうは見えないはずだ。
俺はできるだけ余裕たっぷりな態度で俯きがちに座っているヨアヒム侯爵に近づき、彼の頭を掴んで無理やりこちらに顔を向かせた。
「この前も申し上げましたが、近ごろは何かと物騒です。私も侯爵様のご家族の平穏無事を願っております。ですから、これ以上私に余計なことをしないでいただきたい」
「分かったから、もうやめてくれ。今後、お前の言うことには逆らわない。だから家族には何もしないでくれ!」
「そうしていただけると助かります」
もはやヨアヒム侯爵に俺を糾弾する力は残されておらず、俺に従うことを約束してくれた。
想定通りの結果が得られて良かった。
侯爵には感謝しなければならないな。
「そう恐れずとも悪いようには致しません。侯爵様が私に協力して下さる限り、私が影響力を持つミレイス商会やナスル商会からの便宜も図りましょう。他にも情報や資金、便利に使える人手が必要な際はお声がけください。きっと力になりますよ」
俺は座っているヨアヒム侯爵を見下ろす形で優しく囁いてやった。
せっかく優しい言葉をかけてやったにも関わらず侯爵は無表情のまま変わらなかった。
「…………悪魔め」
「何か仰いましたか?」
「いや、何も」
それどころか俺のことを悪魔などと評してきたが、聞かなかったことにしてやることにした。
さて、用事は済んだので長居は無用だ。
「それでは私はこれで失礼いたします。今後とも良い関係を築いていきましょうね」
「…………」
結局、ヨアヒム侯爵は最後まで俺との協力関係に否定的であったが、それもきっと今だけだ。
今の俺は経済、情報の分野で上級貴族よりも大きな影響力を持ち、もはや俺の存在を完全に避けてこの王都の貴族社会で生きていくことなど不可能に近い。
いずれはヨアヒム侯爵もそんな俺に対して敵対することの無意味さと協力することのメリットに気が付くだろう。
さらにアバン王子の婚約者を決める選考も次が最終選考との情報も入っている。
つまりはもうすぐ俺のステータスにさらに“権威”が加わることになる日も近い。
アバン王子との婚約はあくまでこの世界に転生する際に結んだ自称女神との契約によって目指していたに過ぎなかったのだが、いざそのゴールが目の前に来ると、その先のことも考えてしまう。
(この国の全てが手に入る……!!)
アバン王子の妻となれば、将来の王妃になるのは確定だ。
それは事実上この国の最高権力者であり、国に仕える全ての人間を好きに使えるということだ。
(政治はやりたいやつにやらせればいい。金と情報だけは管理しないとな。メッツにも貴族の役職をやりたいが、あいつは性懲りもなく俺の侍女でいたいと言うかもしれないな)
取らぬ狸の何とやらとは言うが、柄にもなく玉座に座る自分の姿を想像してしまった。
(レティシアは……)
そしてふとレティシアのことに思い至った。
彼女は既に俺の目的にとっては用済みの存在だ。
しかし、将来のことを考えている時にも自然と考えてしまった。
彼女の処遇は長いこと保留にしていたが、そろそろ結論を出さなくてはいけないかもしれない。
とはいえ、当面の課題は最終選考の通過だ。
先ほどの妄想を現実のものにすべく俺は情報収集を開始した。
次回投稿日:6月4日(火)
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