9.反撃開始(2)
前回の話
イスラは暗躍し、偽名や変装を用いつつ、ラスカルの父親であるカール・マテリアル侯爵を罠に嵌めて膨大な借金を負わせることに成功した。債権者であるイスラが提示した示談の条件とは……
「あなたの娘である、ラスカル様を私に下さい」
「は?」
カール侯爵は俺の言った言葉の意味を理解できなかったようで、口を開けたまま固まってしまった。
「聞こえませんでしたか? ラスカル様を私に下さい」
「ラスカルを……? どういうことだ?」
「そのままの意味です。ラスカル様を奴隷として私に売っていただければ今回の契約は無効としても良いと言っているのです」
「奴隷だと!? そんなの認められる訳ないだろう」
口では俺に反論してきたが、明らかに悩んでいるのが見て取れた。
カール侯爵が俺に抱えている負債は現時点で金貨三万枚を超えており、たとえ侯爵家であっても返済できる金額ではなくなっている。
一方、裁判を起こした場合も馬鹿な内容の契約書にサインしたことを公衆の面前で認めねばならず、マテリアル侯爵家の貴族社会での地位は完全に失墜する。
どちらに進んでも破滅しかなかったカール侯爵に第三の選択肢が現れたのだ。
確かに娘を奴隷として売り飛ばすのは許しがたいことだろう。しかし、他の選択肢では家族全員助からないのだ。
それであれば娘だけを切り捨てて、自分を含む残りの家族の保身を図った方がいいのではないだろうか。
きっとカール侯爵はそのようなことを考えているに違いない。
もう少し背中を押してあげよう。
「確か侯爵様にはご子息もいらっしゃいましたね。大層優秀な方だとか。マテリアル家の将来は安泰ですね」
「どの口が言うか」
「ラスカル様を私に売っていただければ私はこれ以上侯爵様と敵対するつもりはございません。ラスカル様も自分だけが犠牲になればご両親と弟君が無事に助かると分かればきっとご理解いただけるのではないでしょうか」
「……」
カール侯爵はその後しばらく沈黙したまま考えていたが、
「わかった。ラスカルをお前に預ける」
最終的に娘を身売りすることで解決することを決心した。
「ご理解いただけたようで何よりです。それでは早速ラスカル様をお呼びください」
俺がそう言うと、カール侯爵は部屋を出て、数分後にラスカルを連れて戻ってきた。
「お父様、話というのはなんでしょうか。それにこの人は誰ですか?」
ラスカルは訳もわからずこの場に連れてこられた上に、俺という見慣れない客人がいることに混乱しているようだ。
「侯爵様、娘さんにご説明いただけますか?」
「……ラスカル、実はな、……」
カール侯爵は静かに事の顛末を話し始めた。
ラスカルは話を最後まで聞くと俺の方に歩み寄ってきた。
「ふざけないで!! 誰があなたのような卑怯者の奴隷になどなるものですか!!」
そう言って俺につかみかかろうとしたが、その腕の動きは途中でピタリと止まった。
この世界には『平和の神の祝福』と呼ばれる枷が全人類に課せられており、人間相手の暴力行為はできないようになっている。
それは当然ラスカルも知っていることだが、怒りのあまり本能のままに行動しているようだ。
その表情は怒りで歪んでおり、怒った顔は父親そっくりだった。
しばらくラスカルは俺のことを殴ろうとしたり、蹴ろうとしたりしていたが、そのたびに直前で動きが止まる、ということを繰り返した。
「気は済みましたか?」
「ふざけないで!!!」
無駄な動きを繰り返し、体力を消耗したことでようやくラスカルは大人しくなった。
その頃を見計らって、俺は懐から一枚の紙を取り出した。
「それではラスカル様、こちらの紙にサインを」
取り出したのは奴隷契約書で、ラスカルが一生俺の奴隷として生きていくことを証明するためのものだ。
その紙を見ると、それまで怒りを露わにしていたラスカルは急に膝から崩れ落ちてその場に座り込むと、大粒の涙を流し始めた。
「嫌よ、そんなの。嘘だと言ってよ。お父様、どうして黙っているの? 助けてよ!」
怒ったり泣いたり忙しい女だ。
最初は威勢のいい振りをしておきながら、契約書という現実を前にした途端に親に頼ろうとするあたり年相応の少女らしいリアクションだ。
ラスカルは泣きながらカール侯爵に縋ったが、侯爵は気まずそうに顔を反らして
「すまない」
とそっけなく呟くだけだった。
自分の味方が誰もいないことを理解したラスカルは声を出すことすらできずにしばらく涙を流し続けた。
その間、俺はカール侯爵と最後の取引を行った。
今回の詐欺契約を無効にする条件は以下の通りに設定した。
(1)ラスカルを奴隷として俺に差し出すこと。
(2)今回カール侯爵が購入したナスル商会の温泉施設の経営権は放棄すること。
(3)ナスル商会にも契約解除を申し込むが、その際にかかる費用はカール侯爵持ちとすること。
(4)今回の一連の契約に関する内容は誰にも口外してはならないこと。
これらの内容を盛り込んだ合意書もあらかじめ用意していたため、カール侯爵にその書類への記名と押印をさせた。
カール侯爵は前回の反省からか、穴が空くほど書面をじっくり読みこんだため時間はかかったが、最後には合意書の内容を認めた。
その頃にはラスカルも泣き止んでいたが、呆然自失といった状態だった。
なんとかラスカルにペンを持たせ奴隷契約書へのサインをさせることで、すべての手続きが完了した。
「それでは侯爵様、ご機嫌よう。いい取引ができたこと、感謝いたします」
力なくうなだれるカール侯爵を尻目に俺はラスカルを引きずるようにしてマテリアル家の屋敷を後にした。
ラスカルと共に近くに止めてあった馬車に乗り込み、目的の場所に向かう道中
「私はこれからどうなるの……?」
ラスカルは力なく呟いた。
「あなたの使用人でもさせられるのかしら? そもそも何で私なの? 何で……」
悲しさや悔しさがぶり返したのか、ラスカルは再び泣き始めた。
俺はラスカルをそっと抱きしめて背中をさすってあげた。
ラスカルは俺の胸でしばらく泣いていたが、泣き疲れたのか眠ってしまった。
そして30分ほど経った頃、ようやく目的の場所にたどり着いた。
「ラスカル、起きなさい」
「ここは、どこ?」
俺はまだ自分の状況を理解できていないラスカルを馬車から降ろして現実を見せてやった。
「何、これ?」
「見て分からない? 娼館街よ」
俺がやってきたのは王都の外れも外れにある平民向けの娼館が集まる娼館街だ。
今は昼間なので静かだが、それでも道端に転がっている酔っ払いや麻薬中毒者の姿がここはどういう場所なのかを暗に示している。
「さっき、あなたは何をさせられるか気にしていたわね。教えてあげる。ここで娼婦として働いてもらうの。ここは平民の中でも貧乏な男が集まる街だから、汚いジジイとかも来るだろうけど、まあ頑張りなさい」
「嘘……よね……?」
ラスカルはそう言ってこちらを見たが、その顔は引きつった笑顔だった。
まるで全て冗談であることを期待しているかのようで非常に滑稽だ。
だから俺はラスカルに最後の言葉を送った。
「全て現実よ。それとあなたはどうして自分が、とも言っていたけど、その答えも教えてあげる」
俺はそこで言葉を一度切り、自分でも分かるほど醜悪な笑みを浮かべた。
「私はあなたのことが嫌いだから。それ以上の理由はないわ」
ラスカルはもう何度も泣いて赤くなった目を再び濡らして泣き出したが、顔は笑ったまま時折小刻みに笑い声を漏らした。
あまりに救いのない現実を前にしてラスカルは完全に壊れてしまった。
俺は知り合いの娼館主にその状態のラスカルを預けて屋敷に戻った。
『あなたには詐欺を行った相手がどんな不幸な目に陥っても心を痛めない外道の精神を持ち合わせています』
屋敷に戻った俺はかつて自称女神が俺のことをそう評していたことを思い出した。
確かに俺は今、全く罪悪感を持っていない。
(こんなクズ、碌な死に方しないな)
そういえば自称女神は俺の前世の死因については何も言っていなかった。
しかし自分で言うのもなんだが、俺みたいな奴が天寿を全うしたとはとても思えない。
そして今世の俺はいつどうやって死ぬのか。
(まあいいか、そんなこと)
しばしの間そのようなことを考えてみたが、すぐに飽きた。
自分がいつ死ぬかなんて気にしなくてもいいのだ。
どうせ死ぬ瞬間には分かるのだから。
次の話:明日投稿
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