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89.未来を占う悪夢(3)

前回の話

イスラはヨアヒム・オーヒル侯爵の娘であるアイリスと会って良からぬことを企んでいた。

アイリスを招いた翌日のこと。


その日の空はどんよりと暗く、今にも振り出しそうな天気だった。

俺は一人自室で窓の外をぼんやりと眺めていた。


「イスラ・ヴィースラー、ヨアヒム・オーヒル侯爵がお見えだ。……本当にお前の予想通りにここに来たな」

「思ったよりも大分早かったけどね。流石は親馬鹿。……すぐ行くと伝えてくれる?」

「承知した」


つかの間の静寂は侍女のファラによる来客の知らせで破られた。


ヨアヒム侯爵がここに来た理由は分かっている。

それはもちろん彼の最愛の娘の一人、アイリスのことに決まっている。


俺はファラに告げた通り、すぐに客間へと向かった。


客間の扉を開けると、そこにはヨアヒム侯爵が立っていた。

椅子が置いてあるにも関わらず、立ったままそわそわしている。


そして俺が客間に足を踏み入れようとした途端にこちらを向いて声をかけてきた。


「アイリスはどこにいるんだ?」

「落ち着いて下さい、侯爵様。順を追ってご説明いたします」


開口一番に娘の安否を確認してきたのは親の鑑だが、いくら何でも早すぎる。

ヨアヒム侯爵にはアイリスを預かっている旨は手紙で伝えていたにも関わらずこの焦り様である。


俺はあえてゆっくりと椅子に腰かけて、対面に置いてある椅子に目線を投げた。

ヨアヒム侯爵もそれでようやく落ち着きを取り戻したのか、促されるままにその椅子に座った。


「結論から言えば、アイリス様はここにはおりません。私の所有している別の建物にいらっしゃいます」


そう。アイリスは昨日は帰宅しておらず、そしてここにもいない。

その理由は前日に遡る。


ーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーー

ーーーーー


開店準備中の服屋の中で、俺はアイリスに彼女の父であるヨアヒム侯爵が、どのくらい娘のことを愛しているか確かめる方法について説明した。


「アイリス様、今日から数日の間、私の所有する建物でお過ごしください」

「それは何故かしら?」

「アイリス様のお父様にアイリス様の大切さを再認識していただくためです。アイリス様が急に家出をしたら、きっとお父様はご心配されます。アイリス様がいかに大切な存在かを十分に実感していただいた頃にお戻りになれば、きっと以前のように何でも好きなものを買ってくれるのではないでしょうか」

「イスラ、あなた天才だわ」


俺の提案を聞いたアイリスは目を輝かせて計画に賛同してくれた。

こういうところは年相応のガキだと感じるが、だからこそ御しやすい。

こうして俺は誘拐をするまでもなく、貴族令嬢の身柄を押さえることができたのだ。


ーーーーー

ーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーー


事の真相はそんな感じなのだが、ヨアヒム侯爵本人に俺の提案だと正直に言うのは体裁が悪いので、不都合な部分は隠しつつ説明を重ねた。


「アイリス様は侯爵様とはしばらくお会いになりたくないとのことだったので、今は別の場所にいらっしゃいます。私の侍女も付いておりますので、ご不便をおかけるすことはないかと」

「一体どうしてなんだ、アイリス……」


ヨアヒム侯爵は娘から拒絶されたという事実を聞いて露骨に肩を落とした。

父親という生き物の悲しき宿命である。


「あまりお気になさらないでください。年頃の女の子は誰しも父親に対する反抗心を持つものなのです」

「そういうものか。君もそうだったのかい、イスラ君?」

「……ノーコメントです」

「とにかく、事情は把握した。面倒をかけてすまないね。しばらくの間、アイリスを頼んだ」


ヨアヒム侯爵はすっかり元の落ち着いた雰囲気を取り戻して娘のことを俺に託してきた。

これでひと段落、というような空気が流れるが、俺の要件はここからだ。


「話は変わりますが、この前の三次選考の件、やはり私の通過は難しいでしょうか?」

「その件は以前説明した通りだ。申し訳ないが、イスラ君が次の選考に進むことはない。アイリスが世話になっているが、それはそれ、これはこれだ」

「そうですか。それならば仕方ないですね」


俺は貸しを作った話の直後に選考の話題を振ったが、ヨアヒム侯爵は淡々と俺の状況を教えてくれた。

公私混同をしない判断力は見事だが、その公正さはここで捨ててもらう。

俺はたっぷりと含みを持たせた言い方で呟いた。


「しかし、そうなるとまた『悪夢』を見てしまいそうですね……」

「……どういうことだ?」


ヨアヒム侯爵もたまらず俺の独り言に言及した。


俺は落ち着いた笑みを崩さぬよう、『悪夢』の内容を伝えた。


「先日、侯爵様から落選の見込みを伝えられた日のことです。私はあまりの悲しさから悪夢を見てしまったのです。それは小さくて可愛らしい貴族令嬢の女の子が事故で帰らぬ人となる夢でした。どんな女の子だったかまでは覚えておりませんが、次に同じような夢を見たら、その顔がはっきりとしてしまうかもしれませんね」

「……っ!!」


ヨアヒム侯爵は俺の話を聞くと鋭い目つきで睨んできた。

察しが良くて助かる。

俺はその目線にも笑顔を崩さずに答えた。


「怖い顔をなさらないでください。あくまで夢の話です。ただ、夢は未来を占うものという通説もございます。悪夢が正夢にならなければ良いのですが」

「何が言いたい?」

「アバン王子の婚約者を決める選考を勝ち進めないということは、私にとってそれだけ悲しいことなのです。侯爵様ならば、そんな悲しみから私を救い出してくれることができるのではないでしょうか?」

「貴様、私を脅すつもりか?」


ヨアヒム侯爵の眉間はみるみるうちに皺が寄り、怒りを露わにした表情に変わっていった。

そして俺のことを凄みのある重い声で威圧してきた。


しかしそんなもの所詮は子供騙しである。

相手を従わせるには、必ずしも威圧感を与えるような態度は必要ない。

必要なことを必要なだけ伝えればいいだけだ。


「脅すなどとんでもない。あくまでお願いですよ。ただ、最近王都は物騒ですから、誰がいつどんな事故に遭うかなど分かりません。例えば、以前のリウラ院長の一件のように」

「まさか、リウラ院長の件も貴様がやったというのか……!?」

「まさか。そんなわけありませんわ。あれは単なる不幸な事故です。それに、今はアイリス様には優秀で従順な私の侍女が付いております。彼女が付いていればよほどのことがない限り、アイリス様は安全です。例えば、主と急に連絡が取れなくなるなどの非常事態がなければ」


俺はあくまで穏やかにヨアヒム侯爵に自分の手札を示してやった。


現在、アイリスの世話役としてメッツを付けている。

メッツには俺からの指令が届かなくなったらアイリスを王都の外に連れ出して『処分』するよう命じている。

これでヨアヒム侯爵は俺に対して迂闊に手が出せない。


アイリスの身柄と生殺与奪の権を俺が握っていることを暗に教えてやったことで、ヨアヒム侯爵は先ほどまでの怒りではなく、焦りや恐れが顔に出ている。


俺は最後にもう一度聞いた。


「侯爵様、選考の件、もう一度だけ私の結果の再考をお願いできますか?」

「分かった。分かったから、アイリスは返してくれ」

「そんなに必死にならずとも、アイリス様が帰りたいと仰ればお返しいたしますよ。ただ、その前に私の『お願い』の件、ご対応をよろしくお願いします。……再び私が悪夢を見る前に」


俺がそう告げると、ヨアヒム侯爵は勢いよく立ち上がった。

そして部屋の入り口に向かうと、乱暴に扉を開け勢いよく客間を出た。


あの様子ならきっと死に物狂いで選考の件は何とかしてくれることだろう。

今夜は安心して良い夢が見られそうだ。

次回投稿日:6月1日(土)

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