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80.Re:温泉旅行(2)

イスラとレティシアは再び二人きりの温泉旅行にやって来た。


(一度目の旅行の話は読まなくても問題ないですが、気になる方は11話~15話をご参照ください)

「レティシア、話をするのはいいけど、このままだと近いよ」

「ごめんなさい。それじゃああっちで座って話をしましょう」


レティシアから対話を求められた俺はその申し出を受けることにしたが、流石に吐息が感じられるほどの距離感で話をするのは落ち着かない。

俺とレティシアはリビングにあったダイニングテーブルに向い合せで座り、改めて話題を切り出した。


「そういえばこうして話すのは久しぶりだね。そうだ。たまには私がお茶を淹れてあげようか? 時間はたくさんあるわけだし」


俺は早速間を取ることを提案した。

今回俺は守勢に回っているので、できるだけ多くの時間を浪費してレティシアとの対話を避けるように動く必要がある。


「いいよ。イスラちゃんは座っていて。私がやるから」

「そう? ありがとう」


しかしレティシアは俺の提案を断り、手際よく自分で茶を用意してくれた。

普段から慣れているためか、レティシアはとても手際良く手を動かし、すぐに茶を用意して対話の席に戻った。


「ありがとう」


俺はレティシアに礼を言うとゆっくりと茶を啜った。

旅館に備え付けの茶葉を使用したため普段と味は違うものの。十分美味しい。


「レティシアもすっかりお茶を淹れるのが上手くなったね」

「そうだね。けど、イスラちゃんも砕けた口調で話すのが自然になった」

「昔みたいに敬語の方がいい? ……レティシア様、本日もご機嫌麗しく……」

「イスラちゃんは昔もそんなことは言わなかったよ。でも、なんだか少しだけ懐かしい」

「懐かしいといえば、レティシアは覚えてる? 前にここに泊りにくることになった時に……」


俺達は軽口を叩き合い、ついでに昔話に花を咲かせた。


俺はレティシアから対話を求められた時点からどこかで昔の話をしようと思っていた。


昔話とは甘い菓子のようなもので、気が付けば摂取しすぎるものだ。

このような他愛もない昔話をできる限り引き延ばすことで、レティシアの望む対話をする時間を削ることができる。


レティシアもかつての公爵令嬢時代の思い出を楽しそうに話してくれた。

俺もできるだけ盛り上がるよういいタイミングで相槌を入れることに徹した。


しかしそれでも限界は訪れる。


「思い出話って不思議ね。気が付けば時間がたくさんたっているのだもの」

「本当ね」

「私がここにイスラちゃんを呼んだのは、楽しい話をするのももちろんだけど、真剣な話もしなければいけなかったのにね」


レティシアは再び本題に話を戻した。

先ほどまでの和やかな空気が引き締まったように感じる。


「私はイスラちゃんと一緒にいるために、公爵令嬢という立場を捨てた。それは別にいいと思ってる。使用人として振る舞うのも構わない。それでイスラちゃんと一緒にいられるなら。だけど、今のイスラちゃんは隠し事が多すぎると思う。いつも忙しそうにしているけど、何をしているの? 誰と一緒にいるの? それは私には話せないことなの? 教えてよ、イスラちゃん……」


レティシアはそれまで溜め込んでいたであろう疑問を一気にまくし立ててきた。

彼女の眼は真剣そのものだが、残念ながら俺はその思いに応えることはできない。


「レティシア、落ち着いて聞いて。私は今レティシアとずっと一緒にいられるようにするために頑張っているの」

「頑張っているって、何? どうして私には何も教えてくれないの?」

「ごめん。今は何も話せない」


俺は真っすぐにレティシアの目を見つめ返す。

それがあたかも強い信念に基づいた意志であるかのように。


レティシアもまた俺の視線を真剣な顔で受け止めた。

深い湖のような彼女の瞳に吸い込まれそうになる。


しばしの無言の時間の後、レティシアは寂しそうな笑みを浮かべた。


「やっぱりイスラちゃんの本当の気持ちは分からないね。私、人を見る目は自信あったんだけどな」


どうやら今回も何とか凌げたようだ。

しかしここで安心するのはまだ早い。


何せこの部屋に滞在する時間はまだまだ残されており、この後も繰り返しこういった問答があったらいずれボロが出る可能性もある。


そうならないためにも話題を変えてやる必要がある。

俺はできるだけ明るい声で言った。


「レティシアはさ、もし自由に外出できるようになったらどうしたい?」

「え?」

「今はレティシアのことを知っている人に見つかったらいろいろ面倒なことになるけど、そんなことを気にしないで自由に生きることができるとしたら、どうする?」


俺から切り出したのは未来の話。


これも過去の話と同じように人を惑わす魅力を持つものだ。

俺は面食らっているレティシアにその魅力を押し付けた。


「私はいつかレティシアと旅をしてみたいと思ってる。どこか行ったことのないところに、二人きりで」

「旅……? 二人で……?」

「そう。誰も私達のことを知らない土地で、見たことのない場所、見たことのない食べ物、見たことのない景色を二人で楽しみたい。レティシアはそういう希望はないの?」

「私……? 私は……平民みたいに暮らしてみたい、かも。昼間は二人で畑仕事をして、夜は同じ部屋で寝るの」

「いいね。どんな作物を育てようか?」


最初は突然の話題の転換で戸惑っていたレティシアも徐々に舌が回って来た。

俺も再び相槌を打つ体勢にシフトしてレティシアが気持ちよく話をできるよう立ち回った。


レティシアは頭が回る聡明な女だ。

しかしそんなレティシアでも夢を語ることの快楽には敵わないようだ。


年相応の女の子のように話す彼女のことを見て、俺はあとどのくらいこの話で時間を潰せるかしか考えていなかった。


「レティシア、そろそろ夕食の時間みたい」

「もうそんな時間? 話をしているとあっという間ね」


そしてそんな風に時間を浪費していると、ようやく夕食の時間になった。

ここまでくれば後は消化試合だ。


「話をしてたら喉が渇いちゃった。食事の前にお水を取って来るね。レティシアもいる?」

「うん。お願い、イスラちゃん」


俺は一度席を立ち、別室に備わっていたグラスを二つ手に取り水を注いだ。

そしてその片方に持参していた薬を溶かした。


「お待たせ。あっちの部屋に水差しがあった」

「ありがとう、イスラちゃん」


レティシアはそう言うと何の警戒もなくその水を口にした。

俺も自席に戻り、何も入っていない自分の分の水を飲んだ。


少し待つと仲居が部屋に夕食を持ってきてくれた。

その間に立て込んだ話はできなかったので、出てきた食事の話題を中心に、雑談に終始した。


「レティシア、大丈夫? 眠い?」

「らいじょうぶ」


そして食事が終わる頃にはレティシアの目はトロンとしたものになり、今にも寝てしまいそうになっていた。


俺が彼女の水に混ぜたのは不眠症の人間が無理やり眠る際に使う類の睡眠薬だ。

こんなこともあろうかと懐に忍ばせていたのが役に立った。


「いすらちゃん、まだ、おはなし……」

「うんうん。分かったから横になろうね」


俺はレティシアを寝室に連れ込み、ベッドの上に寝かせた。

彼女はすぐに寝息を立て始め、大人しくなった。


明日の朝は逆に俺がギリギリまで狸寝入りを決め込めば自然とチェックアウトの時間になる。

それでこの旅行もお終い。

レティシアには再びレアとして振る舞ってもらう。


(レティシアのことはいつまで利用しようか)


そんな考えの中、ふと疑問が頭をよぎる。


元々の計画の中ではレティシアは俺がアバン王子との婚約を勝ち取るための障害でしかなかった。

公爵令嬢の身分も、アバン王子の婚約者の立場を捨て去った彼女にはもはやなんの価値もない。


以前、俺が知らない貴族の情報を聞き出すのに頼ったことがあったが、そんなものはピンポイントなものであり、全体で見ればレティシアを匿っていることはリスクでしかない。


(殺すか?)


一番後腐れないのは殺してしまうことだが、俺にはどうしてもその決断ができない。


寝ているレティシアの顔を見ると、規格外の美しい寝顔がそこにあった。

俺がその頬にそっと手を当てると、レティシアはくすぐったそうに口元を動かした。


やはり今の俺にはレティシアを切り捨てることはできない。

理由も分からない。


自分でも不思議だが、この感覚を言葉で説明できるようになるまで待つのも悪くないかもしれない。

彼女の存在が露見するリスクはあれど、逆に言えば完璧に匿うことができれば何の問題もないのだ。

そうすればいずれ答えは分かるはずだ。


俺はこの選択を愚かなものだとは思うが、同時に誰にも負けないための制約として、これからも他者を出し抜いて暗躍することを心に誓った。

次回投稿日:5月5日(日)

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