8.反撃開始(1)
前回の話
レティシアの取り巻きグループの筆頭であり、イスラのことを敵視するラスカル・マテリアル侯爵令嬢を排除するためにイスラは暗躍し、偽名や変装を用いつつ、ラスカルの父親であるカール・マテリアル侯爵に罠を仕掛けたのだった。
その後俺はカール侯爵との契約に必要な各種手続きを行ったものの、それ以外は穏やかに日々を過ごしていた。
そんな中、俺はいつものようにレティシアの屋敷に招かれていた。
今日の催しは秋の花を楽しむ会とのことで、庭にはレティシアの家の庭師が作ったであろう花壇や植え込みに色とりどりの花が咲き誇っていた。
そんな庭をいつもの面々で歩いているわけだが、
「イスラちゃん、この花綺麗だよ」
「レティシア様の方がお綺麗ですよ」
「そういうのはなしでいいよ。けど、ありがとう」
相変わらずレティシアは俺に話しかける頻度が多く、ラスカルは俺を睨みつけるのだった。
「イスラ・ヴィースラー。あなた、以前私が親切にも助言してあげたことをまるで理解していないようね」
レティシアが使用人に呼ばれて一時的に屋敷の中に戻ったタイミングで、ラスカルはすぐに俺に絡んできた。
「確か、私には『格』が足りないというお話でしたよね?」
「ええ。どういうことか全く理解していないようだけれど」
ラスカルは苛立ちを隠さず高圧的な態度で俺を見下ろした。
「イスラ・ヴィースラー、あなたラスカル様に同じことを注意させるなんて舐めた態度取って許されると思っているのかしら?」
ラスカルの攻撃に便乗して近くにいたアンリ・ランカスター伯爵令嬢も俺に詰め寄ってきた。
アンリはラスカルの太鼓持ちであり、時々このような感じでラスカルと共に俺を牽制することがある。
ただでさえうるさいクソ女が二人に増えると不愉快さも倍増だ。
しかし今日に限ってはその姿が滑稽にすら思えた。
とはいえ、この場で俺が急に生意気な態度を取るのも不自然極まりないので、大人しくしておくことにした。
「ラスカル様、申し訳ございませんでした。以後、深く気を付けますので、何卒ご容赦ください」
どうせラスカルはもうすぐ終わりを迎えるし、そうなればアンリも大人しくなるはずだ。
せめて最後くらいはいい思いをさせてやろう。
「分かればいいの。ただし三度目はないから」
ラスカルは溜飲が下ったのか、笑顔で応えた。
しかしその笑顔は酷く歪んだものに見えた。
その後レティシアが戻ってきたが、俺は体調不良と偽ってこの会を中座することにした。
レティシアにはとても心配されたが、元気のないふりでやり過ごした。
取り巻き連中はと言うと、ラスカルとアンリが勝ち誇ったような顔をしていたのは予想通りだが、ユフィーが心配そうにこちらを見ていたのは少し嬉しかった。
「それじゃあイスラちゃん、お大事にね」
「ありがとうございます。途中で退席することとなってしまい申し訳ありません」
レティシアに挨拶をして俺は自分の屋敷へと戻った。
それから数日した頃、俺はマテリアル侯爵家の屋敷へと向かった。
例の契約から1か月が経過する日だ。
契約に従い、カール侯爵に貸した金の1割を取り立てる権利がこちらにはある。
屋敷では前回と同じく裏口からカール侯爵の待つ部屋に通された。
「よく来たな、エイリアス!」
前回とは異なり、カール侯爵は機嫌良さそうに俺を出迎えた。
エイリアスというのは前回も用いた偽名だ。
「先日ナスル商会の使いが来てな、わしの買い取った温泉施設の経営状況はすこぶる好調だそうだ。お前の話に乗って正解だった」
「それは良かったです」
上機嫌なカール侯爵につられて俺も自然と笑顔になった。
そしてカール侯爵は懐に入れていた小切手を俺に差し出した。
俺はそれを受け取って確認すると、金貨220枚を銀行から引き出すことができるものである旨が記載されていた。
「そいつは約束の返済分だ。残りは1年後で良かったな? まあ、1年も待たせず返すだろうから心配はするな」
カール侯爵は確かに2200枚の一割である220枚の金貨を用意した。
しかしこれではダメなのだ。
この時のために俺はここまで準備してきた。
ここからは俺の番だ。
「おかしいですね。これでは全く足りません」
「……なんだと?」
俺の言葉に上機嫌だったカール侯爵は顔をしかめた。
どういうことか全く理解していないようだが、こちらがそう仕向けていたのだから仕方あるまい。
このままでは話にならないので、種明かしをしてやろう。
「侯爵様が本日お支払いしなければならない金貨は3490枚なので、220枚程度では全く足りませんと申し上げました」
「金貨3490枚だと!? ふざけるな! そんなわけないだろう!」
「大真面目ですよ? 契約書にもそう書かれております」
俺がそう言うと、カール侯爵は焦った様子で引き出しを開けて契約書を取り出した。
そして書面に目を通すと、ワナワナと震え出した。
「馬鹿な……金利が1日1割の複利だと……?」
「ええ。そのように決まっています」
種を明かしてしまえば簡単な話だ。
今回の借金の金利についてカール侯爵は2000枚の1割で200枚だと思っていたようだが、実際は一日おきに1割の利子がかけられる内容だったというだけだ。
その結果、もとは2000枚だった侯爵の借金は今や約34900枚にも膨れ上がっており、その1割を今日返してもらえるという話なので、3490枚が正しい本日の支払い分なのだ。
カール侯爵は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「馬鹿者! こんな契約が通るか! お前はそんな話をわしに一度もしなかったぞ!」
「そうでしたかね。私は言ったと思いますが。とはいえ言った、言わないなどといった話はここでは無意味です。実際に契約書に記載があり、侯爵様はそれにサインと押印をされた。これが全てです」
契約書の金利の説明は決して見えないほど小さく書かれてはいない。
見逃す方が悪いと言い切れるように調整を重ねた。
ただ、こちらから契約書を提示して内容を説明する際に視線の誘導や指差しのやり方を工夫して目に入りにくいようにしただけだ。
普通、貴族はこういった契約をする際はお抱えの商人に内容を精査してもらうのが一般的だ。
しかし、今回カール侯爵は他人に知られないようにお金を集めようとした結果その確認を怠った。
侯爵の性格、現在の財務状況、行動指針などを事前に調査し、俺の想定通りにことが進むよう綿密な準備をしてきた結果がようやく実った形だ。
この瞬間が一番生を実感できる。
半面カール侯爵は顔を赤くしたり青くしたりして忙しそうだ。
「金貨3490枚などすぐに払えるわけがなかろう」
「それでしたらば明日でも構いませんよ。明日には3839枚になっていますが。それとその金額はあくまでも負債の1割ですのでお忘れなきよう」
「そもそもこんな契約は無効だ。この詐欺師が!」
「詐欺師などとは心外です。侯爵様はこちらの契約書に同意の上で家名の入った判まで押されているのに」
その後もカール侯爵は恨み言を続けたが、そろそろ飽きてきた。
詐欺師相手に詐欺師めと言うなんて、道ですれ違った相手にお前は人間だと言うことと同じくらい意味のない戯言だというのに、そんなことを聞かされるこちらの身にもなってほしい。
「それではどちらが正しいか裁判所で争いますか?」
「それは……」
裁判をちらつかせたらカール侯爵は途端に歯切れが悪くなった。
詐欺師に騙されて金を搾り取られかけたと訴えて、仮に勝訴しても馬鹿な契約書にサインした事実は消えない。
その噂は貴族社会に広がり、一生笑いものだろう。
貴族社会は面子を非常に重んじる。
だからこそカール侯爵は公の場で俺を糾弾することもできない。
「侯爵様が取れる選択は、今ここで足りない分の金貨3270枚をご用意いただくか、裁判の場でご自身の不注意を晒して私を訴えるかのどちらかです」
「……ふざけるなよ」
「大真面目です。……しかし、もしこちらの条件をいくつか飲んでいただけるのであればこの契約をなかったことにしても構いませんよ」
「……条件というのは何だ?」
交渉の基本は高い要求を提示してから本命の要求を飲ませることにある。
俺の目的はあくまでラスカルの排除だ。
そのための手段を色々と検討したが、侯爵一家を丸ごと潰すのは手間がかかり過ぎる上に、俺にとって旨味がないという結論になった。
むしろ本当に裁判沙汰になった場合に、万が一にもイスラ・ヴィースラーが関与しているということが判明したら破滅するのは俺の方だ。
不要な争いを避けるには、交渉を仕掛ける側が落としどころを用意しなければならない。
俺は最後の交渉カードを提示した。
「あなたの娘である、ラスカル様を私に下さい」
ここから10話まで一気に駆け抜けます。
次回(9話):明日
その次(10話):明後日
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